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HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

正室と嫡男を同時に失った徳川家の悲劇の原因は主君の意を汲むことのできなかった家臣の愚かさだった(大河ドラマ「女城主直虎」から学ぶ)

2017-11-20 04:10:28 | 希望の未来を開くため

正室と嫡男を同時に失った徳川 最大の悲劇をどう乗り越えるか!

 

11月19日放送のNHK大河ドラマ 「女城主直虎」 いよいよ最後のクライマックスに差し掛かった。

ストーリーの主人公井伊直虎が万千代(後の井伊直政)に期待することそれは徳川家の家臣として井伊家の願いでもある太平の世を実現することである。

信長の言いがかりで嫡男信康に武田に内通の疑いのかけられた徳川家、その疑いを晴らすには嫡男信康を切るしかない。そういう状況においこまれた家康の正室築山殿は武田に内通したのは自らであるとして、信康を構おうとした。こういう状況の中で家康の家臣たちは築山殿を切り、嫡男信康も自刃していったのである。

正室と嫡男を同時に失うという、最大の悲劇に見舞われた家康は「これからは自分で全部決める!」「お前らの言うことを聞いてやってきたが・・・・」と叫ぶのである。

結局、徳川最大の悲劇は、織田の言いがかりがきっかけだが、そのような事態に家康本人の意向を汲むこともなく、勝手に判断して正室と嫡男をしに追いやったのは家臣の愚かさだった。

このような事態にあって、「死んだ人間は帰ってはこない。ならばその死んだ人間の志を受け継ぐことが今に生きる人間のなすべき事!」と井伊家の家督を継ぐ万千代(後の直政)に言い聞かせるのが直虎であった。

井伊家も民を平和に豊かに暮らす地を願いながら、主家であった今川の言いがかりにより嫡男を失う悲劇を味わってきた。今こそ太平の世を目指してきたその志を徳川の下ですべての国々をともにひとつとして太平の世にしていくべきでは!と言うのである。

正室と嫡男を同時に失うと言う最大の悲劇の中で失意のどん底にあった家康の小姓として仕えていた井伊万千代は、家康の嫡男信康に代わってその志を果たすことのできる家臣となることを決意するのである。

その後、井伊直政は徳川家のなかでも最も主君家康の意を汲んで徳川による天下泰平の世を実現する歩みに最大の貢献をしていくようになって行くのである。

「主君の本意を汲むことのできなかった家臣」の愚かさが徳川家最大の悲劇をもたらした!家康ー信康父子の志を何よりも大切にして仕え、その志の実現のために獅子奮迅の歩みをなした井伊直政こそ、本当の意味での忠臣であったといえるのではないか!ドラマではそういう井伊家の生き様の背後に女城主となった直虎がいたと物語っている。


<お母様も祝福した息子の後について行かなければなりません> (「金容成氏の文を毎晩涙で読んだという人の話を聞いて」その4)

2017-11-18 22:27:25 | 希望の未来を開くため

<お母様も祝福した息子の後について行かなければなりません> 

 

オモニが来た時は蕩減時代であり、それが過ぎて孫を迎え、父子の関係の道を立てた後は、オモニも祝福した息子の後について行かなければなりません。オモニが、アボジが、後代において孫が行く道に責任が待てないのです。

出典:み言選集34064ページ、20001223

<8段階愛の主人のモデル>


2000年12月のみ言です。

「オモニが来た時代は蕩減時代」だと語られています。復帰完了の立場でオモニが来たのではないのです。

この2000年の時代は、いまだ叛逆の芽が大きく育っては、いない時代でした。それでも、顯進様の使命継承の様々な事業が進展するにつれて、それを阻もうとする勢力の動きが少しずつ現れて来ていました。韓国がIMF危機の時、顯進様の岳父である郭錠煥会長に対しての不当な訴えが全羅南道出身の食口の中から出されて、お父様が激怒された事件も起きました。

それが過ぎて孫を迎え、父子の関係の道を立てた後は」と続いています。お父様はこの時代父子協助時代を強調されるようになって行っていました。真の家庭において親、子、孫までの三代圏の家庭が確立されて行った時期でもあります。だからこそ「オモニも祝福した息子の後について行かなければなりません!」と明白に語られているのです。今、このみ言が完全に無視された状況になっています。それが混乱の本質とも言える内容です。お母様も息子に従わなければならなかったのです。お母様も祝福kされた息子について行きさえすれば、栄光の母として最高の栄誉を受ける立場になられたのです。それが母としての最高の栄誉だったのです。

お母様が息子の後について行かなかったので問題が生じて来たのです。




<囹圄に閉じ込められながら、天子になろうという真なる息子を助けることのできない、逆天地の裏切りの松明を掲げる身が、どれほど・・・> (「金容成氏の文を毎晩涙で読んだという人の話を聞いて」その3修正)

2017-11-17 01:16:20 | 希望の未来を開くため

この記事にしたお父様のみ言に関して一部韓国語から日本語に訳すにおいて誤りがあるとの指摘をいただきました。下線の赤の部分です。


<このように囹圄に閉じ込められながら、天子になろうという真なる息子を助けることのできない、逆天地の裏切りの松明を掲げる身が、どれほど哀れなのか知らなければなりません>

 前回の記事(「金容成氏の文を毎晩涙で読んだという人の話を聞いて」その2)の続きです

 神様はそれを見て、先生以上に号泣する立場にあったということを皆さんは知らなければなりません。なぜ私助けることができなかったのかというのです。このように囹圄に閉じ込められた身で、真なる息子になろうとする者を助けることのできない、逆天地の裏切りの松明を掲げる神様がどれほど哀れだったのかを知らなければなりません。皆さんはそれを感じなければなりません。

出典:み言選集612236ページ、20090525

<天の眷属で統治するひとつの世界>より

 

「囹圄」・・・あまり使わない言葉だが、囹も圄もその字のごとく牢屋の事。監獄に囚われた状態を言っている。

ここではお父様は何を言っておられるのでしょうか?確かにお父様の生涯は幾度となく牢獄に囚われの身になるような立場でした。

日韓併合時代、官憲に囚われて囹圄の生活をされました。平壌に赴きそこで官憲に囚われ一度は死人同様に扱われて放り出され、再び捕らわれ興南の収容所に送られ収容所生活をされました。南でも梨花女子大事件で西大門刑務所に収容されました。そしてアメリカでも!ダンベリー刑務所に収監されました。生涯幾たびも幾たびも牢獄生活を体験されたお父様です。お父様が孝子として天の神様の前に息子として孝行を尽くす歩みを為そうとするときに、サタンはいつもお父様を牢獄に送り囹圄の立場としてきました。そのような状況の時に、神様はそういう息子を助けることのできない悲痛な立場にあったとおっしゃるのです。

ところで、このみ言を語られた2009年の5月はどういう状況だったのでしょうか!この時点でお父様が実体的に囹圄の立場にあったわけではありません。

束草事件から2か月のこの時に、お父様が何を言いたかったのか!

真なる息子になろうとする者を助けることのできない」、その真の息子になろうとする者とは誰の事なのでしょうか?「助けることのできない」のは誰なのでしょうか?「逆天地の裏切りの松明」とは何を意味するのでしょうか!

ここでお父様は「神様がどれほど哀れだったのか!」と語られています。

言えるのはこの時点で、実は神様の立場にあったお父様が、実は「哀れだ!」と言おうとされていることがわかります。

ご自身が、かつて天の父である神様が助けることが出来ない哀しい立場であったことを、そして助けることのできない哀れな立場にあった神様の心情を実感されてのみ言であることが理解されます。


先のみ言「文総裁も知らないうちに、皆さんも知らないうちに、乱れてしまいました」もそうですが、このみ言が語られた時期のお父様がどれほど深刻で、ご自身が哀れだ」と吐露されるように、悲痛な心情であられたことを私たちは知る必要があると思います。そのことを食口たちはほとんど知らずに来てしまいました。

統一家の混乱を見ても、何か他人事のように過ごしてきてしまっていたのではないでしょうか!その時も、その時も、そして今の時も教会幹部はそのようなお父様の心情を一言も伝えてはくれませんでしたし、今も全く伝えようとはしていません。

まさに、お父様ご自身が囹圄の立場にあられたかの如くです。実際そうだったのでしょう!お父様がそのような深刻な心情にあられたことを我々祝福家庭は見過ごしてきたことを悔い改めなければならないでしょう!


<修正部分>

お父様のみ言部分で

なぜ私助けることができなかったのか

⇒なぜ私助けることができなかったのか  

(韓国語の原文を読むと「私を」ではなく「私が」が正しいと韓国在住のNさんから連絡をいただきました。

「私を」ではなく「私が」助けることが出来なかった  とすれば、お父様のこのみ言はより一層明確になります。


以下が正しい訳によるみ言です。

 <このように囹圄に閉じ込められながら、天子になろうという真なる息子を助けることのできない、逆天地の裏切りの松明を掲げる身が、どれほど哀れなのか知らなければなりません>

神様はそれを見て、先生以上に号泣する立場にあったということを皆さんは知らなければなりません。なぜ私が助けることができなかったのかというのです。このように囹圄に閉じ込められた身で、真なる息子になろうとする者を助けることのできない、逆天地の裏切りの松明を掲げる神様がどれほど哀れだったのかを知らなければなりません。皆さんはそれを感じなければなりません。

 出典:み言選集612巻236ページ、2009年05月25日


ここで私が助けることが出来なかったのは・・他ならない・・・「真なる息子になろうとする者」とは顯進様の事です。 その息子を助けることのできなかったのはお父様ご自身の事です。


お父様は真なる息子を助けようとして助けることのできない囹圄の立場にあったと言うことです。そしてそれは神様ご自身がそうであったというのです。

「逆天地の裏切りの松明」とは、我が息子を助けることが出来ない悲痛な立場で「逆理の道」を行かざるを得ない神様の立場、親の立場を嘆息された悲痛なお父様の声であるというのです。

人類の復帰摂理の歴史は、200年前に、神様の一人子イエスを十字架と言う逆理の道に追いやらざるを得ない悲痛な立場を神様は選択せざるを得なかったのです。それは、本来あるべき道ではありませんでした。イスラエル民族の不信仰ゆえの道でした。

今また、再臨の摂理の道でも、逆理の道を行かざるを得なかったのが、お父様の歩まれた道であり、そしてその道を真の息子として歩まれる顯進様も歩まざるを得なくなったのです。それは、必然の道ではなく、信徒の不信仰の結果です。

真のお父様は「メシアの降臨とその再臨の目的」の中で、イスラエル民族の不信仰がイエスの十字架をもたらしたと断定されました。再臨摂理にもたらされた「逆理の道」も信徒の不信仰の結果だったのです。

最も天の前にお父様の前に真なる、孝子であられる子女様を不信して十字架の道に追いやったのは摂理を理解しない教会幹部たち、かつての律法学者やパリサイ人のような人々だったのです。






<三代を中心に天の公的責任を任命するということは天宙史的な奇跡、希望の日として顯進に任せるのです。アーメン!> (「金容成氏の文を毎晩涙で読んだという人の話を聞いて」その4)

2017-11-17 00:02:16 | 希望の未来を開くため

<三代を中心に天の公的責任を任命するということは天宙史的な奇跡、希望の日として顯進に任せるのです。アーメン!>

 

今日、このような集会を持ったのは、統一教会の歴史において、あるいは先生の生涯において初めての記念の日であると思っています。それだけでなく、神様の願いがあったならば、このような日をどれほど望まれただろうかと考えた時、心から深い感謝を天の前に捧げます。三代を中心に天の公的責任を任命するということは、天宙史的な奇跡であると思います。希望の日としてこれらを顯進に任せるのです。アーメン!

 1998.7.19.顯進様の世界平和統一家庭連合世界副会長就任式

<顯進様就任を祝うお父様のみ言葉>


1998年顯進様の世界平和統一家庭連合世界副会長就任式でのみ言です。

お父様がこの日を、どれ程喜ばれていたかがよくわかるみ言です。「天宙史的な奇跡である。」とさえ語られています。

しかしこの日から10年を経過した2008年~2009年に何が起こったのでしょうか!お父様がこの日にいだいた大いなる希望を覆し、粉々に打ち砕いて失望のどん底に突き落としたものがいるのです。

その者、あるいはその者たちは1998年7月19日、お父様が「統一教会の歴史において、あるいは先生の生涯において初めての記念の日」とまで語られたそのみ言を好ましく思わなかったに違いありません。お父様が深い感謝を天に捧げたその瞬間を感謝できなかった者たちに違いありません。

その日その時から、お父様の希望を、神様の喜びを破綻させる試みが準備されて行ったに違いありません。そうして10年後の天宙史的混乱の時を迎えて行ったのです。


<文総裁も知らないうちに、皆さんも知らないうちに、乱れてしまいました> (「金容成氏の文を毎晩涙で読んだという人の話を聞いて」その2)

2017-11-14 16:17:05 | 希望の未来を開くため

<文総裁も知らないうちに、皆さんも知らないうちに、乱れてしまいました>

 

文総裁も知らないうちに、皆さんも知らないうちに、乱れてしまいました。分かってて乱れたのではありません。そうです。(訓読)「そうなりませんでしたか」というのです。先生が知らない時、皆さんが知らない時にそうなったというのです。(訓読)そうではないという人はいますか。違うとは言えないのです。全体の、否定的な環境の中で、一人、ホタルのようにキラキラ光る光を持って生きてきた文総裁の生涯がどれほど凄惨だったか知っているのかというのです。

出典:み言選集612235ページ、20090525日  <天の眷属で統治するひとつの世界>より


知らないうちに「乱れてしまいました」とお父様は語っておられます。「知らないうちに」です。お父様も知らなかったし、我々食口も知らないうちに乱れてしまったのです。

どうして?誰のせいで?乱れてしまったのでしょうか? 知らなかったお父様も、食口も蚊帳の外でした。お父様も食口たちも知らないところで事が進行していたのです。

時は2009年の5月です。束草事件から二か月後の事です。  ですから束草事件は突然起こったことではなかったのです。ずっとお父様ご自身が蚊帳の外に置かれて、事態が進行していたのです。

お父様がご自身の障害が凄惨だったと言われています。お父様の生涯は凄惨な出来事の連続でした。しかし、そのことをあえて多くは語られないお父様でした。そのお父様が「凄惨だ」と言われています。・・・この時のお父様の心情が如何に凄惨だったかと言うことです。深刻だったのです。「全体の、否定的な環境」と語っておられます。お父様の様のその時の環境が如何に否定的だったのか!周り全てがお父様に否定的だったのです。お父様の願うこと・・・、お父様がされたいこと・・・お父様がどうしてもしなければならないとお考えになったそのことすらも否定された環境にあったのです。