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デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

豆のシチュー

2025-06-30 00:51:32 | 食べ物・料理・食材


 

豆のシチュー

 


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(beans73.jpg)


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Beans with bacon



6月17日2025年 午前7時33分 火曜日

小百合さん、おはよう。
元気にお目覚めですか?
もう風邪は治ったでしょう!

野菜ジュースを毎朝飲んで免疫力を付けてね。
ガーソン療法を思い出してね。

健康で長生きですよ!
きゃははははは。。。

今朝はどんよりとした曇り空。
でも、僕はスッキリと目覚めました。

昨夜の夕食は、Beans with bacon カレーを作って食べました。
小百合さんの影響で、カレー作って食べることが多いですよ。
きゃはははははは。。。

Campbell's Beans with bacon 284mL



 

この中身をスチールのボールに移し、S&B DINNER CUTRRYのカレールウを1個半をよく溶かしたものをボールに加えます。

 



 

オーブンで25分間温めてできあがり。
きゃははははは。。。

でも、思ったよりうまくない。
豆は、どうも苦手です。

子供の頃に、西部劇『ローハイド』で「今日もまた豆か」と愚痴を言うカウボーイが居ました。
その言葉を思い出します。

 


(rawhide56.jpg)


(beans73.jpg)

 

なるほど、この豆のシチューが続いたら嫌になるでしょう。
2度とBeans with baconの缶詰は買いません。

今回の帰省中では山の家でラビオリカレーを作ることができませんでした。
小百合さんと一緒にルンルン、ラブラブでラビオリカレーを食べられなかったのが残念です。

ところで、ホーチミン市の旅の思い出が今でも鮮明に蘇ってきます。
まず、道に迷って歩き回ったこと。
熱中症になりかけて、水を頭からかぶったこと。
歩き回って、たまらず、国際貿易センターの玄関先で昼寝したこと。
きゃはははははは。。。

 


(jtown20.jpg)


(jtown22.jpg)


『旧サイゴン』


 

ラップトップを忘れて小百合さんと慌てて戻り、駅長室で写真を撮られたこと。
THE DECK まで歩いて、小百合さんが最初に、その場所をもつけたこと。
サイゴン川を見ながら、初めて落ち着いてのんびりできたこと。

 


(thedeck15.jpg)

 

羽田空港で行きと帰りの二晩を過ごしたこと。
小百合さんが旅行の疲れで、帰りの羽田空港で、じっくりと眠ったこと。

 


(haneda80.jpg)

 

小百合さんは寝過ごしたよね。
でも、押上のスカイツリーで買い物ができて喜んだこと。
きゃはははははは。。。

とにかく、ホーチミン市の旅は、思い出多い旅になりました。
ありがとう。。。

ベトナム航空の格安便を利用したので行きも帰りも羽田空港のロビーでは、ホームレスのように椅子の上に横になって眠ったものです。
ああいう経験は、日常ではなかなかできません。
小百合さんも帰りの空港ではぐっすりと眠っていました。
きゃはははははは。。。

来春はシンガポールに行きませんか?

 






 

ホーチミン市よりも面白そうですよ。
小百合さんとまたルンルン、ラブラブで旅行したい!
これも生きがいですよ!
きゃははははは。。。

10月か11月に、小百合さんがバンクーバーにやってくるのを楽しみにしています。
じゃあね。。。バイバイ。。。

 




 




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デンマンさんは豆のシチューが嫌いなのですかァ〜?



あの味はすぐに飽きますよ。。。ハラがすいていれば食べるけれど、食べたいと思って食べることはありません。。。

じゃあ、どうして豆の缶詰を買ったのですか?

ベーコンが入っていると書いてありましたから。。。少しは違った味がするかと思ったのですよ。。。でも、ベーコンの味は豆の飽き飽きする味に圧倒されて、ほとんどベーコンの味はしませんでした。。。やっぱり、子供の頃観た『ローハイド』のシーンが思い出されるのですよ。。。

 


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子供の頃 観たテレビ映画をデンマンさんは未だに覚えているのですか?



『ローハイド』という西部劇は、とにかく当時は人気番組だったのですよ。。。その映画に出ていた人気の3人の役者が日本までやって来たほどです。。。

 


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ローハイド

 


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『ローハイド』(Rawhide)は、1959年から1965年にかけて米CBSで制作・放送されたドラマ(テレビ映画、西部劇)である。

日本では、同時期の1959年から1965年まで、NET(現テレビ朝日)系で放送された。
その後、数度再放送が行われ、2006年にNHK-BS2、2017年にはイマジカBSでも放送された

南北戦争後の1870年代のアメリカ西部を舞台に、テキサス州のサンアントニオからミズーリ州のセデリア(セダリア)まで約3000頭の牛を運ぶカウボーイ達の長い道中ロングドライブで起こる様々な出来事や事件を描く。

主演は隊長ギル・フェイバー (エリック・フレミング)、副隊長(劇中では「補佐役」と表現されていた)のロディ・イェーツ(クリント・イーストウッド) で、これに斥候ピート・ノーラン(シェブ・ウーリー) 、料理人ウィッシュボン(ポール・ブラインガー)らが絡む一話完結の番組であった。

英語の"Rawhide" は、「ロー(raw、生の)」+「ハイド(hide、皮)」、つまり「生皮(きかわ)」「生皮の鞭」「生皮の鞭で打つ」などを意味するが、そこから派生してカウボーイ達のズボンの上から着用する革製のズボンカバーのことを指す言葉でもあり、この番組では初期にそのように説明されていた。

そしてローハイドの主題歌では歌の合間に牛を追う掛け声と鞭音が鳴り響いている。

 

放送

1959年1月からアメリカCBSで放送されて、日本では同年11月から翌1960年4月まで第1シーズン全22話が毎週土曜日夜10時から放映された。

このローハイドの日本での放送は、単発番組を除いてテレビ映画としては初の1時間番組であった。

その後1960年10月から再開されて1964年6月まで同じ時間帯で放送され、1964年7月から同年12月まで毎週月曜日夜8時に移り、この間に第2シーズンから第6シーズンまでの分が放映された。

そして翌1965年4月から同年10月まで毎週木曜日夜8時から第7シーズンの分まで放映されて日本での放送は終わっている。

日本のNETでの最高視聴率は1961年8月5日放送の43.4%(世帯)

当時NETの視聴率は全体的に低迷しており、本番組を教育番組扱いで放送しあちこちの家庭から主題歌が聞こえるようになってNET関係者は安堵したという。

アメリカでは全8シーズン217話が製作されたが、日本では7シーズンまでの203話が放送された。

初期には冒頭で隊長ギル・フェイバーの独白で始まっている。
隊長の任務、西部を旅する者の心得、カウボーイの生きがい、頭にかぶるテンガロンハットの使い方などを語り、最後は「私の名はギル・フェイバー。この隊の隊長である」で終わって、ストーリーが始まる。

そしてラストは「さあ~行くぞ~。しゅっぱ~つ(出発)」の掛け声とともにフランキー・レインの主題歌が流れる。

 



 

演じたエリック・フレミングは、その後、ローハイドの最終シーズンはフェイバー役から降りて、他の映画に出演したが南米でロケ中に事故で悲劇的な死を遂げた。

どこか頼りなさそうな副隊長であったロディ・イェーツを演じたのはクリント・イーストウッド。
最終の第8シーズンは隊長格に昇格したが日本では放映されていない。

このローハイドの撮影終了直後にマカロニウェスタンの「荒野の用心棒」に抜擢されて一気にクリント・イーストウッドは大スターの道を歩んだ

斥候のピートを演じたのはカントリー歌手でもあるシェブ・ウーリーで地味だが、このローハイド出演の前に数々の映画で端役を演じている。
その中で有名なのはゲーリー・クーパー主演の「真昼の決闘」で、決闘相手の4人の中の1人を演じ、クーパーに最初に倒される役を演じている。

因みに2番目に倒されたのはリー・ヴァン・クリーフで、彼はその後このローハイドでゲスト主演している。

主題歌はフランキー・レインが歌い、彼もゲストとして出演していたことがある。
作詞はネッド・ワシントン、作曲はディミトリ・ティオムキン。

また第1シーズンで冒頭に必ずバックに流れて、放映終了後の「声の出演」のテロップが出る時にも流れていた曲は「夕陽の丘」という曲名で、その後も牛の大群を運ぶ場面ではローハイドの中でよく流れていた。

第1シーズンのエピソードで、町のイベントでロディ(クリント・イーストウッド)が即興でアカペラでこの曲を唄う場面がある。

本番組がNETテレビで放送された当時、競合他局のフジテレビの『ザ・ヒットパレード』に「ローハイドのテーマ」の葉書リクエストが殺到したという

NETテレビで放送された当時、番組スポンサーは「洋酒の寿屋」(今のサントリー)だった。
ちなみに後のサントリー会長、佐治敬三も「ローハイドのテーマ」を好んで歌っていたことに加え、1970年代には同ドラマから名前を取ったウイスキーが発売されたこともある。

NETテレビ放送中、月刊誌『少年ブック』(集英社)の1960年11月号から1961年8月号まで木山シゲルによって、コミカライズ版が連載された。

80年代にはヤナセのCMに、 2010年のNTTドコモのCM(渡辺謙・岡田将生出演)に「ローハイドのテーマ」が起用されている。
また第一生命のCMでは通院にも特約で安心である旨の替え歌が流れていた。

1980年の米映画ブルース・ブラザースでは、主人公たちが自分たちの音楽ジャンルとは違う場違いなカントリーバンカーのステージ上で演奏する曲に困り、苦し紛れにローハイドの主題歌を歌って店の客たちの喝采を浴びるシーンがある。




出典: 「ローハイド」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



3人の役者が日本へやって来たのは私が生まれる前の出来事ですわァ〜。。。



マジで。。。?

私が知らないのも無理ありませんわァ。。。

あのねぇ〜、このテレビ映画は何度か再放送されたのですよ。。。だから、小百合さんも観ているはずです。。。

私は西部劇は、めったに観たことがありません。。。興味がありませんわァ。。。

ローハイドの主題歌も日本で人気が出たのですよ。。。小百合さんも聞いたことがあるでしょう?

ありませんわ。。。

小百合さんにとって、西部劇は全く興味をそそらないのですねぇ〜。。。

いけませんか?

いや。。。別に構いませんけれど、アメリカやカナダを何度も旅行した経験がある小百合さんが西部劇を観たことがないというのは7不思議の一つですよ。。。

それはオーバーですわァ〜。。。ところで、『ローハイド』では どうして豆のシチューばかりが出るのですか?

豆はアメリカではたくさん生産されているのですよ。。。最近でも中国に大量に輸出されているのです。。。トランプの関税問題で中国がアメリカから大豆を輸入しないということで、大豆農家がトランプを恨んでいるほどです。。。

 


(beans-usa.jpg)



 



第三のトランプ暗殺事件が起きるとすれば、犯人は大豆農家の中から出てきますよ。。。



そういう不謹慎なことを言うと、CIAのエージェントにデンマンさんこそ暗殺されますわよゥ。。。

とにかく、大豆は、日本で言えば米ですよ。。。当然ながら、たくさんあるし安いので豆のシチューがカウボーイの食事に出されたわけです。。。

豆のシチューってぇ、それほどまずいものですかァ〜?

 


(beans70.jpg)

 



美味しそうではありませんか?



見た目はうまそうだけれど、1週間も同じ豆のシチューを食べてみてください。。。二度と食べたくなくなりますよ。。。第一、日本で豆のシチューを出す食堂やレストランを見たことがありません。。。不味くて人気がないからですよ。。。ローハイドがあれほど人気がでたのに、僕は日本で豆のシチューを食べたことがない。。。

言われてみれば、私も豆のシチューってぇ食べたことがありませんわァ。。。アメリカの荒野で何千頭もの牛を何千キロも離れた場所に連れてゆくカウボーイたちは、当然キャンプするのでしょうから、簡単に作れる豆のシチュウーを食べるのでしょうねぇ。。。

あのねぇ〜、確かにカウボーイたちはホテルに泊まるわけじゃないけれど、キャンプファイヤで豆のシチューを作るわけじゃないのですよ。。。チャックワゴン(chuckwagon)という炊事専用の馬車がカウボーイと一緒に旅するのです。

 


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この馬車の御者が専任の料理人なのですよ。。。高級ホテルのシェフというわけにはゆかないまでも、一応料理の心得のある人物です。。。だから、キャンプファイヤで素人が作る食べ物がカウボーイに提供されるわけじゃない。。。



だったら、様々な料理を作ればいいではありませんか?

でもねぇ〜、当時は、近くに街らしい街はない。。。当然、あまり人が居ない荒野を選んで何千頭もの牛を連れてゆくわけです。。。だから、さまざまな食材が手に入らない。。。大豆ならば捨てるほど用意して馬車に積み込める。。。いたまないし、腐らない。。。当然、豆のシチューが多くなるわけです。。。

牛がたくさんいるのだからビフテキを作ればいいではありませんかァ!

あのねぇ〜、牛は売り物なのですよ。。。カウボーイのモノじゃない。。。依頼主から頼まれた牛です。。。商品を食材にするわけにはいかないのですよ。。。

通りすがりの農家から鶏やブタを買えばいいではありませんか?

当時の農家は、みな貧しいのですよ。。。鶏は卵を産ませるためで、ブタは子豚を産ませて、それを大きくして売り物にするわけで、やすやすと手放せない。。。

そういうわけでカウボーイたちは豆のシチューをしばしば食べることになるのですか?

そういうことです。。。

慣れれば豆のシチューも、それほど不味いものでもないでしょう?

いや。。。慣れたら、飽きてしまいますよ。。。あのねぇ〜、日本は、言ってみれば米の文化。。。アメリカは豆の文化です。。。日本人には豆よりは米なんですよ。。。だから、多分、日本人の僕は体質的に豆のシチューは不味く感じるのだと思います。。。たぶん、そういう理由で日本では、豆のシチューをメニューに載せてないのだと思いますよ。。。カウボーイでさえ豆のシチューを嫌がるのだから。。。



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも豆のシチューを食べて不味いと思いましたかァ〜?

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、何か他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ~♬~ますかァ?

いけ好かないお方。。。

わかりましたわァ。。。

では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。

ジックリとご覧になってくださいませぇ~♬~。

 


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世界で最も住みやすい街バンクーバー






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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。

 


(hand.gif)


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ハルヴァの面白い話

2025-06-30 00:43:56 | 食べ物・料理・食材

ハルヴァの面白い話
 

(laugh16.gif)


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(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。 今日もハルヴァですか? ちょっとくどいのではありませんか?


(kato3.gif)

小百合さんはハルヴァが嫌いですかァ?

嫌いも何も、まだ食べたことがないのですものォ~。。。 話よりもデンマンさんが実物を食べさせてくれるのを期待しているのですわァ。 (微笑)

僕もバンクーバーでハルヴァを探すつもりなのですよ。 今度 買出しに行くときに、近くのスーパーで見つけるつもりです。

スーパーで売っているでしょうか?

ダメもとですよ。

。。。で、今日はデンマンさんが取って置きのハルヴァの面白い話をするのですか?

あのねぇ~、実は、ハルヴァの面白い話を書こうと思って ネットで検索してみたのですよ。 その結果を見てください。

 


(gog40205b.gif)

『現時点での検索結果』

 



あらっ。。。 マジで そのものズバリ!“ハルヴァの面白い話”と入れて検索したのですわね。



そうですよう。。。 そしたら、なんとォ~ 7,560件ヒットした内のトップに 2ちゃんねるの“米原万里”がトップに躍り出たのですよ。

 


(2ch40205.gif)

『実際のページ』

 



54番の赤枠で囲んだ箇所を見てください。 米原万里さんが急逝したと書いてあるじゃありませんかァ!



あらっ。。。 デンマンさんは知らなかったのですか?

いや。。。 全く知りませんでしたよ。 何度か言ったように、僕は米原さんの本を初めて読んで“ハルヴァ”という夢のようなスウィーツがあるということを知ったのですよ。

 


トルコの蜜

小学校3年生の秋、両親の仕事の都合でチェコスロバキアのプラハに移り住んだ。
学校の帰り道、学友たちと駄菓子屋によって買うお菓子の人気ナンバーワンが“TURETSKIJ MED” 直訳すると、「トルコの蜜」 すなわちトルコ蜜飴だったのだ。

ヌガーをもう少しサクサクさせて、ナッツ類の割合を多くした感じ。
並みのキャンディーやチョコレートじゃ太刀打ちできないぐらい美味しい。

なのに、ロシア人のイーラは言う。
「これなら、ハルヴァの方が百倍美味しいわ
「そのハルヴァっていうの、食べてみたい」
「えっ、ハルヴァを知らないの。 じゃあ今度、モスクワに帰ったときに買ってきてあげる」


(halva02.jpg)

夏休み明けの9月1日、イーラは約束を果たしてくれた。
ちょうど靴磨きのクリームが入っている缶のような形とサイズの青い容器。
蓋に白字で“хaлва”とだけ書かれてある。
今も青い丸い缶に“NIVEA”と白地で書かれたニベア・スキンクリームの容器を見るたびにイーラが持ってきたあの缶を思い出す。


(nivea02.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




73 ページ 『旅行者の朝食』
著者: 米原万里
2002年6月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



上の本には米原万里さんが亡くなったことは書いてなかったのですか?



書いてありませんよ。 いつ亡くなったのですか?

かなり前ですわよ。 私もはっきりとは覚えてませんけれど、『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように書いてありますわ。

 


米原万里


(mari01.jpg)

 

誕生 1950年4月29日
死没 2006年5月25日(満56歳没)

ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。
著作には、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』、『魔女の1ダース』、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』、『オリガ・モリソヴナの反語法』などがある。

日本共産党常任幹部会委員だった衆議院議員・米原昶の娘として東京都中央区の聖路加病院で生まれる。

大田区立馬込小学校3年生だった1959年(昭和34年)、父が日本共産党代表として各国共産党の理論情報誌 『平和と社会主義の諸問題』編集委員に選任され、編集局のあるチェコスロバキアの首都プラハに赴任することとなり、一家揃って渡欧した。
9歳から14歳まで少女時代の5年間、現地にあるソビエト連邦外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用の8年制ソビエト大使館付属学校に通い、ロシア語で授業を受けた。

チェコ語による教育ではなくソビエト学校を選択したのは、ロシア語ならば帰国後も続けられるという理由だった。
ソビエト学校は、ほぼ50カ国の子供達が通い、教師はソ連本国から派遣され、教科書も本国から送られたものを用いる本格的なカリキュラムを組んでいたという。

クラスの人数は20人を越えると二つに分けるなど、きめ細かい教育だったが、最初の約半年間は、教師や生徒が笑っていても言葉がわからず、「先生の話すことが100パーセント分からない授業に出席し続けるのは地獄」だったと述懐している。

1964年(昭和39年)11月、ソビエト大使館付属学校を第7学年で中退し日本に帰国。
1965年1月、大田区立貝塚中学校第2学年編入。
日本の試験が○×式あるいは選択式であることにカルチャーショックを受けた。
ソビエト学校はすべて論述試験だったからである。
プラハの春(1968年)が起こったのは日本へ戻った後の、18歳のときだった。

東京外国語大学外国語学部ロシア語学科に入学、この頃に日本共産党入党。
1975年3月に同大を卒業し、同年4月、汐文社に入社。
1976年3月、同社を退社し、同年4月、東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専攻修士課程に進学。
1978年3月、同修士課程修了。
大学院在学中の1985年(昭和60年)、「東大大学院支部伊里一智事件」に連座して党から除籍処分を受けたが、死亡時『しんぶん赤旗』訃報欄には、党歴無記載ではあるが掲載された。
後年(2002年5月13日)、逮捕直前の佐藤優に米原は「私は共産党に査問されたことがある。あのときは殺されるんじゃないかとほんとうに怖かったわ。共産党も外務省も組織は一緒よ」と語っている。
また、日本共産党から離れた後「今の社会の仕組みや矛盾を説明するのに、カール・マルクスほどぴったりな人はいないわよ。絶対的とは言わないけれど、今読むことのできる思想家の中では、あれほど普遍的に世の中の仕組みや矛盾をきちんと説明できる思想家は他にいない」とたびたび語っていた。

1980年ロシア語通訳協会の設立に参画し、初代事務局長となる。

TBSのテレビ番組『シベリア大紀行』という番組で、厳寒期の平均気温がマイナス60度になるヤクーツクを取材し、厳冬期のシベリアを一万キロにわたり横断。
この経緯をテレビ番組のみならず、児童向けの『マイナス50°Cの世界 寒極の生活』(1986年)として著した。

1983年(昭和58年)頃から第一級の通訳として、ロシア語圏要人の同時通訳などで活躍。
特にペレストロイカ以降は、ニュースを中心に旧ソ連・ロシア関係の報道や会議の同時通訳に従事する。

1990年1月、エリツィン・ソ連最高会議議員(当時)来日にあたって、随行通訳を務める。
エリツィンからは「マリ」と呼ばれ、大変可愛がられていた。

2003年から2006年の死去まで、ロシア語通訳協会会長を務める。

晩年は、肉体的にも精神的にも負担の多い同時通訳からは身を引いて作家業に専念した。
またTBSのテレビ番組『ブロードキャスター』にコメンテーターとして出演していた。

卵巣癌を患い除去したが1年4ヶ月で再発し、2006年(平成18年)5月25日に神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。

エピソード

趣味は駄洒落と下ネタ、そして犬や猫と暮らすこと。
親しい友人のイタリア語同時通訳者の田丸公美子も駄洒落と下ネタが得意で、米原は田丸に自分の渾名「シモネッタ・ドッジ」なる称号を献上、田丸は米原を「え勝手リーナ」(エカテリーナ)と呼んでいた。
かつてモスクワで橋本龍太郎から強姦未遂の被害を受けた逸話を、評論家の佐藤優が米原本人から聞いた話として


ロシア語通訳の米原万里は大きな瞳で筆者を見つめ「私橋龍に襲われそうになったことがあるの」と言った。
橋本龍太郎・元首相はエリツィンとの会談で通訳してもらう内容について相談したいと米原万里を3部屋続きのプレジデント・スイートに呼び出し暫く打ち合わせたが途中から様子が変わり米原万里に迫ってきたということだ。


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「ほんと怖かった。やっとの思いで部屋から逃げ出したわ。仕事にかこつけて呼び出しておいて迫るのは男として最低だわ」
と米原万里は続けた。


と、著書『インテリジェンス人間論』に記載している。




出典:「米原万里」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



あれっ。。。 2006年に亡くなったということは 8年前じゃないですかァ~!



テレビにもコメンテーターとして出ていましたわ。 行田市に帰省した時に デンマンさんはテレビで見たことはなかったのですか?

いや。。。 ありませんよう。 とにかく、バンクーバー市立図書館で『旅行者の朝食』という本を今年の1月に借りて読むまでは、全く知りませんでしたから。。。 この本が出版されたのが2002年だから、亡くなる 4年前ですよね。 道理で、本には亡くなったことが書いてないはずですよ。

亡くなったと知って デンマンさんは かなりのショックでしたか?

何と言うかァ~。。。 面白い事を書く人が一人居なくなってしまったという感じで。。。残念ですよねぇ~。。。 まだ 米原さんの面白い本があるはずだと思って、今度また借りて読もうと思っていた矢先のことですからねぇ~。。。

米原さんが書いたもので どれが面白かったのですか?

次のエピソードですよ。

 


食い気と色気は共存するか


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「知れ床旅情」が爆発的に流行した時期でもあり、まさに旅情をそそられた。
そうだ、家永君の家に泊めてもらえれば、宿代が浮くではないか。 (略) 言われたとおり、札幌から電報を打った。

翌日の夕暮れ時、知床斜里駅のプラットホームに降り立ったわたしは、改札のところで呼び止められた。
「マリさんではありませんか」
振り向くと、中年の夫婦者らしい男女が立っている。 (略) どう見てもよそ行きの身なりで、ひどくかしこまっている。
「いつも俊男がお世話になっております」

ヒャーッ、慌ててしまった。
家永君の両親だったのだ。
よれよれのジーパンにTシャツ姿のわたしは、とたんに身の置き所がなくなったものの、今さらどうしようもない。
札幌のデパートで買い求めた菓子折りを差し出すのがやっとだった。

なんでも家永君は、2日前から網走の方へ友人たちと遊びに行ってしまい、連絡が取れない。
そこへ、わたしからの電報が届いたのだと言う。

それにしても、家にたどり着くまでの道すがら、それに、家に到着してからは、なおさら、家永君の両親の口ぶりが妙である。
「結婚してからも、お仕事されていくおつもりですか」
とか、
「わたしどもは、別に同居しなくともいいと思っているんですよ」
とか、初対面にしては、ずいぶん踏み込んだことを言ってくれる。

そのうち、夕食が整い、食卓に呼ばれた。
家永君のお母さんが、
「つまらないものですが」
と謙遜するその一品一品の美味しかったこと!
野菜も魚もとれたてで、みずみずしい甘みがある。
たちまち、わたしはご飯とみそ汁を平らげ、3回ずつお代わりをした。
当然、わたしに割り当てられたおかずも跡形もなく消え去った。
「ほれ、僕の分も食べなさい」
見かねて家永君のお父さんが、自分の皿を差し出す。

食後は、お風呂をいただいた。
「庭で取れたものなんですよ」
湯上りに出された山盛りのトウモロコシ。
あれほど美味なトウモロコシは空前であり、今にいたるまで絶後でもある。
一瞬にして6本だか7本だかは、わが胃の腑におさまった。

 (略) 翌朝の食卓は、わたしの皿だけ、おかずが3倍多めにしてあった。
そして、例の思わせぶりな話は、ピタリとしなくなっていた。

東京にもどってから、家永君に直接会う機会があり、事の次第の背景と全貌が明らかになったのだった。
やはり、家永君は、両親にわたしのことを話し忘れて出かけたみたいで、突然あの電報を受け取った昔気質の両親は、てっきりこれは、息子の恋人か許嫁に違いないと早とちりしたという。

「万里さんの喰いっぷりにはたまげたみたいだぜ」
「こんな大食いの嫁に来られたら、破産してしまうと心配になったのかしら」
「いや、息子に気があったら、こんなに食い気むき出しにするわけないと思ったみたいなんだ」


(breakup5.gif)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




208-211 ページ 『旅行者の朝食』
著者: 米原万里
2002年6月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



米原さんは、結局、亡くなるまで独身だったのですってぇ~。。。



うん、うん、うん。。。 上のエピソードを読めば、多分、誰でも そうだろうなァと思いますよ。 (微笑) ところで、小百合さんも「食べるの好きな人」だけれど、よく結婚できましたねぇ~?

デンマンさん! 失礼ですわァ。 結婚を考えている人の前では、絶対に食い気をむき出しにしませんでしたわァ~。 うふふふふふ。。。

なるほどォ~。。。 そういうものですかァ~? 米原さんは一生涯、食い気を誤魔化すことができなかったのでしょうね。 若い頃と比べて25キロ太ったと本に書いてありましたよ。 

橋本龍太郎・元首相にナンパされそうになった時には 次のように痩せていたそうですわ。


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うん、うん、うん。。。 なるほど。。。 なるほどォ~。。。納得。。。 納得。。。




初出: 2014年2月9日



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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
あなたは“食べるの好きで”ござ~♪~ますかァ~?
食べるのが好きでも結構でござ~ますけれど、結婚を考えている相手の前ではオナラだけは出さないようにしてくださいねぇ。
うへへへへ屁へへ。。。

 



 


(himiko22b.gif)

うふふふふふ。。。

全く、バカバカしいざ~♪~ますわア。

アハハハハハア~♪~


とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますう。
だから、あなたも、お暇なら、また ぜひ読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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