What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

東日本大震災から七年 

2018年03月09日 14時28分11秒 | 日常
 こちらでは放送が無かったんですが、↓のまとめを読んで思い出した事を書きます。

★「togetterまとめ / 炊事能力向上のために名誉をかけた炊事競技会を全力で行う陸上自衛隊かっこよすぎ 」
( https://togetter.com/li/1206561 )のコメント欄より引用

・神戸智子 @kanbetomoko
 例えばクソ寒い時期に電気も水もガスも使えない、家も無茶苦茶、味気ない冷たい備蓄パンもそもそかじってるだけじゃ惨めな気持ちになるもの。
備蓄パンはそれはそれで大事だけどね。でも温かいご飯が食べられるってどれだけ心の支えになることか。

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 震災の時に、津波の水が家の前の道路を這ってくるのを見て、目の前に避難するべき高校があったのですが、ここから荷物をまとめて年寄と子どもたちを連れて、津波が押し寄せてくる方向に避難はできないと判断して、避難せずに家の二階に残りました。結果として、二階へ上がる階段の四段目くらいまでで、津波による浸水は止まり、その後も避難所には行かず、ずっと家で暮らしました。

なので、「自主的に避難しなかった」というくくりで、自衛隊からの配給は受ける事はできませんでした。避難所では、パンや果物などが食べきれないほどに余されていて、避難していた隣の独り暮らしの方の様子を見に行ったら、「袋に隠して持って帰りな」と家族分以上に持たせて貰ったものでした。

そんな時に、同じく自宅に残っていた人たちの中で、町内会の役員さんだった旦那さん数名が手配してくれて、避難所で配給された具入りスープ(もしかしたら豚汁だったのかも?)を貰ってきてくれたことが一度だけありました。大きなタッパー(なんて言うんですかね?学校給食で使われるような四角い入れ物の、自衛隊カラー版)に、ちりちりになった白菜やなにかがうっすら残っていた汁モノだったんですが、食べたら身体に染みわたるような美味しさでした。

ごちゃごちゃになった台所から、当時体がまだ小さくて軽かった次男が、倒れた冷蔵庫や食器棚を乗り越えて、戸棚の上にあった手つきナベを二つとりだしてくれて、それにタプタプにその汁を分けて貰って、その夜はストーブで温めて家族みんなで食べました。

これから先はもとより、明日がどうなるのかなんてさっぱり考えられない、しょっちゅう余震が続く毎日で、リンゴ1個を四つに割ったのと、食パン1枚を半分に分けてそれが一回分の食事、という感じだったので、残り汁であろうとなんだろうと本当に美味しくて、皆で笑顔になりました。

自衛隊の「国民を守るために」技術を向上させる訓練が、なんであっても認められないという意見も多数あるでしょう。轟音をあげて家の上空を飛ぶブルーインパルスが落ちてきたらどうなるんだろう?と思う時もあります。でも、青い空に機影から白い雲がなびくのを見ると美しいなぁと思うし、粉々になったガレキを飲み込んだ黒い水も、日の光を弾いて輝く穏やかな水面になりました。

天気予報を見ると、今年は雪の無い3月11日を迎えられそうです。

あの寒い寒い冬の夜に見た満天の星空と、赤の他人であるのにご親切にして下さったボランティアンの皆さんのこと、黙々とガレキを片づけ、暖かいお風呂に入れてくれた自衛隊の皆さんのこと、このブログに心配して書き込みをして下さった皆さんのこと、何年たとうとも決して忘れたりはしません。

災害の多い国土です。地震以外にも台風や火山の噴火など、これからも大きな災害はきっと起きるでしょう(少なくとも私が生きているあいだに、もう一・二度はあのクラスの地震が起きると思っています)その時に、私たちの過ごした辛くて苦しかった毎日や、理不尽に亡くなられた方たちの命が生かされて、すこしでも減災できるように願っています。
コメント
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