おしん
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デンマンさん。。。おしん という映画を観たのですかァ~?
NHKの1983年の朝のドラマで人気が出て、それから2012年に映画が作られたというのは聞いていたのですよ。。。
その映画を観たのですかァ~?
YouTubeのサイトで「日本映画」と入れて検索したら、その検索結果の中に「おしん」が出てきたのですよ。。。真由美ちゃんは日本にいた時に朝ドラで「おしん」を観ましたか?
私は、当時は赤ちゃんでしたわァ。。。でも、あとで母からたびたび「おしん」の話を聞かされました。。。
どういう話ですか?
子供の頃、台所を手伝うように言われてグズっていると、母は決まって「おしん」の話を持ち出したものですわ。。。「あんたは奉公に出されたことがないから知らないけれど、おしんは7つの時に奉公に出されて、それはそれは厳しくしつけられ、いじめられたりして、苦労したのよ。それと比べたら、台所の手伝いなんて遊びのようなものでしょう!?」
なるほどォ~。。。確かに、7つの「おしん」は厳しくしつけられたのですよ。。。今なら児童虐待で訴えられますよ。。。
確かに、この上のクリップを見ると、今なら児童虐待ですよねぇ~。。。
でも、当時、明治40年頃の日本では、こういう扱いは普通に見られたそうですよ。。。
50銭銀貨を盗んだと言われ、裸にされて調べられるのは、ちょっと酷すぎますよねぇ~。。。
おしんが首から下げたお守り袋の中に持っていた50銭銀貨は、奉公に出る時におばあさんから餞別にもらったものなんですよ。。。
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実は、この事があって、おしんは夜逃げしてしまうのです。。。辛い仕事は耐えることができるけれど、盗んでもいないのに盗人呼ばわりされるのは我慢できなかった。。。
それで、おしんは実家に帰ってしまったのですか?
いや。。。冬の ひどい吹雪にあって、行き倒れになってしまう。。。凍死する寸前のところを兵役を逃れて脱走して樵(きこり)をしていた若者に助けられるのですよ。。。
それで、どうなるのですか?
この若者は、当時としたら文学青年で、おしんと一緒に暮らしながら読み書きを教えたのです。。。でも、その青年は、やがて逃亡がバレ、逃げようとして憲兵に撃たれて死んでしまう。。。
あらっ。。。大変な出来事が重なるのですわねぇ~。。。で、映画は、どんな筋なのですか?
次のような話です。。。
おしん
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少女編(第1回~第36回)
物語は明治40年(1907年)の春、明治も終わりにさしかかった山形の貧しい小作の娘・谷村しんの少女時代から始まる。
おしんの家は父・作造、母・ふじ、祖母・なか、兄・庄治、既に年季奉公に出ている姉・はる、みつ、そして弟・正助、妹・こうにおしんを入れて9人家族だった。
その年、数え年で7歳になるおしんは、4月から尋常小学校へ通うのを楽しみにしていた。
しかし家はここ数年の凶作と地主への借りも積り、食事は大根飯で食いつなぐ貧しい生活だった。
作造は口減らしのためにおしんに奉公に出るよう命じる。
おしんは嫌がり、ふじとなかはおしんがまだ7つだと反対する。だが、おしんはなかがおしんのために食事の回数を減らしていたのを知る。後日、おしんはふじが冷たい川に入っていくのを見て助けを呼ぶ。ふじは引き上げられるがそれは堕胎のためだった。
おしんはこれから生まれる子のために1年奉公に出ることを承知する。口入れ屋・源助が年季奉公の前払いとして米一俵を届けてくる。
奉公に出る日、なかはおしんにこっそり50銭銀貨を渡す。
最上川を材木問屋の奉公人定次の筏で下る途中、堤防の上を走っておしんを追いかける作造が泣き崩れる姿を目撃し、おしんは父も苦しんでいることを知る。
左澤町の中川材木店で、おしんは店の主人の軍次の子・武の子守をする。おしんのお目付け役である材木店の奉公人つねは厳しく、ここでも大根飯、雪降る中で川でおしめを洗う辛い奉公生活だった。ある日、尋常小学校を覗いたおしんは授業をしていた松田先生と出会う。松田は夕方中川材木店を訪ねて来て、軍次ときんにおしんを小学校に来させるように説得。軍次は子守りを承知でならと承諾する。おしんは喜ぶが、つねは反対し、おしんを昼飯抜きにする。おしんはそれでも学校へ通う。見かねた松田はおしんに昼飯を持ってくる。しかし同級生たちは松田の贔屓を快く思わずおしんをいじめる。武への危害を恐れおしんは学校をやめる。
定次から上流から筏を流すついでに谷村家にお使いに行ってやると言われたおしんは習い覚えたカタカナで手紙を出す。定次は字の読めないふじとなかに手紙を読み聞かせる。おしんは心配させぬよう辛いことは一切書かず、腹一杯食わせてもらっていると嘘を書いた。町では憲兵が脱走兵を探し回っていた。ある時、つねの財布から50銭銀貨がなくなり、疑いをかけられたおしんは首にかけた守り袋に入れていた50銭銀貨を取り上げられてしまう。辛抱の糸が切れたおしんは川の上流にある実家に向かい吹雪の中を歩き出す。
気がつくとおしんは見知らぬ青年に抱かれていた。猟師の俊作が吹雪の中行き倒れとなっていたおしんを見つけ、体を温めてくれたおかげで、おしんは凍死を免れる。ゆくあてのないおしんは、俊作と炭焼き・松造が暮らす月山が見える山小屋に春まで厄介になることになる。203高地で負った銃創が原因の高熱で倒れた俊作をおしんは懸命に看病する。回復した俊作はおしんに読み書きや算術を教える。おしんにせがまれ、俊作は与謝野晶子の詩、『君死にたまふことなかれ』を朗読し、戦争の残酷さ、反戦を説く。
おしんが失踪してから20日。つねの財布から50銭銀貨を持ち出したのは軍次だったと判明するが、つねはおしんが家に逃げ帰ったと思い、源助を呼びつけると前払いの米一俵の回収と50銭銀貨の返却を依頼する。源助から銀貨を渡されたふじはおしんが死んだと思い悲しむ。
おしんは毎日腹いっぱい食べ、勉強できる幸せな日々を送っていた。春が来ていよいよ家に帰ることになるが足をくじいた松造にかわって、普段人前に出ない俊作がおしんを連れて山を下りる。途中、おしんは俊作から愛用のハーモニカをもらうが山狩りの兵隊に嫌疑をかけられて際に抵抗した為、俊作は兵士に射殺されてしまう。おしんは憲兵の取り調べで俊作が脱走兵として追われる身だったことを初めて知る。ようやく家に帰ったおしんにふじとなかは喜ぶが作造は激怒、兄の庄治も村で白い目で見られると愚痴る。後日、松造はおしんをこっそり訪ね俊作の身の上を話したあと去っていった。家では妹のすみが生まれていた。
年季奉公の明けたはるが家に戻ってくるが、すぐに製糸工場へ勤めに出た。次の奉公先が決まらないおしんははるがくれた小遣いで買った石盤でこっそり字の練習をする。その年も凶作で生活に行き詰まった作造は一家でブラジル移民を決意するが、年老いたなかは置いていくという。悲観したなかは川へ身投げしようとするが、おしんに止められ移民の話は立ち消えになった。そこで乳飲み子の末妹すみを養女に出し、ふじが銀山温泉へ働きに出ることになる。おしんはふじに代わって村の共同作業である杉の木の苗植えをする。
りきが子守り奉公の話を持ってくる。奉公先は酒田の米問屋・加賀屋で2年で米5俵[注 6]だという。おしんは再び奉公に出ることを決意するが酒田に行く前に銀山温泉で働くふじに会うことを望み、家族に黙って銀山温泉に徒歩で向かう。酌婦になっていたふじはおしんの訪問に驚くが、宿の女将の心配りもあって母子で一夜を過ごす。翌朝、おしんはふじに似ているこけしを譲ってもらい旅立つ。酒田の加賀屋に着いたが、跡取り息子の嫁である若女将みのはまだ加賀屋の事実上の主人である大奥様のくにに子守の雇用に関する許可を得ておらず、困惑しておしんを帰らせようとするがおしんは実家の窮状を訴えてなんとしても奉公させて貰えるよう哀願する。その話にほだされたくにはおしんを奉公人として迎え入れ、みのの末娘小夜の子守りをさせる。おしんの働きぶりにくには感心し、同い年の孫娘・加代の教育に利用する。
ある日、おしんは加代の部屋にあった美しい絵本に魅入られて持ち出してしまう。読んでいたところを加代に見つかってしまい、清太郎とみのに盗人扱いされるがくにはおしんの見事な朗読を聞いておしんが字が読めることを知り、”読んでみたかっただけで盗みの意思が無かった”ことを信用し、勉強嫌いの加代を逆に嗜めた。だが、その後清太郎とみのは街で聞いてきたおしんが奉公先から逃げ出し脱走兵と暮らしていた過去を知り、更に不信感を抱く。
おしんは俊作の形見であるハーモニカを取り上げようとした加代と取っ組み合いの喧嘩になり、加代に怪我をさせてしまう。くにはおしんが居なくなることを惜しんだが、加賀屋の中で完全に庇うことが出来る筈も無くおしんを暇を出すことに決め、別の奉公先を見つけてくる。おしんは解雇されることを覚悟し、加代への詫びの気持ちとしてススキの穂で作ったミミズクを託す。ミミズクを受け取った加代はその出来栄えと、銭でハーモニカを譲らなかったおしんの高邁な自尊心に思い至り、おしんをどこにもやらないでくれとくにに懇願する。
加代はおしんに心を開くが、みのと清太郎は訝(いぶか)しむ。加代はくににおしんも学校に行かせて欲しいとねだるがくには奉公人のおしんには仕事があると断る。その代り子守奉公の仕事が終わった後、くにはおしんに寺子屋仕込みの手習いや算盤を教えはじめ、加代も一緒に手習いをするようになった。だがみのからは奉公人の分を超えていると嫌味を言われ、居たたまれなくなったおしんはくにに辞退を申し出るが、「いつか独り立ちして、貧乏から抜け出すには、読み・書き・算盤(そろばん)くらいは出来ねえと」と諭されて続けることになる。
酒田にも送電が行われることになり加賀屋に電気を通すための工事が行われるが電信柱が建てられる途中で柱が倒れる。工事を見ていた加代は危うく倒れた柱の下敷きになるところをおしんが自身の身を挺して庇い、事無きを得る。足がすくんで何もできなかったみのはおしんの勇気と機微に感激し、以後、おしんを実の娘同様に可愛がるようになる。
正月を迎え、9歳になったおしんは加代とお揃いの晴着で初詣に行く。そこで酌婦になったふじが客の男といるのを見かける。その夜、加賀屋の近くに不審な女がいると聞いたおしんは外に出てふじと再会する。くには陰から一部始終を見届け、加賀屋に戻りひっそり泣くおしんを慰める。
その後もおしんは傲ることなく奉公人として勤め、加賀屋になくてはならない存在になっていった。加代が洋服を買ってくれなければ学校に行かない、買うまで飯は食わないと我儘を言う。くにはおしんに大根飯を炊かせ、加代とおしんに食べさせる。大根飯を食べた加代はおしんを始めとした百姓の困窮を知って以降、我儘をやめる。
ひな祭りの祝いにりきが顔を出す。なかが危篤と聞いたくには、おしんに米一斗を持たせ、急ぎ家に帰らせる。なかはおしんの炊いた白米粥を食べてそのまま息を引き取る。野辺の送りに歩くおしんは、家族のために働きづめで死ぬような女にはならないと誓う。なかが布を織って貯めた50銭銀貨を形見に貰い、おしんは加賀屋に戻っていく。
実写映画版
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2012年6月11日にセディックインターナショナルから、実写映画化が発表された。
放映開始30周年を迎える2013年10月12日に劇場公開された。
主人公のおしん役は半年にわたる全国オーディションで、約2500人の中から濱田ここねが選ばれた。
またテレビドラマ版に出演した泉ピン子、小林綾子、ガッツ石松が別の役柄で出演する。
監督は山形県鶴岡市出身の冨樫森。
山形県内でオールロケを敢行し、2013年2月15日にクランクインし、3月31日にクランクアップした。
第22回金鶏百花映画祭にて国際映画部門の最優秀作品賞を受賞。
最終興行収入は4億円だった。
出典:「おしん」
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上のクリップが2012年に作られた実写映画(全編)です。。。
デンマンさんは、全編を見て感動したのですか?
おしんを演じた子役が実に素晴らしい演技を見せていましたよ。。。下手な大人の大根役者顔負けですよ。。。半年にわたる全国オーディションで、約2500人の中から選ばれたというのだから、さすがですよ。。。この映画も素晴らしいけれど、朝ドラの「おしん」は海外でもすごい反響があったというのです。。。
海外の反響
日本以外では68の国・地域で放送された。この番組のファンでもあった駐日シンガポール大使の要望により1984年、シンガポールにおいて日本国外初放送され、視聴率80%を達成した。
この驚異的な人気によりタイやオーストラリア、米国、中国などでも放送されることになった。
少女時代を演じた小林綾子が放送国を訪れると、今でも「オシン!」、泉ピン子は「オシンマザー!」と呼ばれ、様々な歓待を受けるという。
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放送された国・地域は次の通り。2012年3月現在。
アメリカ合衆国、オーストラリア、香港、ブラジル、カナダ、メキシコ、フィリピン、キューバ、ベトナム、シンガポール、タイ王国、中華人民共和国、ポーランド、マカオ、ベルギー、マレーシア、インドネシア、イラン、スリランカ、サウジアラビア、ブルネイ、カタール、バーレーン、シリア、ドミニカ共和国、バングラデシュ、ペルー、ボリビア、パナマ、ネパール、グアテマラ、ニカラグア、ルーマニア、チリ、ウルグアイ、ジャマイカ、ガーナ、ホンジュラス、ミャンマー、コスタリカ、パラグアイ、カンボジア、ラオス、モンゴル国、スーダン、トルコ、ブルガリア、マケドニア共和国、エチオピア、ベネズエラ、アルゼンチン、コロンビア、タンザニア、ウズベキスタン、イラク、アフガニスタン、ブータン、ガボン、タジキスタン、イエメン、エクアドル、トリニダード・トバゴ、コートジボワール、インド、アラブ首長国連邦、エリトリア、台湾、エジプト。
当時の内閣総理大臣・中曽根康弘と親密な関係にあったアメリカ合衆国大統領、ロナルド・レーガンが、1983年に来日した際に国会で「日本にはおしんの精神がある」と日本人を『おしん』に喩え、称賛している。
中華人民共和国大陸(本土)地区では非常に人気があり、初回放送から20年以上経った2007年でも、湖南テレビにて、『阿信』(アーシン)として再放送されている(「阿」は古来の中国語で幼名につけられる接頭語で、日本語の「お」に相当。「信」の方は宛字)。
香港では、英領当時の1985年に無綫電視で『亞信的故事』(アッソンデクースィー)として放送された。
広東語のオリジナル主題歌「信」をジュディ・オングが歌い、香港を含む東南アジアの広東語圏全域で大ヒットしている。
また香港を中心に展開している「759阿信屋(中国語版)」という食品ディスカウント・ストアチェーンも存在する。
台湾では、1994年に中視で中国同様『阿信』として放送された。オープニング曲「永遠相信」はジュディ・オングが、エンディング曲『感恩的心』は欧陽菲菲が歌い、いずれも大ヒットした。
なお、エンディング曲「感恩的心」は、中視の放送休止時間中のフィラーとしても使用されている。2008年3月25日20時から再放送された(再放送版フィラーではエンディング曲の歌手がロジャー・ヤンとなっている)。
ベトナム社会主義共和国では、1990年代半ばに『おしん』がVTVで放送され、放映時間には町に人影がまばらになるほど高視聴率を取った。都市部では「おしん」という語は貧しい女性を意味するようになり、ベトナム語でメイドや家政婦やお手伝いさんを指す名詞(クオック・グー綴り:osin)になっている。
2013年9月からHTVで再放送されている。放映当時のベトナムは、一般的に人々の生活も安定して衣食の面ではほとんど不自由がなくなり、働けば働くほど収入が得られるようになりつつあるなど、努力の結果を予測できる社会になり始めていたころであり、また、長く続いた戦争で国土が焦土化してしまったベトナムにとって、戦後驚異的に経済復興した日本は自国の未来と重なる部分が多かったため、人々の共感を呼んだ。
エジプトでは1993年に放映された。カイロでは、『おしん』放映時間に停電が発生、放送を観られないことに怒った視聴者が電力会社やテレビ局に大挙押し掛け、投石や放火等の暴動を起こすという事件があった。
その後、政府が該当話の再放送を約束する声明を出し、事態はようやく収束した。2018年放映のNHK番組の取材によると、エジプトでは「おしん」という名前は、働き者で正直者、向上心があって賢いというイメージがあり、放送から25年たった今でも店名や社名に「おしん」を使う例がみられるほか、子供にはイスラム教に関連する名前をつけることが一般的である中、「おしん」と名付けられた女性たちもいた。当初は前例がないという理由で市役所に断られ、裁判に訴えた者まであったという。
イランでは『家を離れて幾年月』という題で1986年にイラン国営テレビでの放映されたが最高視聴率90%超を記録する人気となり、イラン・イラク戦争で夫や息子を失う等、受難と物資不足を経験していた当時のイラン人の激しい共感を呼んだ。「おしん」の子供時代の部分のみがまとめられ、青少年向け映画として上映されることもあった。おしん夫婦が経営した子供服製造所の名前から、イランでは俗に古着屋のことを「タナクラ店」、古着のことを「タナクラ服」とも呼ぶ。
1989年1月28日、ムハンマドの娘ファーティマの誕生日兼婦人デーであるこの日には「イスラム女性の象徴はだれか」という質問形式のラジオ番組が放送されたが、ある女性が質問に『おしん』と回答しその後の受け答えでファーティマを古い女性だと形容した。ホメイニ師が責任者の処罰を要求した結果、件のラジオ局の責任者4人に対し反イスラム的であるとして科刑、解雇という判決が下されるが、当のホメイニ師が恩赦として判決を撤回させている。
ベルギーでは、修道院の尼僧が『おしん』を見るためにお祈りの時間を変更した。
出典:「おしん」
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イランでは「おしん」の子供時代の部分のみがまとめられ、青少年向け映画として上映されることもあったと書いてあるけれど、これは、ちょうど「実写映画」と同じですよ。。。やはり、この少女時代のエピソードが特に感動を呼ぶのです。。。
それで、「実写映画」はおしんの少女時代を取り上げたのですわねぇ~。。。
そうだろうと思います。。。確かに、感動を呼び起こしますよ。。。
初出: 2023年5月3日
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【デンマンの独り言】
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ところで、真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながらVCC (Vancouver Community College) にかよってパン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。
2016年の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。
学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。
あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。
でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。
同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。
太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。
なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。
もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。
僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
「早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい」と真由美ちゃんは言います。
しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。
いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!
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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?
とっても素敵な街ですよ。
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世界で最も住みやすい街バンクーバー
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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?
卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。
クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。
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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?
ところが気温は確か2度ぐらいでした。
水の中の方が暖かかったのです。
とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。
あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。
では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。
だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。
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If you've got some time,
Please read one of the following artciles:
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■『まんじゅう@富岡』
■『ん?トゥーランドット』
■『女の子の夢』
■『イヴォワールのレストラン』
■『151歳の誕生日』
■『お皿をぺろぺろ』
■『ポップス@蕎麦屋』
■『検便と回虫』
■『スコーンとプディング』
■『スコーン姉妹』
■『ピラミス 美術館』
■『明治屋 圧力ジャム』
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■『雁とがんもどき』
■『グルメブーム』
■『行田物語@ナポリ』
■『栗餅』
■『日本で再会ね』
■『コロッケパン』
■『日本のパン文化』
■『小女子』
■『カエルジュース』
■『152歳の誕生日』
■『かぐや姫フィーバー』
■『クスクス笑わないで』
■『セビチェ』
■『ラーメンブーム』
■『自然治癒力』
■『カナダ紀行カナダ事情』
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■『猫カフェと癒し』
■『ポメロ』
■『カワウソ見たい』
■『生パンツ系に惹かれて』
■『ティラミスとピラティス』
■『這っても黒豆』
■『アイ、アイ、ツーアイズ』
■『ネコの話』
■『パリのフォア・グラ』
■『酪酸が腸の免疫力アップ』
■『日本は天国か?』
■『猫の記憶』
■『すき焼きミステリー』
■『空也餅』
■『猟師の常識』
(dance011.jpg)
■『猫カフェde癒し』
■『餃子とベーグル@宇都宮』
■『ちゃぶ台』
■『フォアグラ好き?』
■『キャッチ22』
■『プーティン』
■『甘い記憶』
■『思いでポロポロ』
■『カナダよいとこ』
■『カナダへ飛躍』
■『紐パンの熟女』
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