「春になったら莓を摘みに」では、さまざまな国、文化、人に対しての<わかり合いたい>という欲求とそれに関する問題の提起がなされていました。
国として、民族として分かり合えることに対して、個人は何を為しえるのか。
これは「春になったら莓を摘みに」という言葉に、すべてが集約されているといえましょう。
「ぐるりのこと」では、さらに深く掘り下げ、
身近なことから日本に起こった事件、民族や世界の動きまで取り上げ、思索しています。
私は、ブログを始めるようになってから、読んだ本に関して、自分の感じたことを素直に書くこと、感じるというあやふやなものに、明確性を持たせることを意識的にしてきました。
では、同じ本を読んだ人はどう感じるのだろう、とブログ巡りなどをするわけです。
そこで、自分と同じように感じる人を見つけるととてもうれしいし、違う視点で見る人に出会うと、おお、そんな見方もあったのか、と感心したりするわけです。
また、コメントを寄せていただいて、それに答えていく過程で、見えていなかったことが見えてくることもあります。
そのような、知的な活動を意識的に繰り返していくうちに、
いくつかの問いを立てている自分に気づきます。
その問いは、必ずしも答えの見えるものではなく、大きな集団の中の一個人がそんな疑問を持つなんて、何の意味があるのか、というものばかり。
だから、問いに対して考えても、考えるだけで、答えは一向にはっきりしないし、問い自体が漠然としていたりして、自分でも雲をつかむようなものなのです。
梨木さんと自分はどこか似通ったことがあるのではないかと「春になったら莓を摘みに」のレビューで書いたのですが、「ぐるりのこと」を読み、自分が漠然と立てている問いに関することが多く取り上げられていて、正直、驚きました。
文章中に、自分が考えていることに出くわすと嬉しいですし、梨木さんは、より深く思索しているので感じ入ることしきりです。
もちろん、梨木さんの思索していること全てが、
私の考えていることに合致するわけではありません。
アプローチも違いますし、梨木さんは、より視点がグローバルですし、
私が気がづいていないところもちゃんと見ていますし。
それでも、方向性は似ているかなと感じました。
だから、梨木さんの小説にのめりこんでしまうのかもしれません。
日々を着実に生きること。
こちら側と向こう側の境界線で、自分を保ちつつ、心を開いていたい。
「家守綺譚 」の主人公、綿貫征四郎は、向こう側とこちら側の境界線にいて、
心を開いている人物でしたね。
「ミケルの庭」のミケルの視点は、こちら側ではない向こう側にありましたね。
梨木さんの小説をより深く感じたいと思う方は、エッセイを読んでみるのも良いでしょう。
でも、エッセイに、梨木さんのプライベートなどを求める方は、裏切られること間違いなしなので、やめておいたほうがいいでしょう。
ぐるりのこと
国として、民族として分かり合えることに対して、個人は何を為しえるのか。
これは「春になったら莓を摘みに」という言葉に、すべてが集約されているといえましょう。
「ぐるりのこと」では、さらに深く掘り下げ、
身近なことから日本に起こった事件、民族や世界の動きまで取り上げ、思索しています。
私は、ブログを始めるようになってから、読んだ本に関して、自分の感じたことを素直に書くこと、感じるというあやふやなものに、明確性を持たせることを意識的にしてきました。
では、同じ本を読んだ人はどう感じるのだろう、とブログ巡りなどをするわけです。
そこで、自分と同じように感じる人を見つけるととてもうれしいし、違う視点で見る人に出会うと、おお、そんな見方もあったのか、と感心したりするわけです。
また、コメントを寄せていただいて、それに答えていく過程で、見えていなかったことが見えてくることもあります。
そのような、知的な活動を意識的に繰り返していくうちに、
いくつかの問いを立てている自分に気づきます。
その問いは、必ずしも答えの見えるものではなく、大きな集団の中の一個人がそんな疑問を持つなんて、何の意味があるのか、というものばかり。
だから、問いに対して考えても、考えるだけで、答えは一向にはっきりしないし、問い自体が漠然としていたりして、自分でも雲をつかむようなものなのです。
梨木さんと自分はどこか似通ったことがあるのではないかと「春になったら莓を摘みに」のレビューで書いたのですが、「ぐるりのこと」を読み、自分が漠然と立てている問いに関することが多く取り上げられていて、正直、驚きました。
文章中に、自分が考えていることに出くわすと嬉しいですし、梨木さんは、より深く思索しているので感じ入ることしきりです。
もちろん、梨木さんの思索していること全てが、
私の考えていることに合致するわけではありません。
アプローチも違いますし、梨木さんは、より視点がグローバルですし、
私が気がづいていないところもちゃんと見ていますし。
それでも、方向性は似ているかなと感じました。
だから、梨木さんの小説にのめりこんでしまうのかもしれません。
日々を着実に生きること。
こちら側と向こう側の境界線で、自分を保ちつつ、心を開いていたい。
「家守綺譚 」の主人公、綿貫征四郎は、向こう側とこちら側の境界線にいて、
心を開いている人物でしたね。
「ミケルの庭」のミケルの視点は、こちら側ではない向こう側にありましたね。
梨木さんの小説をより深く感じたいと思う方は、エッセイを読んでみるのも良いでしょう。
でも、エッセイに、梨木さんのプライベートなどを求める方は、裏切られること間違いなしなので、やめておいたほうがいいでしょう。
ぐるりのこと
普段私が見ないようにしているものを、どんなに辛くても直視している人がいるってことに、私はなんだか胸が締め付けられるような心地がしました。
だけどもう目をつぶっていられるような状況ではないですよね・・。ロンドンでテロが起こったことを知って、「春になったら莓を摘みに」という言葉を真っ先に思い出しました。やるせない。
「感じるというあやふやなものに、明確性を持たせる」ってとても難しいことだなって感想文書くようになって痛感してます。私も気持ちとの折り合いをつけて、無理なく言語化(梨木さんから拝借♪)出来るようになりたいです。
私のレビューが途中で切れています!
どうやら、混雑している時間にアップしたのがまずかったのでしょう。
ちょっと、危険かなとは思ってたんですが、まさか途中で切れるとは思っていませんでした。
はあ~。
これから書き直します(泣)
気持ちを切り替えて、お返事書きます。
ロンドンのテロ事件は、まだまだわからないことが多いので、その目的が何であるのか、何を為したいのか、疑問だらけです。
テロ活動をしている人にとっては、信念で動いているわけで、そのためには何をしても許されるんですよね。
自分たち以外の人間は、人間として見えていないんでしょう。
その人たちにとっては、私たちは向こう側の人間で、もし、その人たちが、私たちの側を人間として見る時が来たなら、自分が何をしたのかが分かるのではないでしょうか。
それとも「人間とは思えなかった」と言うのでしょうか。
>感じるというあやふやなものに、明確性を持たせる
私も、きちんと出来ているとはいえませんが、少しでもその気持ちに近づくことが出来たらと思ってます。
失敗してもまあいいや、といういい加減さが私の強み(?)です。
記事にくろにゃんこさんの名前を出してたので、
すぐにこちらに伺わねば!と思っていたのですが、
先にコメントまでしていただいてしまい、すみませんでした。
私も、感じるというあやふやなものを明確に言葉にするというのは難しいと、感想を書くようになってからつくづく感じます。
頭の中でイメージできても、それを的確に文章にするというのがなんと難しいことかと。
書けば書くほど思いから遠ざかってしまうことすらあって、投げたくなることもよくあります。
でも、自分が感じたことを言語化しようとする過程で、読んでいた時に気づかなかったことに気づいたりするので、読むというだけだけでなく考えてみるというのは、必要だし大切なことだと思っています。
でもたいてい途中で諦めて感想をアップしちゃうんですけどね(苦笑)。
読むときハラハラしながら読んだんですが、あのままだったんですね。
>読むというだけだけでなく考えてみるというのは、必要だし大切なことだ
うんうん。
作品の質にもよると思いますけど、作品自体の欠点やスキルなどはとりあえず脇において、感じたことを素直に書きたいと思ってます。
的確な言葉というのが、難しいところですね。
juneさまの「ぐるりのこと」のレヴューはよく書けているなと思います。
これからも、お互いに頑張りましょうネ!
TBさせていただきました。
梨木さんの作品は本当に考えさせられることが多いです。毎回新作が心待ちです。
梨木さんの作品は、じっくりと取り組んでいきたいテーマを扱っていますよね。
今すぐ答えが見つからなくても、何かしらの示唆があったり、共感できることがあると、読んでいるこちら側もうれしいです。
「沼地」の次の作品は、しばらく出ないような気がしますが、さらに深いところまで突っ込んだものであることを期待しています。
期待しすぎかなぁ。