もとポッポやの写真とつぶやき

うつ病と闘うカメラマン。現在過去撮影した鉄道写真を中心にその他写真をアップしています。

消えた急行シリーズ⑨

2014-12-24 10:24:05 | 鉄道写真(その他路線)

記録的な寒波の中、退院初の外来診療に行ってきました。やむを得ず?タクシーを使ったのですが…プロのドライバーでも苦労するほどタイヤが滑りまくり極めつけは、病院手前で「前の車が横滑り」!ひやひやモノでした。

さて、診察を受けると、予想以上の回復ぶりに医師はご満悦!(病棟でも笑顔見たことが無かった)リハビリの先生♀も驚き!「ポッポやさん頑張ったごど―」私、「いえ、それほど…。」ということで三角巾外してもいいことになったもののリハビリは予想以上に辛かったです筋肉が固まっているので乗り越えなければなりません!大変だあ…。肩の骨は多少曲がっているものの再生が終盤に近づいています。しかし、火傷は15㎝位になったもののまだ風呂はまだ。はあ…。

写真は消えた急行シリーズの続き。急行八甲田。

撮影、北高岩~八戸間(現青い森鉄道)、1990年代、ネガ 


病院での社会勉強

2014-12-18 10:22:40 | 鉄道写真(五能線)

昨日はすごい嵐でした。普通爆弾低気圧は1,2月あたりに発生するのですが…。
テレビでは「ホワイトアウト」をしきりに連呼していますが、雪国にとっては当たり前なのですが。一度こちらへ来て冬期間でも過ごしてみればいいかも!

さて、入院で気づいたこと。
まず、病棟スタッフについて。勤務については3Kと言われてますが、勤務時間については8時間ずつの3交代になっていて昔ほど大変でないらしい。ただ、人数については、時間帯によっては3人で48人を担当することがあり混乱することもありましたまた、勤務シフトの関係で夜勤が続いている看護師さんが日勤に入ったりすると、「作業の種類に戸惑う」こともあったりして…。総じて、何もなければ夜勤の方が楽という意見も。24時間見ていると、日勤の方が作業量が多いほとんど時間通りに帰られない方も…。本当に人間のしかも傷病人の相手というのは大変です(鉄道もそうですが比ではありませんね)

もう一つは、看護師の質の問題。こればっかりは人間である以上工場ISOとかのようにはいきません。標準化は難しいです!新人とベテラン、気配りの差や見習い時代の師匠の教えの違いなど(私にも覚えがありますが職人系はやむを得ない)…。なかなか難しいものです。ただ、他人事で人間観察すると自分の勉強にもなりますが(外傷だからかなあ)
そんな中一心不乱に仕事をする彼らに感謝ですm(_ _)m

余談ですが、病棟は社会の縮図ですね。仲のいい家族や悪い家族、笑える家族などなど…。うちは、恥ずかしながら弟妹に見放されましたただ、友達のお見舞いとお世話には感謝です(泣)!

来週は、外来診察。三角巾は外せるのか?少し痛むのだけど


撮影、大間越~岩館間、2014.4

津軽半島観光フォトコンテストで、優秀賞頂きました。(タイトル:いが、やぐが?) 


久しぶりに風邪をひきました

2014-12-16 09:57:15 | 鉄道写真(奥羽本線)

退院してから、1週間が過ぎました。
病院で言われたようにバスタブに入らず、シャワーだけにしてみましたが、案の定風邪をひきました。しかも丁寧に熱まで出ました
どう考えても病院のように”常夏”状態ではない一般家庭の風呂。やはり無理があるのではないでしょうか?しばらく身体を拭くことで、傷口だけを洗浄することにしました。大火傷の場合は家庭での処置というものは無理ではないでしょうか?どの程度なら入院できるのでしょうか?素人考えでは「完治してから」と思うのですが…。

しかし、右肩の骨折についても病院と違って、ベットでもないし、どうかした拍子に痛めることもあり、ようやく何とかこなせるようになってきましたが本当に治るのか疑問です…。ギブスならまだしも三角巾で吊るされているので…。でも不便だなあ

救急病院てそんなものなのでしょうか?あまりこういう経験がなので。


撮影、土崎駅、2014.1.25 


入院で感じたこと

2014-12-11 11:12:39 | 鉄道写真(花輪線)

今日は雨返し(雪の合間に降る雨)で、ずっと雨が降っています。でも週末は寒波と言いますがどうか・・・。

入院したことは前回報告しましたが、その時に感じたことを。
まずは、高度救命救急センターのこと。意識朦朧で運ばれて驚いたのは、処置の尋常じゃないスピードテレビで観ているのとは大違い!あっという間に全裸にされて(恥ずかしかった)検査・処置の山…。そしてHCUの病棟へ。点滴(ソリューゲン)、心電計及び酸素吸入マスク取り付け、尿の4時間ごとの採取計量。部屋に一人…。

しかし、 次の日4人部屋へ移動。峠は越えたようで心電計、酸素マスクを外され午後から食事開始…。実は、HCUは本当に生死を彷徨っている患者がいるところ。なんか都合が悪かったですでも表現は悪いけど、長くいる所ではないです!方々から苦しみの声が向かいの女性は膵炎らしきで苦しんでいる、その隣は意識ははっきりだが病名不明(絶食状態)、私の隣は喘息で窒息寸前…。本当に早く出たいと思ったら、次の日一派病棟へ移動しました(ほっ)

結論として、普通の?怪我や病気の方がいいのと、救命の医師・看護師は本当に凄いものだと改めて考えさせられました命を助けていただき本当に幸せだと思いました


撮影、松尾八幡平~安比高原、RXPフィルム 


入院していました

2014-12-09 10:29:17 | 鉄道写真(羽越本線)

本ブログをご覧の皆様、更新が滞って申し訳ありませんでした。実は、10月19日から12月7日まで入院していました。

10月19日に撮影に出かけた帰り道で事故に遭いそのまま入院となりました。
当時気を失い死んだと思いました。が、しかし、目が覚めてみると身体が動かない!そして救急車で日赤病院へ運ばれました。初めて「高度救命救急センター」で処置を受け、今日明日の命と言われる。診断は、全身打撲、右肩骨折と右(なぜか右・・・)尻に大きく3か所の大火傷。
ところが次の日の昼には酸素吸入を外し食事!同室の患者が生死をさまよっている中、一人看護婦さんに食事させていただきました… それから間もなく一般病棟へ移りました。その後の一週間は何事もなく(動けなかったが熱はあった)、次の週に手術の予定があったもののその説明日に突然の高熱!ただちにインフルの検査、陰性、二日目に坐薬で解熱。しかし熱は下がらず、総合診療科へ。全身に赤疹!皮膚科へ。血液と採尿、培養検査…ほどなく黄色ブドウ球菌感染が発覚!(事故の時に潜んでいたらしい)二週間生死をさまよう。救急で使うバンコマイシンという抗生剤を打ったところようやく回復するも個室に隔離

保菌者扱いされ、シャワーも条件付き。火傷も毎日消毒…。そして、骨もくっつき始めてほどなくリハビリ開始。退院1週間前には絶望的だった手の機能も半分ぐらい回復したら、早くも退院勧告!整形、形成、皮膚科の足並みがそろわず最後までもめにもめ、それでも退院して外来に切り替わりました。右は使えないし、尻の火傷は家で処置と、不便極まりなし。今の病院は完全回復まで面倒見てくれないのはどうかと思いますが…。
そんな54日間でした。その他経験したことなどは次回にでも。


撮影、羽後岩谷~折渡間、2014.10.19

まさかこの撮影後に事故に遭うなんて・・・