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デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

行田物語 ピアノ (PART 2)

2017-06-07 11:10:27 | ふるさと 行田市


 

行田物語 ピアノ (PART 2)


【デンマンの独り言】


(kato3.gif)

真由美ちゃんの母親は 僕の従妹です。。。

つまり、僕の母親は真由美ちゃんにとって大伯母にあたります。


(mother002.jpg)

僕の母親が亡くなる2年ほど前に真由美ちゃんと一緒に撮った写真です。

ところで、真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

忙しい時間を割いて、真由美ちゃんも僕の母親の葬式には参列してくれました。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。


なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


(inflight2.jpg)


(airport1b.jpg)

ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


(stanley50.jpg)


(seawall3.jpg)


(seawall2.jpg)

世界で最も住みやすい街バンクーバー

<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/TQqO1__1bzk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/g-fsEkcBAZM" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/Ze0G_iBjyMI" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(wetsuit.jpg)


(wetsuit3.jpg)


(gastown20.jpg)

<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/IH_5xsua-NQ" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(canplace22.jpg)

<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/-8HtDY9WRhU?feature=player_embedded" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


(polar10.jpg)

<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/ThBHKGr0IoY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


(hand.gif)




If you've got some time,

Please read one of the following artciles:





(santa85b.jpg)

『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』


(juneswim.jpg)

『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


(utsunomiya10.jpg)

『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


(biker302.jpg)

『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


(juneswim.jpg)

『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』

『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』



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黒い行田市長 (PART 1)

2017-06-01 11:05:44 | ふるさと 行田市
 

黒い行田市長 (PART 1)

 


(kudo02.jpg)


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デンマンさん。。。 “黒い行田市長”なんてぇタイトルを掲(かか)げたら誹謗・中傷で訴えられかも知れませんわよォ~。。。


(kato3.gif)

もし、そのくらいでムカついて僕を訴えるようなら、行田市長は人間的に見てうすっぺらな人物ですよ。。。

“黒い行田市長”とタイトルを書いて記事を書くデンマンさんこそ、薄っぺらな人間だと思われてしまいますわァ~。。。

あのねぇ~、僕は別に行田市の工藤正司市長が“黒い市長”だとは思ってないのですよ。。。

それなのに、どういうわけで“黒い行田市長”とタイトルを書いたのですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。


(liv70131a.png)


『拡大する』

『行田の黒い霧と工藤市長』




これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で1月30日の午後9時39分から31日の午前3時42分までの約6時間の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しい。。。



あらっ。。。 1月30日の午後9時54分にアメブロのテーマのページからやって来て『行田の黒い霧と工藤市長』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そうです。。。


(ame60413e.png)


『拡大する』

『行田市長@夢の対談』




工藤正司・行田市長批判のテーマのページのトップに出てきた『行田市長@夢の対談』を読み、その記事の中に出てきた「徒然ブログ」の『行田の黒い霧と工藤市長』を読んだわけですよ。。。



それで“行田の黒い霧と工藤市長”を簡潔に短くしようと思って“黒い行田市長”というタイトルにしたのですか?

そうです。。。 いけませんか?

でも。。。、行田市長の工藤さんが“黒い行田市長”というタイトルを見たら、いい気持ちはしないと思いますわ。。。

しないでしょうねぇ~。。。

デンマンさんもそう思うのだったら、“明るい行田市長”というタイトルにすればよかったじゃありませんか!

でもねぇ~、新宿に住んでいる浅岡夢雄君がアメブロのテーマのページから わざわざライブドアの「徒然ブログ」までやって来て『行田の黒い霧と工藤市長』を読んだのですよ。。。 だから、“行田の黒い霧と工藤市長”を短くして“黒い行田市長”というタイトルにしたわけですよ。。。

でも。。。、でも。。。、どのようにして新宿に住んでいる浅岡夢雄君が読んだと突き止めたのですか?

IPアドレスを調べたのです。。。


(ip172145b.png)

『拡大する』



何度も言うようですけれど、IPアドレスを調べてもプライバシーを保護するためにアクセスしたネット市民の名前まではゲットできないようになっているのですわァ~。



僕も、その程度のことならば常識として知っていますよ。。。 実は、浅岡君は、工藤正司・行田市長のことが書いてある記事をたくさん読んだのですよ。。。 それで、どうも横田市長の自殺と関係あるのではないか? そう思って僕にメールを書いて寄こしたのです。。。

それでIPアドレスを確認したのですか?

そういうことです。。。

でも。。。、でも。。。、どうして1月30日の記録を持ち出したのですか? もっと新しい記録があるでしょう?

もちろんですよ。。。 次のリストも見てください。


(liv70530a.png)


『拡大する』

『行田の黒い霧と工藤市長』




これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で5月29日の午前5時4分から午後3時46分までの約10時間半の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。。。



あらっ。。。 5月29日の朝ご飯を食べる前の午前6時59分にビッグロブの検索エンジンの検索結果からやって来て『行田の黒い霧と工藤市長』を読んだのですわねぇ~。。。

そうです。。。 埼玉県の草加市に住んでいる黒田 霧男(くろだ きりお)君が読んだのです。。。

デンマンさんは、またIPアドレスを調べたのですか?

そうです。。。 いけませんか?


(ip2285b.png)

『拡大する』



上の赤枠の中には“さいたま市”と書いてありますね。。。



でもねぇ~、ホスト名を見てください。。。 souka.saitama と書いてあるのですよ。。。 つまり、黒田君は草加市からアクセスしているのです。。。

。。。で、黒田君も、工藤正司・行田市長のことが書いてある記事をたくさん読んだのですか?

その通りです。。。 それで、やっぱり横田市長の自殺と工藤市長が関係していたのではないか? そう思って僕にメールを書いて寄こしたのですよ。。。

マジで。。。?

小百合さんは僕の言葉を信用しないのですか?

分かりました。。。 議論すると、この記事が長くなりますから、一応デンマンさんの言うことを素直に受け取りますわァ。。。 要するに、浅岡夢雄君と黒田霧男君が『行田の黒い霧と工藤市長』を読んで デンマンさんにメールを書いたので、今日の記事に工藤市長を取り上げたわけですか?

その通りですよ。。。 記事を読んで、僕にわざわざメールを書いてくれたのですからね。。。 無視するわけにはゆかないでしょう。。。 

でも、横田市長はもう亡くなってしまったのですから、いつまでも重箱の隅を突っつくようにして工藤市長を取り上げるのは建設的な議論とは言えないのではありませんかァ~?

もちろん、僕は横田市長の自殺に拘(こだわ)っているわけではありません。。。 でもねぇ~、僕以外のネット市民が、けっこう拘っているようなのです。。。 だから、『行田の黒い霧と工藤市長』が読まれているわけですよ。。。

でも、横田市長が自殺した後の2007(平成19)年4月22日の市長選挙で工藤正司さんが市長に初当選して、その後2011(平成23)年の選挙でも、2015(平成27)年の選挙でも無投票で当選しているのでしょう?!

あれっ。。。 小百合さんは、そんな事までよく知ってますねぇ~。。。

デンマンさんの記事を読みましたから。。。

僕は、そんな事まで書いていたかなあああァ~。。。?

とにかく、無投票で3選を果たしたということは、それだけ行田市民の支持を受けているという証拠ではありませんかァ~?

でもねぇ~、初当選した時の工藤さんの投票獲得率は36.6%なのですよ。。。 有権者にして 16,608人が工藤さんに投票しただけです。。。 2011年現在で 行田市の有権者集は  70,094人なのです。。。 つまり、 有権者 70,094人の内、工藤さんを支持したのは 16,608人だけです。。。 要するに、有権者の たったの 24%なのです。。。 工藤さんを支持していない行田市の有権者が 76%も居るということです。

でも、無投票で3選を果たしたということは工藤さんを支持している人が多いということですわ。。。 もし、悪政を布(し)いていたら、当然 行田市民が立ち上がって、より良い人物を次の市長に担ぎ上げて選挙運動をすると思いますわァ。。。

僕は、行田市民が半ばが諦めていると思うのですよ。。。

どういうことですか?

あのねぇ~、行田市の中心地、本町通りは、かつての賑わいから比べると、シャッター通りになりつつある。。。 少なくとも、僕が行田に帰省すると、寂れてゆく印象を受けるのですよ。。。 でもねぇ~、行田市だけじゃなくて、地方の町の多くが、かつて賑わっていた商店街がシャッター通りになることが珍しくないから、行田市民も特に不満を感じなくなったのですよ。。。 さらに、日本全国的に言えることだけれど、政治に関心のある人が少なくなっている!。。。 それに、夢を持ってルンルン気分で生きようと思う人も少なくなっている。。。 僕は、行田市の市民に夢を持ってもらおうと次のような記事を書いたことがある。。。


人口急減社会への警鐘


(kudo99.jpg)

日本は2008年をピークに人口減少に転じ、これから本格的な人口減少社会に突入する。

このまま何も手を打たなければ、2010年に1億2806万人であった日本の総人口は、2050年には9708万人となり、今世紀末の2100年には4959万人と、わずか100年足らずで現在の約40%、明治時代の水準まで急減すると推計されている。

(1-2ページ)

日本全国で若年女性人口が減少していることが、将来にわたる人口減少の原因となっている。

そのようななか、全体の流れと反対に若年女性が増える、もしくは減少がゆるやかな市区町村がある。 (略)

これを見ると、次の6つのモデルに分類することができる。

(125-126ページ)

 

地域が活きる6モデル

産業誘致型

工場や大規模商業施設などを誘致することにより、財政基盤の安定化を図り、住環境整備を進め、人口流入を実現させているモデルを産業誘致型と呼ぶ。

ベッドタウン型

大都市や中核都市の近郊に位置することを活かして、住環境整備を重点的に進め、定住人口を増加させているのがベッドタウン型である。

学園都市型

大学や高等専門学校、公設・私設研究機関を集積させることにより、若年人口の継続的な流入を実現し、ローカル経済を持続させているモデルが学園都市型である。

コンパクトシティ型

将来の人口減少を見据えて、従来の街の機能を中心地に集約することで、ローカル経済圏としての効率化を目指しているモデルをコンパクトシティ型と呼ぶ。

公共財主導型

国家プロジェクト規模の大規模施設の立地を契機として、地域のあり方を作り変え、財政基盤を安定させることで、人口減少を防ぐモデルが公共財主導型である。

産業開発型

地域の特徴ある資源を活かした産業振興を実現し、雇用の拡大や住民の定着を実現しているモデルが産業開発型である。

(126-133ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『地方消滅』
著者・編者: 増田寛也
2014年10月15日 第8刷発行
発行所: 中央公論新社


 




つまり、上の本の著者と、その研究者仲間の調査に従うと、工藤さんの行田市政では、行田市の未来はないという結論なのですよ。



それで未来のある行田市にするために、デンマンさんはどのようなビジョンを持って臨まれるのですか?

ちょっと次のバンクーバー市立図書館のカタログページを見てください。


(lib60411a.png)

『拡大する』

『実際のカタログページ』



僕は2016年の1月6日に、たまたまバンクーバー市立図書館で“Extreme Engineering”というDVDを借りてドキュメンタリーを見たのですよ。。。 感動してコメントも書き込みました。。。 赤枠が僕が書いたコメントです。。。 ドキュメンタリーの中で“スカイシティー1000”が紹介されていたのです。


スカイシティー1000


(skycity1.gif)

スカイシティー1000とは、竹中工務店によって1989年に構想されたハイパービルディング。

居住施設や商業施設、娯楽施設、公園などを建物内に集約し、建物内だけで生活できるような空中都市の実現をめざす。

高さ1,000m、床面積 800haで、36,000人が居住し、100,000人が就業できる。

計画内容

高さ56mの正六角形型の凹型の段層(空中台地)を14段に重ね、下の段層を大きく、上の段層を小さくすることで全体として側面が緩やかなカーブを描くようにし、また各段層の間に隙間を設けることで、強風の影響を受けにくくする。

段層の凹んだ部分には広場を作り、それを取り囲むようなスペースを居住用などに使う。

このスペースには何箇所か隙間(スーパーカラム)を設け、火事が起きた際に被害を受ける部分を最小限にする。

高速のエレベーターやモノレールを走らせ、建物内の移動手段とする。


(skycity2.jpg)

<iframe width="360" height="300" src="https://www.youtube.com/embed/dxoQAXbTxV4?feature=player_detailpage" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>




出典: 「スカイシティー1000」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、行田市の中心のシャッター商店街を “行田スカイシティー2040”に甦(よみがえ)らせるのですよ。



デンマンさん。。。 そのような夢みたいな事を言わないでください。。。 市政は デンマンさんが思っているように簡単にゆくわけではないのですよ。

あのねぇ~、工藤さん。。。、 あなたには、そのようなビジョンも、国際的な視野も、本心から行田市の未来に向かって再生を図ろうという意欲も、残念ながらないのですよ。。。 それが上のリストの -57.8% (人口減少) に表れているのです。。。 つまり、行田市を背負ってたつ若者が行田から離れている!。。。 未来に向けてのビジョンを持たない工藤さんのような人が行田市長として長くとどまっているから、こういうことになるのですよ。

つまり、デンマンさんが行田市長になった暁(あかつき)には マジで“行田スカイシティー2040”が行田市に聳(そび)えるのですか?

そういうことです。

でもねぇ~、デンマンさん、それは“言うは易し行うは難し!”ですよ。。。

工藤さんにできないのならば、潔(いさぎよ)く市長を辞めて、僕にその席を譲ったらどうですか?




『行田市長@夢の対談』より
(2016年4月13日)




でもねぇ~、若いミーちゃん、ハーちゃんばかりでなく、40代のおっさんまでが、政治には興味がなくて 10代のアイドルに夢中になっているというニュースがバンクーバーのタウン情報誌にまで載るようになってしまった。



マジで。。。?

ちょっと次の記事を読んでみて下さい。。。

 


(doxaidol01.png)

『40代のおっさんが10代アイドルにハマル』

 



つまり、どういう事かと言うと、国政に対しても、県政に対しても、市政に対しても住民が無気力になっているのですよ。。。



でも。。。、でも。。。、それはデンマンさんの個人的な意見だと思いますわァ~。。。

僕は、そう思いませんねぇ~。。。 これまでに僕が言った事をよくよく考えてみれば、そうとしか考えられないじゃありませんかァ~!



(laugh16.gif)

 (すぐ下のページへ続く)




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黒い行田市長 (PART 2)

2017-06-01 11:04:37 | ふるさと 行田市



 

黒い行田市長 (PART 2)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

あなたは どう思いますかァ~?

行田市の住民が、市政に対して関心がなくなり、それで工藤市長が無投票で3選を果たしたと思いますかァ~?

ええっ。。 あなたも市政だとか、県政だとか、国政だとかには興味がないのでござ~ますかァ?

それってぇ、良くないと思いますわよゥ。。。

市民の一人一人が良識を持って市政、県政、国政を見守るべきですわァ。。。

ええっ。。。 そんな事はどうでもいいから、何か面白い事を話せとおっしゃるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわ。。。 あたくしが余計な事を言ったので

あなたは、いやな気分になったのでしょうから、

気分直しに、あなたの気分爽快になるように次の曲を聴いてくださいまし。。。


(whitecliff.jpg)

<iframe width="420" height="350" src="https://www.youtube.com/embed/TMP1gw7VEmA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

いかがでしたかァ~。。。?

ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。

なぜ。。。?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/Dt3k9--4xLE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

軽井沢のイルミネーション

<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/dNGCgP1YLGA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/3CFuuOhmTxg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



(ebay5.jpg)


(byebye.gif)
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行田遠野物語 (PART 1)

2017-05-26 11:00:38 | ふるさと 行田市
 

行田遠野物語 (PART 1)

 


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百六十

 

オマクは身近に起きることであって、特別なことではない。
佐々木喜善(きぜん)君が幼少の頃。
土淵村の光岸寺という寺が火災に遭って焼け落ちた。
そこで寺を建て直すことにになり、土淵村字山口に住む、慶次郎という大工が棟梁となって、新築工事が始まった。

ある日。午休みの時間。
四、五十人からの大工が休憩を取っていた。

そこに、十六、七の美しい娘が潜り戸を抜けて入ってきた。
居合わせた大工たちは一斉に娘を見た。

それから娘が何処へ行ったのか、どういう訳か誰にもわからない。
だが、入って来たところは全員がはっきりと見た。

頭(かしら)の慶次郎は、
「今のは俺の家の隣の、小松の家の娘だ。 ずうと傷風(しょうかん)の病で苦しんでいるから、こんな処に来られる訳がない。 それではとうとう死ぬのか」
と言った。

娘は翌日死んだ。

その場に居合わせた大工の一人、古屋敷徳平(ふるやしき とくへい)という人の話である。
古屋敷氏もその娘の姿を見ている。

 


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




14-15ページ 『遠野物語拾遺 retold』
著者: 京極夏彦 柳田國男
2014年 第1刷発行
発行所: 株式会社 KADOKAWA






デンマンさん。。。 “行田遠野物語”というのは行田物語と遠野物語を合わせたお話ですか?


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だいたい、そういう話です。。。 真由美ちゃんは、『遠野物語』というのを読んだことがある?

ありませんわァ~。。。 わたしはあまり本を読まない人なのですゥ。。。うふふふふふふ。。。

あのねぇ~、『遠野物語』というのは けっこう有名な物語なのですよ。。。

もしかして、『源氏物語』といい勝負ですかァ~?

いや。。。 『源氏物語』と比べることは出来ないでしょう! 全く違う種類の物語ですよ。。。 クジラとモンシロチョウを比べるようなものですよ。。。


遠野物語


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『遠野物語』(とおのものがたり)とは、柳田國男が明治43年(1910年)に発表した岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集である。

遠野地方の土淵村出身の民話蒐集家であり小説家でもあった佐々木喜善より語られた、遠野地方に伝わる伝承を柳田が筆記、編纂する形で出版され、『後狩詞記』(1909年)『石神問答』(1910年)とならぶ柳田國男の初期三部作の一作。
日本の民俗学の先駆けとも称される作品である。

遠野物語における遠野、あるいは遠野郷とは、狭義には藩政時代の旧村が明治の町村制によって編制された遠野、松崎、綾織、土淵、附馬牛、上郷、を指すが、広義には上閉伊郡宮守村、釜石市橋野町、上閉伊郡大槌町、下閉伊郡川井村などの隣接地域も含まれ、その地で起きたとされる出来事も取り上げられている。

内容は天狗、河童、座敷童子など妖怪に纏わるものから山人、マヨヒガ、神隠し、臨死体験、あるいは祀られる神とそれを奉る行事や風習に関するものなど多岐に渡る。
作成過程で3つの原稿が存在し、佐々木の話を都度書き記すかたちで作られた草稿にあたる毛筆本、実際に遠野に赴き、自ら得た見聞を加えて人名、地名、数字などの事実関係を補完して作られた喜代司書本。
毛筆本の段階では107話であったが喜代司書本の段階で12話が追加され119話となった。

そして喜代司書本をもとに初稿が印刷され、初稿を再考し、一部伏字となっていた固有名詞などに手を加えられ完成本となった。
これら3つの原稿は、長野県松本市で政治家を務めていた池上隆祐が昭和7年に『石神問答』の刊行に対する記念として『石』の特集号を発行した際、折口信夫、金田一京助らの署名を入れた特装本を柳田へ贈った事に対する謝礼として柳田より池上へ贈られた。
池上の没後に遺族より遠野市へ寄贈され、それ以降は遠野市立博物館が保管している。

『遠野物語』の反響により、昭和10年(1935年)には各地から寄せられた拾遺299話を追加した『遠野物語増補版』が発表された。

 


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出典: 「遠野物語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。 日本の民俗学の先駆けとも称される作品なのですわねぇ~。。。 でも、ずいぶん昔の物語ですねぇ~。。。



とにかく、けっこう有名ですよ。。。 僕は大学生の時に初めて読みました。。。 『遠野物語』の反響により、昭和10年(1935年)には各地から寄せられた拾遺299話を追加した『遠野物語増補版』が発表された、とあるように愛読者が多いのですよ。。。

デンマンさんが上に引用した本はバンクーバー図書館で借りたのですか?

そうです。。。 本棚を覗いていたら たまたまタイトルが目に入ったので、すぐに借りたのですよ。。。

つまり、『遠野物語増補版』に更に追加されたお話が載っているのですか?

そういうことです。。。 でも、新しく付け加えられた話ばかりじゃなくて、古い話でも本に載らなかったものも含まれているのですよ。。。 『遠野物語拾遺』も柳田國男がまとめたもので、上の本は『遠野物語拾遺 retold』というタイトルで京極夏彦が2014年にまとめて出版したものです。。。

。。。で、どういうわけでデンマンさんは上のお話を引用したのですか?

あのねぇ~、僕は上の話を読んだ時に、なぜか引っかかるものがあった。

何が引っかかったのですか?

小松の家の娘、仮にお菊さんとして。。。 このお菊さんがなぜお寺に現れなければならなかったのか?


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でも。。。、そのことを“オマク”と言うのでしょう?



手っ取り早く言えば、そういうことなのですよ。。。 


オマク


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柳田の著書『遠野物語拾遺』によれば、岩手県遠野地方では、「生者や死者の思いが凝って出歩く姿が、幻になって人の目に見える」ことを「オマク」と称し、その一例として傷寒(急性熱性疾患)で重体なはずの娘の姿が死の前日に、土淵村光岸寺の工事現場に現れた話を挙げている。

『遠野物語』に関して柳田の主要情報源だった佐々木喜善は、このときまだ幼少で、柳田は目撃現場にいた別の人物からこの例話を収録したとしており、佐々木当人は「オマク」という言葉は知らず、ただ「オモイオマク」(おそらく「思い思はく」)と言う表現には覚えがあることを鈴木棠三が尋ね出している。

能登半島では「シニンボウ(死人坊)」といって、数日後に死を控えた者の魂が檀那寺へお礼参りに行くという。

こうした怪異はほかの地域にも見られ、特に戦時中、はるか日本国外の戦地にいるはずの人が、肉親や知人のもとへ挨拶に訪れ、当人は戦地で戦死していたという伝承が多くみられる。

また昭和15年(1940年)の三重県梅戸井村(現・いなべ市)の民俗資料には前述の『曾呂利物語』と同様の話があり、深夜に男たちが火の玉を見つけて追いかけたところ、その火の玉は酒蔵に入り、中で眠っていた女中が目覚めて「大勢の男たちに追いかけられて逃げて来た」と語ったことから、あの火の玉は女の魂とわかったという。




出典: 「遠野物語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、“オマク”というのは生者や死者の思いが凝って出歩く姿が、幻になって人の目に見えることなのですよ。。。



お菊さんの思いが凝って出歩く姿が、幻になって人の目に見えたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 でもねぇ~。。。 どのような思いが凝ったのか? その事については何も書いてない。。。

その事がデンマンさんには気になったのですか?

その通りですよ。。。 でもねぇ~、お菊さんがどのような思いに凝ったのか? それが僕に判ったのです。

マジで。。。?

もちろんですよ。。。 真由美ちゃんを呼び出してまで話をするのだから、真面目な話です。。。

分かりましたわ。。。 ぜひ聞かせてください。。。

あのねぇ~、真由美ちゃんにはまだ話してないけれど、実は僕(長男)の弟(次男)が今年(2017年)4月24日の午前7時頃に亡くなったのですよ。。。

あらっ。。。 冗談でなくてぇ~。。。?

もちろん冗談じゃありません! このような事を冗談で言えるはずがない!

それで、そのお話というのは。。。?

僕が弟(三男)の正造に書いた手紙を まず読んでください。。。


2017年4月24日 月曜日

 

昨夜、正造さんから 突然の喜代司(きよし)さんの死亡の知らせを受け、
全く予期していなかったので驚きました。

体は以前と比べれば弱っているとは言うものの
少なくとも まだ2年か3年ほどは生きているだろうと予測していたので
死亡の知らせは青天の霹靂でした。

考えてみると、2月4日のお袋の死が喜代司さんに生きることの儚(はかな)さと
希望を失わせたのでしょうね。。。

 


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高校生の頃電車に飛び込み自殺をしようと試みたことがあったけれど、
「俺が死んだらかあちゃんが悲しむだろうなァ~。。。」
そう思って思いとどまったということを お袋から聞かされた覚えがあります。

そう言う訳で私も去年の11月に帰省した時に、
「お袋よりも先に死ぬことだけはしないように。。。」と喜代司さんに言おうと思ったのですが。。。
つい、言う機会を逃してしまいました。

しかし、喜代司さん自身にも、お袋よりも先に亡くなって悲しませたくないという気持ちがあったのでしょう!
だから、お袋が2月4日に亡くなって2ヶ月後に 喜代司さんが追うようにあの世に逝ったのです。

寂しく一人でお墓に入っているお袋の話し相手にでもなろうと思って
お袋のそばに逝ったのだと。。。 そんな風に思えてきました。

そのように思うと喜代司さんの死が不憫ではなく、
なんだか心温まるようにも思えます。

ところで、4月28日の午後5時にお通夜をやるそうですが、
夕べ、よくよく考えた挙句、日本へ戻ってお通夜に参加することはやめます。

親父(オヤジ)さんの葬式にも出なかった。
私は、もともとお通夜とか葬式という行事に意味を見出していないのです。。。

それで、親父さんが入院中には20日間ほぼ毎日見舞いに行田中央総合病院に通いました。
親父さんとは 生前あまり話をしませんでしたが、その20日間には、
20年分ぐらいの話をしたように思います。

「死んで花実が咲くものか」と昔の人は言いましたが、
死んでから、お通夜やお葬式をしても、意味がないと思うのは、そういうためです。
お袋が亡くなったときに、日本へ戻り 通夜と葬式に参加したのは例外中の例外でした。
30年以上お葬式に出たことがない!

喜代司さんとも、お袋が亡くなった時に食事を一緒にしたり、
会ってそれなりに語り合えたことはよい思い出ができたと思います。

そういうわけで、もう20年ほど前から遺書を書き換えていますが、
つねに、自分の葬式は要らない。。。
遺体はバンクーバーの大学の医学部に寄付。
そのようにか固く決めています。

正造さんに、すべてを任せきって、自分が何もしないということを
心苦しく、我侭だとは思いますが、
通夜と葬式だけが亡くなった者を“ともらう”、というものでもないでしょう!

心の内でお袋に対しても、喜代司さんに対しても、充分に“ともらう気持ち”を持っています。
通夜や葬式は私にとって、形式だけの 時間と金を無駄にする行為に見えて、時には滑稽にも思えてきます。

仏教が葬式仏教になって、お葬式に100万円以上がかかるというのは、滑稽としか言えず、
正式にすると400万円もかかるというのは馬鹿バカしく思えてなりません。

 


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坊さんに、合計で60万円も包むのは、さらに滑稽としか思えません。。。
「坊主まるもうけ!」とは、昔の人はよく言ったものです!

そういうわけで、今回の喜代司さんのお通夜と葬式には出ませんので、
親戚の人たちには、当たり障りのないように正造さんからよろしくお伝えください。

喜代司さんの葬式は、バンクーバーで私なりに心の内で“ともらいたい”と思います。

墓参りなども、私は全く信じておりません。
今年の秋には、これまでどおり行田に帰省して また食事を一緒にしながら語り合いましょう。。。

 


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喜代司さんのお骨も、親父とお袋のお骨と並んで 仲良くお墓の中に入っていることでしょうから、
その時には、例外中の例外で、お墓参りをしてあげようと思います。
心の内のお墓参りのつもりです。

ちなみに、お袋のお通夜と葬式に昨年亡くなった叔父・泰夫さんの奥さんの安子さんが
あれほど体が弱っているのに、参加してくれたのには、本当に驚きでした。
当時、お礼に伺おうと思っていたのに、ついつい行きそびれてしまいました。

今年の秋、もし健在であれば、蓮華寺にお墓参りした後で
安子さんを お見舞いしたいと思います。

 


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勝手ではありますが、そのようなわけで喜代司さんの通夜とお葬式には欠席します。
あしからず。。。

 

追伸:

たまたま、2016年10月6日の手紙を読みなおしたら
(フラッシュ・メモリーに下書きが保存されている)
次のように書いてありました。



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「もし、喜代司さんが2,3日間自宅に

戻れるような機会があるなら、

私と喜代司さんの二人で 那須高原へ旅行して

由香里ちゃんが働いている「自在荘ホテル」で

泊まろうと予定しています。

喜代司さんにとっても、いい思い出になるでしょう。。。」


残念ながら旅行ができるほどの体調ではありませんでした。

このことがマジで心残りです。

叔母の多佳子さんに電話で連絡するようなことがあれば、よろしく お伝えてください。

 

デンマンより




あらっ。。。 喜代司さんが4月24日に亡くなったのですか? 全く知りませんでしたわァ~。。。



真由美ちゃんも僕もバンクーバーにいるし、2月のお袋の葬式のために 二人とも日本へ戻ったのですよ。。。 それから2ヵ月後に 喜代司さんが逝った。。。 正直な話、「またかよう!」と僕は不謹慎にも声を上げてしまいましたァ。。。 お袋の葬式に参列した親戚や、知人や、友人や関係者に正造さんが喜代司さんの死亡通知を出せば、おそらく多くの人が僕が感じたような「またかよう!」という思いに捕らわれるはずですよう。。。

それで、デンマンさんは私には告げなかったのですか?

そうです。。。 真由美ちゃんだって忙しいのだし。。。 僕だけが葬式に出るか?出ないか?決断をすれば、それで十分ですよ。。。

分かりましたわ。。。 それで、お菊さんのお話ですけれど。。。 喜代司さんが亡くなった事と関係あるのですか?

もちろん、時代も場所も違うし 直接の関係はありません。。。 でもねぇ~、お袋が永眠している蓮華寺のお墓の前で お菊さんがお線香を手向けている姿が僕の夢に出てきたのですよ。。。

あらっ。。。 マジで。。。?

わざわざ真由美ちゃんを呼んでまで、悪い冗談を飛ばすわけには行きません。。。 ホントの話です。。。

それで、夢の中でデンマンさんがお菊さんに その理由を尋ねたのですか?

そうですよ。。。

。。。で、お菊さんは何と答えたのですか?

次のように答えたのです。。。



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ここでデンマンさんとお目にかかるのも、何かのご縁だと思いますわァ~。。。



僕もまさか、蓮華寺のデンマン家の墓の前でお菊さんと会えるとは思いませんでした。。。 いったい、どういうことですかァ?

喜代司さんがお母様を追うようにして亡くなられるお姿をお見かけしましたので、私事とは思えなくて、土淵村からここまでやって来てしまったのですわァ。。。

それは、また どうして。。。?

実は、私の母が半年ほど前に肺結核で亡くなりました。。。 デンマンさんもご承知のとおり、当時 肺結核は打つ手のない死病であり、この病によって若くして命を落とす人がたくさんおりました。。。 母は手内職の夜なべの仕事がたたって、それで結核に冒されたようです。。。 父と私は悲しみにくれました。。。 母の死で父はずいぶんと気弱になったと見え、1ヶ月もしないうちに今度は父の病状が急激に悪化して、寝たきりになってまもなく亡くなったのです。。。

それは気の毒なことでした。。。 お葬式がちょうど僕の母と弟が重なったように お菊さんの家でもお父さんとお母さんが相次いで亡くなられたのですねぇ~。。。

そうです。。。 それだけに、喜代司さんがお母様を追うようにして亡くなられるお姿をお見かけして 身につまされたのでした。。。

そうですか。。。 遠野物語では土淵村の光岸寺という寺が火災に遭って焼け落ち、寺を建て直すことにになり、土淵村字山口に住む、慶次郎という大工が棟梁となって、新築工事を始めたのですよねぇ。。。


(kouganji2.jpg)

 



そうですわ。。。



そんなある日、お菊さんがお寺にやって来て、その姿を棟梁や、一緒に働いていた大工たちが見かけたというのです。。。 でも、それからお菊さんが何処へ行ったのか、どういう訳か誰にもわからないということなのですよ。。。

もちろん、それは生身(なまみ)の私ではありません。。。 私は、その時 傷風(しょうかん)の病で苦しんでいましたから、歩くこともままなりませんでしたわ。。。

それなのに、どうして あの人たちはお菊さんの姿を見かけたのですかァ?

それは、私が苦しさのあまり このまま苦しんで亡くなるのならば、早く父と母のところに行きたいと強く念じたからだと思いますわァ。。。

なるほど。。。 「生者や死者の思いが凝って出歩く姿が、幻になって人の目に見える」ことを「オマク」と言うらしいですけれど。。。 お菊さんの苦しみがそれほどひどかったということですかァ?

そうです。。。 早く父と母のところに行って3人でまた団欒を共にしたいと思ったのですわ。。。

なるほど。。。 それでお菊さんの生霊(いきりょう)がお父さんとお母さんの眠るお墓に歩いていったのですねぇ~。。。

そういうことだと思いますわァ。。。 もしかして。。。、もしかして。。。、デンマンさんは、この事もブログに書くのですかァ~?

いけませんかァ~?

別にかまいませんけれど、ブログを読むネット市民の民様が信じてくれるでしょうか?

あのねぇ~、お菊さんの時代にも“信じる者は救われる!”という昔からの言い伝えがあったと思うのですよ。。。

ええ。。。、そう言えば、そのような事を何度か母が言っていたのを思い出しましたわァ。 

だから、僕がお菊さんのことを書けば“救われたい”と思う人は信じてくれるはずです。。。 少なくとも真由美ちゃんだけは信じてくれるはずですから。。。




マジで、こういう夢を見たのですかァ~?



嘘やデタラメでこのような長い記事を書けると思いますか?

デンマンさんなら書くと思いますわァ~。。。 うふふふふ。。。

あのねぇ~、夢の中でも 真由美ちゃんだけは信じてくれると思っていたのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、夢と現実は違いますわァ。。。 (モナリザの微笑)

つまり、真由美ちゃんは僕の見た夢を信じないのですかァ~?

そこまで言われたら、信じないわけにはゆきませんよねぇ~。。。 信じることにしますわァ。。。 (再びモナリザの微笑)



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 (すぐ下のページへ続く)




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行田遠野物語 (PART 2)

2017-05-26 10:59:47 | ふるさと 行田市


 

行田遠野物語 (PART 2)


【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんの母親は 僕の従妹です。。。

つまり、僕の母親は真由美ちゃんにとって大伯母にあたります。


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僕の母親が亡くなる2年ほど前に真由美ちゃんと一緒に撮った写真です。

ところで、真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

忙しい時間を割いて、真由美ちゃんも僕の母親の葬式には参列してくれました。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。


なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー

<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/TQqO1__1bzk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/g-fsEkcBAZM" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/Ze0G_iBjyMI" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


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<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/-8HtDY9WRhU?feature=player_embedded" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


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<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/ThBHKGr0IoY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


(hand.gif)




If you've got some time,

Please read one of the following artciles:





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『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』


(juneswim.jpg)

『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


(juneswim.jpg)

『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』

『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』



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行田物語 ピラミッド (PART 1)

2017-05-18 11:11:05 | ふるさと 行田市
 

行田物語 ピラミッド (PART 1)

 


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デンマンさん。。。行田市に まさかピラミッドができたのではないですよねぇ~!?


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もちろん行田にピラミッドなどありません。。。 観光名所にピラミッドを作る計画もないようです。

それなのにどういうわけでピラミッドを持ち出してきたのですか?

あのねぇ~ 小百合さんは忘れてしまったかもしれないけれど、かつて僕が迷子になった道を 小百合さんが三菱の軽トラを運転して僕が助手席に乗りながら通ったことがあったのです。 その時 小百合さんが次のように言ったのですよ。

「この辺で昔、ピラミッドのようなものを

見かけたことがあるのですわァ」


そのデンマンさんが迷子になった道と言うのはいったいどの道のことですかァ?

かつて記事を書いたので、ここに書き出します。 小百合さんも読んで思い出してください。




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Subj:今日の小百合物語は

題して『思い出を食べる』でした。

読んでみてね。

ヽ(´ー`)ノキャハハハ。。。


Date: 28/03/2008 10:32:22 PM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間 3月29日午後2時32分
From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp


『思い出を食べる@麻布』




突然 ゼリーフライが食べたくて、
行田に行ってきました。

「かどや」 で食べると決めてたのに
行ったら 休みで、
どうしよう と思っても
お店の紹介してあったパンフをわすれました。


(zenifry3.gif)




地元の人はうまい店を知っているものですよ。
僕のお袋も知っているはずですよ。
電話して尋ねてみたらよかったですね。

僕の弟もうまいフライ屋で買ってくる事がありますよ。


おろおろ しながら 大長寺の橋をわたり、
人に尋ねて商工会センターの建物を見つけて 
パンフをもらい かねつき堂
という店を 探すのですが
これがまた 見つからず子供達もあきれ顔。
ちょっと 見つけずらかった


行田の町は、もともとが城下町ですからね、
道が分かりにくいように作られているのですよ。
つまり、攻め込まれて来た時に敵が道に迷うようにできていた。

明治の頃から市内の道路は、ほとんどが昔のままですよ。
舗装されたけれど、道筋(みちすじ)は昔のままのところが多いのです。

行田のフライ屋もゼリーフライ屋も、ほとんどが市内にありますからね、
本町や新町(あらまち)通りから一歩入ると、僕でも、どこだか分からなくなってしまう事がありますよ。

どうして碁盤の目のようにしないのか不思議でなりません。
2006年、帰省した時にもネットカフェの『みるみる』をつかったのですよ。

たいてい自転車で産業道路を通って『みるみる』へゆくのですが、
いつも同じ道では退屈するので、JRの行田駅から市内に向かう広い道路を使ってみたのですよ。


(gyodast03.jpg)

初めてその道路を使った。
僕が子供の頃には無かった道です。


欧米の都市のように新しい道路を碁盤の目のように造ればいいのですよ。
ところが、そうなっていないのですよね。

4車線もある道路なのに、弓なりに曲がったりしている。
夜だった事もあって、すっかり道に迷ってしまいました。
道路が妙に曲がっているので、走っているうちに方向感覚が全くなくなってしまったのですよ。
30分も自転車をこげば帰れるのに2時間以上もかかって、やっと実家にたどり着いたのですよ。


アメリカでもカナダでも北か南か東か西か走っている方向はまず間違いなく分かる。
道路標識もちゃんとしているし、どのような道にもストリート名がある。
だから、道に迷っても、教えやすいし、言われても分かりやすい。
“何ブロック行って西に曲がれば、○○○ストリートに出られる”

ところが、行田はそうではないのですよね。新しい道路なのに、
全く計画性が無く造られていて、
“この道を○○店まで行って右に曲がって。。。”
こういう教え方をする。

しかし、夜だから、店は閉まっていて分からない。
意外に街灯が少ないのですよね。
ほぼ真っ暗です。

急に外国に来たような気分になってしまいましたよ。
うへへへへ。。。

生まれ育った町で迷子になろうとは夢にも思っていませんでした。
それほど、道路が無計画に作られている!




『思い出のフライ』
(2008年3月31日)




そうです。。。 そうです。。。 もう10年ほども前になるのですわねぇ~。。。 思い出しましたわァ。。。



僕は、その時 小百合さんに言ったものですよ。

「小百合さんがいつ行田にやって来たか

知らないけれど、この道は僕が子供の頃は

なかったのですよ。

JR行田駅ができたので

造られた道なのだから…

僕が迷子になったくらいだから

それは確かです。」


そうでしたわ。 デンマンさんは私の話を全て否定したのですわァ。 確かに私が見たのはずいぶん昔のことでしたわァ。 館林の女子校を卒業して初めて就いた仕事が広告代理店の営業で、出来上がったチラシを行田のお客様の所へ届けに行った途中で見たのですもの。。。

でも、小百合さんがピラミッドのようなモノと言ったので、僕にはすぐに思い当たるモノがあった。 清善寺の無縁塚ですよ。。。


新兵衛地蔵尊


(shinpei04.jpg)

昭和7年5月8日、清善寺無縁塚の上に、新兵衛地蔵尊が開眼供養された。
早いもので48周年を迎える。

大正13年5月に、大澤龍次郎翁が亡父13年忌供養に丈余の無縁塔を建立し、成田家、阿部家家臣の天文年間より天保年間300年の香煙絶えて久しき無縁の精霊を慰め供養し、次いで無縁の墓石を集め無縁塚としたのは昭和6年である。

今でこそ無縁塚を建立するのは珍しくないが---今の無縁塚は、無縁の墓が多く邪魔なので片付ける為に塚にしたというのが多い---初め立派な供養塔を建て8年間供養してから、これらを集め塚としたという仏心による無縁塚建立という例は、全国でも例をみない本当の無縁塚であろう。

そして無縁を慰める菩薩は地蔵尊しかない。
幸いに、父新兵衛が念持していた地蔵を拡大鋳造して安置して、相州大雄山最乗寺山主大石観法老師によって新兵衛地蔵尊と名付け開眼されたことは仏道にのっとり、無縁の精霊の供養に範とする処で、新兵衛地蔵尊の真意はここにあることを強調したい。


(shinpei03.jpg)

昭和7年頃の清善寺を想い出して貰いたい。
今の赤門は、大沢証券の前にあって、左側には大きな樹が昼なお暗く繁り今の城東会館の処は、田と沼で、朽ちた鐘楼が見え、今の道の上に愛染堂があり茶畑にかこまれていた。
夜は墓地に人魂が飛ぶといわれた程さびしいというよりこわい古刹だった。

名誉市民 大澤龍次郎翁は郷土発展の為に数え切れない程 たくさんな施策をしたが、その中で特記すべき一つに地味ではあるが、大事業であった、今の天満から内行田に抜ける道を拓いたことをあげることが出来よう。

昭和7年 新兵衛地蔵尊開眼、その東の延命苑の造園、新兵衛地蔵尊通りの開通の着手、そして西條八十詩 中山晋平作曲、勝太郎の吹込の『行田音頭』レコードと、東京より直通列車による地蔵講参拝団の来訪と、昭和初期の大不景気のさ中に、行田では華々しさを物語っている。
5月8日の新兵衛地蔵尊の祭日は、参拝後、水城公園に廻って行田音頭の記念碑でもみて、あなたの頭の中に40数年前のタイムカプセルを浮べて下さい。


(katsuta02.jpg)

   『行田音頭』

<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/sQ0xEsty4Ss" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




239-241ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社




そうです。。。 そうです。。。 デンマンさんがわざわざこの場所へ連れて行って見せてくれたのですわァ。。。 でも私は、これと同じようなピラミッドを確かにデンマンさんが迷子になった道で見たのですわァ。。。



ここ以外に小百合さんが言うピラミッドのようなモノは絶対にない!と云う事を示すために僕は小百合さんを連れて行ったのですよ。

でも。。。、でも。。。、私は見たのですわァ。。。

だってぇ~、僕が迷子になった道は 小百合さんが通ったという時にはなかったのだから。。。 そう言っても小百合さんは同じことを繰り返して言うのですよねぇ~... 清善寺とは違う所でピラミッド型の無縁冢を確かに見たと。。。

だってぇ私は確かに見たのですわァ。 夢ではありませんでしたァ。

それで、去年の秋でした。 僕が行田に帰省した時に、小百合さんが行田の古代米カレーが食べたいということで行田駅のすぐ近くのCafe Cozyへ行ったのですよ。


(cafecozy01.jpg)


(cafecozy02.jpg)

『古代米カレー』



Cafe Cozy はシャレた店だったですわねぇ~。。。



残念ながら古代米がきれていたので白いご飯だったけれど一応満足しました。。。 その帰りに市内に向かう途中で小百合さんが道端にある藁屋根の古い民家に気付いて、ちょっと見てみようということになって車から降りたのですよ。


(boroya02.jpg)



見かけよりもかなりボロだった。



そしたら、私は見覚えのある風景に出くわしたのですわァ。。。この辺に来たことがあることをはっきりと思い出したのです。。。 それで思い出を手繰り寄せながら歩いて行ったら お寺があって見覚えのあるピラミッド型の無縁塚が現れたのですわァ。。。


(josho02.jpg)


(gyodamap90.png)

『拡大する』



僕も、この時ばかりはエジプトのピラミッドが現れたのではないか!?。。。と思ったくらいに唖然としましたよ!



デンマンさんが、そんな道はない!。。。と自信を持っ言ったので私は思い違いだと考えたほどでした。。。 でも、心のどこかに確かに見たという思いがあったのですわ。。。

考えてみたら僕は無縁塚があるこのお寺を初めて見たのですよ。。。 そもそも、子供の頃、この辺に来たことがなかった。


成正寺


(josho01.jpg)

 

成正寺(じょうじょうじ)は、埼玉県行田市にある

浄土真宗本願寺派の寺院である。

文政6年(1823年)、桑名(三重県)から

忍(現在の行田市)に移封した

松平忠堯の家老、加藤大炊が、

浄土真宗本願寺派の寺院が無いことに気づき、

築地本願寺(本願寺の別院)の出張道場として

開基に賢随を迎え建立したという。

 


(josho02.jpg)




出典: 「成正寺 (行田市)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、もともと細い道路があったのですわよ。。。 JR行田駅ができたので道路を広げて駅まで延ばしたのですわ。



僕も、こうして改めて成正寺の無縁塚を見ると、僕が子供の頃にも細い道路があったのだと納得することができました。

要するに、この事を言うために“行田物語 ピラミッド”というタイトルを付けて私を呼び出したのですか?

いや、そればかりじゃありません。。。 ちょっと次の小文を読んで見てください。。。


13歳の少女と「武士」の出会い


(kiyomasa.gif)

旅の始まりで『更級日記』にふれます。
父の任地である東国で生まれた13歳の少女が、任期が満ちて京に帰る父に連れられて草深い武蔵野国を通ったのは寛仁四(1020)年のことでした。
たまたま望見した名も知らぬ人物について書き記します。

「馬に騎りて弓持(もち)たる」人物についてです。
広々とした空の下、馬に乗った武人はやがて草むらに消えて行きます。
点景のように草原に現れたこの人物のことを彼女が書きとどめたのは、よほどそのときの光景があざやかだったからに違いありません。
さりげなく書かれたこの一節が司馬さんの記憶に止まります。
そしてその時代から一挙に時間を360年ほど溯(さかのぼ)ります。

それより360年前の西暦663年。
朝鮮半島。
百済(くだら)が滅亡の危機に瀕(ひん)していました。
百済の救援に向かった約二万七千の日本軍は白村江(はくすきのえ)の海戦で大敗北。敗戦の混乱の中で多くの百済遺民を伴って帰国します。
百済人は長年、ツングース系の高句麗騎兵と戦っており、騎射に長じていました。
司馬さんの想像力は、少女が見た「馬に騎りて弓持たる」人物が、土着人と混血した360年後の百済人の子孫ではないかと見るのです。当時、武蔵野には二千余人の百済人が移住し、土着しました。
そして、中国的な国家の「かたち」である律令制を倒し、1192年に鎌倉幕府という日本的な政権を作った新興勢力である坂東(ばんどう)武士団とは、この人たちの後裔(こうえい)ではないかと考えるのです。


「この集団が、日本史上、われわれが誇る、最も典型的な日本人集団とされる坂東武者に変わってゆくことを思うと、東アジアの人間の交流や、文化の発生にかぎりないおもしろさを覚える。」(『街道をゆく』1)


日本人の原型体質とは、坂東武士団の中から結晶のように煮詰って現われ出た生き方であり、その広がりはアジア的スケールを持っていたかもしれないのです。
かれら坂東武士団のモラルこそ、「名こそ惜しけれ」でした。「坂東」とは箱根の東ということです。




(84-87ページ) 『司馬遼太郎の「武士道」』
著者・石原靖久 発行・平凡社
2004年8月25日 初版第一刷発行



『セレブと碓氷峠』より
 (2008年9月7日)


 




司馬さんが『街道をゆく 1』の中で言っているように、僕も「東アジアの人間の交流や、文化の発生にかぎりないおもしろさを覚える」のですよう。



でも、小百合さんがどのように関わってくるのでござ~♪~ますか?

実は、小百合さんの祖先も僕の祖先と一緒に百済からやって来たのですよう。ちょっと読んでみてください。


デンマンの祖先は百済からやって来た


(oshi1.jpg)

 



僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。



それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?

後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。

つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?

難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。

それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?

そう言う事ですよう。

。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?

そんなモノは残っていませんよう。

。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?

僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。

その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?

“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。

つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?

全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。




『セレブと碓氷峠 (2008年9月7日)』より




。。。んで、小百合さんの祖先も百済からやって来て武蔵国に定住したのでござ~♪~ますか?



そうですよう。 おそらく、百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったけれど、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって一緒に武蔵国まで行ったのですよう。

どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?

小百合さんの実家は館林にあるのですよう。 僕の実家から車で20分から30分ですよう。 目と鼻の先ですよう。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんは日本で小百合さんにお会いした事は無かったのでござ~♪~ますか?

不思議な事に小百合さんと僕が初めて出会ったのはカナダのバーナビー市で小百合さんが13年間借りていた“山の家”だったのですよう。


(burnamap2.gif)

バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。


(burnamap3.gif)

この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に小百合さんが借りていた“山の家”があるのですよう。


(deerlak3.jpg)


(house22.jpg)


(house23.jpg)



この家でデンマンさんは10数年前に小百合さんと初めてお会いになったのでござ~♪~ますか?



そうですよう。 次のように小百合さんの“山の家”の応接間で会ったのですよう。


(room007.jpg)



これって、またデンマンさんがコラージュしてでっち上げたのでござ~♪~ますわね?



確かに、上の写真は僕がでっち上げたのだけれど、現実でもねぇ、僕は、こうやって小百合さんと会ったのですよう。

でも、どうして小百合さんの祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たと分かるのですか?

小百合さんの DNA にも“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですよう。僕と同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、小百合さんは佐野からカナダのバーナビーに渡ったわけですよう。 そして僕と“山の家”で出会ったのですよう。

ただ、それだけの事でござ~♪~ますでしょう?

ただ、それだけじゃないですよう。ちょっとジューンさんの言ったことを思い出してくださいよう。



(chiwawa5.gif)

こんにちは。ジューンです。

袖触れ合うも他生の縁

(そでふれあうもたしょうのえん)

聞いたことがあるでしょう?

なかなか味わいのある諺ですよね。

袖が触れ合うようなちょっとしたことも、

前世からの深い因縁によって

起こるものである、と言う事です。

わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”

だと思ったのですわ。うふふふふ。。。

つまり、袖が触れ合ったのは、

全く偶然ではなくて、少しは

そうなる運命にあったのよう。。。

私は、そのように思い込んでいたのです。

でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。

「他生」というのは「前世」の事だと、

デンマンさんに教わったのですわ。

調べてみたら、「他生」とは

「前世」と「来世」の事を言うのですって。

上の諺では、文脈から「前世」となる訳ですよね。

この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。

そう言えば「今生の別れ」と言う語句を

何度か耳にしたことがありました。

仏教の輪廻(りんね)と関係のある諺なのでしょうね。

わたしは英語ではこの諺は無いと思っていたのですけれど、

調べてみたら、次のようなものがありましたわ。

A chance acquaintance is a divine ordinance.

Even a chance meeting is

due to the karma in previous life.


つまり、「偶然の出会いは神の定め」と言う事なのです。

多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。

カナダでは耳にしたことがありませんわ。


(miroku3.jpg)

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



(june96.gif)




『出会い系の悪魔』より
 (2008年9月10日)




僕と小百合さんの出会いは、偶然の出会いのように見えて偶然ではないのですよう。 つまり、小百合さんと僕に共通するモノが実にたくさんあるのですよう。



“海外飛躍遺伝子”でござ~♪~ますか?

それも一つですよう。 まず、車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、僕と小百合さんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだった。 僕の祖先と小百合さんの祖先が1400年程前に百済から日本に一緒に渡ってきた事が分かるような気がしますよう。 小百合さんの祖先の娘は、やがて武蔵国から現在の栃木県の栗山村へ嫁にゆき、上の昔話を伝える事になったのですよう。 どうですか?

確かに、そのような可能性があったかもしれませんわ。 だってぇ~、デンマンさんの祖先の中には、きっとお話に出てくるような「ばか息子」が居たでしょうからねぇ~。。。 うしししし。。。

一人ぐらい変わり者が居たかもしれませんよう。。。 とにかく、このように見てゆくと、すべての話がここで丸く収まるのですよう。 卑弥子さんも、そう思いませんか?




『愛とロマンと昔話』より
(2008年9月11日)




車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、僕と小百合さんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだったのですよ。。。 でもねぇ~考えてみたら小百合さんと行田は、僕とバーナビーで会う前から どこかでつながっていたのですよ。



要するに、デンマンさんと私は昔から見えない赤い糸で結ばれていたと言いたいのですわねぇ~。。。

いや。。。 僕は言ってませんよ。。。 小百合さんは、そう思うのですかァ?

デンマンさんがそう言うように仕向けているのですわァ~。。。

小百合さんが先に言ってくれたので僕は助かりましたよ。 (微笑)

デンマンさん。。。、こういう個人的なお話は読んでいるネット市民の皆様を白けしらけさせるのですわァ。。。 ホー厶・ムービを見せられたような気分になってウンザリするのです。。。 恐らく、もう他のブログへ飛んでいますわァ~。。。

そうでしょうかァ?

当たり前ですわァ。。。 んもおおおォ~。。。



(laugh16.gif)

 (すぐ下のページへ続く)



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行田物語 ピラミッド (PART 2)

2017-05-18 11:10:00 | ふるさと 行田市


 

行田物語 ピラミッド (PART 2)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

そうですわよねぇ~~

あなたも半ば白けたでしょう?

では、ここであなたの気分を爽快にするために次の曲を聴いてくださいまし。。。


(whitecliff.jpg)

<iframe width="420" height="350" src="https://www.youtube.com/embed/TMP1gw7VEmA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

いかがでしたかァ~。。。?

ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。

なぜ。。。?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/Dt3k9--4xLE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

軽井沢のイルミネーション

<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/dNGCgP1YLGA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/3CFuuOhmTxg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



(ebay5.jpg)


(byebye.gif)
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亀姫と香芽子さん(PART 1)

2017-04-30 11:45:17 | ふるさと 行田市

 

亀姫と香芽子さん(PART 1)

 


(ran103g.jpg)


(kame90.jpg)


(kane001.jpg)




(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。 香芽子さんというのはデンマンさんが行田市の「古代蓮公園」でナンパした女性ですか?


(kato3.gif)

どうして僕が「古代蓮公園」で香芽子さんをナンパしたと小百合さんは思うのですか?

だってぇ~、「古代蓮公園」のハスが写っていますわァ~。。。


(lotus101.jpg)


(ran103g.jpg)



確かに「古代蓮公園」のハスが香芽子さんの背景に写っているように見えるけれど、同じように見えるハスなど 日本全国の各地にありますよう。。。 でもねぇ~、何もハスを見ながらナンパするほど僕は野暮じゃありません。。。



じゃあ、どこで香芽子さんをすけこましてきたのですか?

あれっ。。。、小百合さんは、意外に言い難い事をサラリと言ってのけるのですねぇ~。。。 僕はナンパもスケコマシもやらない人なのですよ。。。

じゃあ、いったい どういうわけで「亀姫」と香芽子さんを並べたのですか?

次のリストを見たからですよ。。。

ライブドアの『徒然ブログ』の日本時間で4月19日の午後8時22分から午後11時5分までの約2時間半の「生ログ」の1部
(liv70421a3.png)


『拡大する』

『かねつき堂と亀姫』




これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で4月19日の午後8時22分から午後11時5分までの約2時間半の「生ログ」の1部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。



4月19日の午後9時11分にGOOGLEで検索して『かねつき堂と亀姫』を読んだネット市民が居たのですわねぇ~。。。

そうです。。。 実は、この記事を読んだのが大阪市に住んでいる金田 香芽子(かねだ かめこ)さんなのですよ。。。

つまり、IPアドレスを調べて香芽子さんを特定したのですか?

そうです。。。

大阪市に住んでいる金田 香芽子(かねだ かめこ)さんのIPアドレス:118.11.217.148
(ip217148b.png)

『拡大する』



でも、IPアドレスを調べてもプライバシーを守るために アクセスしたネット市民までは特定できないのですわァ~。。。



小百合さんも結構ネットに詳しいのですねぇ~。。。

その程度のことは常識ですわァ~。。。

あのねぇ~、実は、僕も香芽子さんのプライバシーを守るために仮名を使っているのですよ。。。 だから、小百合さんも そのように目くじらを立ててすごまないでくださいねぇ~。。。

分かりましたわァ~。。。 で、香芽子さんはどのようなキーワードを入れて検索したのですか?

次のようにして検索したのですよ。。。

日本のGOOGLEで「かねつき堂 亀姫」と入れて検索した結果
(gog70428b.png)


『拡大する』

『かねつき堂と亀姫』

『現時点での検索結果』




でも。。。、でも。。。、私は大阪市に住んでいる金田 香芽子(かねだ かめこ)さんが「かねつき堂 亀姫」と入れて検索したとは信じられませんわァ。。。



どうしてですか?

だってぇ~、上の検索結果のリストの緑の枠で囲んだリンクをクリックすれば行田市の「かねつき堂」が出てくるのですわァ。。。

行田市の「かねつき堂」ゼリーフライの店
(kane01.png)


『拡大する』

『実際のページ』




大阪市に住んでいる金田 香芽子(かねだ かめこ)さんが行田の「かねつき堂」を入れて検索するはずがないではありませんかァ!



あのねぇ~、大阪市にも「かねつき堂」があるのですよ。。。 ちょっと次の検索結果を見てください。。。

日本のGOOGLEで「かねつき堂 大阪市」と入れて検索した結果
(gog70429b.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』




赤枠で囲んだ箇所を見てください。。。 大阪の四天王寺に“鐘つき堂”があるのです。。。

大阪の四天王寺の 黄鐘楼 鐘つき堂
(kane05.png)


『拡大する』

『実際のページ』




でも。。。、でも。。。大阪の四天王寺の“鐘つき堂”と亀姫が関係あるのですか?



あのねぇ~、大阪の四天王寺と言えば聖徳太子が建てたお寺として地元の人は知らない人は居ないのですよ。。。 だから、当然 金田 香芽子(かねだ かめこ)さんも知っているのです。。。

だから、その聖徳太子が建てたお寺と亀姫が関係あるのですか?

亀姫に興味を抱いていた金田 香芽子(かねだ かめこ)さんも そのような疑問を持ったのですよ。。。

それで四天王寺と亀姫の間に何か関係があるのだろうか?。。。 そう思って「かねつき堂 亀姫」と入れて金田 香芽子(かねだ かめこ)さんはGOOGLEで検索したのですか?

その通りですよ。。。

。。。で、答えが見つかったのですか?

見つかったのです。。。 行田の「かねつき堂」というのは名前ばかりで 実際には鐘はない。。。 ただ、鐘を吊っていた古い鐘楼だけがあるだけで、それを看板代わりにして 行田名物の“ゼリーフライ”を売っているということが解ったのです。


(kane001.jpg)


(kane002.jpg)



香芽子さんは、それだけで満足したのですか?



もちろん、それは“おつり”のようなものですよ。。。 あとで機会があったら、ぜひ行田市の亀姫ゆかりの東照宮を訪ねて ついでに近くの「かねつき堂」に寄って“ゼリーフライ”を食べてみたいと思ったのです。。。 ただ、亀姫に興味を持っていた香芽子さんは次の記事を読んで なるほどと思ったのですよ。。。


行田市の東照宮


(toshogu2.jpg)

例祭は 4月17日。

祭神は家康公、松平忠明、それから八幡大神が祀られており、大坂夏の陣後の復興に尽力した家康公の長女・亀姫の 4男である松平忠明が、元和3年(1617) 4月、大坂城外の川崎に創建したのがはじまりという。

この川崎東照宮(廃絶)は、2代将軍秀忠により、姉である亀姫に伝えられた家康公の木像を御神体とした。


(ieyasu90.jpg)

又、亀姫は父・家康公の肖像画も頂いており、のちに忠明に伝えられている。

忠明は大和国郡山へと移ると、寛永2年(1625)には大和郡山城内にも社殿を造営して、家康公の肖像を安置したといわれ、以来、藩主・藩士崇敬の社となった。

その後、移封の都度に東照宮は遷座された。

文政6年(1823)、忠明の子孫・松平忠尭(ただたか)は伊勢桑名から忍へと移封するにあたり、忍城内の下荒井の地へ東照宮を勧請した。

社領は、大和郡山当時より100石を受け継ぎ、明治維新まで続くことになるが、その地は埼玉古墳群(さきたまこふんぐん・行田市埼玉)の辺りであったと伝えられている。

又、慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いの引揚げに際して、時の藩主・松平忠誠は大坂蔵屋敷内の川崎東照宮の御神体であった家康公の木像を、忍東照宮に遷座したと伝えられている。

その後、明治 4年(1871)に藩主が東京に移住したため、忍東照宮は祭祀断絶の危機を迎えるが、旧藩士らにより、同 7年(1874)に下荒井の地より、忍城本丸の一部である諏訪郭内の諏訪神社境内に忍東照宮の本殿を移し、同33年(1900)には藩祖である松平忠明を配祀、現在に至っている。

尚、現在の拝殿は昭和5年(1930)に造営されたもので、又、亀姫から松平忠明に伝わった、家康公の肖像画(徳川家康画像・県文化)は、現在も忍東照宮にある。


(ieyasu91.jpg)




出典: 『忍東照宮』

(写真はデンマンライブラリーより)




亀姫の 4男である松平忠明が、元和3年(1617) 4月、大坂城外の川崎に創建したのが東照宮のはじまりということが解った。。。 つまり、ここに大阪と亀姫のつながりを見つけたのですよ。



要するに、香芽子さんは亀姫と大阪とのつながりをネットで見つけようとしていたのですか?

もちろん、それは単なる興味以外の何ものでもなかった。。。 ひょっとして亀姫と大阪に何か関係あるのかなァ~?。。。 そう思っただけですよ。

ただ、それだけのことですか?

いや。。。それだけじゃありません。。。 さらに記事を読んでいったら小百合さんと僕との次の対話に出くわしたのです。。。




どうして亀姫が家康の肖像を持っていたのですか?



亀姫は家康の長女でもあり、やはり何かと気遣っていたらしい。 嫁いでから久しぶりに会った亀姫に、家康が「何か望む物があったら、何なりと申せ」と言ったらしい。

それで、亀姫は何と答えたのですか?

健気(けなげ)にも、亀姫は「父上とは しばしばお会いすることができないので、どうか肖像画をくださいませ。 そうすれば、父上といつも一緒に居られるような気がいたします」と言ったらしい。

亀姫のその気持ち、何となく分かりますわ。 私は一人っ子で、父には大変可愛がられたので、結婚してからも、父と撮った写真は大切にしていますから。。。

ほおォ~。。。 そうだったのですか? 僕は亀姫の話を聞いた時に、なんだかゴマをすってぇ、あとでもっと高価なものをねだるのではないか?! 僕は、そう思ったのですけどねぇ~。。。

それで、家康は娘の求めに応じて御用画家に自分の肖像画を描かせたのですか?

そうなのです。。。それが行田の東照宮に伝わる肖像画ですよ。 家康には“狸オヤジ”というような悪賢いイメージがあってぇ、現在に伝えられている家康の肖像画は、まさに“狸オヤジ”を想わせるような肖像画が多いのですよ。


(ieyasux.jpg)



上の家康の肖像も“狸オヤジ”というイメージです。 でも実物は、亀姫に持たせた肖像画のように、それほど悪いイメージではなかったらしい。 家康が生前に描かせた肖像画というのは、行田市の東照宮に伝わっている肖像画だけだということですよ。



つまり、行田の東照宮に伝わっている肖像画が家康にもっとも似ているということですか?


(ieyasu91.jpg)



そういうことになりそうです。



でも、御用画家が気を遣って、実物よりも良い男に描いたのではありませんか?

うん、うん、うん。。。 そのような可能性も充分にありますよねぇ~。。。




『かねつき堂と亀姫』より
(2014年11月25日)




つまり、亀姫のお父さんの肖像画のうちで 最も似ているモノが行田の東照宮にあるということが判って香芽子さんも それを見てみたいと思ったのですか?



そうですよ。。。 それで上の肖像画を見ながら いつか暇ができたら行田市に行って「かねつき堂」で“ゼリーフライ”をぜひ食べようと心に決めたのです。。。

それは、デンマンさんの推測でしょう?

いや。。。 ここまで読んでくれば、誰でも「かねつき堂」の“ゼリーフライ”が食べたくなるはずです。。。



(laugh16.gif)

 (すぐ下のページへ続く)
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亀姫と香芽子さん(PART 2)

2017-04-30 11:44:35 | ふるさと 行田市




 

亀姫と香芽子さん(PART 2)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

あなたも 「かねつき堂」の“ゼリーフライ”が食べたくなりましたか?

では、あたたのために行田のゼリーフライのクリップをここに貼り出します。。。


(ran103g.jpg)


(kane002.jpg)

<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/0OneeBdZ0N0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

いかがですか?

あなたも、機会があったら、ぜひ行田を訪れて“ゼリーフライ”を食べてくださいませぇ。。。

ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/Dt3k9--4xLE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

軽井沢のイルミネーション

<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/dNGCgP1YLGA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/3CFuuOhmTxg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

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別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『蕎麦屋と軽井沢タリアセン夫人』

■ 『おしまいでございます』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 愛の写真』

■ 『菊ちゃんと阿部忠秋』

■ 『菊ちゃん、知恵伊豆、忠秋』

■ 『丸墓山は誰の墓?』

■ 『外国人SEXデンマン再訪』

■ 『日本最高?』

■ 『短歌に込められた愛の真実』

■ 『3月のバレンタイン』


(fragran11.jpg)

■ 『かぎろいミステリー』

■ 『40代女性の魅惑』

■ 『私のバレンタイン』

■ 『バレンタイン@4月』

■ 『豆まき@バレンタイン』

■ 『夢のココナッツ』

■ 『日本の失敗』

■ 『しじみ@愛のロマン』

■ 『とろけるカレー@バレンタイン』

■ 『バレンタイン夫人』

■ 『昭和の表象空間』

■ 『ズロースなの?』

■ 『焼きそばサンド』

■ 『平成の表象空間』

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

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■ 『ゼリーフライ@鐘つき堂』

■ 『愛と憎しみの丸墓山』

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■ 『上を向いて歌おう』

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■ 『行田のスープカレー』

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■ 『軽井沢タリアセン夫人@遠藤家』

■ 『桃の節句@天国』

■ 『古代米カレー』

■ 『愛のジェローを探して』

■ 『コーヒーと愛の香り』

■ 『愛の馬車道』



(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



(ebay5.jpg)


(byebye.gif)
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行田のスープカレー(PART 1)

2017-01-03 10:45:45 | ふるさと 行田市

 

行田のスープカレー(PART 1)

 


(neco005.jpg)


(gyoda70.jpg)


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(sayuri201.jpg)




(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。 どうして今日は“行田のスープカレー”なのですかァ~。。。?


(kato3.gif)

ちょっと次のリストを見てください。


(ame61228c.png)

『拡大する』



これはアメブロの僕のブログの12月22日から28日までの1週間の「人気検索キーワード」のリストなのですよ。。。 4番の赤枠で囲んだキーワードに注目してください。



「スープカレー 行田」で検索してデンマンさんのブログにやって来たネット市民がいたのですわねぇ~。。。 それで今日のタイトルが“行田のスープカレー”なのですか?

そうです。。。 いけませんか?

。。。で、検索結果はどうなるのですか?

次のようになるのですよ。


(ame61230s.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』




青枠で囲んである記事がデンマンさんがアメブロで投稿した記事なのですか?



そういうことです。。。

つまり、その事を言いために、わざわざ「人気検索キーワード」のリストを持ち出してきたのですか?

いや。。。 そればかりじゃないのですよ。。。 小百合さんはインドカレーで有名なのですよう。

どうして、そのようなことをおっしゃるのですか?

次の検索結果を見てください。。。


(gog41105a.png)

『現時点での検索結果』



「インドカレー 軽井沢タリアセン夫人」と入れてGOOGLEで検索してみたのですよ。 そしたら 2,440件もヒットするのですよ。 これはハンパじゃないですからねぇ~。。。



つまり、私がインドカレーにハマッているとデンマンさんはおっしゃるのですかァ~?

その通りですよ。 小百合さんも熊谷の駅ビルでインドカレーを食べたことを覚えているでしょう?


(binjdi01.jpg)


(binjdi02.jpg)

『インドカレー@熊谷』



インドカレーにハマッてないとしても、小百合さんはカレーにはハマってますよう!



その証拠でもあるのですか?

上の検索結果が何よりの証拠じゃありませんかア! しかも、去年(2016年)の秋、僕が行田に帰省した時も 行田市にあるスープカレーの店で小百合さんは“ハンバーガー スープカレー”を思う存分食べたではありませんかア!


(neco002.jpg)


(neco001.png)

『実際のページ』



あらっ。。。見てたのですか?



やだなあああァ~。。。 小百合さんは僕の目の前で “ハンバーガー スープカレー”を思う存分食べたのですよう。 見たくなくとも見えてしまうでしょう!


(neco003.jpg)


(neco006.png)



デンマンさんは、ご自分のスープカレーを食べないで 私の食べる様子をしみじみと眺めていたのですかァ~?



あのねぇ~。。。 僕は小百合さんのリクエストに圧倒されてしまったのですよ。

ええっ。。。私のリクエストですか?

そうですよう。。。

私が何をリクエストしたとデンマンさんはおっしゃるのですかァ~?

あれっ。。。 やだなあああァ~。。。忘れてしまったのですか?

だってぇ~。。。私は自分のスープカレーをいただくのに夢中でしたもの。。。うふふふふふふ・・・

うふふふじゃありませんよう! 小百合さんは、「このカレーのお店はデートスポットとしても有名なのですわァ・・・うふふふふ。。。」と言ったのですよう。

私がですかァ~?

そうですよう! それで、小百合さんは僕に次のウェブページを見せたじゃありませんか!


(neco001b.png)

『実際のページ』



小百合さんは上の赤枠で囲んだ箇所を指差して「ほらねぇ、ここに“デートにもぴったり”と書いてあるでしょう!? うふふふふ。。。」と言ったのですよう。



あらっ。。。 そのような事を私が言ったのですか?

そうですよう!。。。 去年(2016年)の11月のことですよ! もう忘れてしまったのですか?

だってぇ~、私は自分のスープカレーに夢中になっていたのですもの。。。うふふふふふ。。。

やだなあああァ~、惚(とぼ)けないでくださいよう!。。。しかも。。。、しかも。。。、驚いたことに 小百合さんは「デンマンさんのためにロマンチックなボサノバを演奏していただきますわ」と言ったのですよう。

あらっ。。。 私が、そのような事をマジで言ってしまったのですかァ~?

そうですよう。。。「デンマンさんとも、また来年までお会いできないので、この瞬間を思い出深いものにしたいのですわァ~。 うふふふふふ。。。」とモナリザの微笑を浮かべながら言ったのですよう。


(monalisa.jpg)



マジで。。。?



やだなあああァ~。。。このような時に冗談や嘘を僕は言いません!。。。忘れようとしても忘れることができません。

それで。。。、それで。。。、私はどのようなボサノバの曲を演奏するようにリクエストしたのですか?

小百合さんは「リオの浜辺を眺めながら。。。スープカレーを食べているような夢心地に浸りたいのですわァ。。。うふふふふふ。。。」と言ったのですよう。


(orphe800.jpg)


(orphe801.jpg)



どうですか?。。。「リオの浜辺を眺めながら。。。スープカレーを食べているような夢心地に浸りたい」と言ったのですよう。 上の写真を見たら思い出したでしょう?



思い出せませんわァ。

やだなあああァ~。。。 僕をさんざ、その気にさせておきながら、小百合さんは覚えてないのですかァ~?

覚えてませんわァ。。。それで、どのボサノバが流れたのですか?

次の曲ですよう。


(orphe802.jpg)

<iframe width="500" height="350" src="//www.youtube.com/embed/WJz-ZXyYhdk?feature=player_embedded" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



どうですか。。。小百合さん。。。上のボサノバを聴きながら思い出したでしょう?



思い出せませんわァ~。。。 第一、あのお店には お客さんのリクエストに応じてボサノバを演奏するようなステージがありませんわァ。

そうでしたかァ?

やだわあああァ~。。。 デンマンさんは、まだボケてしまうお年ではないでしょう!? うふふふふふふ。。。

でも。。。でも。。。

デンマンさんは、私がスープカレーを夢中で食べるのを見ながら 白日夢に浸っていたのですわァ~?

まさかァ~。。。



(laugh16.gif)

 (すぐ下のページへ続く)

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行田のスープカレー(PART 2)

2017-01-03 10:45:01 | ふるさと 行田市


 

行田のスープカレー(PART 2)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

デンマンさんは、食事をしながら白日夢に浸ってしまう 悪い癖があるのでござ~ますわァ~。。。

ところで、去年の秋にデンマンさんが行田に帰省した時に、あたくしもデンマンさんとご一緒に那須高原へ出かけたのですわァ~。。。


(nasu102b.jpg)

<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/gT20-HzXHPE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

紅葉のきれいな那須高原で、「自在荘」に泊まって温泉にも浸かってまいりましたわァ~。。。

うふふふふふ。。。


(jizai08b.jpg)

でも、ちょっとばかり はしゃぎすぎてしまったようでござ~ますう。


(aerobics5.gif)

『衝撃の角度』

デンマンさんに、また得意のアクロバットを見せてしまったのでござ~ますわよう。。。

うふふふふふふふ。。。

ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/Dt3k9--4xLE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

軽井沢のイルミネーション

<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/dNGCgP1YLGA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/3CFuuOhmTxg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

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■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)

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こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

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ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



(ebay5.jpg)


(byebye.gif)
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幸せと潤いのある生活

2016-11-30 11:09:20 | ふるさと 行田市
 

幸せと潤いのある生活

 


(junko06.gif)


こんにちは。
いつも元気で陽気なジュンコです。

美しくなりたいですよね。
女性なら誰もが願うことです。
お肌の悩み、スタイルの悩み、
解決しましょうね。
そして、健康で幸せな暮らしを築いていきましょう。


朝のキモチ

2004/12/10 07:33


(renge720.gif)

昔、好きな人と会える日は、

朝、目が覚めた瞬間に、

身体中にしあわせが

いっぱいになって、

踊るように仕度をして、

出かけていったなあ。

あの頃のわたしは、

多分、今の100倍

キレイだったと思う・・・

by めれんげ  




『幸せと潤いのある生活』より


そうですよねぇ~。
もし、あなたが女なら、こういう気持ちになった事ってあるでしょう?

ええっ?今のわたしですか?
実は、お付き合いしている彼が居るのですわよ。
だから、上のめれんげさんの手記を読むと共感するものがありますわ。

彼はわたしの事をきれいだと言ってくれません。
でも、落ち込んでいるときの自分と比べたら、
きれいになっているという実感がありますよ。

やっぱり、好きな人とデイトする時って心が弾みますよね。
彼のために、もっときれいになりたいと思いますね。
そういうわけで、わたしは次のガイドを覗く事があります。

『あなたのための美容と健康ガイド

若々しく! より美しく!』


でも、健康で美しくなるだけが女性の望みではありませんよね。

最近の女性は男性と比べて欲張りだと思います。
しかも、人生に欲張りな女性たちには、
アクティブな分だけ課題も多いですよね。

わたしは現在デイトしている彼が居ますが、
すぐに結婚して家庭に入る気持ちは無いのですよ。
まだまだ広い世界を見てみようという気持ちがあります。
やっぱり人生に欲張りなんだと思います。

家庭に入っている女性でも、趣味をたくさん持っている人は居ますよね。
ガーデニングにはまっていたり、
ママさんバレーに参加したり
ママさん水泳教室に通っていたり、
市民テニスクラブでプレーしたり。。。

ところで、そういうアクティブな女性を支援するサイトがあるのを貴方はご存知ですか?
そんな女性たちをサポートする本格的な生活情報サイトです。
あなたの暮らしを応援するサイト「tepore(テポーレ)」です。

レストラン割引券など会員限定のお得な情報がいっぱい!
機能満載のオリジナルページもGET!
読んで楽しい情報が満載です。
欲しい情報もラクラクGET!
お得なクーポンも山盛り一杯!
映画試写会券のプレゼントがある「シネマ情報」などお得で旬な情報がいっぱいです。
ホームセキュリティや家電レンタルなどの生活に関するサポートサービスも充実!

会員登録はもちろん無料ですよ。
あなたも関心があったらぜひ次のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『あなたの暮らしを応援するサイト

「tepore(テポーレ)」』


この機会にあなたも会員登録して、幸せと潤いのある生活を始めませんか?
人生に欲張りな私も登録してみました。
貴方もぜひどうぞ。



(junko27.jpg)

あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク



平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

■ 『今、すぐに役立つ情報をゲットしよう!』


(creditx.gif)

■ 『あなたのための クレジット カード ガイド』


(atmvend.jpg)

■ 『あなたのための ローン ガイド』


(house03.gif)

■ 『住宅ローン・ビジネスローン ガイド』

ジューンさんの熟女下着
(30june.jpg)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』


(compter.gif)

■ 『ブログに記事を書いてお小遣いをもらおう!』

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『辞書にのってない英語スラング』

■ 『オンライン自動翻訳利用法』

■ 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
(godiva05.jpg)

■ 『バンクーバーの寒中水泳』


(sayuri82.jpg)

『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』


平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(june91c.gif)

おほほほほ。。。。

また現れて、

くどいようでご

ざ~♪~ますけれど

あたくしも自分を

もっときれいに磨こうと

思うのでご

ざ~♪~ますわよ。

おほほほほ。。。

どうしてかって…?

だって、あたくしも、

こっそりとバンクーバーへ

行こうと思っているので

ござ~♪~ますわよ。

つまり、あたくしとめれんげさんで

勝負する事になると思うのですわ。

もちろん、デンマンさんの前ですわ。

うふふふふふふ。。。。

それで、勝負するためのランジェリーを

探していると言うわけで

ござ~♪~ますのよォ~。

どうでしょうか?こういうのって。。。

おほほほほほ。。。。

もちろん、冗談ですわよゥ~。

うふふふふふ。。。


(wigout2.gif)

ところで、この漫画を見てあなたはどう思いますか?

誰にとっても最悪な状態でしょう?うしししし。。。

でも笑えるでしょう?

あなたも笑って気分を爽快にしませんか?

次のリンクをクリックして覗いてみてね。

『あなたも笑って

ルンルン気分になれるサイト』


実に面白いわよ。

とにあく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



(dinner3.jpg)


(kissx.gif)
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行田総合病院と事なかれ主義(PART 1)

2016-11-26 11:36:55 | ふるさと 行田市

 

行田総合病院と事なかれ主義(PART 1)

 


(gyoda119b.jpg)


(egg006.jpg)




(kato3.gif)

行田総合病院の理事長の挨拶には次のように書かれています!



(docriji.png)

かけがえのない命を守る

病気の予防から治療、さらには介護や在宅医療の支援まで、
患者さま一人ひとりのニーズに応えられるサービスの提供が、
病院に求められるという考えから、医療・福祉の総合的な支援体制強化に注力。

現在では、介護老人保健施設ハートフル行田、在宅介護支援センター、
訪問看護ステーション、訪問介護ステーション、複合型介護保険施設心春(こはる)、
社会福祉法人壮幸会特別養護老人ホーム雅(みやび)を開設しています。


お気軽にお問い合わせください

TEL 048-552-1111
FAX :048-552-1116

〒361-0056 埼玉県行田市持田376





『行田総合病院の理事長の挨拶』より


そもそも、僕の母親が行田総合病院に入院したきっかけとなったのは
「介護老人保健施設ハートフル行田」に入所していたときに
風呂場でころんで仙骨を骨折したことでした。


(heartful2.jpg)


老人保健施設ハートフル行田
〒361-0037 埼玉県行田市下忍1157-1
TEL:048-554-9700(問い合わせ)
FAX:048-554-9730




それが原因で、寝たきりのような状態になったのです。

母親の退所に関しての報告書は受け取ったものの
骨折の件に関しての報告は一切なされてない!
この報告書の作成者は担当看護師の瀧澤さんです。

当時、僕が行田にいたなら、当然、ハートフル行田の担当の介護師の責任を追及したと思います。
どう見ても“業務上過失致傷”なのです。

僕が行田に帰省したのは2016年10月19日でしたが
僕に会うのを楽しみにしていた母がハートフル行田から実家に帰ってきたのが10月18日。
しかし、その翌日、僕が成田に着いたときには、すでに行田総合病院に入院したあとでした。

担当の吉田医師は特に悪質な医師だとは思いません。
江戸川病院で医療事故を起こして逃げ回る医者と比べれば
ずいぶんましな医師です。
しかし、“事なかれ主義”に凝り固まっているようです。

日本の医療制度にそって 入院医療報酬が削減されないように
患者を安定状態にして速やかに退院させることに努めている。

高齢者は どうせ、まもなく死ぬだろうという高をくくった医療だけを施しているように見えた。
なぜなら、僕は治療の件で呼び出されたことはない!

カロリーと水分の補給に関して呼び出されたのだけれど、
要は、次の病院はどこにするのか?
話を聞いていると、それを決めるのが最重要の件だと思われた。

しかも、入院中に母は脳梗塞を起こしてしまった。
その時に吉田医師が脳外科の専門医・波多野医師に問い合わせたのです。
t-PAという脳梗塞に効く薬があるのだけれど、
それは高齢者には適さないという。

吉田医師とモニターでカルテを見ながら話したのだけれど、
そのカルテには「患者は高齢者で体力が落ちているので この治療はナンセンス」と書いてある。

この文章はまるで素人が書いたような文章です。
専門の脳外科の医者が説明する文章とは思えない。
カルテの書き方を医学部で勉強してきたのか?

人によっては、66歳は高齢者だと見なす人だっているでしょう!
脳外科の専門医ならば、少なくとも次のように説明すべきです。


患者は満90歳以上であり、会話もできず、

目を瞑ったまま病床についている。

しかも、経口で固形食物を食べることができず

点滴で栄養を補給しており、

かなり体力が落ちているのを認めることができる。

よって t-PAの投与は不適切と思われる。


少なくともこのように書いて欲しい。
吉田医師に尋ねると脳外科の専門医の波多野医師は
患者に直接会って診ていないという!

吉田医師に「不適切」な理由を具体的に訊くと
高齢者の場合、t-PAは副作用があり、
一時的によくなっても他の部位で大出血をして
亡くなる可能性が高い。
それでt-PAを投薬しなかったという。

しかし、ネットで調べると、すぐに次のサイトに出会うことができる。


“おばあさんがよくなった!”


(banzai03.jpg)

2006年のある夜、10時頃のことでした。
その日の仕事がやっと終わった私は、SCU(脳卒中集中治療室)に向かいました。

緊急入院した90歳代のおばあさんが、重症患者用ベッドで治療を受けていました。

目は閉じたままで、名前を呼んでも返事がなく、右手足は全く動きません。
「ご高齢で、これだけ重症だと命を救えるかどうか……。うまくいっても寝たきりだろう」と思いました。

おばあさんは、ある薬の注射中でした。
新薬のt-PAです。
「ご高齢でしたが、発症から病院到着まで1時間と早く、『適正治療指針』(後で説明します)にも適合していたので……」と当直医が説明してくれました。

この患者さんのことが気になった私は、翌朝いつもより早くSCUに出勤しました。
大変驚いたことに、患者さんはベッドに座り、自力で朝食中でした。

担当看護師が「先生が帰られた後で、意識が急速に回復し、手足のまひもなくなりました」と笑顔で報告してくれました。

新薬t-PAの効果を心から実感した瞬間でした。
数日後に患者さんは退院、歩いて自宅へ帰られました。





『脳梗塞の新しい治療法』より




つまり、90歳代のおばあさんであっても回復するのです。
僕の母親も このおばあさんと同じような様態だった。

ところが脳外科の専門医である波多野医師も、内科医の吉田医師もこの事実を知らない。
要するに、二人とも自己啓発をしていない“事なかれ主義”の平凡な医者に過ぎない。

ところで、行田総合病院の理念には次のようにうたわれている。


基本理念と運営方針


(baddocs2.jpg)

患者さまのその苦しい時間、辛い時間を、共に過ごして、その痛みを和らげ、病魔を取り除き、再び元通りの生活に戻ることができるよう、最善の努力を尽くす、それが私たちに与えられた使命です。

その使命を全うすることが、私たちの誇りでもあります。

その使命と誇りを、次代へと"受け継ぎ"、より健やかな地域社会を実現するために、私たちは今日も歩み、今日も患者さまの傍らに佇みます。




『基本理念と運営方針』より




波多野医師も、吉田医師もこの基本理念を十分にかみ締めて
“事なかれ主義”ではなく、「患者さまのその苦しい時間、辛い時間を、共に過ごして、その痛みを和らげ、病魔を取り除き、再び元通りの生活に戻ることができるよう、最善の努力を尽く」して欲しいと思います。

次の記事でも母の入院中の医療について書いています。


(nurse3.jpg)

『行田総合病院 評判』(2016年11月10日)

僕の母親は2012年の12月に入院して奇跡的に命を長らえた。

その時の様子は次の記事で書きました。


(rainbow9.jpg)


『虹のかなたの奇跡』

『奇跡の回復』




要するに、波多野医師も、吉田医師もマンネリ化して、日本の医療システムの中で“事なかれ主義”に陥っている!
患者の苦しい時間、辛い時間を、共に過ごして、その痛みを和らげ、病魔を取り除き、再び元通りの生活に戻ることができるよう、最善の努力を尽くしていないのです!

行田総合病院の中でも 奇跡的に患者を回復させる三宅医者のような人物もいるのです。
同じ病院内でも 医師によって ずいぶんと対応が違うものです。

人の命を預かる医者です。
患者が再び元通りの生活に戻ることができるよう、最善の努力を尽くして欲しい。
それができないならば、人の命とは関わらない職業を選ぶべきです。


 (すぐ下のページへ続く)



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行田総合病院と事なかれ主義(PART 2)

2016-11-26 11:36:17 | ふるさと 行田市



 

行田総合病院と事なかれ主義(PART 2)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
お医者様も あなたやあたくしと同じような人間でござ~♪~ますわ。
だから、長所もあり短所も兼ね備えております。

つまり、怠け癖があるお医者もいるでしょう。。。
一度 お医者になったら 自己啓発など 目になくて
お金儲けに走るお医者もいるでしょう。。。

でも。。。、人の命を預かるお医者です。
やっぱり、“事なかれ主義”ではなく、「患者さまのその苦しい時間、辛い時間を、共に過ごして、その痛みを和らげ、病魔を取り除き、再び元通りの生活に戻ることができるよう、最善の努力を尽く」して欲しいと思います。

そのような心がまえがないのでしたら、人の命を預かるお医者にならずに 人命には関わりのない職業について金儲けに走ってもらいたいものですわ。
あなただってぇ、そう思うでしょう?

ええっ。。。 お金儲けに走るお医者がいてもいいと、あなたは思うのですか?

だったら、あなたが命に関わる病気になって 江戸川病院に運ばれたとします。
そうすると、次のようなことにもなりかねないのですわ。


医療ミス「認めぬ江戸川病院、

逃げ回る医師」

内部告発で火葬直前に警察解剖


2012/10/25 15:15 J-CASTニュース


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「とくダネ!」は1年近くも取材していた。
東京・江戸川区の江戸川病院で、昨年11月(2011年)に死亡した患者が「医療ミスによるもの」と内部通報があったのだが、病院は否定し医師も無言で逃げ回るばかりだ。

カテーテル抜去数分後に倒れ死去―執刀医は「よくあること」

死亡したのは60代の男性で、重度の腎不全で昨年10月29日に妹をドナーに腎移植手術を受けた。
11月3日に医師がカテーテルを抜いた直後に心肺停止状態となり7日に死亡した。
家族によると、手術の経過はよく、男性がベッドに座って家族と話をしていたとき、執刀の医師が来て首についていた透析カテーテルを抜いた。
男性はその数分後に倒れ込み、心臓マッサージなどをしたが回復しなかった。
医師は家族に「よくあること」といっていたという。

死亡診断書には「肺梗塞」とあったが、原因は空欄だった。
遺族は患者の最後の様子から「医療ミスではないか」と主治医に聞いたが、「医療事故なんかじゃありません」と否定され、そのまま解剖もせず火葬に回された。

ところがその直前、匿名で「医療事故です。いますぐ警察に司法解剖を依頼してください」と遺族に通報があって、火葬を中止して警察に知らせた。
解剖の結果は肺動脈空気塞栓症。血管に空気が入って毛細血管に達すると、血流が止まり肺組織が壊死する。
これが「肺梗塞」で病院の死因と同じだったが、解剖では原因は「カテーテルの抜去」とされた。

専門家によると、カテーテルは太いので空気の流入を避けるため、通常は座ったままでは行なわないという。
医療ミスが疑われるケースだが、取材に病院は一切答えなかった。
主治医も答えず、いまは鹿児島にいる執刀の医師(カテーテルを抜いた)も電話に「不適切ではなかった」とだけしかいわない。

「とくダネ!」にも電話「隠蔽体質だ。医療者としてどうかなと思って…」

実は「とくダネ!」には早い時期に別に内部告発があった。
複数の関係者が、「いいたくなるほどずさんだということ。
世間に知ってもらわないと 病院もことの重大さを認識できない」「隠蔽体質だ。医療者としてどうかなと。やることが悪いし遅い。結果に責任を持たない。これでは医療は成り立たない。やっていけない」と話していた。

この1月に病院は事故を受けた新たなマニュアルを作って「患者を臥床させる」「抜去時セキをしないよう説明」などとしていた。
しかし、病院はこうしたことを一切公表せず、逆に院内での密告者探しが行なわれて、電子カルテを開いた記録を洗ったりしたという。

日本移植学会は江戸川病院に対して、原因が判明するまで生体腎臓移植をしないようにと異例の勧告を出している。
病院も9月に事故調査委員会を開いてはいる。

取材にも加わった医療ジャーナリストの伊藤隼也は、「近年珍しいくらいひどい事件だなと思う」

司会の小倉智昭 「カテーテルの抜き方に問題があったわけですよね」

伊藤「重力がありますから寝かして慎重に抜くのが基本。委員会も構成メンバーに問題があったり、当の医師が出て来ていないとか。守秘義務を振りかざしたりもしている」

小倉「しかも(内部告発の)犯人探しをしてる」

伊藤「ミスを認めて改善するという常識がない。告発の電話がなければ、お葬式して終わりだった」

これではやはり病院の名前を覚えておきたくなる。




SOURCE :2012/10/25 15:15 J-CASTニュース

『江戸川病院と医者の卵』に掲載
(2014年2月25日)


とにかく次回も デンマンさんが興味深い記事を書いてくださると思います。

だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。

じゃあねぇ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)
■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』

『愛とロマンの小包』


(hara16.jpg)

『虹のかなたの奇跡』

『虹のかなたから生還』

『北本から見る富士』

『愛の進化論』


(hara20.jpg)

『愛の奇跡』

『奇跡の回復』

『母上様@行田』

『逝く者と残る者』



(chiwawa5.gif)

こんにちは。ジューンです。

デンマンさんのお母さんの妹さん、

つまり、デンマンさんの叔母さんは洋画が趣味なのですってぇ。。。

1992年に製作されたアメリカ映画

“クールワールド”をご覧になったらしいですわ。


(world2.jpg)

アニメーション作家のラルフ・バクシが手掛けた、

実写とアニメの合成映画でした。

全年齢対象であった『ロジャー・ラビット』と違い、

お色気シーンもある作品でした。

キム・ベイシンガーがアニメと実写の奔放で

セクシーなヒロインを演じ、

ブレイク前のブラット・ピットも出演して

話題になりました。

交通事故に遭ったフランク(ピットが演じる)は

“クール・ワールド”に迷い込み、

その世界の捜査官となります。

彼は自らを創造した漫画家とセックスし

人間界で現実化しようとする悪人の企みを

阻止しようとするのです。

きめ細かな背景によりアニメの持つ不思議な世界が

奥行き深く見事に表現されています。

観る値打ちがありました。

日本では未公開でしたが

デンマンさんの叔母さんは

DVDを借りて観たのでしょう。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてくださいね。


(bitegirl2.gif)

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ



(monroe92.jpg)


(byebye.gif)
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行田シンドローム (PART 1 OF 3)

2016-11-18 14:00:24 | ふるさと 行田市

 

行田シンドローム (PART 1 OF 3)

 


(gyodas01.png)




(sylviex.jpg)

ケイトー。。。1年ぶりに行田に帰省して、何か良くない出来事でも起こったのォ~?


(kato3.gif)

もちろん、良くない事ばかりが続いたわけではないのですよ。。。 素晴らしい発見もあった!

あらっ。。。 そうなのォ~? 例えばどんなこと。。。?

あのねぇ~、軽井沢タリアセン夫人の小百合さんと深谷駅を見に行こうということになって、ベンツに乗り込んで出かけた時に たまたま行田市役所の前の通りに差し掛かった。。。 そしたらお祭りをやっていたのですよ。。。 すでに記事に書いたのでその箇所を読んでみてねぇ~。。。


忍城時代まつり

 


(jidai01.jpg)


(jidai03.jpg)


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<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/J-M2TEmlcyE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(jidai05.jpg)


(sayuri201.jpg)


(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。 “忍城時代まつり”は面白かったですわねぇ~。。。


(kato3.gif)

そうでした。。。 小百合さんが運転するベンツに乗って、深谷駅を見にゆこうとして行田市役所の前を通りかかったら、“忍城時代まつり”の模擬店がたくさん出ていて、すごい人だかりだったのです。。。


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時代祭りが見られて、しかも模擬店でたくさん美味しいものが食べられるなんて なんだか“タナボタ”のような幸運に恵まれた気がしましたわァ。。。 デンマンさんは11月13日にお祭りがあるということを知らなかったのですか?



あのねぇ~、“忍城時代まつり”という垂れ幕を見て、そういえば11月に、こういうお祭りがあるということを急に思いだしたのだけれど、小百合さんと深谷駅を見にゆこうと思って車に乗って市役所の前を通るまで思い出しませんでしたよ。。。

それにしても 行田市の“忍城時代まつり”でロシアのピロシキが食べられるとは思いませんでしたわァ~!


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僕も、まさか行田市でロシア人の可愛いナターシャさんに会えるとは思いませんでしたよ。。。



あらっ。。。 デンマンさんは、ナターシャさんをご存じだったのですか?

そうですよ。。。 僕はナターシャさんがバンクーバーに遊びにやて来た時に会っているのです。。。

デンマンさん!。。。 何を寝ぼけたことを言っているのですか?! 確かに模擬店でピロシキを売っていましたけれど、売り子さんは50代の太ったロシア人のおばさんでしたわ。。。 上の写真のナターシャさんとは似ても似つかないおばさんでしたァ。

マジで。。。?

やだわあああァ~。。。 デンマンさんは認知症でも患っているのですかァ?

やだなあああァ~。。。 僕の記憶力は30代の頃と変わりがありませんよ!

だったら、想像力が異常なのですわァ。。。 とにかく、私が買った時の売り子さんはロシア人の50代の太ったおばさんだったのですわ。

いずれにしても、たくさんの外国人たちが市役所の駐車場の模擬店で食べ物を売っているのを見て僕はビックリしましたよ。。。

どうして。。。?

実は、僕が小学生の頃は、現在の行田市役所の土地に木造の行田中央小学校の校舎がたっていた。。。 つまり、僕は旧中央小学校があった場所で イラン人、パキスタン人、インド人、ブラジル人、ロシア人、韓国人、中国人がさまざまな食べ物の店を出しているのを見たのですよ。。。 僕が小学生の頃は外国人といえばキリスト教のアメリカ人宣教師だけでした。。。30年以上、海外暮らしをしている間に マジで、日本も国際化・グローバル化したことを実感しましたよ。。。

確かに、外国の食べ物を売る店がたくさん出ていましたわねぇ~。。。

あのねぇ~、行田名物のゼリーフライを小百合さんが買って 僕にも一つくれたのだけれど、ピロシキとちょっと味が似てました。。。


(piroshiki.jpg)


(zeni001.jpg)


(zeni002.jpg)



言われてみると確かに、色も形も味わいも、ちょっと似ているところがありますわァ。



それにしても、小百合さんは なんで深谷駅を見にゆきたいと思ったのですか?


(fukaya01.jpg)


(fukaya02.jpg)

<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/OCDsWANPjog" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

東京駅のレンガは

深谷で作られていた事から、

深谷駅の駅舎も東京駅を模した

デザインになっています。




私はレンガ造りの東京駅に憧れを持っていたのですわァ。。。



レンガ造りの駅がそれほどいいのですか?

いえ。。。 レンガ造りの駅舎そのものじゃなくて、私は東京駅のステーションホテルに泊まりたいなと思っていたのですわ。。。 それは、憧れに似た気持ちになったのです。。。


(tokyoh09.jpg)

『拡大する』

<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/queyin_WMko" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



なるほど。。。 確かに、深谷駅と似ていますよ。。。 でも、2012年の10月に リニューアル・オープンしたのだから、泊りにゆくことはできるでしょう!?



でも、なんだかんだと野暮用があって、なかなか時間が取れなかったので、これまでに泊りにゆく暇も心のゆとりもなかったのですわ。。。

それで、わざわざ深谷駅を見に行ったのですか?

いけませんか?

だったら、今夜 東京ステーションに泊まりに行きましょう!?

そうしたいのは やまやまなのですけれど、急に言われても。。。

だから、トランプタワーで泊まる気になって、一大決心するのですよ。。。 そうすれば、トランプさんのようにアメリカの大統領になる夢のような思いがかなうのだから。。。




『忍城時代まつり』より
(2016年11月14日)




もちろん、僕は行田に“忍城時代まつり”というのがあることを知っていた。。。 これまでにも記事に書いたことがあるのです。。。 でも、行田市役所の前を通りかかるまで忘れていたのですよ。



。。。で、何が新しい発見なのよ?

これまで、このお祭りに、これほど多くの外国人が模擬店を出していることはなかったのです。。。 改めて東京だけでなく、日本の地方も国際化・グローバル化の波に飲み込まれているのを知りました。

。。。で、“行田シンドローム”というのは、どういうことなのよ?

ちょっと次のリストを見てください。


(ame61027b2.png)

『拡大する』



これはアメブロの僕のブログの10月21日から27日までの1週間の「リンク元URL」のリストですよ。。。 “忍城時代まつり”は11月13日の日曜日に行われたのだけれど、10月21日から27日までの1週間も僕は行田に滞在していたのです。



上のリストは「自遊空間」の吹上店のパソコンを使ってゲットしたのォ~?

そうです。。。 僕はケータイもパソコンも実家では持ってないので、近くの「自遊空間」吹上店でネットにアクセスしたのです。。。 赤枠で囲んだ 6番、15番、それに47番に注目してください。

あらっ。。。 行田市長のことで検索してケイトーの書いた記事を読みにやって来たのねぇ~。。。

そうなのです。。。 ついさっき、「人気検索キーワード」のリストをゲットしたので見てください。


(ame61116c.png)

『拡大する』



これはアメブロの僕のブログの11月10日から16日までの1週間の「人気検索キーワード」のリストです。



あらっ。。。 「行田市長」で検索して読みにやって来たネット市民が 3人いたのねぇ~。。。

そうです。。。 それで、行田市長が最近 何か悪いことをしたのかなァ?。。。 そう思ってGOOGLEで検索してみたのです。。。 その結果を見てください。


(gog61118a.png)

『現時点での検索結果』



「行田市長」を入れてGOOGLEで検索すると 426,000件ヒットするのですよ。。。



アメブロのケイトーのブログの「工藤正司・行田市長批判」のテーマのページが トップから6番目に出てくるのねぇ~。。。

そうなのです。。。 つまり、工藤正司・行田市長が最近 特に悪い事をしたわけではないのだけれど、行田市民の中には市長に不満を抱いている人がいるわけですよ。。。 だから、僕の「工藤正司・行田市長批判」のテーマのページにアクセスして、何が批判されているのかを調べてみたわけです。


(jidai03.jpg)

『「工藤正司・行田市長批判」のテーマ』



ちなみに11月10日から16日までの1週間の「人気記事リスト」は次のようになります。


(ame61116d.png)

『拡大する』



「工藤正司・行田市長批判」のテーマのページが 14番目に出てくるのねぇ~。。。



そうです。。。 赤枠で囲んだ 3番にも注目してください。

つまり、行田総合病院にも悪いウワサが流れているのォ~。。。?

とにかく、最近では『行田総合病院 評判』が個別の記事ではダントツで読まれているのですよ。

ケイトーが、また行田総合病院のことで何か苦情でも書いたのォ~。。。?

『行田総合病院 評判』の中で僕は次のように書いたのです。


 (すぐ下のページへ続く)


コメント
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