くろにゃんこの読書日記

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アイスキュロス 「コエーポロイ」「エウメニデス」

2006年11月29日 | ギリシア悲劇とその周辺
アガメムノーン」から経つこと8年。
成長したオレステースが仇を討つ。
それが「コエーポロイ」です。
「コエーポロイ」の唯一の写本の一部が欠損しているために、他の2作に比べると復元されている部分が目立ちますが、そこは、欠けた部分に何が書いてあったのか、後世作家の引用などを組み立てたり推測したりする人たちが頭を悩ませている姿を思い浮かべて読みましょう。
「コエーポロイ」は、ソポクレス「エーレクトラー」と同じ題材でありますし、
オレステースが先ず登場するというところも同じです。
先の記事で書いたとおり、アイスキュロスとソポクレスではいろいろと細かい違いもありますが、大きく違うのはオレステース像でありましょう。
ソポクレスのオレステースは仇討ちを遂行することが生きる目的であり、
母殺しに良心の呵責を少しも感じるところはありません。
オレステースはエリ-ニュエス(復讐の女神)そのものであり、
人間性を見せないところにオレステースの悲劇があり、母親の死を願ったエーレクトラーにも常軌を逸したところを見せつけています。
アイスキュロスのオレステースは、母を討ちとるという場面で
母親の命乞いの言葉に耳を傾け、躊躇してしまいます。
これは、ピュラデースがアポローンの言葉を発するという「アガメムノーン」におけるカッサンドラーの対となるための伏線でもあるのですが、それ以上にアイスキュロスは、仇討ちを正当なこととして描いており、そこが大きくソポクレスと異なるポイントであるといえるでしょう。
これは、どちらが良いとかそういうことではなくて、
詩人の解釈の違いを楽しむところだと思います。
躊躇したことで、母殺しを完遂した後にオレステースは復讐の女神エリーニュエスが
自分へ襲いかかる姿を認めること(オレステースにしか見えない)につながり、「エウメニデス」へと繋がっていくわけです。
「コエーポロイ」は、いくつかの場面が「アガメムノーン」と対になるように作られていて、
細部にも随分凝っているという印象を受けました。
アイスキュロスは偉大な詩人であると同時に、優れた脚本家であり、
演出家であったのだと思います。

血で血をあがなう復讐の連鎖をどうやって解決するのか。
それが「エウメニデス」の一つのポイントであり、「アガメムノーン」「コエーポロイ」をみてきた観客の期待は高まったことでしょう。
アポローンに救いを求めたオレステースは、
アポローンからアテーナーの裁きを受けるようにと勧められます。
「アガメムノーン」「コエーポロイ」が人間同士の物語であるのに対して、「エウメニデス」では、オレステースをはさんで神々が対決するという神々が中心の物語になっています。
「コエーポロイ」の最後では目には見えなかったエリーニュエスですが、「エウメニデス」ではコロスという集団がその役につき、恐ろしい姿を見せます。
コロスというのは合唱隊として悲劇には欠かせない重要な役者集団ですが、今まで読んだ悲劇のなかでは、どちらかといえば縁の下の力持ち的な役柄が多く、このような主役級の役がコロスに振られるなんてとても意外でしたし、エリーニュエスという恐ろしげな神が集団で舞台上に現れるというのは、大変威圧感があったのではないかと思います。
アテーナーの行う裁判では原告はエリーニュエス、被告はオレステース、オレステースの代理人がアポローン、裁判は陪審制で陪審員はアテーナイの市民が受け持ちます。
エリーニュエスとアポローンの売り言葉に買い言葉のような言葉の応酬が展開されますが、それは旧き血筋を守る神としてのエリーニュエスと新しい神であるゼウスの血筋であるアポローンとの新旧の神対決でもあるんですね。
エリーニュエスのほうが太古から存在するということは、それだけ人間の原始的な部分があらわれているということであり、新しい神としてのアポローンとアテーナーは新しい秩序をあらわしていると解釈することもできるでしょう。
なんにしても、いがみ合うエリーニュエスとアポローンの議論は、
的を外していて(ある方面から強い反発を呼ぶ議論であるとだけ言っておきましょう)、観客からはうっかり失笑の一つも漏れたんじゃないかと想像してしまいますが、当時のアテーナーの市民がどう思ったのかはわかりません。
さて、票は同数に分かれ「アテーナーの一票」でオレステースは無罪放免。
喜び勇んで帰国の途につきます。
アポローンも役目は終えたとばかりにいつの間にやら退場。
残されたエリーニュエスの怒りさめやらず。
そこでアテーナーはエリーニュエスをなだめすかし、アテーナイの恵み深い神へと変貌させ、アテーナイ賛歌となって「エウメニデス」は終了します。
新しい神、圧勝です。
裁判で無罪となったオレステースの母殺しの罪は、社会的にゆるされましたが、罪の意識までもが消えるとは到底思えないし、納得もできませんが、ここで重要なのは、復讐という慣習的な考え方を新しい秩序によって裁くということであり、法や道徳を守ることがアテーナイを栄えさせることになり、それを破ればエウメニデスとして恵み深い神となったエリーニュエスが報復の神となって現れることになるということです。

オレステイア3部作はオレステースを中心とした物語であるのは言うまでもありませんが、私が一番惹かれるのはクリュタイメーストラーですね。
血塗られた手で平然とアイギストスに微笑みかけ(仮面を被っているからわからないけど勝手に想像)、斬りつけようとするオレステースには育ててもいないのに「私が生んで育ててやった」と哀れっぽく言い寄り、オレステースに良心をかきたてさせ(クリュタイメーストラー、してやったり)、アポローンの神殿で眠り込んでいるエリーニュエスには亡霊となってゲキを飛ばす。
悪女を極めた姿には敬服いたします。

アイスキュロス I ギリシア悲劇全集(1)




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2 コメント

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復讐の女神 (スフィンクス)
2007-02-20 17:40:59
エリーニュエスというのは、
その後のヨーロッパの文学作品で、
かなり言及されていますね。
サルトルの『蝿』にも出て来ました。

復讐の女神のおどろおどろしさっていうのは
すごい、インパクトがあって惹かれます。
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クリスティーの小説のタイトル (くろにゃんこ)
2007-02-20 22:23:31
最近ハマっているクリスティーのマープルシリーズに「復讐の女神」というものがあって、ちびっと読んだんですけど、そこでの復讐の女神はネメシスでした。
ネメシスとエリーニュエスとは、似ているようですが、別の神なんですね。
ネメシスのウィキペディアに掲載されている絵画を見ると、とても美しいですが、「エウメニデス」でのエリーニュエスの姿ははかなり醜かったですよね。
醜い姿の方がホラー味倍増で、抑止力も高そうではあります。

そうですか。
その後のヨーロッパ作品にもそんなに言及があるんですか。
まだまだ勉強不足です。
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