明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



友人から聞かされた話だが、私などが考える以上に、コダック、フジのアナログ製品からの撤退が進んでいるようである。彼はフィルムに関してもあと○年では、と具体的な数字をいっていた。 私は何年も手がけていないが、人形より、それを撮った写真、またそれを古典技法『オイルプリント』にしたものが、私の作品の最終形態だと、実は未だに考えているのである。ここまでくればアンタッチャブルな、私だけの世界である。こんなことやっているのは地球上で私だけだろう、とほくそ笑むひとときが無上に嬉しい私である。それはあまりに馬鹿々しいから、という理由でも一向に構わないし、むしろ望むところである。私は砂煙に紛れて消えてしまう大リーグボール2号のように、皆と同じということは、自分が消えてしまうことだと、物心付いたときにはすでに恐怖を感じていたはずである。そこにいち早く気付いた母が、“目立たず腹の中を明かさぬよう大人しく潜伏せよ”といい続けたのは、何度か書いた。おかげで知人から“「ああ、あの変わった人・・・」と言われるほど変わっていない。”と評される程度に留ったというわけである。  製品に負うところが大きいジャンルは、会社が儲からないと判断すれば、製品と共に消えていくのは当然である。そんなこともあり、古典技法を手がける人が増えているようである。私が『オイルプリント』を始めた当時、古典技法を試みる人は指折り数えるほど少なく、相談相手もおらず、大正時代の技法書、写真雑誌を集めて独習するしかなかった。8年前に『クラシック・カメラレビュ-』に、当時のことを書いている。そこで最後に“最近はフィルム、ペーパーなど製造中止になることがあるようだが、光と陰を定着する事にかけての先達の苦闘の歴史を垣間見て、一度体験してしまうと、仮にすべてが製造中止になっても、ハンコをもって薬品問屋にさえいけば、なんとかなるような気になるものである。”と書いた。製品の動向に左右される写真の弱点を、写真関連の雑誌だけに、遠慮していったつもりだったが、それがいよいよ冗談ではなくなってきた。

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