6月は教えている関係上、音楽院の年度末試験やらコンサートやら生徒関連行事がとても多い。
昨日は19区音楽院の即興音楽のアトリエとして初めてパリ市のジャズフェスティヴァルに出演して来た。
演奏後、聴きに来ていただいた人たちからもらった言葉の中に、「このような楽器のレベルの大幅に違う生徒達をここまでどうやってまとめられたのか」「ひとりひとりがそれぞれの居場所を見つけて演奏していた」などというのがあった。
実際に聴いた人からこのような感想が引き出せた、ということはささやかであっても、私にとっては大きな成功であった。
それで思い出したのだけれど、その昔、パリ音楽院で即興科のプリ(卒試)を受けたとき、それぞれが自分の卒論テーマを決めねばならず、私のは「音楽的共存」だった。
なんでそんなテーマを思いついたか、というと、このパリ音の即興科に3年間在籍してきて、このクラスで音楽的共存ができていないことに、(先生の一方的な見方も含めて)大変心を痛めたからである。
クラスのなかには例えばブルガリアのカヴァル・フルートや南米のケーナ、ブルターニュの音楽をホルンで演奏する生徒など、本当にいろいろな文化をバックグラウンドに持つ生徒達がいた。にも関わらず。。。先生たちは、自分たちの発明したひとつの「即興言語」を生徒に強制することに躍起だった。
一番心に残っている場面は、そのブルガリアの子がブルガリアの音楽を演奏した後、それに呼応してブルターニュの子がブルターニュの伝統音楽を即興的に、お返しするように演奏したときである。これは、本当に素直で美しい瞬間だった私は思う。なのに、先生のひとりは演奏を止めるように要求してこう言ったのだ。「ふたつも続けて伝統音楽ばかりやる必要があるのか?」彼はこの素直な音楽的共存を認めたくなかった。自分の主張する言語がそこに使われていなかった、という理由だけで。
私はべつに先生達を批判したいわけじゃない。先生って、良いことも教えてくれるかも知れないが、反面教師だってとても大切だ。この音楽院には私の反面教師なるひとは何人もいらっしゃる。お陰で私の卒論テーマが決まった訳だし、そのプレゼンテーションは高く評価されて私は即興演奏というものに自信を持つことができるようになったのだ。
と話は長くなってしまったが、現在の私の即興のアトリエでは、(私のコントロールできる範囲で)楽器のレベルはバラバラ、それぞれの出自もバラバラである。日本という全く違う世界から来て、一生懸命になにかをつかもうとしているお二人さん、パリ音楽院を目指しているフランス人のエリートの子、楽器科でよい成績が収められずに追い出されてここに来た子たち。。。楽譜もちゃんと読めない移民の子達だ。けど彼らは、自分達のルーツの音楽に対しては圧倒的なフィーリングを持っている。(聴きにきていたアタが、「すげえなあ、あのインドの子。自分はあんな忘我の境地の演奏を目指してはいても一生できまいよ。。。」と言っていた。まったく同感。しかしご本人はそんな高みに時々達しておられることをもちろん知らない。彼らにとって音楽とは、空気を吸ったりご飯を食べたりするのと同じなのである。)
それぞれ違った人生を抱えた生徒たちの、現在のパリを象徴するような難かしい共存。もちろんうまく行かないときもある。けどもひとりひとりの美点を、
もっと伸ばして生かすために、必ず他の人を聴くように、いま音楽で起こっていることに敏感にすぐに反応するように、やってきた。だから他のジャズのアトリエとは少し違っていると思う。
ジャズの歴史の表面ばかりなぞっているような演奏ならいくらでもある。
けど、「いま、ここで起こっていること」を演奏するのが、本来のジャズの精神じゃなかったか?
「いま、ここで起こっていること」に注意を払わずに、自分を主張する為に演奏している人たち。
けど、そんな演奏をして何の意味があるんだろう?
音楽とは、「競争」ではなく「協調」である。 by マイルス・デイヴィス
だから昨日はみんなが素晴らしい演奏で答えてくれ、聴衆からそういう言葉をいただけて、天気は雨でしたが、心が晴れる思いでしたよ。