********** 感想
既存の学会組織の活動では、全体が集まって協議する機会は年に1回開催される総会だけしかないし、一つの重大な事件に対して、すばやく組織全体の意思を統一して、時期を逸しないでインパクトのあるすばやい抗議行動を起こすことは非常に困難であったと思います。
今後は、インターネットを有効に活用することによって、多忙な医師達でも、診療科や地域の枠を越えて、すばやい全国的な統一行動を起こすことも十分に可能な時代となりつつあります。田舎に引きこもっていても、全国の多くの人たちと情報を共有して、すばやい一斉抗議行動に参加するようなことも十分に可能な時代となりつつあります。
時代の大きな変化を実感します。
産科医逮捕に高まる“抗議”
「ネット医師会」は医療政策を動かすか
埴岡 健一
日経BP社、日経メディカル(2006年4月10日発行):39頁
「nikkei.pdf」をダウンロード
今回の事件に関しても単に医師の立場から「こんな状況ではやっていられない」旨の発言が前面に立ってしまっては、一般の方達や特に遺族の方達の理解を得るのは難しいのではないかと考えます。
ネット=匿名ではなく、実名でのネット上の議論がもっと必要になってくるのではないかと考えています。
(とは言うものの匿名掲示板で実名を公表する勇気も無いのがお恥ずかしいところですが・・・)
ただ、同様の事件を繰り返さないためには、情報が揮発してしまうネット上だけでなく、しっかりとした土台をもった組織、機関(学会など)で対処する必要があるのではないか?とも考えております。
個人的には今回の『周産期医療の崩壊をくい止める会』は日本の巨頭2人を引き出すまでのエネルギーをもったグループであり、中心となってそのような組織の設立に動く事が出来れば望ましいのではないか?と考えております。
(『周産期医療の崩壊をくい止める会』あての、要望書を送付しました。blog上で紹介しています。)
いざ出産の日、妻が予定通り午後1時に分娩室に
入り、10分後には元気な赤ちゃんが分娩室から運ばれてきました。前回の出産時は破水した後、すぐに入院し翌日帝王切開で出産したのですが、その時は分娩室に入ってから赤ちゃんが出てくるまで結構時間が掛かったので、今回余りにも早く分娩室から出てきた事で、見守っていた家族全員が安心したと同時に拍子抜けしました。
「無事産まれて良かった良かった」と家族や親類一同で赤ちゃんを囲み、しばらく話をしていたのですが、なかなか妻が分娩室から出てきません。何か変だなと思い始めた頃、担当医が青い顔をして私達の前に現れ、
「実は奥さんが大変な状況なんです。癒着胎盤だと判明し、現在大量に出血しています。必死で止血していますが、どうにも出血が止まりません。今の段階で奥さんが助かる確率は30%です。私達医師も最大限努力しますが、最悪の場合亡くなる事も考えられます。」と言われました。
私達家族一同は赤ちゃんが元気に産まれて安心していたので、医師の予期せぬ話で天国から地獄に落とされた気分でした。その後すぐ医師から手術に関する承諾書にサインするように言われました。今から思うとそんな時に言わなくてもよかったんじゃないかと思うのですが、私達も動揺していたので、訳も分からずサインしていました。多分、麻酔に関する承諾書じゃなかったかと思うのですが、定かではありません。
分娩室で頑張っている妻に対して、何も力になってやれない歯がゆさを感じました。せめて声だけでも妻に届けようと分娩室に一番近い椅子に座り、長男を胸に抱き「お母さん頑張れよ」と一緒に声を掛け続けました。5時間位、声を掛け続けていたと思います。
今でもその時のことは鮮明に覚えています。この文章を書いている今でもその時のことを思い出すと、泣きそうになります。ただ医師や看護婦さんにとっては迷惑(邪魔)だったでしょうね。
目の前を通り過ぎる看護婦さんを呼び止めては分娩室の中の様子や妻の状態を聞いていました。看護婦さん達も私達に気を使ってか、
「奥さんは大丈夫ですよ。先生達も一生懸命治療してみえますので」と言ってくれるのですが、具体的な事は何も話してくれません。この時が自分自身一番イライラしていました。
その後、担当医師はなかなか分娩室から出てこなかったのですが、5時間位経った午後6時頃、私達家族の前に現れました。そして状況を冷静に話し始めました。
胎盤を取ろうと努力しているが、なかなかうまくいかない事。大学病院に要請し、産婦人科の教授に急遽来てもらい執刀してもらっている事。出血は依然として止まっていないこと。病院のスタッフを含め20リットルの生血を輸血(採血)している事。まだ予断を許さない状況であること。以上の事を話されました。
私はいてもたってもいられない心境でした。もう分娩室に入ってから5時間が経ち、妻がどういう状況にあるのか、もうだめなのか、もしだめだとしたら、せめて今の妻の様子を見たい(病室内で死んでから対面したのでは悔いが残る、悔いを残したくない)と強く思いました。
そして私は医師に対して、だめで元々の気持ちで
「分娩室に入れて下さい」と言いました。医師も最初はだめですとやんわり断っていたのですが、私の熱意に押され、少しの時間だけと言う条件で、渋々入室を許可してくれました。
入室の前に白衣を着、マスクをして分娩室に入りました。中には医師が何と5人もいました。顔ぶれは、その病院の院長、担当医師、当初から来ていた大学病院の麻酔科の医師、その助手、そして急遽呼び出された大学病院の産婦人科教授の面々でした。
妻が仰向けに寝ているベットの廻りを医師達が囲んでいます。以外と分娩室内の雰囲気に緊張感はありません。医師同士が笑顔で話していたり、ペットボトルのお茶を飲む人もいたりして。
しかし私だけは違っていました。入室してすぐに凍りつきました。床には想像を超えた血の海が広がり、血の付いたガーゼが無数に散らばっていました。そんな中、一人の医師に導かれ、床の血がサンダルに付かないように気を付けて妻の枕元までゆっくり歩いて行きました。
まず妻の目を見てびっくりしました。瞳孔が開いています。瞬間的に瞳孔が開いていると言う事はもう長くないかもしれないと感じました。とたんにむなしさがこみ上げ、目頭が熱くなりました。
やはりだめかと思いながら、だらっと垂れていた左手の指を握ってみました。
すると私の手を妻が握り返すではありませんか。私はビックリしました。もう意識は無いと思っていたので。「俺が分かるか?」と声を掛けると、酸素マスクやチューブを装着され不自由な中で、首を少し縦に振りました。
後で妻から聞いた話では、ずっと意識があったそうです。先生が話している声も聞こえていたそうです。手術時間が長くなり、麻酔が所々切れていたのではないかと思われます。
その様子を見ていた麻酔科の医師が
「あれ、まだ意識あるんじゃないの」と驚いて言いました。何と医師達はもうあきらめていたみたいです。
意識があるのが判明してからは、医師達の対応は早かったです。ひとしきり医師達が相談した後、担当医師が私に
「今まだ奥さんの力の残っている内に、一か八かで子宮を切除してみたいと思います。それしか救う道は残されていません。ご主人宜しいですか」と聞かれ、
私は一も二も無く、「はい、お願いします。お願いします。」と答えました。
分娩室を後にして、外で待っていた家族や急な知らせを聞いて集まっていた親類に中の様子を伝えると、皆少しほっとしたようでした。
その後、子宮摘出手術が効を奏し、奇跡的に出血が止まりました。子宮摘出後、担当医師から
「取り敢えず出血が止まり一安心です。これで大学病院に転送できます。まだ小康状態ですが、峠は越したと思っていいですよ」と言われました。
医師の話を聞き、私はとても安心しました。と同時にどっと疲れが出ました。その時点で午後9時です。分娩室に入ってから、8時間経過していました。その後大学病院に救急車で搬送されました。大学病院でCTやエコー検査を再度した結果
また出血していることが判明し(どうも救急車で搬送されている時、車の振動で出血したらしい)、再度開腹手術をし、出血を止める手術を受けました。妻は結局3回腹を縫いました。
最後にもう大丈夫ですと医師から言われたのが、夜中の3時です。分娩室に入ってから13時間経過がしていました。最後まで付き添っていたのは私と妻の父でしたが、二人で顔を合わせ、「良かったなぁ」としみじみ言い合いました。
最後の手術終了後からICUに入り、次の日HCUに移り、3日後個室に移りました。その後は奇跡的な回復で分娩した日から数えて、15日後には退院する事が出来ました。
以上が今回の事の顛末です。
今回の事で疑問に思った事を率直に書きます。
○2ヶ月前の定期検診で前置胎盤だから、大学病院で出産する事になると言われていたのにも関わらず、直前で変更になりその病院で出産した事。
※この事に関して、病院の利益を優先したのではないかと言う疑念が残ります。
○私が病室に入った時点で妻に意識があったことを医師が見過ごしていた事実。
※医師にとっても大変な手術だったと思うのですが、生死に関することでもあり、意識のあるなし位は慎重に見ていて欲しかったです。
○大学病院のICUに入って2日目、検査で来た検査技師の態度が許せませんでした。心臓のエコーをして、モニターで見ている時、全く関係無い話題で私に対して笑いを取ろうとした事。また話し口調もお笑い芸人そのものでした。
※場をわきまえてほしかったです。こちらは死の淵から生還したばかりの患者と言うことを理解していない。検査技師についてきた2人と3人で病室内でああでもない、こうでもないと関係ない話で盛り上がっていました。もう少しで爆発するところでした。大学病院のICUに勤務する身だと言う事をもっと自覚してほしかった。
○最初の病院に対しては、何故大学病院で出産させてくれなかったか疑問は残るのですが、手術中の看護婦さんの態度にはとても好感を持ちました。
どの看護婦さんを呼び止めても優しく接してくれイライラした心が癒されました。それと20Lと言う、とてつもない量の血液をその場で看護婦さんや病院スタッフの皆さんが献血して下さり、その生血のお陰で止血する事ができ、生き残れた様な気がします。看護婦さんや病院スタッフ17人の方々からいただいた約20Lの血液のお陰で妻は生かしていただきました。心より感謝しています。(これは私には分かりませんが、病院の先生が言うには血液センターの血液で輸血しても助からなかっただろうと言っていました。血の成分が分解してあり、雑菌は入らないのですが、凝固しにくいからだそうです)
最後に私が今回の事を通して感じた事は、患者の身になって本当に医師やスタッフが接していたかどうかです。自分の子供や家族が同じ状況だったら、どうでしょうか。医師や看護婦、またスタッフが過酷な勤務形態の中で常にどの患者にも正常さを保つのは難しいかもしれません。しかし家族にとっては患者に替わる人はいません。その人がこの世からいなくなることなど考えてもいません。
その事だけはどんなに疲れていても、忘れてほしくないです。たとえ最悪の場合、患者が亡くなったとしても誠意ある態度で接してくれていれば、時間は掛かっても許してくれると思います。
それでは誠意ある態度とは具体的にどうゆう事でしょうか。私なりに考えました。
○事前にこういうケースがあるという事を全て明らかにして説明してくれること。
○手術内容を具体的に教えてくれる事。文書の方が理解し易い。患者や患者の家族の目線で、分かり易く説明してほしい。
○質問はないですかと聞いてほしい。患者や患者の家族も本当に理解していない場合が多い。
私が感じている「誠意」を書いてみました。
勝手な事をだらだらと書き、申し訳ありません。しかし、実際妻が死にかけたのも事実です。もし生還していなければ、私の人生もかなり変わっていた事でしょう。
医療に関わる仕事は世の仕事の中で一番大変だと思います。つらい思いも数多くしなければなりません。人が一人死んだくらいで根を上げていては一人前の医師にはなれないかもしれません。
しかし私は思います。一人の患者の死でめげてしまうような、か弱い医師の方を選びたいのです。立派な医師など必要ありません。親身になってくれる優しい医師を患者は欲しています。
自分の子供や親だと思って、患者に接してやって下さい。お願いします。
奥様がそのような絶体絶命の瀕死の状況から奇跡的に生還できたのは、第一に治療にあたられた多くの先生方の必死の努力の賜物ですが、相当に運がよかったことも間違いなく、本当に奇跡だったと思います。
現代医学も進歩しましたが、いまだに癒着胎盤を分娩前に予測することは非常に困難で、児娩出後に大出血が始まってから初めて診断されることがほとんどです。
ただ、このような癒着胎盤の大変な症例は非常にまれで、分娩数万件に1例の割合とも言われていますので、ほとんどの産婦人科医は一生涯このような大変な症例を一度も体験しないで済んでいるわけです。
それに比べて前回帝王切開や前置胎盤の症例は非常に多いです。当科でも、前回帝王切開例はほぼ毎日(毎週4~5例)ありますし、前置胎盤で帝王切開を予定して現時点で入院中の妊婦さんもいらっしゃいますし、先週も、先々週も、前置胎盤で帝王切開を実施しました。要するに、前回帝王切開や前置胎盤の症例は病院では日常茶飯事で、前回帝王切開や前置胎盤という理由だけでいちいち大学病院に患者さんを搬送していたらきりがなく、大学病院もそれだけで病床がパンクしてしまうと思います。
また、癒着胎盤は、既往帝王切開や前置胎盤以外でもいくらでもありうるわけですから、可能性としては、どの妊婦さんでも、癒着胎盤の可能性はゼロではありません。妊娠した以上は、誰でも癒着胎盤の大出血で母体死亡となる可能性はあり得るわけです。
奥様の場合は、たまたま、県の産婦人科界の総元締めである大学教授をはじめとした多くの優秀な専門医達が現場に駆けつけてきてくれたこと、大勢の病院スタッフの供血による大量の新鮮血があったことなど、担当の先生方の必死の努力の甲斐があって奇跡的に一命をとりとめることができました。しかし、たとえ体制の整った大病院であっても、癒着胎盤の大出血で結果的にうまくいかない場合は今後いくらでもあり得ると思います。
そうなると、今回はたまたま結果がよかったので、担当の先生方は逮捕されずに済みましたが、『万一、結果が不良であった場合には、担当の先生方は、大野病院の加藤医師と全く同様の理由で、逮捕されかねなかった!』ということになってしまいます。現在、産科医がどんどん減っている真の原因はまさにそこにあると考えます。今回、奥様の救命のためにこれだけ必死に頑張って、素晴らしい奇跡的に良好な結果を出した担当の先生方であっても、それほど感謝はされていないという事実もそれを物語っています。私が言うのもなんですが、担当の先生方には、一生涯いくら感謝しても感謝しきれないくらいの大恩があると思います。もしも、担当が他の医師達であったら、奥様は今頃この世には存在してなかった可能性が非常に高いと思います。私が担当だったら救命できたという自信はありません。
社会情勢的にも、今後は、不十分な体制下での分娩取り扱いは一切できなくなると考えています。現在、分娩を取り扱う産科医が全国的にどんどん減っています。比較的体制の整った中核病院ですらどんどん閉鎖されている現状があります。これは、医師にとっても、患者にとっても、非常に不幸なことだと思います。
産科医の徹底的な集約化を早急に実現しないことには、産科そのものが、近い将来に、この世から完全に消滅してしまうと思います。
(患者さんサイドからのご意見は非常に貴重だと思います。真摯に受け止めたいと思います。有難うございました。今後もお気軽にコメントお願いします。私がここで述べた意見は、周産期医療に携わる一医師の正直な感想としてお聞きいただければ幸いです。)
たとえば、手術と全然関係ない雑談や冗談とか、また手術と関係あるにしても「なんだか胃がでっかいねぇ」というちょっとしたコメントとか。
そういうケースは少数なのかもしれませんが、 「自分の妻が癒着胎盤で死にかけた夫」さんからのコメントを読んで思い出しましたので、あくまで聞いた話として書かせていただきました。
緊張して手がガタガタ震えているような状態では、まともな手術はできません。万一、術者がそんな精神的に極度の緊張状態に陥ってしまった場合は、すぐに術者をまともな精神状態の医師と交代させる必要があります。
腰椎麻酔などの患者さんで意識がある場合は、患者さんがなるべくリラックスできるように、音楽を流したり、日常的な楽しい話題で患者さんといろいろとお話をしたりして、なるべく和んだ雰囲気の中で手術ができるように日頃心がけてます。
管理人様のような方が増えると、患者の方も安心して手術にのぞめると重います。
管理人様の意見のように、今回、ご家族の命が助かったのは、なにより、高度な技術を持った担当の産婦人科医たちの懸命の努力のかまものです。やさしい看護婦さんたちだけで、ご家族様のお命が助かったかどうか、いまいちど冷静にお考えください。
患者様の「ありがとう」の一言さえあったら少しは自分の気持ちが救われたのにな、という場面はほとんどの医者が経験しているのではないでしょうか。
患者さんが生死の境をさまよってる状態のときに、雑談や笑顔は、全く必要ないと感じます。
>自分の妻が癒着胎盤で死にかけた夫 さんのコメントを読ませて頂いて
誰も、指摘が無いのであえて、意見させて頂きます。
福島の件と大きく違う事は、間に合わない輸血に対して、病院中のスタッフも含め採血している事
5時間経過した時点でも、まだ胎盤を(無理に)剥がしていない事
手術の途中で、家族に説明、承諾書に署名をもらっている事
この3点では、ないかと考えます
自分の妻が癒着胎盤で死にかけた夫 さんの件でも
医療スタッフの反省点は、何点か指摘されてますように
完璧の状態では、ありませんが、結果がよければ全てよしで
誰も大きく異論は、無いように思えます
福島の件とこの件は、胎盤の癒着状態などは、多少違いはあるでしょうが、似たような環境、状況の中で推移した帝王切開と感じてます
にも関わらず、全く違う結果になってしまってる訳です
確かに
両方とも、精一杯に近い努力をしたこ事は、事実のようですが
術中のちょっとした、状況判断などで、大きく結果が変わってしまうという事ではないでしょうか?
よって、今回の福島の件もこの辺で
判断ミスが、無かったかどうかが
ひとつの論点に、なるのではないでしょうか?
私達一般人は、今後の為にも、この2件においての専門家の先生達ならではの比較検討や問題点などをお聞きしたいのですが、無理でしょうか?
たまたま結果が良かった、悪かったで、片付けてしまっていいものでしょうか?
また、こういった救命のケースは、データベースに上がって来るのでしょうか?
ほとんどの外科医は(もちろん産婦人科医を含む)どんなにうまくいった手術でも必ずそこに反省点を見出し、それを次の手術に生かそうとするものです。そしてそれは医師として生きる上での「前提条件」でありそんなものはあえて言うまでもないことなのです。(ごくわずかの「とんでも医師」は例外)
当然、福島の件にしてもここに投稿された方の件でも同様にもちろん反省点はあるだろうと思います。
しかし、緊急時の状況判断は一瞬のうちにしなければならないわけで、重症例になればなるほどその結果は紙一重です。その一瞬の「高度な判断」がもたらす結果に対して刑事罰をもって報いることが果たして正常なことかどうかは一般の方にもおわかりいただけるのではないかと思うのですが。そうでなければ思考停止を疑わざるを得ません。
「判断ミス」という言葉を簡単におっしゃられますが、ではどうすれば高度な医療行為を行う結果、「判断ミス」といわれずにすむのか?何をもって「判断ミス」とするのか?全ての医療行為を100%成功しなければ我々は刑事訴追されなければならないのでしょうか?正直こちらのほうがご教授願いたい、そんな心境です。
個人的には福島の件は少なくとも「刑事罰を問われてしかるべき低レベルの判断ミスはない」と考えますがあなたはどうお考えですか?
帝切時、癒着胎盤は胎盤剥離を開始して初めてわかる、癒着の程度は千差万別、癒着剥離を優先しても問題ないケースの方が多い、しかしレアケースではみるみる出血して命にかかわり時間との戦いになる、と。
そのレアケースを鑑別する方法が現在ない以上、法的責任を問うのは暴挙と感じます。
全ての癒着胎盤例に即子宮摘出が当然、といわれるならもう何も言うことはありません。
言いたいことが山ほど出てきますが一旦ここまでで失礼します。