明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



全国から集められた写真を下に作られた『舞臺之團十郎』(舞臺之團十郎』刊行會)大正12年で坪内逍遥はタイトルに反して舞台の團十郎は実際はこんな物ではない團十郎は写真に撮られるのが下手だ、とぼやいている。私も最初は拍子抜けした。間接的に12代目に、当時の写真の長時間露光では難しかったのでは、とアドバイスをいただいた。写真嫌いであることなど様々な理由で舞台本番の迫力はとらえられていないのであろう。ただ舞台の扮装で記念写真を撮影したが如しである。しかし、荒事の團十郎を作るということから“冷静に”なってみると、高村光太郎のいう、力の入っていないという事ではちゃんと写っているといえるのではないか。実際現役時代の打團十郎を見ているであろう、先達の團十郎三体は、坪内逍遥同様こんなものではない、という頭で作ったのではないか?確かに高村光太郎ではないが、私にも少なくとも写真とは違うように見える。光太郎に『團十郎の首』というエッセイを書かせてしまう何かが團十郎の首にはあるのだろう。1作目を作ったときはこのエッセイを読んではいたが気にならず、観てはいないがこうだったのではないか、と想像で作ったが、時間も経ち、改めて光太郎の『團十郎の首』によって頭を冷やし、私にはこう見える、という團十郎の首になった。頭は薄いが壮年期、つまり先発3体に比べ、私の団十郎はかなり若い。後は普段着か、柄を描かないですむ舞台衣装にするかである。私の多くの作品がそうであるようにただ立っているだけにすなるだろうが、足の構え、首の角度で、ちょっとニュアンスを出したいところである。

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )