本当は、太宰のレビューを書くはずでした。
『駆け込み訴え』を読み、イスカリオテのユダの愛するが故の憎悪、愛する自分への依存という、生々しい感情を目の当たりにして、こんな小説を書く人は心中するのも当たり前だなぁと思い、『女の決闘』を読み始めたところで「そろそろ、この辺りから私(DAZAI)の小説になりかけていますから・・・」という文を見たとき、ああ、このまま読み進めては発狂してしまう、
と危機感を感じ、やめました。
精神的に繊細な人は、太宰を一時にたくさん読んではいけません。
そこで、『死霊の恋』を読むために借りていた、ちくま文学の森『変身ものがたり』に収録されている泉鏡花『高野聖』を読むことにしました。
有名なお話なので、読んだことのある人も多いでしょう。
越前敦賀に向かう旅の途中で、高野山の僧侶と道連れになった旅人が、
僧侶から聞く怪異の物語。
その旅僧(実は大和尚であったという)が若いころ、飛騨の山越えをしたときのこと、本道を水と大木でさえぎられ、先を行く薬売りの後を追って旧道に足を踏み入れた旅僧が、蛇や蛭に苦しみながらもたどり着いたのが、ある一軒屋。
そこには、知恵の足りない男と美しい女、そして使用人と思われる親爺がいた。
親爺が売りにいこうとする馬は、何故か門から動こうとしない。
「貴僧(あなた)ここへいらっしゃる道で誰にかお遭いなさりはしませんか」
高僧が語る怪異というと、先ほどあげた「死霊の恋」を思い浮かべますね。
無垢な僧侶を美しい女が惑せるというシチュエーションも同じですが、
東洋の僧は、なびきながらも危機を脱します。
西洋と東洋の違いを比べて読むのも、面白いかもしれません。
また、『高野聖』は読み手の想像力に訴えるものがあって、
頭の中で映像をイメージしながら読むことができます。
蛭が落ちてくる場面は、ちょっと気持ち悪いですが。
そうそう、泉鏡花の別筆名に畠芋之助っていうのがあるんですよ。
はたけ、いも、、、なんて素朴な。
泉鏡花って、おちゃめさんだったんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/44/99a4f427076d920ae2dc08ee852125f0.jpg)
変身ものがたり
『駆け込み訴え』を読み、イスカリオテのユダの愛するが故の憎悪、愛する自分への依存という、生々しい感情を目の当たりにして、こんな小説を書く人は心中するのも当たり前だなぁと思い、『女の決闘』を読み始めたところで「そろそろ、この辺りから私(DAZAI)の小説になりかけていますから・・・」という文を見たとき、ああ、このまま読み進めては発狂してしまう、
と危機感を感じ、やめました。
精神的に繊細な人は、太宰を一時にたくさん読んではいけません。
そこで、『死霊の恋』を読むために借りていた、ちくま文学の森『変身ものがたり』に収録されている泉鏡花『高野聖』を読むことにしました。
有名なお話なので、読んだことのある人も多いでしょう。
越前敦賀に向かう旅の途中で、高野山の僧侶と道連れになった旅人が、
僧侶から聞く怪異の物語。
その旅僧(実は大和尚であったという)が若いころ、飛騨の山越えをしたときのこと、本道を水と大木でさえぎられ、先を行く薬売りの後を追って旧道に足を踏み入れた旅僧が、蛇や蛭に苦しみながらもたどり着いたのが、ある一軒屋。
そこには、知恵の足りない男と美しい女、そして使用人と思われる親爺がいた。
親爺が売りにいこうとする馬は、何故か門から動こうとしない。
「貴僧(あなた)ここへいらっしゃる道で誰にかお遭いなさりはしませんか」
高僧が語る怪異というと、先ほどあげた「死霊の恋」を思い浮かべますね。
無垢な僧侶を美しい女が惑せるというシチュエーションも同じですが、
東洋の僧は、なびきながらも危機を脱します。
西洋と東洋の違いを比べて読むのも、面白いかもしれません。
また、『高野聖』は読み手の想像力に訴えるものがあって、
頭の中で映像をイメージしながら読むことができます。
蛭が落ちてくる場面は、ちょっと気持ち悪いですが。
そうそう、泉鏡花の別筆名に畠芋之助っていうのがあるんですよ。
はたけ、いも、、、なんて素朴な。
泉鏡花って、おちゃめさんだったんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/44/99a4f427076d920ae2dc08ee852125f0.jpg)
変身ものがたり
鏡花、はまった時期がありました。見たことも無いような言葉とルビを駆使した文章が、万華鏡のように目に美しくて。正直、よく内容が把握できなかったりしたのですが、リズム感で突っ走って、けっこう読みましたね~。
太宰は、肌合いがあわなさそうで、無意識に避けてるかも。繊細じゃないんですが、小心なので(笑)
こちらこそよろしくです。
鏡花の文章は、旧仮名遣いでありながらもさらに独特できらびやかですね。
私は学生時代に「夜叉ヶ池」を読んだことがあるくらいです。
「春昼;春昼後刻」も面白そうですね。
太宰は時間を置いて、また何か読んでみようかと。
今は室尾犀星「蜜のあはれ」を読んでいますが、かなり笑えます。
鏡花はあまり読まないけれど、わたしが習っている邦楽の先生が玉三郎の映画に出るというので、まず本を読み、その映画を見に行きました。もう10年も前のような気がしますが。吉永小百合、加藤雅也でした。なぜ玉三郎が吉永小百合をえらんだか、ちょっと疑問に思ったものです。胸元はもはやアップには耐えられない状態でしたのに。「蜜のあわれ」読んでいただいているようでありがとうございます。今風に言えば、萌えって感じでしょ?。「人を好くということは愉しいことでございます」が、鏡花には苦しいことであり、それがまたいいのでしょうね。
「外科室」はみていないし、読んでもいないのですが、「夜叉ヶ池」は映画をみてから本を読みました。
こちらも玉三郎がらみですね。
美しかったなぁ、玉三郎。
「蜜のあわれ」読みましたよ。
面白かった。
オタッキーの萌えどころとはちょっと違うかもしれないけど、金魚さん、かわいかったです。
をじさま方の理想の娘の姿なのかなぁ。
これからレビュー書きます。
お楽しみに。
私も、太宰の「駆け込み訴え」を読んだ時、
まるで、一対一で、語りかけられているような、
太宰パワーを、感じて少し怖くなりました。
しかも、キャラクターが犬でした。。。
ちょうど王さま(もちろん王冠をかぶった白犬)がメロス(こっちも犬、どんな犬か忘れた)に身代わりを出せと言っている場面だったのですが、セリフもそこそこ原作に忠実で、見ていて怖かったです。
もしかして、太宰恐怖症だろうか?
泉鏡花の本名は「畠芋之助」ではなく「泉鏡太郎」です。
「畠芋之助」は鏡花が使っていた筆名の一つらしいですよ。
他の人の書いた書評を読むのが好きで、「泉鏡花」で検索してここにたどり着きました。どれも面白そうな本ばかりでした。紹介の文章がすごく楽しそうなんですよね。本が大好きな人なんだな、とちょっとした感動を覚えました(笑)
私は文を書くのが下手、ついでに筆不精なので、ぶしつけなコメントになってしまったかもしれません。申し訳ないです。
本当ですね。
私が読んだ本の紹介文には、そのように書いてあったんですよ。
ひとつの記事だけ信じちゃいけませんね。
これから気をつけます。
早速訂正します。
情報、ありがとうございます。
ブログっていうのは、素人が書くものですから、間違いや勘違いもありますよね。
こういう風に、間違いを指摘していただけると助かります。
おっしゃるとおり、本は大好きです。
読むだけじゃなくて、読んだ本の忘備録として、ブログをはじめたのですが、私と同じように本好きな人とこうやってコミニケーションを取れることが楽しいです。
どんどんコメントを残していってくださいね。
これからもよろしく!