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ノース人アメリカ発見

2023-10-09 01:05:11 | 歴史四方山話

 

ノース人アメリカ発見

 


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ケイトー。。。 ノース人ってぇ、聞いたことがないけれど、どこの国の人なのォ~?


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英語のNorthと言えば北だから北国の人ですよ。。。古代から中世にかけて北ヨーロッパに住んでいた人たちのことです。。。

アメリカはコロンブスが発見したことになているわよねぇ~。。。

教科書にはそう書いてあるけれど、最近ではコロンブス以前にアメリカ大陸を発見した人がいるというのが通説ですよ。。。

 


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でも、どういうわけで急にノース人を取り上げたのォ~?



実は、YouTubeで人間ドキュメントのクリップを探していたら次の動画に出くわしたのですよ。。。

 


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コロンブスがアメリカを発見したというのはヨーロッパ人の視点で言っているわけねぇ~。。。



そうです。。。だから、例えば、中国人の中には航海士・鄭和がコロンブスよりも70年から80年前にアメリカを発見したという人がいますよ。。。

 


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鄭和

誕生: 宣光元年8月14日(1371年9月23日)
死亡: 宣徳9年(1434年)頃

 

鄭 和(Zhèng Hé) は、明代の宦官、武将、航海者。

軍功を挙げて永楽帝に重用され、南海への計7度の大航海の指揮を委ねられた。

その船団は東南アジア、インド、セイロン島からアラビア半島、アフリカにまで航海し、最遠でアフリカ東海岸のマリンディ(現在のケニア)まで到達した

本姓は馬、初名は三保(三宝)で、宦官の最高位である太監だったことから、中国では三保太監あるいは三宝太監の通称で知られる。

宣光元年(1371年)に中慶路昆陽州宝山郷(現在の雲南省昆明市晋寧区)でムスリム(イスラム教徒)の次男として生まれた。

姓の「馬」はサイイド(預言者ムハンマドの子孫)であることを示し、滇陽侯であった父の名は「米里金」とされるが「馬哈只」として知られていた。

鄭和は、チンギス・ハーンの中央アジア遠征のときモンゴル帝国に帰順し、元の世祖の治世に雲南平章政事として雲南の発展に尽力した色目人、サイイド・アジャッル・シャムスッディーン・ウマル(賽典赤)の来孫、成宗の治世に中書平章政事を務めたサイイド・アジャッル・バヤンの曾孫に当たる。鄭和がムスリムの出だったことは、後に永楽帝が鄭和を航海の長として使おうと考えた理由の一つだと考えられる。

 

宦官・鄭和

馬三保が生まれた年には、既に漢地は洪武帝の建てた明のほぼ支配下にあり、元は梁王国の拠る雲南など数か所で勢力を保つのみとなっていた。
天元3年(1381年)、馬三保が10歳の時に明は雲南攻略の軍を起こし、翌天元4年(1382年)に梁王国は滅亡。

父を殺され、馬三保は捕らえられて去勢され、洪武16年(1383年)頃に燕王朱棣(後の永楽帝)に12歳で宦官として献上された

洪武帝の没後に起きた靖難の変において馬三保は功績を挙げ、建文帝から帝位を奪取した朱棣(永楽帝)より宦官の最高職である太監に任じられた
さらに永楽2年(1404年)には鄭姓を下賜され、以後は鄭和と名乗るようになった。

 

大航海の計画

鄭和艦隊の進路

東アフリカで唐代の貨幣が出土していることから、この時期には既に東アフリカまでの航路があったと考えられている。
宋代から元代にかけて、中国商人たちは東南アジア、南アジアの諸都市で活発な交易を行っていたが、明を建てた洪武帝は洪武4年(1371年)に「海禁令」を出し、外洋船の建造と民間船舶による他国との通商を禁じた。
この海禁令は明を通じて守られ、これは永楽年間においても例外ではなかった。

一方で永楽帝は洪武年間の消極的な対外政策の間隙を縫って、皇帝の座を奪取した悪名の埋め合わせのため周辺諸国への積極的な使節の派遣を行っており、この一環として大船団を南海諸国に派遣し朝貢関係の樹立と示威を行う計画が浮上した。

 

船団

鄭和の指揮した船団の中で、最大の船は宝船(ほうせん)と呼ばれた。『明史』によれば長さ44丈(約137m)、幅18丈(約56m)、8,000t、マスト9本であり、小さく見積もっても長さは約61.2m、1,170t、マスト6本という巨艦とも言われる。
出土品や現代の検証から、全長50m前後という説もある。
またこの他、給水艦や食糧艦、輸送艦も艦隊に加わっていたと推測されている。

艦隊の参加人員はどの航海においてもほぼ2万7000人前後となっており、正使、副使などの使節団を中心として、航海士や操舵手、水夫などの乗組員、指揮官を筆頭とした兵員、事務官や通訳などの実務官僚、医官など様々な職種からなっていた。

2006年9月に南京で全長63.25mの鄭和の宝船が復元された。




出典: 「鄭和」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



上の説明には鄭和がアメリカを発見したとは書いてないけれど、中国人にとってはコロンブスよりも鄭和の方が偉大な人物に見えるから、アメリカを発見したという事が素直に受け入れることができるのでしょうねぇ~。。。



でも、それを裏付ける確固とした証拠が今のところないのですよ。。。中国人にしてみればお国自慢をしたいから、鄭和がアメリカを発見したと言いたいでしょう。。。しかし、人類史的に見れば、コロンブスがアメリカを発見した時には、すでにアメリカにはネイティブ・インディアンが暮らしていたので、その人たちの祖先がアメリカ大陸を発見したのです。。。

 


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ネイティブ・インディアンの祖先は1万4000年前に、当時陸続きだったベーリング海峡を渡ってアメリカにやってきたわけです。。。

 


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このネイティブ・インディアンの祖先が やがて石器文化(クローヴィス文化)を始めるのですよ。。。



先史時代に石器時代の人たちがアメリカ大陸を発見したのは解るけれど、文明が生まれてから人間の歴史が始まり、初めてアメリカ大陸を発見したのがノース人だというのォ~?

そうです。。。

 


ノース人によるアメリカ大陸の

植民地化


 


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『拡大する』


 

ノース人によるアメリカ大陸の植民地化は、10世紀には既に始まっており、ノース人(あるいはノルマン人)の船乗り(ヴァイキングと呼ばれることが多い)が北アメリカの北東縁を含め北大西洋地域を探検し開拓した。

グリーンランドにおけるノース人植民地はほぼ500年間続いたが、これに対して北アメリカ大陸の開拓地は規模が小さく、恒久的なものにまでは発展しなかった。

航海がなされる合間に、例えば木材の伐採などを行った可能性があるが、北アメリカ本土にノース人が開拓地を維持したという証拠は無い。

 

グリーンランド

アイスランド人のサガに拠れば、アイスランドからのノース人が最初にグリーンランドを開拓したことになっている。
時期は980年代であった。
このサガが開拓当初のことについて与えてくれる情報の、その信憑性を疑う特別な理由は無いが、サガとは中世アイスランドの書き手や聴衆の文学的先入観を表したものであるだけに、常に信頼できるものではない。

このためノース人によるグリーンランドの歴史について、これを一次資料として扱うことはできない。
赤毛のエイリーク(古ノルド語ではEiríkr rauði)は、過失による他者の死を犯した後、アイスランドから追放された。
その追放の3年の間に、彼はグリーンランドの無人の南西海岸を探検したと言われている。

エイリークはこの地域に開拓者を招き入れようと考え、植民の意思を潜ませている者たちを惹き付けるため、わざとグリーンランドという名を選んだ。
彼は「この土地に良い名前を与えれば、人々はそこへ移り住みやすくなるだろう」と述べた。

彼は、自らの名前をつけたエイリークスフィヨルドという長いフィヨルドの奥地に、その領地「ブラッターフリーズ」を建設した。彼に従った者達にはその土地を分け与えた。

開拓の最盛期には東と西の2つの入植地があり、人口は3,000人から5,000人、少なくとも400の農園が考古学者によって同定されている。
ノース人のたてたグリーンランドには、ガルダルに司教館があり、セイウチの牙、毛皮、ロープ、羊、鯨あるいはアザラシの脂身、ホッキョクグマのような生きた動物、牛皮革などを輸出した。

1261年、住民はノルウェー国王の支配を受け容れたが、独自の法を持ち続けた。1380年、ノルウェー王国はデンマーク王国と私的な合併を締結した(デンマーク・ノルウェー連合王国)。

入植地は14世紀に衰退し始めた。西入植地は1350年頃に放棄され、1378年にはガルダルの司祭も居なくなった。
1408年に1件の婚姻が記録された後、入植者に関わる記録は残されていない。

東入植地は15世紀後半にはなくなった可能性がある。
ただし、正確な年代は特定できていない。

最近(2002年)の放射性炭素年代測定によって、ノース人の入植地は西暦1430年プラスマイナス15年まで存在したことが分かった。
この衰退を説明するため、幾つかの説が提示されてきた。

この頃の小氷期によってグリーンランドとヨーロッパとの航海が難しくなり、さらにはグリーンランドで農業を営むことが難しくなったこと。
またグリーンランドが輸出していた牙はアフリカからのより安価な象牙によってヨーロッパ市場での競争力が無くなったこと、などである。

グリーンランドに住む人々との接触が無くなったにも拘わらず、ノルウェー=デンマーク王室はグリーンランドを領有地であると考え続け、この島の存在が地理学者から忘れられることはなかった。
グリーンランドより西にある土地も記憶されていた可能性がある。

グリーンランドに、昔のノース人の文明が残っているかどうかは分からなかった。
もし仮に残っていたとして、スカンディナビア半島で宗教改革が進んでから200年も経った末、カトリックが残っているかも分からないままに、1721年にはノルウェーの宣教師ハンス・エーゲデが率いる商人と聖職者の合同遠征隊が派遣された。この遠征隊はヨーロッパ人の生存者を発見できなかったが、この島に対するデンマークの領有主張の始まりになった。

 
恒久的植民地の不成立

ヴァイキングの領土と航海

 


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北アメリカ大陸の開拓地では、毛皮や特別な木材など、グリーンランドにはほとんど無い天然資源の利用を目指していた。
この短期間ひらかれた開拓地が、なぜ恒久的なものにならなかったかは明らかでないが、理由の一つとしてノース人がスクレリングと呼んだ先住民と敵対したことが考えられる。

それでも飼料、木材および先住民との交易を求めて、マルクランドに散発的な航海を行うのは400年間続けられたはずである。

ノルウェー国王オーラヴ3世(在位1066年-1080年)を描いた貨幣(メイン・ペニー)が、アメリカ合衆国メイン州の先住民考古学遺跡から発見されたと言われるように、航海が続いたという証拠は、11世紀とそれ以降もノース人と先住民との交流があったことを示唆している。

 


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1347年からあるアイスランドの年代記には、木材を積んだ小さなグリーンランドの船が18人の乗組員を乗せ、マルクランドからグリーンランドに戻ろうとしている最中、アイスランドに到着した、とされている。
さらにノース人の物資が、幾つかのイヌイットの集落から発掘されてきた。

 

その後の展開

クリストファー・コロンブスの航海によって、アメリカ大陸におけるヨーロッパ人の大規模植民地化への道が開かれてから数世紀、ノース人が北アメリカに実際に航海したのかという話は不明確なままだった。
1837年にデンマーク人古物商カール・クリスチャン・ラフンが、ノース人による北アメリカ開拓、あるいは航海の可能性を指摘したとき、これらのサガは初めて真剣に取り上げられた。

ブレーメンのアダムによって1075年頃に書かれた文献では、北アメリカが「ヴィンランド」という名前で初めて言及されている



13世紀から14世紀以後に、北アメリカとそこでのノース人の昔の活動について書かれた最も重要な作品、すなわちアイスランド人のサガが書物として成立した。

1960年代、考古学者のアン・スタイン・イングスタッドと、その夫でアウトドア派の著作家ヘルゲ・イングスタッドは、ニューファンドランド島のランス・オー・メドーでノース人開拓地を発掘した。
このとき、この問題は決定的なものになった。

サガで言及される様々な土地の場所は現在でも明らかでない。
多くの歴史家はヘッルランドを現在のバフィン島に、マルクランドをラブラドール地方に同定している。

ヴィンランドの位置は異論の多い問題である。
多くの者は、ランス・オー・メドーが、サガで述べられているヴィンランド開拓地であると考えているが、ヴィンランドはニューファンドランドよりも暖かい土地であり、もっと南にあったと主張する者もいる。

ルーン文字(北欧の古代文字)が刻まれた石碑とされるものが北アメリカで見つかっており、その最も有名なものがケンジントン・ルーンストーンである。
ある者はこれをノース人による探検で生まれた人工物と考えるが、ほかの人々には概してでっち上げと考えられている。

北アメリカを表した地図が2つある。その1つ、ヴィランドマップはノース人による探検に関連づけて考えられるが、しかし現代のねつ造品とも考えられている。
もう1つ、スカールホルトマップは1570年にアイスランドの教師が作ったものである。




出典: 「ノース人によるアメリカ大陸の植民地化」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、メイン・ペニーが見つかったことにより、ノース人がアメリカを発見して、現地人と交易を始めたと考えられるようになったのねぇ~。。。

 


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それ以外にも、アメリカの先住民のゴダード遺跡から ノルウェーの古代スカンジナビア鋳貨が発見されたのです。。。そういうわけで歴史家はノース人がアメリカを発見したに違いないと推測しているのですよ。。。




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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも、アメリカ大陸はコロンブスが発見する前に、他の人が発見したと思いますかァ~?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。

シルヴィーさんが出てくる面白い記事は たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。

 


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

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