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HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

お父様は嘘の報告により騙されて無罪の息子を打ったのではない・・・「逆理の法」とは 神様とお父様の固い意志でなされた最後の摂理であった。 ~「逆理の道」質疑から

2016-12-24 16:30:58 | 「逆理の道」の質疑

お父様は嘘の報告により騙されて無罪の息子を打ったのではない・・・・「逆理の法」とは 神様とお父様の固い意志でなされた最後の摂理であった。

 「逆理の道」についての質疑を再掲します。

 

問:[Y] 順理とか逆理とかという言葉は原理講論には無かったと思いますし、お父様のみ言にはありましたででょうか~順理、逆理という言葉はいつ誰がのように使い始めたのか?あるいは韓国ではそういう言葉を一般に使うのかどうか知りたく思います。

 答:[N] 200938日束草におけるいわゆる「霊界メッセージ事件」でお父様が顕進様を解任された後、5月25日にお父様は協会幹部、お母様、多くの食口の前で当時の心境を語られたと、み言葉選集612巻234ページに記録されてます。

「これは驚くべきことだ。行き詰った障害毎に順理の法が通じなく逆理の法で超えなければならない山(障害)を歩いてきたという事実を後々歴史家達が証明し記録されるであろう。」

 お父様自ら顕進様の処置を逆理の法(摂理)であった名付けられ、歴史に記録せよと言われたのです。

 また同日

「神様もご存知ですが同情してあげれないと言うのです。(息子を)牢獄に追いやった神様の心情も気の毒だが、文総裁はそれを知りつつもじっと耐えて行くんだよ。神様がそれを見て先生以上に痛哭される場面があったということを皆さん知らねばなりません。

先生が何故(息子を)助けてあげれないのか?ということです。このように牢獄暮らしのはめになっても真の孝行息子になりたいと言うこの子を助けてあげることができない逆天地の背反の烽火を持っている神様の立場がどれほどにみじめだったかをわからねばなりません。皆さんそれを感じなければなりません。」 み言葉選集612巻236頁

 

問:[Y] そのようにお父様ご自身がそう言われたのですね。最初のみ言は、意味深長な表現です。後ろのみ言は、かなり率直で解り易いみ言です。

いずれにせよ極めて重大な意味を持つみ言ですね。前後の事も含め、歴史の検証に残る事実のみ言として、残して、また拡散浸透させて行くことで問題解決の道が開かれて来ると感じます

さらに、 解りやすく解読、解説があればと思います。

答:[N] ここに上げたみ言は、お父様の語られた重要なみ言のうちまだまだその一部にしかすぎません。前後のみ言葉を含め総合的に解読してわかることは、この事件は90歳のお父様が周囲の達の集中的嘘の報告により騙されて無罪の息子を打ったのではないということです。「逆理の法」とは 神様とお父様の固い意志でなされた最後の摂理であったということです。お父様は息子が無罪であることは誰よりもご存知でありながらもあえて打ったのです。

 

質問:この時期のお父様のみ言撰集に収録されたみ言は一部改竄されたと聞きますが、いかがなのでしょうか。

 答:この時期のみ言はお父様の「一切手を加えてはならない。」というみ言があったにもかかわらず、いったん発行されたみ言撰集が発行後すぐに回収され、その後発行されたみ言撰集からは削除されてしまったみ言が多くあります。これらのみ言は回収され改竄される前のみ言です。それだけ重大な意味があるということでしょう。

 

 関連して:これまでに関連のあるみ言は金容成のブログに多く掲載されていますF)

http://blog.livedoor.jp/kimyongsong/archives/1043289218.html

以下金容成のブログ記事と引用された真のお父様のみ言を参考に引き続きこの問題を明らかにしていきたいと思います。

(続く)

 


本来の順理の長子権の相続と逆理での長子権の相続はのように違うのか? 「逆理の道」質疑⑥

2016-12-08 23:19:47 | 「逆理の道」の質疑
質疑⑥です。

問: 本来の順理の長子権の相続と逆理での長子権の相続はのように違うのか?よくわかりません。長子権復帰の道は(お父様が歩まれた道)ということで理解できますが、「相続」の道と言うのはどこが違うのでしょうか?亨進様は国進様とのカインアベルを勝利した復帰の概念での長子権を主張しています。 父子協助とはこの辺りことを言っていると思いますが、うまく整理できません。お教えください。

答: 順理ではお母様が長子と次子をひとつにしてお父様に繋げ、お父様と長子が心情一体化すれば順調に長子権相続がされます。ですから鍵はお母様が握っています。逆理ではお母様が長子を排斥しようとした為全てが狂ってしまったのです。
亨進様と国進様のカイン・アベル勝利の主張は原理的ではありません。

問: 逆理による相続とは母の関与無くして成立できるものなのでしょうか?

答: カイン、アベルの関係は蕩減復帰時代の概念で、父子協助時代は創造本然摂理ですから長子、次子と呼ぶべきで、長子は顕進様、次子は亨進様・国進様です。

問: それは理解できますが、創造本然摂理で逆理と言うのがよくわからないのです。本然なら母は居ないといけないのではないでしょうか?

答: 相続だけを見れば父子関係ですから順理も逆理も母は関係ないのですが、順理9年目にして母が長子を排斥しょうとした為、父はこのままでは相続も基元節勝利も不可能だと判断し逆理(長子を犠牲にし、母の悔い改めを図る)摂理を断行したのです。ですから逆理の方法で創造本然の真の家庭安着、基元節勝利をなそうとされたのです。
基元節勝利の為には父母と子女一体が必須条件です。

2013年1月13日基元節は放棄されざるを得なくなり・・・・勝利された長子顕進様を中心に立てた基元節摂理として延長せざるを得ないとお父様は判断されたのです。 質疑の5

2016-12-05 22:22:29 | 「逆理の道」の質疑
12月6日
質疑を続けます。

問5: 順理の基元節は無理になり、逆理の父子協助がスタートしたわけですね。来るべき基元節は顕進様家庭を中心に成されると顕進様側人たちは理解していました。

お父様は顕進様を追放されてのち、順理の基元節ができないと判断されたのですが、お母様の心を取り戻すことさえできれば、顕進様を元の長子の立場に立てた基元節が出来ると考えておられたのでしょうか?

答: そうです。2011年にはお父様の顕進様排斥は終了しました。顕進様は逆理環境の中で神様とお父様の心情を体述勝利したのです。その後はお父様はお母様の心を取り戻すために全力投球されました。しかし結果的にはお母様は悔い改めに至らず、お父様の期待はまたも裏切られてしまう結果となりました。結局2012年7月、これ以上お母様の悔い改めの実現は期待できないと、お父様は最終判断されたのです。その結果、お父様とお母様を中心とした2013年1月13日基元節は放棄されざるを得なくなりました。そうして勝利された長子顕進様を中心に立てた基元節摂理として延長せざるを得ないとお父様は判断されたのです。

2012年8月3日、生涯最後の訓読会にてお父様は「顕進なくして基元節はありえない」と遺言を語られ聖母病院に入院されました。病闘の後2012年9月3日、顕進様に全ての希望を託してお父様は聖和されていかれたのです。


2009年2月28日の段階で、・・・・・お父様と顕進様を中心とした順理の基元節は難しくなり、お父様は逆理の父子協助路程に入る、と確信された  「逆理の道」質疑その④

2016-12-02 12:34:19 | 「逆理の道」の質疑
「逆理の道」の質疑その④
「逆理」とは何か?「逆理の法」を選択されたお父様の心情はいかなるものだったのか?これらをお父様の残されたみ言をもとに解明していくことが分裂を終わらせ、再び「統一」を取り戻し、希望の日に至る近道です。「逆理の道」の真相は何か?質疑を続けます。

質問:2009年3月8日、お父様が顕進様の役職を解任されそれまでのお父様の目指した方向とは真逆な方針に転じられました。その後もお父様は顕進様の元に食口が行かないように指示されたり、亨進様に王冠を授けられるなどお父様ご自身が顕進様を排除されるような言動をとられました。
顕進様がお父様の下を離れた時、お父様と顕進様の信頼関係はどうだったのでしょうか?当時、亨進様、国進様、さらにはお母様、そして教権勢力も全てお父様の意向や願いと異なる行動をとろうとしてしている状況だったと思われますが、お父様をしてそのような言動(逆理の法)をとられるようになられた理由やお父様の心情はいかなるものであったのか知りたいと思います?
それからお父様が主催された最後の大会ともいえる「神様実体み言葉宣布大会」の意義、その期間(逆理の期間)~お父様聖和までの顕進様の責任分担は何だったのかなどについてお教えください?  


答:2009年2月28日の段階で、国進様、亨進様、お母様、教権勢力すべてが全てお父様と一致することができず摂理に反した行動をとったので、お父様と顕進様を中心とした順理の基元節は難しくなり、お父様は逆理の父子協助路程に入る、と確信されたと見ます。
参照:http://blog.livedoor.jp/kimyongsong/archives/1057441747.html
お父様にとっては非常に心痛い決断でしたが、顕進様は必ず勝利できる確信があったはずです。
ところで、この期間、お父様にとって一番の心配の対象はお母様でした。なぜなら2013年基元節勝利のための必須条件の一つが、お父様とお母様の摂理的心情一体基盤が前提となっていたからです。実情はそうではなかったことがお父様の一番の心配事でした。
そこで、 この夫婦一体基盤を条件的にも立てる為に「神様実体み言葉宣布大会」が必要だったのです。


問:二次摂理(逆理)に移った時にこの夫婦一体基盤や亨進様擁立を容認された理由は何だったのでしょうか?

答: 離反したお母様の心を取り戻すため、お父様は聖和まで全心全霊を尽くし努力されました。この時のお父様の心情世界と逆理摂理の心情圏が復帰摂理クライマックスの核心中の核心になります。幸いな事にみ言葉集にすべてこれらの事実が記録され残されています。お父様はあえて我々を悟らしめるため、すべて記録せよと指示され、記録が残されているのです。

さて亨進様の擁立をお父様が容認された理由はお父様の苦肉の策とみるべきです。お父様自らの意志で長子である顕進様を公職から降ろすことを公言されたので、代わりの子女を立てる事を公表せざるをえなくなりました。お父様はお母様の心を取り戻す為にもお母様が強力に推薦する亨進様を臨時(正式ではなく)に立てざるを得なかったのです。サタンに条件を取らせず且お母様の心を取り戻そうとする苦肉の策だったのです。
  


「 顕進様に対する逆理摂理の目的のひとつは顕進様に長子権相続をさせる為にあります。期間は2011年までです。」「逆理の道」の質疑その3

2016-11-30 22:00:28 | 「逆理の道」の質疑
「逆理の道」の質疑その3


質問者:ご紹介いただいたお父様のみ言を通して、お父様が敢えて長子の立場の顕進様を否定されたことの理由は理解することができました。しかしそうすると、顕進様を通さなければ救われない立場の祝福家庭も行く道を失うようにも思います。実際、どうすればいいのかがわからずさ迷っているのが祝福家庭の現状です。「逆理の法」の中でお父様は祝福家庭はどうあるべきだとお考えになっておられたのでしょうか。

答: 顕進様に対する逆理摂理の目的のひとつは顕進様に長子権相続をさせる為にあります。期間は2011年までです。この間顕進様は神様、真の家庭、全祝福家庭から見捨てられた立場から自力で這い上がり 神様、お父様の心情を復帰しなければなりませんでした。これに勝利して初めて長子権が相続される立場だったのです。そして顕進様は勝利されました。顕進様が長子権を相続した2011年以降は勝利された長子に祝福家庭は繋がらなければならなかったのです。

問: それでは、1998年の副会長就任からの歩みは順理の道で長子権相続の期間だったのが2009年から逆理の道に転換せざるを得なかっと言うことでしょうか?

答:2009年に入り、顕進様を立てて摂理を進めようとされるお父様に反対するお母様、国進様、亨進様、協会幹部達の言動に危機感を感じたお父様は、これ以上彼らと順理で摂理を進めることは不可能だと判断され順理から逆理の道に転じていかれたのです。
そのあたりのご心境を協会幹部達に語られたみ言葉が記録されています。2009年2月28日のみ言です。