Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

硝子の眼 Ⅵ。

2005-11-27 | 物質偏愛
 人工的な人肌の温度、とでも云おうか。
ベッドサイトのテーブルランプの灯かりは、私の欺瞞も昔の男の優しさも馴れ合いも全て一緒くたにして輪郭を露わにしてしまうから、闇に溶け込むぎりぎりの光量に微調整を加えて、私は煙草に火を点す。

「煙草、やめたんじゃなかったのか。今の彼、気管支が弱いんだろう。」
「普段は吸ってないわ。ひさびさよ。」

 煙草を挟む左の中指の爪は紅く彩られていて、その先がほんの少しだけ欠けていることが僅かながら忌々しく、すぅと大きく天井に向けて煙を吐き出した。
私は煙草の真ん中のほうを挟む癖がある。あんまり粋じゃないな、と云って端のほうを持つようにと私に根気よく教え込んだかつての男が隣に寝ていることもあって、すっかり忘れていた昔の吸い方を無意識ながら再現しようとしていることに苦笑する。

「確かに、こうして逢うのも久々だけどな・・とはいっても、最後に逢ってからまだ一年も経ってないか。もうすっかり卒業してしまったかと思っていたその紅い爪に揃いの紅い口紅だもんな。ひさかたぶりに、欲情してしまったよ。」
「お陰で、口紅が見事にはげてしまったわ・・・綺麗に塗るの、大変なのよ。」

「でもどうして、いきなりまた紅なんだ?」
「結局のところ、男はみんな紅が好きなのかなぁって思ったの。」

今の男との微妙な手探り状態が露見してもいい。できるだけ素直に言葉を紡ごうとしたら語尾が自嘲気味に照れてしまうのを防げなかった。男は、本気の話をしたいときには必ずといっていいほどそっぽを向いてしまう私の横顔を真っ直ぐに見て、言葉を続けた。

「俺はそういう訳でもないよ。君の激しい気性に凶器みたいな紅が似合ってたから好きだったんだ。彼氏さんはそうは言わないかい?」
「口では、紅じゃない色を勧めるわ。ほんとのところは知らないけど。」

 私の脳裡に、白いテーブルの上で微笑むわけでもなく、冷たくこちらを見下ろすあの人の顔が浮かんだ。穢れを知らない少女の衣装に不似合いな爪の深い紅。何人もの女達が今まで彼女に捧げてきた血の贄の色が。

カチリと音を立てて、男の顔がライターの火に照らされる。美しい面立ちというのでは決してないけれど、ひとつひとつの造作が美しい男の仕草を私は愛していた。そして、欲しいと願う仕草をひとつひとつ、転写するかのようにこの身に映してゆくのが愉しかった。そんなことを思い出す。


「あまり無理するなよ。まぁ、好んで無理をしたがる人に言うのもなんだが。」
そういって、男は私よりひと足先にホテルを後にして仕事に向かった。
残された私はあーあと大袈裟に声を出してみて、ぼふっと音と立てて威勢良くベッドに大の字に倒れ込んだ。僅かに残った口紅を、眼の前を横切った白いシーツの端で乱暴に拭い取る。

自分にぴったりの色だと思っていた紅。
あの男が愛してくれた「私の」紅。

だけど今の私にとっては、心臓をざっくりと抉られた贄が流す血の泪の色。
この色を纏うことそのものが、私とあの人だけが知る、贄のしるし。



硝子の眼。
硝子の眼 Ⅱ。
硝子の眼 Ⅲ。
硝子の眼 Ⅳ。
硝子の眼 Ⅴ。