夢中人

sura@cosmic_a

黒島・2

2008年05月13日 | Weblog
長崎県は離島を多く抱える県だそうです。
その中の1つが黒島。
黒島で出会ったのは、島では当たり前の大自然。
手付かずの山々。海の浸食によって出来上がった岩の芸術。
夜空の星。




車で回れば半日くらいで島の観光ポイントは見れちゃうくらいの小さい島。
私も車にて島観光をさせてもらいました。
道路は狭い。
そして、ある観光ポイントに行く時にはジャングルみたいな道路を通っていくわけです。
あと、この島では信号機に出会うことはありませんでした。
公共の乗り物もない、コンビ二もない、ストアーもない、お土産屋さんもなかった。
ちょっとした商店が島の中心にあったかな。
旅館も3件くらいと聞きました。
ちなみに1泊2日2食付で5500~6000円くらいだそうです。
要予約で飛び込みではだめだそうです。
なんにもないと言ってしまえばなんにもない所です。
でも、余計な物がないと言えば余計な物が無い所。
そういえば、病院はないみたいなんだけど、ヘリポートはありました。
食べ物はおおざっぱに言ってしまえば、海の幸、山の幸がそこらへんにあるわけです。
そんな島の方達とふれあいがあって、そこで言われていたことなんですけど、
「仕事がないんだよね」と言われていました。
そういわれればそうかもしれない。
だから若い人が島を出て仕事をしなきゃいけない状況になっちゃうんだ。
で、私的にいろいろ考えたんですよ。
いろいろ考えて、この黒島は佐世保の相浦桟橋からフェリーで50分。
そして、今の私の毎日の通勤時間は2時間。
私の通勤時間から考えれば、黒島から佐世保に通勤は可能です。
で、さらにいろいろ考えて、なぜ私はこの2時間もの通勤ができるのか解いてみました。
まず一番影響が大きいのは道路だと思います。
高速道路で通っているんですが、あの道路がなければ今の通勤は出来なかったと思います。
このことから、道路がどんなに大事かというのがわかりました。
どんな場所であっても、道路がしっかりしていたらなんとか通えるんじゃないかな。
ちょこちょこと旅をしていて思っていたことなんですが、日本には秘境の地みたいな所はないみたいなんです。
だって、見た目は崖っぷちにある秘境の温泉地みたいなところでも
そこに行くまでの道路はしっかりしてるんですよ。
だからして、秘境の温泉地にやっとたどり着いたという感じはぜんぜんないです。
これってつまんないと思っていたけど、でも、そんな秘境っぽいところにも生活があって、
道路がしっかりとしたのがあれば通えるわけで、そうすればその街を出て行く人が
少なくなるかもしれないんだね。
なんとなくそう感じました。
あと、もう一つ影響があると思うんだけど、それは、できれば交通機関がしっかりしていればいいんじゃないかと思った。
私が使っている交通機関はありがたいことに夜まであって、その影響でも通勤可能になっている要因だと思います。
仕事していると必ず定時で終わるわけでもないもんね。
そんなこんなの条件がそろえば遠距離通勤も可能。。。。。。。かもね。
で、黒島はどうかと言えば、フェリーは確か1日3本だったはず。
それに夕方くらいの便が最終だったと思う。
今の状況では佐世保まで通えない。
私の理想的には、高速船が加わって夜の9時くらいの便が最終になればいいんじゃないかと思った。
さらに、相浦桟橋じゃなくて、市街地に近い方の桟橋にも発着するともっといい。。。かもね。
そしたらだよ、佐世保にいい感じのお仕事が増えなきゃならないんだ。
小さい街だけど、それなりに都市機能がなきゃいけないんだね。。。。。たぶん。
黒島の方で、黒島に仕事が増えることを望んでいらっしゃる方もいるかもしれない。
でも、私は思うんですけど、そうなってしまうと、今ある島の個性が無くなってしまうんじゃないかと感じるんです。
海外にホームステイされる方が多い中、黒島みたいなところにホームステイされてもいいんじゃないかと感じた。
特に都会で生活されてる方はいいかも。

またもや、いろいろ想像をはりめぐらして書いていますが、
なぜがこの黒島は私にたくさんのことを感じさせ、また見させてくれました。
なんでだろう。。。
あぁ、これって私が黒島を訪れることは偶然ではなく必然なんですね。
そう感じているところです。

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黒島

2008年05月13日 | Weblog
先日、黒島という島に行ってきました。
黒島は、佐世保の相浦桟橋からフェリーで50分。
どんな島だったかというと、一言でいうと写真を撮りたくなるような島でした。





まず、なにが目を引いたかというと、花です。
野に咲く花々がきれいでした。色とりどりの花々でした。
また、野に咲く花々だけではなく、各家々でお花を育てているみたいで
その花々もきれいでした。
なぜこんなに各家々でこんなにお花を育てているのかと不思議に思ったら、
それは、黒島には黒島教会という教会があって、そこの礼拝堂に
各家庭からお花を持ち寄って飾っているだからだそうです。
確かに、礼拝堂にはステキなお花がアレンジメントされていました。

この黒島教会は、フランス人のマルマン神父の指導により
1902年に完成した教会だそうです。
祭壇の床にきれいなタイルが貼ってあったのですが、それは有田焼のタイルとのこと。
なんでこんなりっぱな教会がこの島に?って感じなんですが、長崎県には田舎に行けばいくほど、
こんな教会があるんです。
それはやっぱり隠れキリシタンの影響なんでしょうね。
江戸時代に豊臣秀吉が、キリスト教を信仰すること禁止したみたいで、
でも、キリシタンだった人々はやめることなくこっそりと信仰を続けていたそうです。
そんな禁教下、幕府は「踏み絵」などでキリシタンであるかないか一人一人、
隅から隅までチェックしていたみたいで、もしキリシタンだとわかると、持ち物を制限したり、
そればかりではなく、ひどい拷問や処刑などがあったそうです。
あと、建設された教会も破壊していったみたいですね。
この隠れキリシタンの歴史の中には、「島原の乱」という出来事もあって、
それは、島原・天草の領民約3万7000人が島原半島の原城に立てこもり、
幕府軍の総攻撃により、老幼男女の別なく皆殺しという凄惨な結末を迎え、
そして、この乱の最後の舞台となった原城は徹底的に破壊されたそうです。
明治政府になってもその信仰弾圧は続いたのですが、
世界からの批判をあびた日本政府はキリスト教を黙認するようになったみたいです。
この出来事は、小学校だったか中学校だった忘れたけど、授業時間に聞いた。
改めて知るとひどい話だなぁと思って、でもだよ、この話って過去の話だけじゃないよね。
隠れキリシタンと中国のチベット問題が重なるけど。
。。。そうだ、重なる。
隠れキリシタンの話は耳をふさぎたくなる内容が多いみたい。
でも、ふさいではいけないんだ。
しっかりと聞かなければいけない。
この隠れキリシタンの歴史は絶対に忘れてはいけないものなんだ。
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