明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



64年の東京オリンピック以降、東京に何が出来ようとなくなろうと興味が全くない私だが、引っ越し時に、当時の家族や風景が写っていたアルバムを置いて来てしまったことにより、さらに拍車が掛かった気がする。それは同時に、外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写に対する思いにも拍車が掛かった気がするのである。 私は長らく死の床であれが作りたかった、これも作るべきだった、と苦しむことは決まっていると想像しては嫌な気分になっていたが、よーく考えて見ると、ただ昨日、今日浮かんだ物をただ作っているだけなので、その点は心配することはなさそうである。 子供の頃に頭に浮かんだ物は何処へ消えていってしまうのか、と悩みそれを消える前に確認しようというのが制作の動機にもなっているが、本当に不思議なのは、何で浮かぶのか、なのだが、それは解明されずに終わるだろう。まあ、頭の中にやっぱり在ったな、と確認する手段を持てた分マシだったろう。



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