この短編は、文庫版の「りかさん」に収録されているもので、単行本で読んだ方は、読んでいないんではないでしょうか。
私も、単行本で読んだため、「ミケルの庭」は読んでいなかったのです。
今回、「ミケルの庭」のためだけに、「りかさん」の文庫本を買いました。
相変わらず、某古本屋ですが。
ミケルって何?
って思うでしょ。
人の名前なんですねえ。
「からくりからくさ」の登場人物、マーガレットの子供なんです。
だから、この短編は、「からくりからくさ」の後日談にあたるわけです。
子供といっても、まだ小さいんです。
立ち上がって歩くより、はいはいするほうが早い時期です。
焼けた家屋部分を改装して工房にし、自分たちの仕事で生活を始めた蓉子と与喜子。
大学院に席を置く紀久。
ミケルを3人に預け、中国に短期留学しているマーガレット。
マーガレットは子育てに真剣に取り組みすぎて、少々神経質になっている模様。
これは、子を持つ母親として、うんうん、とうなずいてしまいます。
さて、紀久がインフルエンザにかかり、続いてミケルが具合を悪くします。
噴水のように吐き、痙攣を起こします。
ああ、この時点で、お母さん方にはイタイですね。
小さい子供に降りかかる、突然の病魔。
それに対する、蓉子、与喜子、紀久のそれぞれの反応。
私が自分の子供が大きなケガをしたときの反応は、紀久に似ています。
冷静なようで、実は現場から乖離している自分。
静かにパニックを起こしているんですね。
蓉子が紀久に投げかける言葉は、紀久のように反応するであろう自分の心に、
切り込んでくる光のようでありました。
蓉子は土着の母性を現すキャラクターなのではないかと思います。
紀久が感じる、蛇にあらわされる悪は、単なる罪悪感のような気がします。
かわいいって思う気持ちに負けてしまった自分。
瞳孔のあいた目をかわいいと思ってしまった自分。
なんか、紀久に肩入れしているなぁ。
まぁ、それは置いておいて、ミケルの感じている「庭」を感じてみましょう。
見えるか見えないかの蔓に取り巻かれた「庭」。
それにぴったりと寄り添うような黒いもの。
白銀に輝く葉。
想像してみましょう。
美しいじゃありませんか。
それとも、息苦しいと感じますか?
りかさん
私も、単行本で読んだため、「ミケルの庭」は読んでいなかったのです。
今回、「ミケルの庭」のためだけに、「りかさん」の文庫本を買いました。
相変わらず、某古本屋ですが。
ミケルって何?
って思うでしょ。
人の名前なんですねえ。
「からくりからくさ」の登場人物、マーガレットの子供なんです。
だから、この短編は、「からくりからくさ」の後日談にあたるわけです。
子供といっても、まだ小さいんです。
立ち上がって歩くより、はいはいするほうが早い時期です。
焼けた家屋部分を改装して工房にし、自分たちの仕事で生活を始めた蓉子と与喜子。
大学院に席を置く紀久。
ミケルを3人に預け、中国に短期留学しているマーガレット。
マーガレットは子育てに真剣に取り組みすぎて、少々神経質になっている模様。
これは、子を持つ母親として、うんうん、とうなずいてしまいます。
さて、紀久がインフルエンザにかかり、続いてミケルが具合を悪くします。
噴水のように吐き、痙攣を起こします。
ああ、この時点で、お母さん方にはイタイですね。
小さい子供に降りかかる、突然の病魔。
それに対する、蓉子、与喜子、紀久のそれぞれの反応。
私が自分の子供が大きなケガをしたときの反応は、紀久に似ています。
冷静なようで、実は現場から乖離している自分。
静かにパニックを起こしているんですね。
蓉子が紀久に投げかける言葉は、紀久のように反応するであろう自分の心に、
切り込んでくる光のようでありました。
蓉子は土着の母性を現すキャラクターなのではないかと思います。
紀久が感じる、蛇にあらわされる悪は、単なる罪悪感のような気がします。
かわいいって思う気持ちに負けてしまった自分。
瞳孔のあいた目をかわいいと思ってしまった自分。
なんか、紀久に肩入れしているなぁ。
まぁ、それは置いておいて、ミケルの感じている「庭」を感じてみましょう。
見えるか見えないかの蔓に取り巻かれた「庭」。
それにぴったりと寄り添うような黒いもの。
白銀に輝く葉。
想像してみましょう。
美しいじゃありませんか。
それとも、息苦しいと感じますか?
りかさん
つか、なぜだらう。
この「ミケルの庭」もそうだけど、すごい紀久のキャラクターが好きなんですよね。
いま、ざっと読み返しても、最後の蓉子の言葉に泣き崩れる紀久の姿は、何かぞくぞくするくらいに迫ってくる感じがします。
「庭」は難しい……ですね。
少なくとも息苦しさは感じませんよ。
ただ、最後のミケルが見ている「庭」と蔓を掴もうとする手、紀久の指を掴もうとする手の描写はほっとするというか、優しさを感じました。
「からくりからくさ」で感じる、血の連なり的な過去からのメッセージを強く持っているし、どこか冷めているようで、実は情熱を裡に秘めている。
蓉子は、どちらかといえば浮世離れしている感があって、そんなに悟っている人は身の回りどこを探しても見つけられなさそうだし、与喜子は裏表がなさそうで、やっぱり自分とはちょっと違う。
似ているとまではいかなくても、どこか共通するところがあるのは紀久だから、肩入れもしたくなりますね。
「庭」で、息苦しいと書いたのは、美しいだけじゃない、何かほかのものがありそうだと思ったからです。
うまく言い表せない、苦し紛れなんですが、それ以外思いつかなくて。
蔓に絡まれている「庭」を外側から見たら(外側があればの話)、それは何かに囲まれていると見えるんじゃないかしらと思ったんです。
蔓が何を指すのか、「庭」を構成する粒子なのか、「庭」の歴史なのか。
その中のひとつとして、自分はあると想像する。
組み込まれていると感じるか、その中に唯在ると感じるか。
まぁ、そんなとこです。
>最後のミケルが見ている「庭」と蔓を掴もうとする手、紀久の指を掴もうとする手の描写
紀久の指を光の蔓と考えるならば、蔓はつながりをあらわしているのではないでしょうか。
人のつながり、想いのつながり、過去からのつながり・・・
もうひとつ、興味深いところがあります。
ミケルの視点で語られる、4人の母親(?)の描写です。
柔らかい人→蓉子
面白い人→与喜子
よく抱いてくれた人→マーガレット
ですが、緊張する人=紀久なのかな?
マーガレットも緊張してミケルと接していたのではないかしら。
ミケル自身も見分けがついていないし、そこのところは良くわからない。
ミケルの安心する光の点々の集まりって何だろう?
もしかしたら、4人のミケルをかわいいと想う、気持ちなのではないかしら。
その点々は、蔓につながるんだよね。
それは紀久の指になる・・・
一巡りしてしまった。
とりあえず、今はここまでです。
キツイお話でした。子を持つ母として読んでいて息苦しくなった覚えがあります。
実際、話のなかの髄膜炎の検査とか、わが子がやってたりするので、その当時の生々しい悲鳴を思い出したりして。まるでその場に居るような、リアルな描写でしたし・・・
私は、蓉子には強い憧れを感じました。これは、ないものねだりかな。こういう母性はきっと誰もがどこかに持っているけれど、誰にでも与えられる力をもつ彼女がうらやましいのかもしれないです。
ミケルの繋がり。光の蔓の先にまず紀久さんがいて、与希子や蓉子がいて、マーガレットがいて、これから広がる繋がりの光を、あたたかさと安心感で迎えられたら、と祈ります。
前のコメント、すいません、消しておいてください。
こっちが全文です。とても長いですが……(^^;
で、紀久のことなんですが……すごい魅力的ですよね。
何か、醜いところとか美しいところとか、憎しみとか愛しさとか、渾然となっていて、とても深みのある人間像になっているんじゃないかと思います。
「からくり~」なんか、読んでるこちらまでつらくなるようなくらい、暗い感情の一面を突きつけられたりするのに、でもそういうところは自分の中にあって、そういう生々しいくらいに人間らしいところがまたよくて、肩入れしたくなってしまいます。
柔らかいひと=蓉子。
明るい光がパンパン弾けるひと=与希子。
よく抱いてくれたひと=マーガレット。
緊張、そして不安で寂しくなるひと=紀久。
と言うのは思ってました。
確かに、緊張という意味ではマーガレットも紀久も同様に描かれていましたけど。
で、これに関係するのですが、繋がり、と言うのは思いませんでした。
蔓が光の点々の集まりも、ミケルをかわいいと思う気持ち=愛情ではないかな、と言うのは思います。
けれど、紀久の心に燻っていた闇の部分、それが解消したとは言えないけれど、蓉子の言葉で少なくとも、ミケルを不安にさせな
いくらいの光になった。
そうしたものが閉じていた庭をどんどん広げていったんじゃないかな、と。
そこに蔓があって、それはミケルが感じることのできる純粋な愛情で、それが目を開けたときに紀久の指だった。
そのことが、ミケルの中から紀久を「不安」と「寂しさ」の対象ではなくなった、ってことを感じさせたような気がします。
だから、庭はいま思うと、ミケルと4人のこれからの未来……そういう前向きな、開けた印象がある……んだと思います。
……ん? なんか自分で書いていていまいちよくわからなくなってきた……(爆)
って、なんか似たようなことを書いてるような気がしないでもないですが、今のところはこんな感じです(^^;
救急病院の様子、救急車の中の様子、医師の対応、どれをとってもリアルで、胸に詰まります。
私の子供たちは、なぜだか小学校2年生の時に、必ず大きな怪我をしているんです。
指を縫う、額を縫う、かかとを縫う、挙句は交通事故で骨折。
血だらけの手を病院の看護婦さんに言われるまで気づかない、そんなこともありました。
子供を持つと、いろいろなことがありますね。
これは余談ですが、ほかの家のガラスを割ったり、怒鳴り込まれたりしたことも、恥ずかしながら数回あります。
それももう笑いと飛ばせるようになりました。
母親(おばさん)の強さはここにあるのかも。
>ミケルの繋がり。光の蔓の先にまず紀久さんがいて、与希子や蓉子がいて、マーガレットがいて、これから広がる繋がりの光を、あたたかさと安心感で迎えられたら
このつながりの広がりは、梨木さんあらわすところの世界観なんだと思います。
蔓にぴったりと貼りつく黒いもの。
光にはあたたかさや安心感がありますが、それだけじゃない、蔓には暗い部分もある。
それは普遍的なものであって、それをミケルは受け入れる。
蓉子の人間性にはあこがれますね。
病院で、彼女が紀久を残してトイレに行きますよね。
蓉子はトイレで、泣いたんじゃないかな。
気持ちを整理しながら、紀久や与喜子、マーガレットの気持ちを考える。
そして、紀久にあの言葉をかける。
う~む。考えすぎか。
私が、蓉子のことを土着の母性、蔓のことをつながりではないのかと思ったのは、梨木さんのエッセイに影響されてのことなんです。
そこのところは、私が説明するより、エッセイを読んでもらったほうがずっと理解が早いと思うので、読んでみてください。
>前向きな、開けた印象
確かに、蔓に囲まれた「庭」は光が満ち、明るく美しい印象を受けます。
でも、そこになにかもうひとつあるような気がしているのは私だけでしょうか。
それをつかもうとするんですが、チラッと見えるだけで、すぐにどこかに逃げてしまう。
言葉にできるほど、はっきりとしたものではないんですが・・・
まあ、いつかそれもわかる時が来るでしょう。
ということで、しばらく放置。
エッセイはまだ買ってないので、読み終わるまでは少しかかりそうですけど。
>そこになにかひとつ
う~む、またじっくりゆっくり読み返してみよう……。
エッセイとか、他のもいろいろ見てからこちらももう一度、ですね。
また何か、こうじゃないかな、ってのがあったら教えてください(^^
自分の直感が、一番正しい。うん。
ところで、今日はお休み?
そちらのブログも更新しているし。
たまには平日のお休みもいいよね。
な~んて、私はお休みの日が多いから、日々だらだらと主婦業(?)を満喫してますが。
なので、今日の記事は相棒なのでした。
でも、平日のお休みってのはいいですよねぇ。
今日みたいに水曜のお休みは、得した気分になります。
私はくろにゃんこさんの感じ方とか、考え方とか、興味深く読ませてもらってますし、信用するのは私ですから、お気になさらずに(^^
そうだな、って思うことも、そうかなぁ、って思うことも私なんでうすし。
なんか生意気言ってるかなぁ(^^;