まずはじめに、中国地方の方々、この度の集中豪雨お見舞い申し上げますm(_ _)m
今年の豪雨は異常ですね。梅雨明けしたとはいえ、普段であればそれなりの雨量で済むはずなのに、「ドラム缶をひっくり返した」ような雨というのは想像できません。早く落ち着くことを願うばかりです。
さて、先日、E3系こまちのフィルムや画像を整理していたら、16年間で54カットほど使えるものがありましたやっぱ地元なので、何気にドライブついでというか、他の撮影の時も合わせて撮っていました。その中には先日引退したR1編成は4カットありました。ですので、今から慌てて撮影ということはありません。静かに待つのみです。(何カットはブログにアップしようかと思います。もしご希望の方がありましたら、安値で販売します。ただし、秋田県内のカットだけですが。
今日は、文面に関係なく、懐かしの国鉄バス十和田南線の写真です。
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(撮影日不明、鹿角市毛馬内町、日産ディーゼルUA31L+富士重3E)
そんな中、スペインのRenfe(日本の新幹線と同等)が速度オーバーで全車両脱線ということが起きました。80km/h制限の中190km/hで走行したとのこと。それも「遅れのペナルティーを避ける」べくあえてオーバーさせたそうな。ペナルティーはわかりますが、”人命を預かっている”こと無視するというのはどうかと思います。
テレビで、事故現場付近の線形を見ると、どう見ても半径R600m程度で、高速線では絶対ありえないカーブでした。しかも、日本の「ATC系の信号装置もない」とのこと…。恐ろしいことこの上ありません。過去のJR西の福知山線脱線を思い起こされました。今後の捜査がどうなることか興味はありますが…。
今日は、この間ネガを整理していたら面白い?車両が出てきましたのでそれを。
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(撮影、盛岡駅、1986年、東北新幹線版ドクターイエロー)
昨日は、東京関東方面が猛暑と豪雨。大変だったろうと思います。
さて、先日病院で処方された薬が合ったのか、夜中に起きることもなく朝までぐっすりと寝ることができました風呂もいつもリラックスできなかったのですが、久々にリラックスできました。ただ、少し朝頭が重いような感じがするのですが…。
ところで、今日は哲学的?な話を。
最近、母親と2人きりという環境になったせいかというか、現代社会を見つめると、「ありがとう、ごめんなさい」が無くなってきたように感じられます。(私だけかも)
私は、日本語の響きの中でこの言葉が結構好きです。しかし、最近はどうでしょうか?ものを貰っても、何か協力してもらっても「ありがとう」はあまり聞かれません。「わりぃ」とか「サンキュ」でごまかされることがあります。悪気はないのはわかりますが、やはり医者、営業(鉄道その他もろもろ)やボランティアなど「ありがとう」と言われると重みが違います。心に響きます。私は、鉄道業についてから、その言葉に本当にありがたみを身に染みることになりました。こんなに美しい日本語があるのに忘れられるというのは悲しいです。以来、努めて使うようにしています。皆さんはどう思いますか?
次は、「ごめんなさい」。これもありがとうと似ています。「悪かった」とかでは心に通じないと思います(すみませんは丁寧すぎるので、公式の場所とか)。そして、最近は政治家をはじめ、皆が「謝らない」傾向にあります(個人的に)。謝罪することで、人間関係やその他が平穏無事(そうとも限らないこともありますが)に循環できると思うのですが…。外国人や会社は「謝ったら負け」という風習があります。日本人は「優しい」と言われているのですから、悪い時は自分を認めて、「ごめんなさい」してみてはどうでしょうか?
長くなりましたが、私はJR時代駅研修の時に上司に言われたことで、「真心とはなんだ?」と問われたとき間違えてしまいました。上司曰く、「真心とは挨拶」だ!それが基本だと言われました。ちょっと話がそれましたがそういうものだと今思います。
今日は、おそらく全国的に珍しいと思われるバスを。
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(撮影、秋田市、2013.7.21、いすゞLR312+富士重工業6E)
南東北から西の方々、このたびの豪雨ならびに猛暑お見舞い申し上げますm(_ _)m
まずはじめに、このブログもおかげ様で開設以来100000万Hitを超えることとなりました。途中紆余曲折があり、読みたくなくなるような記事を掲載ししたり、1年間の休止もありました。
しかしながら、このブログをご覧いただいた皆様のおかげだと思っております。本当にありがとうございます今後もお付き合いいただければ幸いですm(_ _)m
さて、昨日いつもの病院に行ってきました。結局45分近く面談していました。その結果、”一連の事件”は、実は、両親の離婚以来、「自分の消化できないというより、吐き出すことができなかった「膿」が溜まっていて、プリンターの件では相当のエネルギーを使い、それが引き金になって、先日の喧嘩や悪酔いの形になって全部吐き出された」ようです
Dr.曰くかえって良かったとのことでした。(私は苦しかったですけど)まあ少しは前向きになれたのかな?道のりは長いですねえ…。
前書きが長くなりましたが、JR北海道の事故の件。
まずは、キハ183系のエンジンからの出火。原因は「老朽化と整備不良」と発表されましたが、確かに製造後25年なので分からなくはありませんが、N社のエンジンは国鉄時代からの信頼されたエンジンなので、不思議ですが、ただ、シリンダーヘッドが破損というのが頭をかしげます。こういう事象はたまにありますが…。ただ、このエンジンはDML30HZ(660馬力、12気筒、インタークーラー、ターボ付き)でスバルの車に搭載されているエンジンに似ていて水平対向式で、「メンテナンスは結構大変」です。
しかもエンジンというのは、検査修繕するたび搭載車両が変わるので循環しているわけで、1台事象が出るとすべて疑わないといけません。私個人の見解では、潤滑油の不足、タペットカム関係の整備不良、ガスケット不良あるいは、組み立て時の不良などが考えられます。こういった検査は交番検査(3か月ごと)で手がかけられますが、現在の検査体系がどうなっているかわかりませんから断定はできません。
しかしながら、エンジンブロック本体の強度が落ちているかもしれません。(非破壊検査は行う)ただ、今は技術断層ができてきていますのでその関係もあるかと思います。
次は、キハ283系の配電盤出火の件。
これは、意外と外部に漏れない程度でたまにあります。ただ、製造時に配線の引き方(角に擦れるような感じだったり)全般検査時に処置が甘かったりと考えられるのでこちらは何とかなると思います。(私も経験あります)
※後日わかったのですが、配電盤のNFB(ノンヒューズブレーカー)の配線間違いだったそうです。それ相応の負荷に合わせているので、間違えるとブレーカーが機能せず火災も考えられる。
実際にOBとしてとても不安な事故ですね。安全は作り出すものと私たちは習いましたが…。
※長々とすみませんでした。専門用語等について疑問のある方は下の「コメントをクリック」してお書きください。
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(撮影、函館駅、1988.3)
個人的には、地元では松浦大悟さんに勝ってほしいのですが…。自民党になっても世の中は良くならなかったし、まだ、民主党の方がまだ何ぼかましだったような…。日本脱出しかないのでしょうか?
さて、今日は久々に撮影しました、と言ってもバスの写真ですが。かねてから追い続けた、秋北バスの三菱MS821+富士重7M後期の車を捕えることができました。曇っているとはいえ、蒸し暑さで汗ダラダラ、蚊には刺されるし…。でも、まあ良しとしましょう。
何やら、いろいろ我が家で事件があった時に、JR北海道でエライことになっていたようですが、これについては後日に。
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(撮影、秋田市、2013.7.21)
皆さん大変ご心配おかけしました。何とか復帰できそうな感じに仕上がってきたようです。
しかしながら博物館の「改札」のお仕事はお休みを貰ってしまって…申し訳ない限りです。
さて、今週の20日にE3系こまちR1編成がラストランとなります。そこで、歴史を少し(自分の履歴と共に)振り返ってみたいと思う。
それは、1996年12月にそれまでの土崎工場(現秋田総合車両センター)から、秋田新在直通運転開業(表向きは秋田新幹線)に向けるために、秋田支社運輸部輸送課(現車両課)に配属になり新幹線車両担当となりました。
開業までの3か月間は、昼夜問わず初期故障の対策や試運転に奔走していました。気づけば法廷超過勤務を超えていました。でも、鉄道の、しかも新幹線の開業に携われたことは鉄道マンにとっては大変栄誉なことです。
一番心に残っているのは、北上までの試運転時に、盛岡で200系(K編成)と連結する瞬間でした、しかも運転席でモニターを見ながら…。あとは、開業初日に2往復運転台に添乗することができ、しかも無事乗客を輸送できたことが誇りに思います。
さて、R1編成は部内ではS8と呼ばれていました。(新幹線の試作車は編成にSがつきます)この車は、1年前(確か?)(訂正2年前)に製造され、山形新幹線や東北新幹線で、各種試験を行っていました。おかげでかなりの走行距離を稼いでいます。そして開業に合わせて量産化改造されました。
車内のサニタリー関係や運転台が量産車と若干違っています。まあご存じのように顔も違いますが(笑)
当時は、乗務員の間では運転台が違うので嫌がられていたのは事実です。まあ、不安なんでしょうけど…。
それから、16年。ついに引退の時が来ました。よくここまで頑張ってくれたと思います。E3が無くなると私の存在が消えてしまうようでなんか悲しく思い…でも時代だからしょうがないし…子供にもとうとう自慢することができなくなりました
しかし、E3系写真を撮影しに行くと必ず1本はR1に当たっていました。で、写真をのっけます。ありがとうS8
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いやー昨日はまいりました今週の6日から開催されるあきた大鉄道展の最終チェック(なぜか私まで協力させられました)をお願いするということで、今回お手伝いした知人と一緒に秋田県立博物館へ行きました。
学芸主事さんと挨拶後、展示スペースへ案内され、一言すごいにつきました。もうここでは書ききれないほどでした
そして3人でチェック。そこへ学芸主事さんからリクエストがあり、鉄道部品や写真はないかと尋ねられたので、追加協力することになり、急いで家路へ
部品は何点か物色し、次は写真ということでフイルムをスキャンしたり、デジタルデータをひっぱり出してきて、さあ印刷!とデータを転送。が、しかし、慌てたためサイズを間違えて、印刷中止し、再び印刷開始、ん?うんともすんともプリンターは動かないデータが大きすぎたかと思いジョブを削除したら、今度はデバイスがおかしいとか云々…
さあ大変時刻は19時を過ぎていて、自分でなんとかするしかない結局またデバイスソフトを入れ直し、落ち着いた時は21時そこからやっと印刷し、何とか午前中に渡すことができましたまったくE社はわからんまあ買った時からあや(秋田弁で不都合が生じること)がついてたから…。
さて、追加写真は以下のものです。(小さくてすみません) あと、期間中いつか”スタッフ”をやることになりました!どこにいるかな?
今日から7月です。
あの忌々しい「両親の離婚から2年」が経ちました。離婚当初は、無理して頑張ったり、自分が何とかしなければいけないという思いからか、昨年の秋ころから今年の冬ぐらいまで精神的におかしくなりました
今でも数は減ったものの、時々喧嘩はしますが…。仕方ないので適当にやることにしました。
それで、今までのことを振り返ることができたので、以下のような結論に達しました。
人間は人に迷惑をかけなければ生きていけない。そして、お世話にもならなければ生きていけないことです。(警察のご厄介になることは別)
Dr.の話から、「人には迷惑をかけていいのだということを理解」しました。そして甘んじて、「人のお世話になってもいい」ことだと。今の自分があるのは、皆さんのおかげだと思います。自分にかかわった悪い人も良い人も結局は迷惑をかけたりお世話になったからだと思います。
そのスタートになったのは、T小学校のM先生だったと思います。クラスの中も平和だったし、先生との信頼関係も良好。そして、運動は下手でしたが怒られることもいじめられることもなく、しかも得意科目が、理科、社会、図工(なぜ理工系の自分なのに変な奴(笑))で、社会の「地理がずば抜けていたので、博士」と言われました。そして、転校の時クラス一同(担任含む)が駅に見送りに来て列車を追っかけてくれたことが、先日〇〇年経って思い出されました(涙)感謝感謝です!
で、今後は上記したことを心に「偉くなくても正しく生きる」ことにしようと思います(もともとバカ正直なので)。ただ、正義の暴走は避けたいと思います
さて、JR新潟支社から特急いなほが653系に置き換わるとのこと!色合いが個人的に好みじゃないので(カヌ色が好き)、撮影はどうなるか…。
月初めから、長々とすみません。写真は関係のない花輪線の写真を。
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(撮影、末広~十和田南、撮影日不明)