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HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

あなたは真の父母に何を求めて来たのか?・・問題は真の家庭ではない・・私たち自身に問題があったのだ!

2017-05-04 21:54:14 | 統一家の行くべき道

最近の統一家の混乱を見ると、結局「私たちは真の父母に何を期待し、何を求めて来たのだろうか?」と言うことに帰結すると思う。

人それぞれに、求めるものは違う。違って当然です。しかし、その求めるものと与えようとする者の意思や願いが食い違ってしまうと悲劇が起こる。

その最も悲惨な例がメシアをめぐる人々の願いと、神様の願いの齟齬なのかとういつきょうかいをもしれない。

今なお家庭連合にあって、真のお父様のみ言と異なる発言の目立つお母様と、お母様を担ぎ上げている幹部たちの願いや思いとは何なんだろうか!と思う。

 

お母様が何を語られたとしても、それ自体が問題になることはない。多少お父様の語られたみ言と異なるようなことを語られたからといって目くじらを立てるほどのことでもない。お父様ご自身でも、以前語られたことと逆のようなことを語られたことは枚挙に暇がない。

問題は何か!それは教団全体が天の伝統や精神から逸脱して、神のみ旨とは異なる方向にかじ取りをしてしまっては、問題が大きい。今実際にそのようになってしまっている。神の国実現と言う大きな目標が失われ、日常的な生活で一定の満足が得られればそれで良しとする風潮が教会全体を支配している。世の中の混乱や問題にはほとんどみんな無関心である。それはそれで仕方がないのかもしれない。しかしそれは創業者とも言える真の父母様、文鮮明先生が統一教会を創設され、今は家庭連合と名称を変更され、そのほか様々な団体を起こし運動を展開して来られた意志や願いとは大きくかけ離れている。

今のように、教会が分裂し、とりわけお父様の意思を継ぐと思われる子女様を排斥するような教会になるなどとは、だれが想像しただろうか!

 

結局、人類の救世主、メシア、再臨主、真の父母として、人類救済の大命題に向かってただひたすらその生涯を駆け抜けた真のお父様と、そこに従ってきた祝福家庭や弟子たちの思惑や願いがあまりにもかけ離れていたと言うことではなかろうか。だからこそ、真のお父様の聖和後、時を経ずして勧められた様々な変化に対して、祝福家庭の大部分が、大した違和感もなくしたがって来たのかもしれない。

 

例えば私など、ここブログ村で何のかんのと正論をぶちまけても、「なんだ!勝手なことを言っている」というくらいにしか受け止められていないのかもしれない。

それは、大半のブロガーも痛切に実感していることかもしれない。

どうやら、多くの食口たちを見ると、真のお父様は何かしら神通力か何かを持つ超人の如く思われていた節がある。お父様の言うことさえ聞いていれば何でもできる。あるいは必ず救われる、そう勘違いしていたのではと思う。そう勘違いしていたからこそ、そのお父様が聖和してしまわれたら何処にも頼るところが無くなって、「今度はお母様だ!」となってしまったような気がする。そうなてしまうとお母様も「私がやらなければ!」となる。そのための権威づけに「独生女論」はもってこいだった。お父様がそうだったように、あるいはお父様がそうだった以上に私は神様から選ばれた特別な存在なのだ!」、そのようにお母様が考えられたとしても仕方がない状況が生まれていたのである。

だから「独生女論」や、その他の諸問題の責任を真のお母様の責任だとしてしまうことはとんでもない間違いとなってしますう。

 

問題の根はそこではない。結局私たち祝福家庭が真のお父さまや真のお母様に求め続けて来たものが間違っていたのである。

我々祝福家庭が統一教会にそして今は家庭連合に導かれてきた動機は様々だろう。当然である。しかし、真のお父様が、統一教会(世界基督教統一神霊協会)を創設された目的は明確だった。それは、200年間のキリスト教が再臨のメシ4アを迎えて侍って、本来はイエス様が生きて為そうとされたみ旨の成就を果たすために来られた再臨の主とともに神様の創造理想そのままの世界を実現するはずだったにもかかわらず、そのみ旨に同参することが出来なくなってしまったために、再びその使命を果たすための教会として統一教会を創設されたのであった。

要は導かれてきた食口たちがどれだけこのような真のお父様が創設された協会創立の願いを理解して来たかと言うことである。そのことを教会員たちが正しく真のお父様と共有して来ていたならば、統一教会史上に様々な問題が生じるはずもなかったのではと思うのである。

 

 

お父様が掲げ続けられた世界平和理想の実現のビジョンに、本来真のお父様ご自身の家庭の完成と成就が不可欠であることを教会幹部や食口たちが理解して来たならば、真の子女様を排除したり蔑ろにするなどと言うことは起こりえないことだったに違いない。

今も真の家庭の子女様が辛酸をなめる状態が続いている。教会食口が口にするのは「真の御父母様のため!」という言葉であるが、真の家庭と真の子女様を蔑ろにして、真の父母様のためも何もあり得ないのではないか!

結局求めてきたものが違うがゆえにそのようになってしまったとしか考えようがないのである。

そのことは、真のお父様ご自身も十分承知のことだったと思う。十分承知はしておられたあとしても、そのことをしてカインの子女である祝福家庭を断罪することが出来なかったお父様でもあったのである。

様々な問題を抱えた幹部たちをお父様は切り捨てることをせず、時には真の子女様を厳しく叱責されながら、かえってカインの子女である祝福家庭や側近幹部を弁護するようなそぶりさえ見せて来られた真のお父様であった。

 

子女様たちがこぞって金孝律氏など側近幹部を忌み嫌っていたと言うことはよく聞き及んできたところのものである。

それでも真のお父様は金孝律氏などの側近幹部を使い続けて来られた。まさに、サタンを屈服させるにはそれしかないと覚悟を決めての所業のようにさえ思われた。

今現実の教会幹部たちが、どれほど真のお父様の伝統や精神を破壊し、真の家庭の伝統や精神を踏みにじり、真のお父様が遺された遺産を食いつぶし遺棄し続けていることか!許し得ないことの限りを尽くしながらも、祝福家庭を主管してその上に君臨し続けている。

今日の異常な状態を誰が予想しただろうか!しかし、今日の混乱は長い教会史の最後の結末として不可避なことだったのかもしれない。

最後の問題は私たち祝福家庭一家庭一家庭が、自分たちが教会に導かれたことの意義と価値が何処にあったのかをもう一度再認識し、悔い改めて再出発するかどうかにかかっている。

厳しい自省が必要であろう。真の家庭に問題があるのではない。問題は私たち自身にあったのだ!

 

 

 

 


「信じる」信仰時代は終わった。・・最も大切な宝物を蔑ろにしてきていたことに気づくべきです

2017-05-03 03:10:09 | 統一家の行くべき道

すでに「信じる」信仰時代は終わったとみるべきでしょう。

かつては「ただ信ぜよ!」と言われました。「イエスの十字架とその復活を信じる者は救われる!」とキリスト教では言われました。

仏教では「阿弥陀様を信じれば救われる!」と南無阿弥陀仏の信仰が長く世を支配してきましたが、それもすでに形骸化しています。

 

日本の新宗教

 かつて日本の新宗教はすでに信じる信仰のレベルを超えていました。江戸末期から明治の時代に勃興した新宗教は「心がけ」を改めることを説きました。この教えは幅広い支持を得て、その形式は神道の形式は取りましたが、実は心がけのアドバイスやガイダンスをする宗教でした。またこれらから派生して生活実践を重んじる宗教や倫理道徳運動が一世を風靡しました。

戦後の日本では創価学会などの現実利益を謳う宗教が勃興しましたが、これらは戦後の混乱期に頼るところのない人々が心のむなしさを抱いていたところに様々な会衆のつながりを重視しながら拡大してきました。

そして今は「宗教」に救いを求める人が極端に減少してきている時代です。これらの概要は先日「宗教に「救い」はあるか?」の記事に紹介した通りです。

 

実践的宗教が求められている時代

 少なくとも日本を取り巻く宗教圏は、すでに実践的宗教の段階を迎えてきています。生活実践にその基盤を置いて親子、夫婦、兄弟間、さらには隣人や職場における人間関係の在り方について教えるようになってきました。生活実践の在り方の指導が現代宗教の課題になり、そのような課題に応えられる現実的宗教がその勢力を増やしていっています。

現代社会は、人間の個別化が進み、過去の時代の固定的な倫理観や道徳観に人々は捕らわれなくなりました。その分、人々の生き方は個別化が進み、個々人の社会からのかい離が進み、孤独化が深刻な課題となってきています。

既成の宗教には満足を得られなくなっているのが実情です。一時一世を風靡した兄弟宗教もなりをひそめている時代です。

 

これから必要とされる現代宗教は

 これからの時代はどのようになって行くのでしょうか?原理ははっきり答えています。それは「侍義」の時代だと言うことです。

繰り返して述べていますが、「侍る生活」ここでは模範的家庭生活のレベルを備えた実体が現れれば、その理想に一致化してその生きざまを学びたいと望む人々が増えてくるのです。

残念ながらその時代的風潮にもかかわらず「家庭連合」はその時代的風潮から取り残されています。その組織内に見るべきものが乏しいのです。現実の多くが過去の時代に流行ったご利益的信仰や他力本願的信仰間に支配されて、家庭連合本来の理想家庭の実体を求める気風が失われているからです。

 

家庭理想の実体が求められる時代

 実体は実体のモデルが無ければだれもその必要性を感じることができません。霊的なもの、無形なものだけでは現代の人々は満足しないのです。空想的なものは一時人々を捕らえてもすぐに消えて行ってしまいます。実体が無ければだれも寄り付きません。逆に実体さえあれば人々は様々な方法手段をもってしても集まってくるのです。

 

昨日から述べていますが。「真の家庭」の実体を避けて通っているのが今現在の少なくとも日本の家庭連合です。

 真のお父様はご自身の家庭を通して本来、人類すべての人々が求める家庭理想の実体を実現して世に問おうとされました。そしてその理想を継続的に発展させる意味を持って父子協助時代を宣言され、子女様(代表的には顕進様)の家庭を立てて祝福の権限を委譲して家庭理想実現運動を全世界に展開するべく三度にわたる世界巡回ツアーを挙行されたのです。本来そのツアーが正常的に完結さえしていれば、すでにこの世界は家庭理想実現運動が世界的に拡大してい、文先生の再臨のメシアとしての使命は完結していたはずなのです。

ところが思わぬ妨害が入って、その完結の時を迎えぬまま真のお父様は聖和して行かれました。

 

真の家庭理想実現運動の実体の中心は明らか

真の家庭理想実現運動の実体は明らかです。それこそ真の子女様の家庭です。それは我々統一運動において最も貴重な存在です。その家庭無しには統一原理で謳った三大祝福の完成世界の実現はあり得ません。にもかかわらず今の家庭連合では真の子女様の家庭を「分派」呼ばわりして教会員たちがそのもとに赴くことさえ禁止し、その首魁に参加した公職者は職務を解任するという暴挙まで行っています。これらは神様の摂理とも、文鮮明先生が掲げた理想ともかけ離れたものです。

だから天運が働かないのです。教会幹部やちょろうと言われる人々は早くそのことの間違いを知って悟ってその方向を改めなければなりません。それが出来なければ、「家庭連合」は時代から取り残され、天運から取り残され、もちろん神の摂理からも遠ざけられてしまうでしょう。二世たちの時代には何も残らなくなる可能性さえあるのです。

 

目覚めなければなりません。自分たちが一番大切にしなければならないものを蔑ろにしてきたことを知って悔い改める時なのです。最も大切にしなければならない宝物を投げ捨ててしまっていたのです。今こそ悔い改めて本来の筋道に帰らなければ、ぶどう園の管理を任せた僕が不義なる行いで実の息子まで殺めた結果、農園の主人はその管理権を僕から取り上げて他国の人々に与えた譬を思い出すべきです。

そういう真剣な時に至っているのです。


偽りの絶対信仰、絶対愛、絶対服従・・・盲目的服従の要求の末路

2017-04-30 21:58:18 | 統一家の行くべき道

宋総会長の語った言葉が伝わってきた。

広島で語られたらしい。

ご自身のヨーロッパでの実績、センゲン条約を克服し、真のお父様の入国許可を勝ち取った証の後で、兄弟たちに「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」の話をして、天の父母様と真の父母様の前に、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従しましょう!」と語ったと聞いた。

とんでもない嘘偽りである。真のお父様が語られた「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」は全ての宇宙の根本である神様に対しての「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」である。絶対に人間としての御父母様に対する「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」を要求するものではない。

そもそも、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」は、誰かがそれを要求するようなものではないし。あるいは鼓舞するようなものでもない。神様の愛に対して、素直になれば自然と湧き上がってくるのが「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」の心であり、心情なのである。

 

HOPEブログでは以前に「忠孝とは?」と言いうテーマで記事を書いたことがある。「忠孝」と言う言葉自体が、それをどこかの誰かが要求すること自体がおかしいとその時書いた。

朝鮮朱子学や、日本の朱子学でも親孝行とは、親の言いつけに絶対にそのまま従うことのように説いているが、それが大きな間違いであることを指摘した。神様の親の心情に相対し、その愛に感動して応える美が孝の心情であると説明した。

親が子供を愛すれば、子供に孝を説かなくても子供は孝の心を顕すものなのである。王様や領主が民を愛しいつくしめば自ずと忠の心は生じてくるものなのである。殊更に「忠孝」を強調して、ましてやそれを強制するなどというのは朱子学の犯した最大の間違いであり、欠陥であった。これは歴史がすでに実証している結果なのである。

朱熹の説いた教えである朱子学の問題点に疑問を抱いたのがその後その教えをして陽明学と呼ばれるようになった王陽明の考えであった。当時宋から来日した禅宗の僧侶を介して日本に伝えられれう王陽明全集を手に知れ、王陽明の教えに感化感動したのが中江藤樹だった。中江藤樹も儒学の学び初めは「親の言いつけに絶対的に従うことが親孝行」だと考えていたが、必ずしもそれが本当の親子うことは言えない矛盾に悩んでいたが、そのご王陽明全集を読むにつけ単純に親の言うことを守るということが本当の親孝行ではなかったということに気づくようになったのである。

中江藤樹のこの悟りがその後の日本の精神史に極めて大きな良い影響を与えたことが、「代表的日本人」を著述した内村鑑三の著述のなかにも書かれている。日本民族の精神が大きく開花していくきっかけとなったのである。

孝と同様、主君に対する忠もそうなのである。それまで主君の言いつけにただただそのまま従うのが「忠」だと教えられてきていたが、その当時打ち続く戦国の戦いの中でそれが悲劇をもたらす要因であることを、多くの武将たちは気づくようになってきていたのである。たとえ主君の言うことでも、その指示に理が無ければ果敢に進言し諫言し、理にかなった戦いを上奏するのが本物の中心であるという考えが芽生えてきていたのである。

日本の戦国時代の優れた武将には優れた家臣が多く存在していた。戦国の覇者のとなっていたののは、単に優れた主君をいただく明けでなく百戦錬磨の家臣を多く抱えた武将が勝利を重ねて戦国大名の覇者になっていった。そのような勇猛果敢な家臣団は単純に主君に盲目的に従う家臣団ではなかった。時には主君の命令に命がけで逆らったり、命がけで主君に諫言して、忠誠を尽くした家臣をかかえた戦国大名が最後の覇権を獲得して、名最相明家臣として称えられたのである。

指揮官の言うことを単純に良しとしていては戦いに勝てないことは冷厳な現実である。単純に主君の言うことに従うことが本当の忠義ではない事をその時代の人々は学んでいったのである。時には主君に一時逆らうように見えても、最後の勝利を獲得することこそが真の忠義の姿なのである。

 

第二次大戦が終結して、東条英機首相が戦犯として東京裁判において裁かれたときにかれは「敗北したことに責任を感じる」としたそうである。当然のことである。「勝てる、勝てる!」として国民を総動員したのに結果的に敗北して、国民を塗炭の苦しみの中に追いやり、戦をとどめたかった昭和天皇の意思に背いたのだから当然の話である。

日本を代表する忠臣と謳われた楠木正成も後醍醐天皇の前に諫言したが受け入れられず、結局湊川の戦に負けがわかりながら出陣、結局一族郎党すべてが討ち死にする悲惨な最後を遂げた。それは一見美談だが、楠木の諫言を受け入れなかった後醍醐天皇は結局、京を追われ吉野に逃れ、南朝を開くが結局最後は北朝側に屈服せざるを得なくなったのである。この時代を描く戦記物の「太平記」はこの時代の経過を克明に描いている。主に南朝方の人物や武将を多く描いているこの読み物は、確かに南朝方の人物が書いたものだとされているが、単純に南朝側に立って、楠木正成や後醍醐天皇に忠誠を尽くしたという人物の美談を取り上る書物ではない。何故に南朝が滅んでいったのか…その経過を知ることを通して、真の忠臣の在り方や、治世の在り方を説いた経世の書だったのである。だから江戸期に「太平記読み」が珍重され、諸侯の治世や軍略の教科書足りえたのである。後に水戸光圀公が南朝こそが正統であるとして「大日本史」を著述させるが、いかにも南朝こそが正統であったとしても、その戦い臨み、治世にあたっての現実を無視した判断決定の拙さが、南朝滅亡の結果をもたらしたこともその歴史の中に記述されているのである。その点からも楠木正成の湊川の討ち死には悲劇であったが、最大の教訓を残していったのである。

 

忠孝を尽くしながらも何故敗北していったのか、そこに教訓があったからである。盲目的信仰や忠孝を要求すほどの愚はない。

残念ながら今日、総会長の今日話されたという話の内容を聞き及ぶにつき、盲目的信仰や従順の要求であったと聞いて唖然とした。これは統一教会が滅びることでしかない。かつて日本では南朝が滅び、大東亜戦争で敗北した盲目的愛国や忠孝の強制がもたらしたと同じ過ちを日本統一教会も繰り返しているのである。日本統一運動史では「・・商法」と呼ばれて、日本教会発展の最大の障害となった事件を引き起こした当時の教会体質の過ちを繰り返してしまっているのである。

あまりにも愚かである。公のような盲目的な信仰や服従の要求こそが、組織壊滅の最大要因となるのは必定である。批判を許さない、なにものををも従わないものを分派呼ばわりする。そして何より大きな過ちは子女様を蔑ろにして分派呼ばわりする非礼である。まかり間違っても子女様である。子女を否定することは父母を否定することである。今日も宋総会長は子女様を否定する発言を平気でしていた。誰がそのような言動を許容しているのだろうか。そういう言動に「アージュ」を要求するのか!

今は食口たちは従っているかのように見えるかもしれないが、それら食口の「良心」を否定する言葉の数々は、必ず天の審判を受けざるを得ない結果が待っている。どのように強弁しようが組織は確実に崩壊に向かっているのである。大本営発表に驚喜していても、現実は確実に敗北に近づいていたように。最後の末路に突き進んでいるにもかかわらずである。

 


宗教紛争の解決方法・・・祝福家庭のあるべき姿とは (み言訓読から)

2017-04-29 13:08:21 | 統一家の行くべき道

今も世界では葛藤と戦争が続いています。

東アジアでは北朝鮮の挑発に、これ以上放置しておくことが出来ないと、米国トランプ大統領が挑戦しようとしています。

昨日も北はミサイルを発射!失敗したと伝えられています。

世界の紛争には宗教が絡んでいる事変が数多くあります。中東地域の紛争も必ずと言っていいほど宗教絡みです。

 

訓読友の会の最新のみ言を読んでのまとめと感想です。

Apr.27.2017 今日の訓読のみ言 「平和の原理と愛の息遣いを生かす」自叙伝  P.15

以下に、その後半部分をコピーさせていただきました。(全文は上記リンクを! 文中の強調文字はブログ主が付けました)

 宗教紛争が頻繁に起こるのは、多くの政治家が自らの利己的な欲望を満たそうとして、宗教間に潜む反感を利用するからです。政治的な目的を前に、宗教は方向性を見失ってよろめき、本来の目的を喪失してしまうのです。宗教は本来、平和のために存在するものです。すべての宗教が世界平和に責任を負っています。それなのに、反対に宗教が紛争の原因となったのですから慨嘆がいたんするほかありません。その醜悪しゅうあくな様相の背後には、権力と資本を握ったどす黒い政治が隠れています。指導者の本分はすべからく平和を守ることであるのに、かえって逆のことをして、世界を対立と暴力へと追い立てているのです。

 指導者の心が正しく立たなければ、国と民族は行き場を失って彷徨うことになるでしょう。悪しき指導者は、自らの腹黒い野心を満たすために宗教と民族主義を利用します。宗教と民族主義の本質は悪いものではありませんが、それらは世界共同体に貢献してこそ価値があるのです。私の民族、私の宗教だけを絶対視して、他の民族と他の宗教を無視して非難するとすれば、その価値を失ってしまいます。自分の宗教を押し立てて人を踏みにじり、人の宗教を見下して、憎悪の火を燃やして紛争を起こすとすれば、そうした行為はすでに善ではないからです。私の民族だけ、私の国だけが正しいと主張することも同様です。

 お互いを認め合い助け合って生きる、これが宇宙の真理です取るに足りない動物もそのことを知っています。犬と猫は仲が悪いといわれていますが、一つの家で一緒に育ててみると、お互いの子を抱きかかえ合って親しくなります。植物を見ても分かることです。木に絡からまって上に伸びていく葛くずは、木の幹に寄り掛かって育ちます。だからといって、木が「おまえはなぜ私に巻き付いて上がっていくのか」と葛くずを責めたりはしません。

お互いに為に生きながら、共に生きることがまさに宇宙の原理です。この原理を離れれば、必ず滅亡するようになります。今のように民族どうし、宗教どうしが相互に罵ののしり合って、争うことが続くとすれば、人類に未来はありません。絶え間のないテロと戦争によって、ある日、吹けば飛ぶ埃のように消滅してしまうでしょう。しかし希望が全くないのではありません。もちろん希望はあるのです。

 私はその希望の紐ひもをつかんで放さず、生涯、平和を夢見て生きてきました。私の願いは、世の中を幾重にも囲んできた塀へいと垣根かきねをきれいさっぱり壊して、一つになる世の中をつくることです。宗教の塀を壊し、人種の垣根を取っ払い、富む者と貧しい者の格差を埋めた後、太古に神様がつくられた平和な世の中を復元するのです飢えた人もなく涙を流す人もない世の中ということです。希望のない世界、愛のない世の中を治療しようとしたら、私たちはもう一度、幼い頃の純粋な心に戻るしかありません。

 

◇最初に 宗教紛争が頻繁に起こるのは、多くの政治家が自らの利己的な欲望を満たそうとして、宗教間に潜む反感を利用するからです。」とあります。宗教紛争が起こるのは政治家の利己的欲望だと喝破しています。

指導者の心が正しく立たなければ、国と民族は行き場を失って彷徨うことになるでしょう。とあります。

指導者の心が正しく立たないといけないと言われます。そして 「私の民族、私の宗教だけを絶対視して、他の民族と他の宗教を無視して非難するとすれば、その価値を失ってしまいます。自分の宗教を押し立てて人を踏みにじり、人の宗教を見下して、憎悪の火を燃やして紛争を起こすとすれば、そうした行為はすでに善ではないからです。私の民族だけ、私の国だけが正しいと主張することも同様です。」「私の民族」「私の宗教」そして「私の国」だけを絶対視して他の民族や宗教を国を無視し非難することの非を指摘されています。

「お互いを認め合い助け合って生きる、これが宇宙の真理です。」と言われます。「お互いに為に生きながら、共に生きることがまさに宇宙の原理です。」と続けられます。

「私の願いは、世の中を幾重にも囲んできた塀へいと垣根かきねをきれいさっぱり壊して、一つになる世の中をつくることです。」「宗教の塀を壊し、人種の垣根を取っ払い、富む者と貧しい者の格差を埋めた後、太古に神様がつくられた平和な世の中を復元するのです。」そして希望のない世界、愛のない世の中を治療しようとしたら、私たちはもう一度、幼い頃の純粋な心に戻るしかありません。」と結ばれています。◇


最後にHOPEの感想です

平和世界を創り出す主人になれ!

希望のない世界に希望を、愛のない世界に愛をもたらすことが文鮮明先生の生涯の目標でした。「幼いころの純粋な心」と言われます。私たちの心の奥底に息づいている本心の叫び!私たちの「良心」ではないでしょうか!

文先生、真のお父様は私たち食口一人一人がそのような心に満たされて生きるものとなることを願われています。そして世界の指導者たちがそのような心を持って生きることが出来る。民族や宗教や国家を指導して生きるものとなるよう、心の治療を施すことのできるものとなってほしいと願っておられます。

私たち祝福家庭は真のお父様ご自身がそうであったように、常に幼子の心に立ち返り、常に「為に生きる」心に満ち溢れ、あらゆる宗教、あらゆる民族、あらゆる国家を超えて「為に生きる文化」を拡大していく主体者となることを願っておられるのではないでしょうか!


祝福家庭に願われること

真の祝福家庭とは、そのような文鮮明先生の教えた「平和を愛する心」「為に生きる心」で率先して自ら実践し、世の政治的リーダー達をも感化して、平和な世界、ともに幸福に生きることのできる世界実現に日々邁進して生きる家庭のことを言うのではないでしょうか!

まかり間違っても、他の宗派を否定したり、自分たちの派閥のみが正しいとして他を非難したり中傷したりするものではないことは明白です。今こそすべての祝福家庭が初心を取り戻す時が来ているのではないでしょうか!


尊敬心はおろか最低限の礼節さえわきまえぬ者たち・・今悔い改めなければ最後の審判を免れ得ない

2017-04-26 16:39:50 | 統一家の行くべき道

相変わらず、ブラジル事件のビデオを上映しての対策集会が行われているらしい。

実に酷い話である。例のブラジル教会で顕進様が当時の大陸会長を叱責されている映像である。すでにこの映像の中身については桜井正実さん他が、事実と背景をきちんと解説しているので論を待たないが、それにしてもこのような映像を今にもそれらしく、対策集会で用いるという神経がもはや異常である。

 

食口たちはそこまでバカではない

食口たちは、そこまでバカではない。さすがの祝福家庭たちも事の異常さに気づいてきているようである。まかり間違っても天一国の王子である真の子女様に対する礼節のかけらも感じられない、現教会幹部の所業に、心ある食口たちのみならず、日頃は教会から出される方針や指示に極めて従順な食口たちもあまりの異常さに、「おかしい!」「おかしいわね!」と言うようになってきた。

 

いくらなんでもそこまでやるなんて!

「いくらなんでもそこまでやるなんて!」たとえ今の教会幹部が繰り返し言うように「お父様が行くなと言われた」と言うような事実があったとしても、それならば直接そのように言われた幹部が行かなければいいだけの話である。お父様が直接にたとえばインターネットでも通じて全食口に語り掛けたなら別である。そうではないのである。

先のブラジルでの顕進様の大陸会長への叱責であるが、お父様でも同様な叱責をされたことはいくらでもあると聞く。お父様ももとより気性の激しい方である。あまりにひどい悪徳には厳しい叱責を為されるのが当然である。

とにもかくにも現教会幹部の顕進様を排除しようとする悪徳かつ執拗な姿勢は、まさにあのブラジルでの大陸会長の姿そのものでもある。子女様がどのような方なのかということを微塵も理解しようとする姿勢すら見受けられないのである。

 

祝福家庭にとって子女様とは神様の血統の根に他ならない

祝福家庭にとってみれば本来子女様こそ、自分たちの生命の大元なのである。祝福家庭として祝福式を通して、どうして血統転換の恩恵に浴しているのかを考えれば、当然当たり前の話である。神様の血統につながることのできる根本が子女様なのである。本来子女様無くして祝福家庭はあえ無いのである。そう考えれば尊重して尊重して尊重してもあまりある真の子女様たちなのであるから、その子女様に対する非礼の極みは言い尽くしようのない悪の極みともいうべきものなのである。

 

たとえ子女様に何らかの間違いがあっても

もしかすると、子女様にも何らかの間違いがあるかもしれない。もしや子女様にも何らかの問題があるかもしれない。しかし、それでも子女様は子女様なのである。原理的な価値と位置づけは永遠に変わることがない。

もしや誤りがあれば糺せばいいのである。もしや誤った方向に行こうとされているのならば諫言すればいいのである。そのようにアベルの子女様に間違いがあれば糺して差し上げるのがカインの子女としての祝福家庭の役目であって、子女様を排斥したり、排除することは本来あってはならないことであることは普通に考えても当たり前の話なのである。もしや不足なところがあれば、それを補って差し上げるのが、本当のカインの在り方だと学ばなかっただろうか!

ここで、カインと言う言葉を使ったが、お父様のみ言にもあるように、本当の意味での「アベル」は真の子女様であり、「カイン」は我々祝福家庭なのである。このことは原理の基本の基本である。

 

本当のアベル・カインの原則が守られなかった統一教会の歴史

残念ながら統一教会の歴史では常に真の子女様が祝福家庭から疎外され、蔑ろにされ、排斥され、排除されてきた歴史が続いてきた。

本来仕えるべきアベルの子女様を排斥し、まさに人類最初のアダムの家庭でカインがアベルを殺したような犯罪行為を繰り返してきたカインの立場の祝福家庭たちなのである。実は自分たちの神様の血統の根があることを知ってか知らずか!

おそらく、そのことを理解せずして、真の子女様から真のお父様の愛を奪ってきたのが長い間の統一教会史の側近幹部たちの歩みの歴史だったのかもしれない。

あの、釜山のボンネッコルで聖進様とそのお母様を蔑ろにしたことを皮切りに・・・

イーストガーデンでは真の子女様たちがどれほど側近幹部たちを恨めしく思われ続けて来られていたか生々しく伝えられている。

 

お父さまの夢を打ち砕いた悪そのもの

お父さまにとって何よりもの希望は子女様以外のなにものでもないことは、普通に考えれば明らかなことだろう!それでもお父様がアベルの子女である真の子女様をさておいてカインの子女である弟子や側近たちをより愛され、何か事があれば、カインの子女である祝福家庭や側近たちを叱るよりは、本来何の罪もない子女様を激しく叱責されてきたことが度々だったと聞いている。

お父さまのその胸の思いを知ることもなく、お父様が子女様を叱責されているからとして、子女様を攻撃する輩は何者なのだ!

大半の食口たちは真のお父様に直接接する機会は極めて稀であった。お父様は食口たちの直接接するときはいつもいつもその愛情を注ぎつくしてくださっていた。しかしその背後でどれほど、子女様たちが蔑ろにされ続けて来ていたかと言うことは、側近幹部しか知らないことでは無かったのか!側近幹部たちがお父様から愛されたのは、究極的に彼らが、子女様を支えて、守って神様の王国を作ってくれるものと信じていたからでは無かったのか!

 

聖書マタイ伝のぶどう園の主人と農夫の話

ああ、聖書福音書に語られた「ぶどう園の主人と農夫たち」の話を思い出す。

マタイ伝では21章のたとえ話である。(マタイ伝21.33~21・44より)

「農園の主人が収穫の季節になったので、僕を送ったら、その僕たちを殺し、自分の子どもを送ったら敬ってくれると思って送ったら、その息子をも殺してしまった。」と言う話である。

正にその悪徳な農夫たちが行ったような悪事が進行しているのである。

最早もうこれ以上の悪徳が許されていいはずがない。

 

「天が罰するでしょう!」しかし~

誰かが「天が罰するでしょう!と言ったが、もはや天でも地でも許される次元を超えている。

神様の最終み旨の成就は真の子女様の家庭にかかっている。三代圏の家庭の完成が神様のみ旨の最終的成就の鍵なのである。だから真のお父様は「顕進なしに基元節はない。」と明確に最後に語られたのである。

そのことを教会幹部は食口たちには秘密にしてきた。しかし、今はそれらのことが全て露になる時が来たのである。

真の子女様の家庭なくして神様のみ旨の成就があり得ないのに、何をもって「家庭連合」を導いていくというのであろうか!悪徳幹部の意図はすでに完全に暴露されているのである。どんなに事実を隠蔽し、嘘を嘘で塗り固めて食口を盲導しようとしても、食口たちもそこまでバカではない。今や数多くの食口がその過ちに気づき、いまそのような幹部たちに断罪の声をあげようとしているのである。

 

真のお母様の救出を!

そうだからこそ「真のお母様」を救い出さなければならないのである。今その悪徳幹部たちは真のお母様を担ぐことで自らの存在を守ろうとしている。その意図しか見えないのが事実である。

真のお母様をお救いし、真の家庭を本来あるべき姿に帰して差し上げる一番の近道は何でしょうか!それは、真実と事実を明白に明らかにしていくことです。悪徳な幹部たちの罪状を明らかにしていくことが一番の筋道です。

彼らがそのことを通して、改めて悔い改めに至るならば、彼らにも救いの道は残されているでしょう。しかし、あくまでもその悪徳な道を貫こうとするならば、今、とある無神論国家が最後の断末魔を迎えているように、最終的断罪の日が近いことを知らなければならないでしょう。

 

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