いつものように、フランスは大西洋岸、ボルドーの南に位置するアルカションの海近くの友人Gさん宅に二週間お邪魔してきた。
去年の夏は引っ越しで1日たりとも海に行けなかったので、今年は思いっきり滋養をとるぞ!との決意を込めてのヴァカンス。
パリから南へ、TGVとローカル線で3時間ほど。アルカション湾と呼ばれるボルドー周辺住民の憩いの地は、向かいにキャプ・フェレ半島があり、その地形が太平洋の荒波を巧く和らげて格好の海水浴ポイントとなっている。
うーん、フランスの海の色彩はドビュッシーの音楽が聴こえてきそう。
満潮と干潮の間にはちょうど30cmから1mぐらいのプールが至る所に出来て、子供達には願ってもない天然のプールとなる。
潮が引く時にプールに閉じ込められてしまったらしい、ズワイガニみたいな巨大カニ!
こちらはアルカション名物、ヴィーヴという魚。脂がのってめちゃくちゃに美味い。ローカルな魚だからか、パリのマルシェでは一回しか見たことがない。海底で砂に潜って非常に硬いツノを出しているので、誤って踏んだら想像を絶する痛さらしい。怖い!
この海岸をずーっと歩けば、ヨーロッパで一番広大な砂丘、ピラ砂丘に辿り着く。
この間7月に起こったあの森林火災の大惨事で、多くを失った地区だ。Gさん宅の地区の実に隣接した地区まで避難命令が出されたらしい。
ピラ砂丘から見渡すとこの通り。茶色くなっている木々が燃えてしまった森林。
この周りにあった、とある映画撮影で有名なキャンプ場も全部燃えてしまった。
ピラ砂丘の麓はちょうどアルカション湾と広大な大西洋の荒波が味わえるビーチの、ちょうど中間に位置する。この辺りは紺碧海岸ならぬ「銀海岸」と呼ばれる。
海岸で牡蠣を開けるGさん、幼い頃からアルカションの海岸で日焼け止めも塗らずに過ごしていたので、さながらアルカションの原住民といった風貌。
彼は70を超えているのに、その超然とした生き方は、まーったく年齢を感じさせない。
海岸に行った後も、座って寛ぐ間もなく、夕方から5キロ〜10キロも走る。
どっか痛くても、絶対弱音を吐かないし、歳のせいにしない。
何よりその自由な感性が彼に歳を取らせないんだと思う。
人生の波に真っ向から逆らって泳いでいるような豪快な生き方は、大西洋の風景と重なって私たちの心を打つ。その魅力が私たちを夏にここに帰って来させるんだ。
とはいえこの辺りは、実はパリのお屋敷街に勝るとも劣らぬ高級住宅地なのだ。
「うわ、このロールスロイス、うちのアパートが2個買えるがー笑!」とか
「この5つ星ホテル、一泊ウン百ユーロやて?!3日で私の給料じゃわー笑!」
とか (なぜか訳が讃岐弁) 中古の砂だらけのシトロエンの中でギャーギャー騒ぐビンボーカネなし暇だけありな音楽家集団。
海沿いの街道には、生牡蠣を食べさせる店がたくさん並んでいる。
最高に安くて、最高に美味しい。
もうこの他には何にも要らない、という気分になってくる。
真っ黒に日焼けして引き締まった身体と真っ白な心で新学期を迎えるのは楽しいものだ。
海からパリに帰ってきた日。
カナダ留学から帰ってきていた8歳から18歳まで10年間、音楽院でフルートと即興アトリエで教えた生徒のCちゃんに会うことになっていた。
生粋のパリジェンヌであるCちゃんはリセ卒業後、カナダに生物化学を学びに行ったのだが、今は考えが変わってロンドンで文学の道を志すということだった。
4年ぶりの再会を心から喜びながら
「私、文学でも音楽でも、その人から出た、その一文、その一音を聴いただけでその人と分かる、っていうことが一番大事なことだと思うんだ。」
と言う。
若くしてもうそんなことが分かるのねえ、実は私も全く同じように思っているよ、と感心すると、
そんなことは、もうあなたが教えてくれたじゃない、と、24歳の大輪の花が咲いているみたい大きく微笑む。
私の生徒たちは、分野が違っても、場所が離れても、音楽という水脈でいつも繋がっているみたいだ。
多度津にも同じような場所がある・・・
そう、それは海岸寺(20年ぐらい行ってない気がする)で白方の牡蠣(じつは白方牡蠣食べたことがない)を食べながら、天を見上げながら・・・
いい天気だ。この海、この蒼い空と見せしめの晒し首・・と言ってる俺がいるだろう(なんじゃそりゃ)
ということで、海岸寺と一緒にしてはダメですね