1.2 Georg Philipp Telemann
(前略)
音楽に快楽主義を持ち込んだ。Mozartは厭だ。
---とは、I. Xenakisの言葉であるが、
私には、それはむしろ、G.P. Telemannや、
近代では、Serge Prokofieffのことではないか、と思われるのである。
音楽に快楽的な一面、あるいは要素があるのは私も認めるが、
いや、私自身がそれを楽しみに音楽を聴くことも多いのかもしれないが、
一方、何を聴こうが、何を読もうが、自分の生活、人生、
それに対する姿勢には影響ない、関係ない、
といった種類の人たちと一緒にされたくはない、と言う気持ちが私にはある。
(草子地: とはいえ、そうした人たちにも、
人間としての可能性がある、ということは信じたいけれど)。
『前奏曲集』の 105ページより抜粋
太田さんの本はクラシックについての本ですが、
僕はクラシックについては良く勉強したことがないのですよ。
クラシックの専門家であれば、太田さんの本からもっと専門的なことが書けるだろうけれど、
僕は、このようにしか太田さんの書いた本を消化できない。
また、これで充分だと僕は思っているんですよ。
太田さんも書いているように、
“とはいえ、そうした人たちにも、人間としての可能性がある、ということは信じたいけれど”
僕は太田さんが意図したようには太田さんの本を読めないかもしれないけれど、
“僕の世界”の中で、このように太田さんの本を消化して記事を書くことが出来る。
自分史も、結局、そういうモノではないかと思いますね。
ある人にとっては、“猫に小判”。
書いた人のことを “いい気なものだ” と感じる人だって居る。
また、ダ・ヴィンチさんのように“困ったものだ”と感じる人も居る。
そういう人が出てきても当然です。
なぜなら、人間はさまざまだからです。
十人十色!
つまり、どのようなことを書いてもいいのですよね。
上で紹介したローマ時代のポンペイの落書きは
2000年後に、我われが読むのに充分な興味と関心を引き起こしてくれる。
つまり、歴史的に意味のあるものになっている。
ここで司馬遼太郎さんの言った言葉を引用します。
“作品は作者だけが作るものではないんやでぇ~。
作者と読者の共同作業なんやでぇ~。”
正に名言だと思いますね。
いくらすばらしい作品を作者が書いたつもりで居ても、
読者にそのすばらしさが伝わらなかったら、その作品は駄作です。
つまり、50%の作者の能力と知性と教養と人生経験と
50%の読者の能力と知性と教養と人生経験が合わさって、
その作品は100%の真価を発揮できるものだと言うことでしょうね。
要するに作者は読者が分かり易いように書く。
読者は作者の言おうとすることを充分に汲み取る
しかし、残念ながら、作者と読者の共有できる能力と知性と教養と人生経験がなかったら
作者の意図することが充分に読者に伝わらない。
それにもかかわらず、読者に理解させるのが作者の力量でしょうね。
つまり、エピソードや具体例を書いて経験不足の読者に分かり易く書く。
でも、上のポンペイの落書きのように
その時には下らないものでも、
もし、読む人の能力と知性と教養と人生経験が豊かであるならば、
興味深い意味のある読み物となることもある。
つまり、読者は作者の言おうとしている以上の内容を読み取ることも可能です!
こうして考えてくれば、どのような事でも書いて意味のあるものではないか?
そう思いませんか?
ただし、例外があります。
ネットでのスパムコメントです。
土足で上がりこんで来るなと言うのに、土足で上がり込んで来る。
それが、迷惑スパムコメントです。
記事の内容にこだわりなく、メッタやたらにコメントを飛ばす。
これは世界のネチケットに反することですよね。
これ以外なら、原則として何を書いても良いのではないか?
もちろん、アダルトサイトでないサイトにアダルト用のコメントを書くのはまずいですよね。
これもネチケット違反ですよね。
あなたも、迷惑スパムだけはしないで下さいね。
では、また。。。

ィ~ハァ~♪~!
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おほほほほほ。。。。
また、出てまいりましたわぁ。
そうですわよねぇ~。
デンマンさんのおっしゃったように
作品というモノは作者と読者の
合作でござ~♪~ますわよね。
読者のオツムが足りないと
どんな良い作品でも
読者の貢献する50%の部分が消えてしまう。
作品の良さは半減してしまう。
でもね、ポンペイの落書きでも分かるように、
読者の知性と教養と人生経験が豊富であれば、
作者以上のものを読み取ることだって
できると言う事でござ~♪~ますよね。
うふふふふふ。。。。
一つ良いことを学びましたわ。
ええっ?
あたくしに作者以上のことを読み取るだけの
知性と教養があるのかって。。。?
あなたは、言いにくい事をズケズケと
言ってしまうお方なのですわねぇ?
もちろん、ござ~♪~ますわよ。
その証拠が見たければ、あたくしのお話を読んでくださいましね。
『平助さんが卑弥子さんに恋をしたのがウンのつき』
デンマンさんが書いてくださったのですわよ。
あたくしの知性を覗いてくださいね。
いづれにしても、
日本の良さをお忘れなく!
そういうわけで、あたくしがマスコットギャルをやっている
『新しい古代日本史』もぜひ読んでくださいましね。
絶対に読んでね。
ダメよ、見なかったら。。。めっ。。。
うふふふふふ。。。。
失礼いたしましたああああああ。。。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。

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