飯田市立病院に産婦人科が開設された1989年(平成元年)当時の飯田下伊那地域では、分娩を取り扱う施設は十施設以上ありましたが、産婦人科医の高齢化により地域の分娩取り扱い施設は年々減り続けました。2000年頃には地域の分娩取り扱い施設は計6施設(飯田市立病院、下伊那赤十字病院、西沢病院、平岩医院、椎名レディースクリニック、羽場医院)となり、その6施設で地域の分娩(年間1500~2000件)を分担して取り扱ってました。
2005年の夏頃に、その6施設のうちの3施設(下伊那赤十字病院、西沢病院、平岩医院)がほぼ同時に分娩の取り扱い中止を表明しました。この3施設分を合計すると、年間約800~900件の分娩受け入れ先が突然なくなってしまうことになりました。地域から多くのお産難民が出現する事態も予想されましたので、関係者たちは非常に大きな危機感を持ちました。
そこで、2005年8月に医療圏内の各自治体の長、医師会長、病院長、産婦人科医、助産師、保健師などが集まって、産科問題懇談会を立ち上げ、この問題に対して今後いかに対応してゆくかを話し合いました。
飯田市立病院(2005年当時の常勤産婦人科医3人、小児科医4人、麻酔科医3人)は、県より地域周産期母子医療センターに指定され、地域における唯一の二次周産期施設として、異常例を中心に年間約500件程度の分娩を取り扱ってました。産科問題懇談会での話し合いの結果、周辺自治体からの資金提供もあり、飯田市立病院の産科病棟・産婦人科外来の改修・拡張工事、医療機器の整備などを行ってハード面を強化し、常勤産婦人科医数も(信州大学の協力が得られて)常勤3人体制から常勤4人体制に強化されることになりました。また、分娩を中止する産科施設の助産師の多くが飯田市立病院に異動することになりました。
しかし、飯田市立病院だけでは、地域の分娩のすべてに対応することは不可能で、分娩取り扱いを継続する2つの産科一次施設(椎名レディースクリニック、羽場医院)にも、できる限り(低リスク妊婦管理を中心とした)産科診療を継続していただくとともに、地域内の関係者の協力体制を強化して産科医療を支えあっていこうということになりました。
具体的には、飯田市立病院で分娩を予定している妊婦さんの妊婦検診を地域の産婦人科クリニックで分担してもらうこと、地域内での産科共通カルテを使用し患者情報を共有化すること、飯田市立病院の婦人科外来は他の医療施設からの紹介状を持参した患者さんのみに限定して受け付けること、などの地域協力体制のルールを取り決めました。また、産科問題懇談会は継続して定期的に開催し、いろいろな立場の人達(市民、医療関係者、自治体の関係職員など)の意見を広く吸い上げて、何か問題が発生するたびにそのつど対応策を協議し、その結果を情報公開して、市の広報などで市民全体に周知徹底させてゆくことが確認されました。(当医療圏の産科問題に対する取り組み)
2006年4月以降、飯田下伊那地域の分娩取り扱い施設は3施設のみとなり、予想通り飯田市立病院の年間分娩件数は倍増し約1000件となりましたが、2006年から2007年秋にかけては、共通カルテを用いた地域の連携システムが比較的順調に運用され、それほど大きな混乱もなく地域の周産期医療を提供する体制が維持されました。また、2007年6月には飯田市立病院の常勤産婦人科医は5人となりました。(当医療圏における産科地域協力システムの運用状況)
当時、長野県内の他の医療圏でも、産婦人科医不足の状況は急速に悪化し、国立病院機構松本病院、国立病院機構長野病院、県立須坂病院、昭和伊南総合病院、安曇野赤十字病院など、各地域を代表する基幹病院産婦人科が、次々に分娩取り扱い休止に追い込まれる異常事態となりました。(2年半で22病院が35診療科を休廃止/長野、県内中核的病院 産科医3割減)
そして、比較的順調に推移していると考えられていた飯田下伊那地域の産科医療提供体制にも、2007年10月以降、急速に暗雲がたちこめ始めました。飯田市立病院と連携して妊婦健診を担当していた下伊那赤十字病院と西沢病院の常勤産婦人科医が転勤し、平岩ウイメンズクリニックの院長先生も一時期健康上の理由で休診されました。さらに、飯田市立病院産婦人科の常勤医5人のうち3人までが2008年3月末で辞職したいとの意向を表明しました。いくら立派な連携システムが存在しても、そのシステムを担う人達が地域から立ち去ってしまっては、システムを運用することができなくなります。やむなく、2007年11月2日に開催された産科問題懇談会にて、翌2008年4月からの分娩制限(里帰り分娩と他地域在住者の分娩の受け入れを中止)を決定しました。(飯田下伊那医療圏の産婦人科医療 里帰り分娩と他地域在住者の分娩の受け入れを中止)
その後、信州大学の多大な支援により、飯田市立病院はほぼ従来通りの常勤産婦人科医の体制が維持できることとなり、2008年3月10日に開催された産科問題懇談会にて、翌4月から実施が予定されていた分娩制限を一部解除することを決定しました。(里帰り分娩制限の一部解除について、地域産科医療提供システムの構築:飯田下伊那、飯田市立病院 里帰り分娩受け入れの再開)
また、従来から実施していた開業の先生方との連携システムに加えて、新たな試みとして、2008年4月より、助産師と臨床検査技師(超音波検査担当)とが協同して担当する妊婦健診(助産師・検査技師健診)を当院に導入しました。この助産師・検査技師健診は、産婦人科医の負担を大幅に軽減する効果のみならず、患者満足度の向上、スクリーニング精度の向上などにも寄与すると考えられ、今後も継続していく予定です。(産科医、母親の負担軽減へ 飯田市立病院が助産師外来拡充、助産師と臨床検査技師とが協同して担当する妊婦健診の導入効果、助産師と超音波検査を担当する臨床検査技師による妊婦健診の導入効果:第2報)
各医療圏の置かれた状況は、常に大きく変化してます。ある時期に非常にうまくいった方策であっても、それがいつまでも通用するとは限りません。また、一つの医療圏で非常にうまくいった方策であっても、他の医療圏で同様にうまくいくとは限りません。各医療圏の今の状況に応じて、臨機応変に対応してゆく必要があります。(産科復興に向けた長野県各地域の取り組み、飯田下伊那地域の産科問題)