ブッダと物理学
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デンマンさん。。。 今日はお釈迦様と物理学のお話でござ~ますかァ~?
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いけませんかァ?
だってぇ~、お釈迦様と物理学が関係しているなんてぇちょっと考えられませんわァ~。。。
ところが、意外に関係しているのですよ。
どのように。。。?
ちょっと次の記事を読んでみてください。
偶然と必然のあいだ
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19世紀の科学者達の多くは、精密科学の領域で得られた豊富な、そして確実な成果によって裏づけられた力学的な世界観の上に立って、あらゆる細部にわたる決定論を避け難いものと結論した。
彼等にとっては「偶然」とは結局人間の無知に基づくものであった。
ある日の午後、私が道を歩いている時に、偶然旧友に出遭ったとする。
私がこれを偶然と感じるのは、彼等の考えによれば、私が旧友の最近の動静を知らなかったからである。
もしも超人的な能力を持った、いわゆるラプラスの魔物がいて、私と旧友の行動に目をつけていたとするならば、その日の朝から二人の出会いを予知し得たであろう。
それどころではない。
この魔物がこの世界の状態をもっと広く、もっと詳細に調べていたならば、何千年、何万年も前に二人の出会いを推定し得たであろう。
私どもの視野が狭く、知識が足りないために、思いがけない事件が起こるように感じるのである。
この意味において偶然はすべて主観的なものであるといわれる。
【昭和22(1947)年8月号】
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
65-66ページ
『「文藝春秋」で読む戦後70年』
【第1巻】終戦から高度成長期まで
編集人: 石橋俊澄
平成27(2015)年7月21日 発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
『愛の偶然と必然』に掲載
(2016年3月28日)
あらっ。。。 また湯川秀樹博士を持ち出してきたのでござ~ますかァ~?
いけませんかァ~。。。
ちょっと くどいのではござ~ませんかァ~。。。? つい先日、4月16日にも次の記事を書いて湯川博士を持ち出してきたばかりじゃござ~ませんかァ!
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■『ダンスとノーベル賞』
つまり、卑弥子さんは湯川博士の話に、もう うんざりしているのですか?
いいえ、そういうわけではござ~ませんわァ。。。 ただ、何度も何度も同じ記事を見せられると、ちょっとゲップが出てくるのですわァ~。。。
あのねぇ~、今日の話は面白いはずですよ。。。 卑弥子さんも話を聞いて絶対にがっかりしないはずです。
分かりましたわァ。。。 では、その面白い話をさっそく聞かせてくださいましなァ~。。。
じゃあ、まず次の小文を読んでみてください。
日本文化と仏教
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春と秋の「お彼岸」、「お盆」、年末年始にかけての2年参りなど、日本人の中にしっかりと根づいている慣習、あるいは「醍醐味」「億劫」など、日常生活に溶け込んでいる仏教用語に至るまで、広い意味での文化を論じるに当たっても、それぞれの次元において仏教を抜きに論じることは難しい。
それほど仏教は、日本文化一般に大きな影響を及ぼしている。
(中略)
仏教との関わりということを考えた場合、(略) より限定された意味での文化を考えてみても論ずべきことは少なくない。
たとえば、学問の分野における仏教との関わりに照準するならば、いわゆる「仏教学」が所属する人文科学とはやや距離があると思われる自然科学の一分野・物理学をとりあげても、それは決して仏教と無縁ではない。
さしずめ日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士が、中間子論を発想するにあたり「科学がすべてであると思っている人は、科学者として未熟である」「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、仏教には多くを教えられた」と語っていることあたりから話を始めればよいであろうか。
あるいは、物とは異なる実体としての心の考え方、物の理(ことわり)とは別に心の理を学問的に探求するようになった心理学においても、深層の真理を明らめようとするユング派の精神分析者.河合隼雄が『ユング心理学と仏教』なる書物を著していることなどをあげておけば一応の説明となろうか。
このように、知的ないとなみによる物や心の真理の究明を主として行う諸科学においてさえも、仏教との関わりという観点から論ずべきことは少なくない。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
496-497ページ 『仏教の事典』
編集者: 末木文美士 下田正弘 堀内伸二
2014年6月25日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 朝倉書店
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この上の引用文のどこが面白いのでござ~ますか?
「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、仏教には多くを教えられた」と湯川博士は、このように語っていたのですよ。
つまり、湯川博士は仏教から中間子論のインスピレーションを得たということでござますわねぇ~。。。?
そういうことですよ。。。 ちょっと面白いでしょう?
でも。。。、でも。。。、具体的に、仏教のどういうところからインスピレーションを得たのでござ~ますか?
ちょっと次の文章を読んでみてください。
永遠の釈迦を説く『大般涅槃経』
ここで説かれる釈迦は、この世においては80歳の生涯を送ったが、その死はあくまでも方便であり、実は法身(ほつしん)の釈迦が存在していると説く。
「常楽我浄(じょうらくがじょう)」とは、ふつう仏教ではこの世は無常で苦に満ちていると説くが、ここでは仏の教えはその世界を浄化し、救うのが本来の目的だと説く。
「悉有仏性(しつうぶっしょう)」とは、すべて生あるものは仏になる性質があるとし、だからこそだれしも安心して仏道に励むことができると説いている。
ここで問題になるのは、それならまったく仏となる可能性のない人でさえも成仏できるのかということである。
『大般涅槃経(だいはつねはんきょう)』はそうした人でさえも救われると説き、この説を天台宗ではさらに発展させて「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしつかいじょうぶつ)」を説き、自然界のすべての生物さえも成仏できるとし、『法華経』とともに重要視している。
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最近の生化学研究の成果によると、われわれの体内にあるDNAの遺伝子は、ほかの生物と構造が異なるだけで、素成は共通であると考えられようになり、「悉皆成仏」の説はその先駆(さきがけ)といってよかろう。
もしこれが事実だとすると、人間だけが霊長動物として特権を振りかざし、ほかの生物を支配する根拠が失われることになる。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
77 ページ
『お経の基本がわかる小事典』
著者: 松濤弘道
2004年11月1日 第1刷発行
発行所: PHP研究所
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われわれの体内にあるDNAの遺伝子は、ほかの生物と構造が異なるだけで、素成は共通であると考えられようになり、「悉皆成仏」の説はその先駆(さきがけ)だと言ってるのですよ。 つまり、「悉皆成仏(しつかいじょうぶつ)」という説は、自然界のすべての生物も成仏(じょうぶつ)できるということです。。。 それは、あたかも、人間ばかりではなく、自然界のすべての生物が共通の素成を持つDNAの遺伝子を持っている事実と同じようだ、と言ってるのですよ。
それが、湯川博士が受けたインスピレーションなのですか?
いや。。。 これは生化学者が受けたインスピレーションでしょうねぇ~。。。
だから、湯川博士は、どのようなインスピレーションを受けたのでござ~ますか?
その質問に答える前に、次の文章を読んでみてください。
大乗仏教のはしり『大般若経』
般若というのは、梵語のプラジュニャーの俗語形「パンニャー」の音訳で、「完全なる知恵」ということである。
この知恵とはオーストリアの仏教学者ウィンテルニッツが述べているように、「一切を無と説き、すべての存在をただ“否”とするところの否定主義、すなわち空論の認識である」と定義することができよう。
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かつて哲学者の西田幾多郎氏は、この般若思想の影響を受けて一切の有を否定し、それによってかえって一切の有の根拠となるものを見いだす「絶対無」を説いた。
「大般若経」は実践的な大乗仏教の根本になる重要な般若思想を説いたものであるにもかかわらず、インドや中国で発展したその精緻な考え方はどういうわけか日本人の肌に合わず、かろうじてそのエッセンスを収めた短い『般若心経』のみがよく読まれるにとどまっている。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
93-94 ページ
『お経の基本がわかる小事典』
著者: 松濤弘道
2004年11月1日 第1刷発行
発行所: PHP研究所
般若思想の影響を受けて一切の有を否定し、それによってかえって一切の有の根拠となるものを見いだす「絶対無」を哲学者の西田幾多郎が説いたのですよ。。。 つまり、これは無からビッグバンで宇宙が生まれたことに通じると卑弥子さんも思いませんかァ~?
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上のビデオに出てくるおっさんも、宇宙というのは仏教の曼荼羅(まんだら)のような物だと言ってるのですよ。
要するに、湯川博士も仏教の般若思想と曼荼羅からインスピレーションをゲットした、とデンマンさんはおっしゃるのでござ~ますか?
僕は湯川博士から直接聞いたわけじゃないけれど、そういう事だと思うのですよ。
つまり、この事を言うためにわざわざお釈迦様を持ち出してきたのでござ~ますか?
いや、そればかりじゃないのですよ。。。 次の記事も読んでください。
湯川秀樹
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1934年(昭和9年)、中間子理論構想を発表。
1935年(昭和10年)、「素粒子の相互作用について」を発表、中間子(現在のπ中間子)の存在を予言する。
すでに日中戦争中であった日本人学者は、海外からはなかなか評価されなかったがソルベー会議に招かれ、以後、アインシュタインやオッペンハイマーらと親交を持つ。
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米国のプリンストン高級科学研究所の前で語り合う
オッペンハイマー、湯川秀樹、朝永振一郎の日米3博士
(左から)=1949年11月撮影
この研究が評価され、1940年(昭和15年)に学士院恩賜賞を受賞。
1943年(昭和18年)には最年少で文化勲章受章。
さらに、1947年(昭和22年)にセシル・パウエル等が実際にπ中間子を発見したことで1949年(昭和24年)にノーベル物理学賞を受賞した。
これはアジア人としては作家のタゴールや物理学者のチャンドラセカール・ラマンに次ぐ3人目の受賞者だったが、日本人として初めてのノーベル賞受賞であり、このニュースは敗戦・占領下で自信を失っていた日本国民に大きな力を与えた。
2000年に湯川のノーベル賞選考関連文書を調査した岡本拓司は、推薦状の大半が外国の推薦者から出されていた点などを挙げ、「ノーベル賞の歴史の中でもまれなほど、研究成果との関係が明瞭であるように思われる」と述べている。
戦後は非局所場理論・素領域理論などを提唱したが、理論的な成果には繋がらなかった。
一方、マレー・ゲルマンのクォーク理論については「電荷が3分の1とか3分の2とか、そんな中途半端なものが存在する訳が無い」と否定的であった。
またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。
ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。
1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。
しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。
しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。
1956年(昭和31年)1月に、宮中歌会始に召人として臨み「春浅み藪かげの道おほかたは すきとほりつつ消えのこる雪」が詠んだ。
1970年(昭和45年)、京都大学を退官し、京都大学名誉教授となる。
晩年には生物学にも関心を抱き、特に生命現象における情報の役割に関心を抱いた。
また江戸時代後期の思想家三浦梅園への傾倒を深めた。
揮毫を頼まれると、しばしば『荘子』の「秋水」の最後の一句から「知魚樂」(魚ノ楽シミヲ知ル)と書した。
京都大学退官後の1975年(昭和50年)に前立腺癌を発症し手術を受ける。
手術により癌の進行は抑えたが、その後は自宅で療養を続けながら学術活動を行っていた。
米ソ両国の緊張激化を受け、第4回科学者京都会議の発起人の一人となって1981年(昭和56年)6月、15年ぶりに開催を実現する。
このときすでに健康状態が悪化しており、会議には車椅子姿で出席して核廃絶を訴えた。
3か月後の同年9月、肺炎に心不全を併発し京都市左京区の自宅で死去する。満74歳。
墓所は京都市東山区の知恩院にある。
広島平和公園にある若葉の像の台座には、湯川による短歌「まがつびよ ふたたびここにくるなかれ 平和をいのる人のみぞここは」が刻まれている。
出典: 「湯川秀樹」
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つまり、湯川博士は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発したのですよ。
つまり、その当時の政治家が湯川博士の意見に耳を傾けていたら、あの福島第一原発の事故はなかったというのでござ~ますか?
そういうことですよ! マジで湯川博士はあの事故を予測していたのですよ。。。 だから、基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すと言ったのですよ。
要するに、現実として禍根が残ったわけでござ~ますか?
そういうことですよ!
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湯川博士は仏教から命の大切さをちゃんと感じ取っていたのですよ。。。 基礎研究を省略して原発建設を急いで事故を起こし 住民の命が危険にさらされることを心配したのですよ!
つまり。。。、つまり。。。、“おトイレのないような家を建てるな!”ということでござ~ますか?
その通りですよ。。。 放射性廃棄物をどうするのか? まだ、どこの国でもその処理をもてあましている! 原発建設に励むということは マジでトイレのない家を建てるようなものですよ。
要するに、この事を言うために、わざわざ湯川博士を持ち出してきたのでござ~ますか?
いや、そればかりじゃありません! 次の小文も読んでみてください。
日本で原発建設が始まったのは米国の意向
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日本で原子力開発が始まったのは、米国の意向を反映したものでした。
その理由は、第五福竜丸の被爆によって日本人が、急速に半原子力、反米に動くのを阻止することでした。 (略)
日本に原子力発電所を作る動きは1950年代に確立しています。
日本の経済はまだ高度成長が始まる前の段階で、石油が自由に手に入る時代です。
なのに1955年12月に原子力基本法が成立し、翌年1月に原子力委員会が設立され、原子力発電への流れが本格化します。
いったいそれはなぜだったのでしょう。
それは米国の意向を反映したものでした。
1950年代、原子力開発に積極的に関与した人物に中曽根康弘氏と正力松太郎氏がいます。
二人とも米国と強い結びつきを持っています。
CIAは正力氏にポダムというコードネームを与えて利用しようとしていました。
(中略)
第五福竜丸がビキニ環礁水爆実験で被爆します。
これを契機に、杉並区の女性が開始した原水爆実験反対の署名運動はまたたくまに3000万人の賛同を得、運動は燎原の火のごとく全国に広がった。 (略)
ワシントン政府までが深刻な懸念を抱くようになり、日米双方ともに日夜対策に苦慮する日々がつづいた。
(中略)
(正力氏の)読売新聞が中心になって、日本国内に原子力平和利用の動きが展開されていきます。
正力松太郎氏はその後入閣し、初代の原子力委員会委員長になります。 (略)
湯川秀樹、石川一郎、藤岡由夫、有沢広巳が委員となります。
こうして、正力松太郎がしかけた原子力発電所への道は大成功を収めます。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
174-177ページ 『戦後史の正体』
著者: 孫崎 享
2012年8月20日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 創元社
あらっ。。。 原発にはアメリカのCIAも絡(から)んでいたのでござ~ますわねぇ~。。。
そういうことですよ。。。 CIAは日本の政治やメディアや科学の分野にまで深くかかわっているのですよ。
初出: 2016年4月19日
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ですってぇ~。。。
CIAがそれほどまでに日本の政治やメディアや科学の分野にまで深くかかわっているのでしょうか?
あなたは、どう思いますか?
たまには、あなた自身で調べてみてください。
まず、「日本とCIA」と入れてGOOGLEで検索してみてくださいねぇ~。
驚くべき事実を発見できると思いますわ。
CIAは戦後日本で、いろいろな事件に関わりを持ってきました。
田中角栄のロッキード事件。
竹下登が内閣総辞職することになったリクルート事件。
橋本龍太郎が派閥会長を辞任することになった日歯連事件。
小沢一郎が強制起訴を食らった西松建設事件と陸山会事件。
どれにもCIAの関与がウワサされています。
あなた自身で調べてくださいまし。。。
ところで、話は変わりますけれど、
実は、あたくしは毎日ジムに通って女の魅力を鍛えたのでござ~ますわ。
ええっ。。。 どんな女の魅力かってぇ~。。。?
“ヴィーナスのえくぼ”でござ~ますわよう!
うふふふふふ。。。
あなたは信じられないでしょう?
じゃあ、ここでお見せしますわねぇ~。。。
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どうでござ~ますかァ?
この魅力によって あたくしの人気が出てきたのだと思うのですわァ。
うふふふふふふ。。。
ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?
どうしてよう?
ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?
あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。
信じてくださいましなァ~。。。
戦後のノーベル賞のお話も、大変興味深いですけれど、
日本の古代にも いろいろな面白いお話がござ~ますわァ。
だから、あなたのために平安史、古代史の記事を用意しましたわァ。
ぜひ お読みくださいまし。
では。。。
■天武天皇と天智天皇は
同腹の兄弟ではなかった。
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■定慧出生の秘密
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どうして残っていないの?
■今、日本に住んでいる人は
日本人でないの?
■マキアベリもビックリ、
藤原氏のバイブルとは?
とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
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