朝鮮朱子学や日本の朱子学
ここで朱子学と言うのは日本での表現である。もともとは南宋の政治家であり儒学者の朱熹がそれまでバラバラであった、四書(論語、孟子、大学、中庸)に独自の解釈 「性即理」の考えをもって解釈して学問体系としてまとめたものである。
朱熹が儒学の学問体系をまとめた功績は大きいが、その後彼のまとめた儒学の体系が国家の基本的な統治理念となってくると様々な弊害をもたらすようになってきた。
中国は宋が滅んで言が勃興し、その後漢族による明が王朝を建てて国土を支配した。その明が国教としたのが朱熹の儒学だった。科挙制度が実施され、そこで重視されたのが四書であった。(四書五経のうち四書を重視したのが朱熹であった)
その後中国大陸の中原には満州族による清が支配する時代となり、日清戦争以降、中華民国、さらには今の中国共産党による中華人民共和国となる。
朝鮮半島においては、高麗が滅亡して半島の支配権を握った「朝鮮」はそれまでの仏教を排して「儒学」を国教として統治するようになる。ここで用いられたのが朱熹の思想いわゆる朝鮮朱子学と呼ばれるものだった。朝鮮でも科挙制度が実施され、その学問が朱子だったため、朝鮮の行政権を握った言わゆる両班の学問となり、朱子学を学習した両班が政治の実権を握るようになると、その影響が極めて大きいものとなって行った。
日本には早くから主に禅宗の僧侶などを通して儒学の経典がもたらされ、最初は主に禅寺などで講されるところから始まっている。
朱子学の問題点は様々に評されているが、その中でも一番大きな問題点は「師観のブログ」でも指摘されているように、「愛」の欠如であろう。日本では朱子学に対抗するように王陽明の思想の「陽明学」が取り上げられるが、やはり一番大きな違いはここにあるとHOPEは思っている。
朱子学の欠点は、まず「王権の尊重」から始まり、その思想が「理」を重んじるところから政治体制の固定化が進むこと、額を重んじるあまり学問を習得した人間に権力が集中する弊害、また理を重んじるところから。個々人の自主的な判断や思考が無視される傾向があると言うことである。
結局朱子学的統治が進むことにより、現実的な経済や庶民の生活が無視されれる傾向が生じ、学問的には朱子学が絶対化され、他の学問や思想の勃興を否定することにより、発展性が極端に阻害される結果がもたらされる傾向が強い。
この結果は、「明」が結局のところは支配権の硬直化により、最後は滅亡し、朝鮮も近代化が阻害されるというけっけをもたらしている。
日本の朱子学も江戸時代幕府の後任の学問となり、その他の学問を異端視し弾圧まで加えられるようになり、それが江戸時代の近代化を遅らす原因となって行った。幸い日本の場合は王陽明の思想などがある程度陰では認められていたため、それらが、その後の近代化に寄与している。
この問題はさらに多くの問題を孕んでいると思われるので引き続き記述を続けて行く。
(続く)
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