これまでお父様のお母様に対して語られたみ言を読んでのNさんの感想です。
[Nさん] 2008年、お母様がお父様を冷遇し無視したというお父様の具体的な証言は衝撃的です。お母様のアイデンティティに対する基本的な疑問を提起するからです。
お父様のお母様に対するこのような証言は、お父様のみ言の権威がお母様には全くなかったということであるし、(お母様は)お父様に対する摂理的な信頼が全くない状態で生きて来られたということと同じであると言わざるをえません。お父様のこのようなみ言が実際の状況であるとするならば、2013年1月7日に天正宮でお母様が証言されたように「お父様に教育を受けたことがない」という言葉はそのとおり、正しいと見なければならないでしょう。
お父様がお母様に千の言葉、万の言葉を語られたとしても、そのみ言をみ言として認められておられない、とするならばそのみ言がどうしてお母様の霊人体の血となり肉となるのだろうか?特にお父様がみ言を語られる時、お母様が目を吊り上げられるというお父様のみ言は、聞くほどに心痛く当惑せざるをえません。それはお父様を無視したという態度そのものであるからにほかなりません。
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お父様のお母様に対するこのような証言は、お父様のみ言の権威がお母様には全くなかったということであるし、(お母様は)お父様に対する摂理的な信頼が全くない状態で生きて来られたということと同じであると言わざるをえません。お父様のこのようなみ言が実際の状況であるとするならば、2013年1月7日に天正宮でお母様が証言されたように「お父様に教育を受けたことがない」という言葉はそのとおり、正しいと見なければならないでしょう。
お父様がお母様に千の言葉、万の言葉を語られたとしても、そのみ言をみ言として認められておられない、とするならばそのみ言がどうしてお母様の霊人体の血となり肉となるのだろうか?特にお父様がみ言を語られる時、お母様が目を吊り上げられるというお父様のみ言は、聞くほどに心痛く当惑せざるをえません。それはお父様を無視したという態度そのものであるからにほかなりません。
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