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ダンスとか。

藤田一 『これが私の優しさです』

2004-06-19 | ダンスとか
横浜・STスポット、昼。
山下残の作品に出ている若いダンサーで、作品は初めて見る。衣装も空間も真っ白で、客席はフワフワした毛のマットに、クッションや、なぜかぬいぐるみまで。観客はそこへ靴を脱いで上がる。脚を伸ばしたり、寝そべる人もいる。藤田は舞台奥にイスを置き、そこに座って何もせず、静かな映像(ゆっくり回る観覧車など)を見せたり、ショパンやラヴェル、矢野顕子などといったわかりやすいピアノの選曲で踊ったり。合間にはやたらたどたどしいMCも入る。恥ずかしがっている人を見るのって、恥ずかしい。なぜだろう。全体を覆うこの過剰なまでの柔和さは、頭を角にぶつけたら本当に死んでしまいそうな豆腐のそれであり、警戒感を通り越して退廃的ですらある。基本的には観客を眠らせてしまうぐらいのリラクシンな空間を意図しているのだと思うが、ただそこで不可解なのが、ダンスそのものはさほど柔和でも静かでもない、という点だ。約60分の内かなりの部分が、非常に丁寧に細部まで振り付けられているから、ただ環境インスタレーション的なものを拵えて満足するのではなくあくまでダンスに何かを言わせようとしていることはわかる。しかしでは、なぜダンスだけがかくもけばけばしく騒々しいモダンダンスなのか?スピードやエネルギーは抑制されているものの、このフカフカの客席の上で寝転がっている人とコミュニケートしようとしているとはどうしても思えない。まあそこで本当にただ「眠い」ダンスをやってもそれこそ芸がないわけだけど、「眠くなりつつある人々」とうまく関わりながら夢うつつの世界へなだれ込んでいく、というテーマはもっと深く探求する価値があるのかもしれない。途中、踏切の遮断機の棒の端っこをアップにした映像の部分が面白かった。おばさんや子供の声が聞こえていて、カンカンカンという警報機の音が鳴り始め、電車が通り過ぎ、遮断機がサッと上がると同時にカメラも上へ煽って、壁一面に真っ青な空が映り、それを背景にして藤田が踊りだすというもの。映像の中の「意味」的な世界から、舞台の上での非「意味」的な空間への快い飛躍。
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