Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

季節郵便。

2005-11-15 | 春夏秋冬
 今日は、季節がひと月ほどうっかり先走ってしまったように寒かった。
今年初めて着る上着を引っ張り出してしっかりと羽織り、外界へと繋がる扉を開けた。。

途端にひゅるひゅるっと白蛇のように細くてしなやかな風が3、4本、私の身体にまとわりついて、首をすくめた。流石に手袋はまだ早いだろうと思って、私は冬の桜の枝の如くにきゅっと乾いて縮こまった手指を護ろうと、慌てて両の手をポケットに突っ込んだ。その際、ポケットについているファスナーが蛇の薄くて小さな牙のように手の甲を僅かながら傷つけた。それはとても心細く遠慮がちな、微かで甘ったるい優しさを伴った痛みだった。

右の手を包んだポケットの中に、ふたつの小さく、そして尖った球体を見つけた。
昨年の秋に、きれいなものを選んでふたつだけ拾ったドングリだ。
仲良く3つの季節を越えてきたドングリは昨年よりも少しだけ軽くなり、僅かに残っていたはずの緑色は失われていた。

 季節は過ぎ去るものでなく、繰り返すものでもなく、ただひたすらに積み重なる。
昨年の秋の一部はこうして私の手中にあり、今年の秋はこうして私の目の前にある。来年の秋を迎えたら、それと同時に大事にしまっておいた今年の秋の欠片をどこかに探すだろう。

異国の大地や海の欠片を並べることで、その欠片を透かして遠くの大地や、あの遠い色をした海と私の部屋が繋がっていることを肌と匂いで感じ取ることが容易となり、思い出という自己満足であやふやな霞よりもずっと確実に存在する物質を通じて、私の想いと行いをあの場所へ還すことができる。そして同時に、過去の季節の欠片を通じて、いま私を包んでいるものより遥か下方に地層のように積み重なってしまった、もはや手の届かない時間の端っこにそっと手を届かせることができる。

 いくつの季節を踏み潰しても、それでもはやり私はドングリが好きだ。

だけれど、今の私の手元にあるドングリはこのふたつだけ。
生まれてから今までに拾ってきた全てのドングリを、もし季節の重なりと同じように平等に積み重ねたなら、どれだけの山となってしまうのだろう。
何歳になっても等しい愛情を込めて拾い続けてきたはずのドングリ。
その全てを山のように等しく貯蔵できないということが判っているからこそ、愛おしむかのように毎年ドングリを拾い続ける。


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5 コメント

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Unknown (さゆりん)
2005-11-16 14:33:03
時はどんどん過ぎて消えてゆくもの、という刹那的な気分でふだんはいます。堆積した時間に思いを馳せるのは思いがけない些細なきっかけから。ドングリみたいな小粋なきっかけは今はちょっと思い当たらないけど、

でもシーズンにはじめて袖を通す服のポケットに、去年見た展覧会のチケットの半券をがさりと探り当てて、そのときの出来事、一緒にいた人たちの忘れていた細部を思い出したりすることありますね。

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どんぐり (seedsbook)
2005-11-16 15:48:19
今年も拾いました~。

又、どんぐり独楽も作って遊びました。

先週焼き物のどんぐりも作ったけれど、白地に青い刺青をしたらなんだかどんぐりではなくなった。



コートのポケットに見つけた去年の欠片。

さゆりんさんと同じく展覧会の入場券の端切れ。

10ペニヒ(ペニヒですよ。。ということはもう何年もポケットに住んでいるんだこの硬貨は。それで、まだ放ってあります)

のど飴一つ(もちろん袋に入れてある)

買い物リスト。



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ありますよね (マユ)
2005-11-16 21:43:05
やっぱり女性はとくに、ポケットから色々と出てくるものでしょうか。財布のレシートは早く整理してしまいたいものだけれど、ポケットはちょっと愉しい場合もある。



>さゆりん さま



私もチケットの半券は色々なものが出てきます。

モノの欠片に過去の時間が詰まっていて、普段はすっかり忘れていたことを思い出させてくれるものです。

だから、忘れたくないものを無意識でありながらもポケットに溜め込む癖があるのかもしれません。



>seedsbook さま



私はカバンの中から、2年も前にリビアの旧市街修復のための募金をしたレシートが連番で入っています。

ここまで保存?されてしまうと、うっかり捨てられなくなってきました。

今年はまだドングリを拾っていません。

基本的に引き篭もりの生活を続けているからでしょう・・

コマは、子供のときに作った以来ご無沙汰ですが、お話を聞くと作ってみたくなってしまいます。

・・・現実逃避?(苦笑)

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懐かしいです (lapis)
2005-11-17 00:05:54
残念ながら、みなさんのようにロマンチックなものは出てきませんでした。(苦笑)

どんぐりは、子供時代に夢中になって集めたことがあります。食べるわけでも、独楽を作って遊ぶわけでもないのですが、形が面白いので、拾い集めました。

海岸に落ちている角の取れたガラス片も同じように夢中になって集めました。緑や青、茶色のガラス片が川を流れてくる間に、何とも言えない丸みを帯び、とても惹かれました。

どんぐりから、つい、子供時代を連想してしまいました。(笑)



とっても素敵な文章でした。冒頭の風邪の描写も良いですね。
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収集癖 (マユ)
2005-11-17 00:17:16
>lapis さま



ちっこくて綺麗なものを、子供はどうして集めたがるのでしょう。

地べたにべったり貼り付いて、周囲の視線もなんのその。可愛いものや綺麗なものは、それだけで絶対的な価値をもっていました。私も、綺麗な色と形をした石や貝、ドングリなどなんでも拾う癖がありました。

勿論、それをどうするって訳じゃないのです。

ただ、欲しいだけ。



子供じみたところの抜けない私は、今でもずっと、自分にしか価値のない、しかし自分にとっては絶対的な価値をもつ「無意味で美しいもの」に恋焦がれてしまうのです。
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