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Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

サタンの究極的業は~共産主義唯物論者の姿に見る神を遠ざけた者の行きつく先

2017-01-26 18:49:18 | 徒然

神と共にある者の業は平安と喜び、愛と真理の業である。

しかし、サタンの業はそれらのすべてに逆行する。

サタンの最終的武器は生命の抹殺、すなわち殺人である。

無神論唯物論思想共産主義の最後の結末は凄惨な殺戮の歴史だった。ベトナム戦争時、隣国カンボジアで繰り広げられた凄惨な殺戮の歴史は誰もが覚えていることだろう。2017年以来、共産主義革命は常に暴力的な手段で実現されたし、その後の支配の歴史でも凄惨な殺戮を繰り返してきた。共産主義無神論思想には人命を尊重する思想はない。自らの権力に従わないものには即刻死が言い渡される、共産党独裁政権の歴史が如実にそのことを物語っている。

サタンの最終手段は常に人命の抹殺だったことを覚えておかなければならない。

 

さて、真のお父様が聖和前になされたいかにも不思議な言動~顕進様が根拠の乏しい報告を根拠に解任排除されたのは極めて「意図的だった」と、論じた。何故か?その理由はいくつか考えられるが、その意味の一つにサタンの究極的業が生命の奪取であるということを考えてみる必要があると思う。

実際顕進様のお父様の後継者としての就任は、それまで統一家の中で私利私欲を貪っていた勢力には実に危機的なことだった。(これはその当時顕進様の近辺にあった食口の証言にもある。)

彼らはいかなる不当な手段を使ってでも顕進様がお父様の後継に立つことは阻止しなければならなかった。だから米国では顕進様が世界巡回をしている最中に様々な画策がなされた。その延長に7男の亨進様による米国総会長の人事もあった。

真のお父様はこのような状況の推移を備に把握されていたに違いない。

当時、お父様の周辺にある幹部たちはとても宗教家とは言えない思考と人間性を持った者たちであった。お父様はカイン復帰のためにあえて、カイン的な人物たちもその側近として用いてカインアベル復帰の究極的蕩減復帰の条件を立てられていたのである。

お父様は真の母様や顕進様と対抗している他の子女様たち、さらに幹部たちが、父子協助時代とお父様の意向を理解し、お父様の真の愛のもとに屈服して顕進様を中心に一つになってくれることを願っていた。

しかし、真のお父様の究極的な努力にもかかわらず、お母様をはじめ子女様も幹部たちもお父様の願いに逆らい、顕進様を排除するために、あらゆる虚偽の報告や策略をもってしてどこまでも顕進様には従おうとしなかった。

お父様がなぜ「逆理の法」をとらざるを得なかったのか!?

最終的にはサタンの最大武器の「殺人」さえ行いかねない状況になっていたのである。

 

人類歴史はカインがアベルを殺害することで始まった。そのカインの背後にあるサタンをいかに分立して屈服させるのか!?神は止む無くもアベルを打つことを通してサタンを屈服させざるを得なかったのである。

ヤコブが母親リベカの母子協助でイサクからの跡取としての祝福を奪った。その時、エソウはヤコブの殺害を決意したのである。そのためリベカはヤコブをラバンのもとに送ったのである。ヤコブは21年の路程を通して故郷のカナンに帰るが、その時も当初はエソウはヤコブを殺害する目的で、その僕たちを武装させヤコブを迎えようとした。ヤコブが知恵を使い、全財産を先立て妻や子を先立てて進んだので殺害を免れたのである。

復帰摂理のすべてをご存じの真のお父様である。父子協助時代を経て、長子の立場であると祝福された顕進様が、その兄弟たちからも恨まれて、そこに盲従する幹部たちがもしやその生命まで無き者にしようとしていたとするならば、そこから遠ざけるのが父子協助の取るべき道であった。

実際2008年当時教会幹部は顕進様を殺害しようとさえ考え行動しようとしていたことは当時の状況からも明らかになってきている。

真のお父様が顕進様のもとに食口が行かないようにとされたのは、顕進様の命を狙う集団が行かないようにさせるお父様の知恵であったと考えることができる。さらにお父様はご自身の生命の危険も感じておられたに違いない。実際お父様は基元節を迎えることなく聖和していかれた。本来お父様はもっともっと長く生きられるはずの方であった。お父様の入院中の処置や、転院の事実はお父様の生命がいかに軽んじられ、できうるならばその生命をなきものにしようとするサタンの意図が働いていたことを明確に示唆している。真のお父様は自らの命が狙われて、生命を奪われることも覚悟しての顕進様の追放だったと思われる。

サタンにしてみれば真のお父様の死の場面に顕進様がいてもらっては困るわけである。事実顕進様はお父様の聖和の場面から完全に排除された。

いずれすべての秘密が暴露される時が来るであろう。あるいは闇から闇に葬られた事実もあるのかもしれない。しかし、今からは真実が明らかになり、すべての悪なる企みや悪なる事実事実が明らかになっていくであろう。

しかし、真実は事実が明らかになることで終わりではない。復帰の摂理はアダム過程で失われた真なる家庭の復帰であり。カインとアベルの原則を通しての一体化の原則である。ヤコブ路程の最後はエソウとヤコブの和睦であり、和解であり、アブラハムの家庭の神の前への復帰である。

希望の時というのはその時を言う。今その時がまさに訪れようとしているのである。

 

 


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