「女の敵は女」というのは古くから言われる言葉ですが、「親の敵も親」だったりします。いや、それおかしいでしょう?と思われるかもしれないし、あんたそんなに100%完全な親なのかよ?と、お腹立ちかもしれないでしょうがお聞き下さい。
お子さんをお持ちの親御さんなら、一度は感じられたことがあると思うんです。「子ども云々の前に、親をなんとかして欲しい」と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★小寺信良の現象試考:「ケータイ持たせない論」に見る大人教育の困難 (1/3) - ITmedia +D LifeStyle「その2」より引用
与えることも与えないことも、それぞれにメリット・デメリットがある。メリット・デメリットを考える際にもっとも大きな障害になるのが、子供に携帯を持たせないで育てきった、もう少し年上の子供の親である。この層は「子供の要求に屈しなかった」、「それでもうちの子はちゃんと育った」という絶対的な自信を持っている。
しかし携帯電話は、急速に普及したから問題を生んでいるわけであり、今大学生ぐらいの人たちが小中学生だった頃とは事情が違う。だが年齢的には数年しか違わないため、子どもがそれほど違うはずがない、という前提に基づいた判断をする。この普遍的な自信は、子育てを終えた親には共通に見られる傾向だ。
人としての子供は変わらないが、子供社会が変わってしまったのである。多くの大人は、そこが受け入れられない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の長男と次男は、四つ歳が離れています。たった四年と思われるかもしれませんが、まったく子どもたちを取り巻く状況は違うものになっています。それぞれの同級生の親御さんの年齢も考え方も違います。それで子どもそっちのけで親同士が対立したり、先生を右往左往させてしまったりする事も多々あります。
私には、その違いがプラスになっています。色んな考え方や年齢の人と、学校や子ども会の行事で話し合って情報交換をしたりするのは、自分の幅を広げられるし、頭が固くなるのを防いでくれますから。
そんな親同士の会話で耳にするのが「昔は~」「私の時は~」「上の子の時は~」という言葉。良いんですよ、懐かしい思い出を話されるのは。でも、まったく価値観が違うのに、”同じ子どもの事”として当てはめようとされると、かちんと来るんです。違う時代を生きる人間の話じゃないですか?”子どもらしい”という定義にも、時代が反映するに決まっているじゃないですか。過去の子ども時代が正しいモノで、今の子どもの過ごし方がおかしいモノの様に言うのが、どうにも腹が立つんです。そして時代にそって変わって行く事に強固に反対してみたり、いつまでも同じ型枠どうりに勧めたがる人がいまだに多いのです。
「子どもに携帯を持たせる」事を議論する以前に、”親の姿勢”を議論し、千差万別の足並みを揃えることから始めないと、本当に子ども達の為になる事が出来ないように思います。
普遍のモノが在るのなら、変化するモノも在って当然。今を生きる子どもに、過去の歴史は参考や教訓になるかもしれませんが、『新しい人が新しい世界を創る』のです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★「子供にWebリテラシーを身につけさせたい親って少ないのかな?」( http://d.hatena.ne.jp/Aoba/20071214/1197564280 )より引用
○禁止ってもったいなくないか? ○環境も人を育てる ○新しい人が新しい世界を創る ○デジタルディバイドも低年齢化する
子供がいる知人の家に遊びに行ったら、
1.子供はTVゲーム禁止(DSも持ってるのに基本的に禁止)
2.子供はパソコン禁止、ネット利用も禁止
3.子供は表で元気良く友達と遊びなさい
という方針だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
笑うトコでしょ?そしてこのお家のお子さんに同情しましたよ。
この地方都市仙台でさえ、次男がお友達と遊ぶには、お友達同士の一週間のスケジュールをつき合わせて、金曜の一日しかないんですよ?みんなそれぞれ、サッカー教室に公文に水泳にと、毎日予定が入っているんです。「3」を実行したくとも出来ないんです。
運良く遊べた時に、外でDSで通信対戦して仲良く楽しい時を過ごしているのに”子どもらしく遊んでいない”と、上記のお家では怒られるんですかね?例えば、GCの「ゼルダのトワプリ」をクリアするのに、家族総出で知恵を出し合って、クリア出来たらガッツポーズして喜び合うのって、このお家では認められないんですよね?
あなたは、子どもらしくないと感じられますか?親子で感動をわかち合うのと違うだろと、思われますか?
どちらのリンク先のお話も、大切な「ネット上のリテラシー」の事が主題になっているのですが、私はあれこれ迷走しました。ここまで付き合って下さって、ありがとうございました。
お子さんをお持ちの親御さんなら、一度は感じられたことがあると思うんです。「子ども云々の前に、親をなんとかして欲しい」と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★小寺信良の現象試考:「ケータイ持たせない論」に見る大人教育の困難 (1/3) - ITmedia +D LifeStyle「その2」より引用
与えることも与えないことも、それぞれにメリット・デメリットがある。メリット・デメリットを考える際にもっとも大きな障害になるのが、子供に携帯を持たせないで育てきった、もう少し年上の子供の親である。この層は「子供の要求に屈しなかった」、「それでもうちの子はちゃんと育った」という絶対的な自信を持っている。
しかし携帯電話は、急速に普及したから問題を生んでいるわけであり、今大学生ぐらいの人たちが小中学生だった頃とは事情が違う。だが年齢的には数年しか違わないため、子どもがそれほど違うはずがない、という前提に基づいた判断をする。この普遍的な自信は、子育てを終えた親には共通に見られる傾向だ。
人としての子供は変わらないが、子供社会が変わってしまったのである。多くの大人は、そこが受け入れられない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の長男と次男は、四つ歳が離れています。たった四年と思われるかもしれませんが、まったく子どもたちを取り巻く状況は違うものになっています。それぞれの同級生の親御さんの年齢も考え方も違います。それで子どもそっちのけで親同士が対立したり、先生を右往左往させてしまったりする事も多々あります。
私には、その違いがプラスになっています。色んな考え方や年齢の人と、学校や子ども会の行事で話し合って情報交換をしたりするのは、自分の幅を広げられるし、頭が固くなるのを防いでくれますから。
そんな親同士の会話で耳にするのが「昔は~」「私の時は~」「上の子の時は~」という言葉。良いんですよ、懐かしい思い出を話されるのは。でも、まったく価値観が違うのに、”同じ子どもの事”として当てはめようとされると、かちんと来るんです。違う時代を生きる人間の話じゃないですか?”子どもらしい”という定義にも、時代が反映するに決まっているじゃないですか。過去の子ども時代が正しいモノで、今の子どもの過ごし方がおかしいモノの様に言うのが、どうにも腹が立つんです。そして時代にそって変わって行く事に強固に反対してみたり、いつまでも同じ型枠どうりに勧めたがる人がいまだに多いのです。
「子どもに携帯を持たせる」事を議論する以前に、”親の姿勢”を議論し、千差万別の足並みを揃えることから始めないと、本当に子ども達の為になる事が出来ないように思います。
普遍のモノが在るのなら、変化するモノも在って当然。今を生きる子どもに、過去の歴史は参考や教訓になるかもしれませんが、『新しい人が新しい世界を創る』のです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★「子供にWebリテラシーを身につけさせたい親って少ないのかな?」( http://d.hatena.ne.jp/Aoba/20071214/1197564280 )より引用
○禁止ってもったいなくないか? ○環境も人を育てる ○新しい人が新しい世界を創る ○デジタルディバイドも低年齢化する
子供がいる知人の家に遊びに行ったら、
1.子供はTVゲーム禁止(DSも持ってるのに基本的に禁止)
2.子供はパソコン禁止、ネット利用も禁止
3.子供は表で元気良く友達と遊びなさい
という方針だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
笑うトコでしょ?そしてこのお家のお子さんに同情しましたよ。
この地方都市仙台でさえ、次男がお友達と遊ぶには、お友達同士の一週間のスケジュールをつき合わせて、金曜の一日しかないんですよ?みんなそれぞれ、サッカー教室に公文に水泳にと、毎日予定が入っているんです。「3」を実行したくとも出来ないんです。
運良く遊べた時に、外でDSで通信対戦して仲良く楽しい時を過ごしているのに”子どもらしく遊んでいない”と、上記のお家では怒られるんですかね?例えば、GCの「ゼルダのトワプリ」をクリアするのに、家族総出で知恵を出し合って、クリア出来たらガッツポーズして喜び合うのって、このお家では認められないんですよね?
あなたは、子どもらしくないと感じられますか?親子で感動をわかち合うのと違うだろと、思われますか?
どちらのリンク先のお話も、大切な「ネット上のリテラシー」の事が主題になっているのですが、私はあれこれ迷走しました。ここまで付き合って下さって、ありがとうございました。