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CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

神戸ジェームス山食堂(まいどおおきに食堂)でのランチ on 2023-6-15

2023年07月23日 17時47分04秒 | 神戸情報
2023年6月15日(木)、神戸ジェームス山食堂(まいどおおきに食堂)でランチを
いただきましたので写真紹介します。
定期的によく行く店ですが過去にブログ記事を書いたのは2度で今回が3回目の投稿です。
ついでに7月11日(火)の訪問記も写真紹介します。

神戸ジェームス山食堂の基本情報
住所:神戸市垂水区桃山台2丁目1768−55 TEL:078-706-1807
ジャンル:定食・食堂 営業時間:10:30~21:00  定休日:無休
運営会社:株式会社フジオフードシステム(昭和54年創業)下記のチェーン店を全国展開
    「まいどおおきに食堂」「かっぽうぎ」「串家物語」「つるまる」

所在地のGoo地図を添付しておきます。

上の写真は当日、私が選択した品々です。
カレー500円、冷やっこ100円、豚汁230円 合計830円

上の写真は奥様が選んだ品々 
食堂のミンチカツ150円、小松菜うす揚げ炒め煮120円、ごはん(小)150円
合計420円 2人の合計1,250円でした。

上の写真は店頭の看板
上の写真はお店の外観

7月11日の訪問記
上の写真は当日私が選んだメニュー
あじフライ120円、ささがき牛蒡きんぴら120円、ごはん(小)150円 豚汁230円 合計620円



上の写真は奥様が選んだメニュー
小松菜うす揚げ炒め煮120円、特製玉子焼き220円、豚&じゃがいも320円、ごはん(小)150円
合計 810円 2人の合計は1,430円(税込)

過去の訪問記




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唐招提寺の釈迦念仏会について

2023年07月23日 04時53分27秒 | 奈良情報
唐招提寺では、毎年10月21日から3日間、釈迦念仏会が行われています。

2023年7月18日(火)NHK BSプレミアム 6:30~7:15「国宝へようこそ 第11集 唐招提寺」で
上記釈迦念仏会が紹介されていましたの番組からの写真を利用して纏めてみました。

本論に入る前に唐招提寺の基本情報と所在地のGoo地図を示しておきます。
唐招提寺の基本情報
住所:奈良市五条町13−46 TEL:0742-33-7900
宗派:律宗 御本尊:廬舎那仏 開基:鑑真 759年創建
公式サイト
唐招提寺とは | 唐招提寺 (toshodaiji.jp) 

所在地のGoo地図を添付しておきます。

上述の「釈迦念仏会」の日だけ公開される国宝「金亀舎利塔」には鑑真が唐から携えた
3000粒の釈迦の遺骨(仏舎利)が納められている。
金亀舎利塔の前で3日3晩にわたり法華経の功徳を説き、「南無釈迦牟尼仏」と釈迦の名号が
唱え続けられる。唐招提寺にとってもっとも重要な法会である。

この釈迦念仏会は、建仁2年(1202)8月に、戒律復興運動の基幹として解脱上人貞慶が
創始したもので、上人晩年の大切な事績の一つである。
鑑真没後の唐招提寺は衰退が続き、特に平安遷都以降はひどい衰退ぶりであった。
この状態を憂いた解脱上人貞慶が奈良仏教の復興、原点回帰で奈良仏教界に呼びかけた。
創始から800年以上経つ現在まで継続しています。

貞慶による釈迦念仏会の創始に関する詳細は下記サイトが詳しい

上の写真は唐招提寺釈迦念仏会で公開される金亀舎利塔


  上の写真は堂内の御本尊「金亀舎利塔」を前にした釈迦念仏会の法要



上の3枚の写真は夜間、堂内、仏舎利塔の前で行われる釈迦念仏会の様子
法華経の功徳を説き、「南無釈迦牟尼仏」と釈迦の名号が唱え続けられる。

鑑真和上と唐招提寺について過去にブログを作成していますのでリンクしておきます。

最後に鑑真和上、日本での活動について記載して筆を置きます。

天平勝宝5年12月26日(754年1月23日)大宰府に到着、鑑真は大宰府観世音寺に
   隣接する戒壇院で初の授戒を行う。

天平勝宝6年2月4日に平城京に到着して聖武上皇以下の歓待を受け、
  孝謙天皇の勅により戒壇の設立と授戒について全面的に一任され、東大寺に住する
  こととなった。
  4月、鑑真は東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けた
  これが日本の登壇授戒の嚆矢である。併せて、常設の東大寺戒壇院が建立された。
 
天平宝字2年(758年)淳仁天皇の勅により大和上に任じられ、政治にとらわれる
  労苦から解放するため僧綱の任が解かれ、自由に戒律を伝えられる配慮がなされた。
  鑑真大和上70歳

天平宝字3年(759年)新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、
 戒壇を設置した。鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、
                     日本にこれらの知識も伝えた。
 また、悲田院を作り貧民救済にも積極的に取り組んだ。鑑真大和上71歳

天平宝字5年(761年)には日本の東西で登壇授戒が可能となるよう、
  大宰府観世音寺および下野国薬師寺に戒壇が設置され、戒律制度が急速に
  整備されていった。 鑑真大和上73歳

天平宝字7年(763年)5月6日唐招提寺で死去(遷化)した。享年76歳


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洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その11 網屋幾右衛門邸宅跡 ーふさを知るー

2023年07月22日 04時50分08秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第11回で6月15日に訪問した「網屋幾右衛門邸宅跡」について書いていきます。


洲本市五色町都志の散策シリーズ過去の記事
 











上の3枚の写真は現地の説明板です。
説明板の内容をそのまま転記しておきます。
網屋幾右衛門邸宅跡 ーふさを知るー 
  網屋の屋敷はこの付近にあったようですが、海岸浸食のため、今は渚近くか、
  或いは海の中に没しているかもわかりません。歳月はそれほどに物事を風化させて
  しまいましたが、その中で一つのロマンスは今も語り継がれています。
  21歳の高田屋嘉兵衛はこの家の次女で、美人のふさと知り合いそっと恋の花を
  さかせました。しかしこれを知った地元の若衆からは羨ましがられ邪魔されたかも・・・
  このあと兵庫に出た二人は無事に結ばれることになります。

上の写真は北前船寄港地・船主集落 都志浦の街並みと高田屋嘉兵衛の足跡
のリーフレットの地図で網屋幾右衛門邸宅跡の位置を手書きで入れた



上の写真は説明版が設置されている場所の近くにある宿泊施設「嘉兵衛荘
現地に行くのに目安となる建物です。住所は洲本市五色町都志万歳456-2 

嘉兵衛荘の所在地のGoo地図を添付しておきます。


上の写真は現地説明板のある場所付近からの都志港の風景

司馬遼太郎の「菜の花の沖」を原作として2000年12月NHKがドラマを制作BSで放映された。
このドラマでおふさの役を鶴田真由さんが演じています。現在、BS3で再放送されています。
ドラマでは次のように描かれています。(以下、Wikipediaより引用)
おふさは嘉兵衛の妻。弥吉が生まれた頃までは夫婦仲も良かった。夫の無事を祈るなど
献身的な妻であったが、店の後継者を息子の弥吉ではなく弟の金兵衛にしようとする
ことに真っ向から反対。その後嘉兵衛とは別居状態になる。
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7月21日は日本三景の日です

2023年07月21日 14時05分39秒 | Weblog
日本三景」は、寛永20年(1643年)に儒学者の林春斎松島・天橋立・宮島を卓越した
三つの景観として著書『日本国事跡考』に記したのが始まりだそうです。

林春斎は林羅山の三男。

松島、天橋立には行ったことがありますが写真がすぐに出てこないので安芸の宮島についてのみ
写真紹介します。

上の写真は厳島神社の大鳥居(広島県宮島) 明神系鳥居の両部鳥居
 撮影:2005-2-27

宮島大鳥居完成記念 冬の週末花火大会 2023年1月14日 #花火 #宮島 #厳島神社  



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洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その10 都志大橋

2023年07月21日 05時57分47秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第10回で6月15日に訪問した「都志大橋」について書いていきます。


洲本市五色町都志の散策シリーズ過去の記事
 







高田屋嘉兵衛の生きた時代(1769~1827)当時、都志川の下流で唯一架かっていたのが
都志大橋でした。現在の都志大橋は平成11年(1999)春に完成しました。



上の3枚の写真は6月15日、雨の中、撮影した都志大橋です。
橋の袂(たもと)の欄干は北前船の船首尾をヒントにデザインされたとのこと。
天明元年(1781)13才の高田屋嘉兵衛は都志浦新在家の親戚弥右衛門方に寄宿して漁業を
さらに同浦の和田屋喜十郎(妻は嘉兵衛の母親の妹)方で商売の手伝いをしていました。

都志大橋の近くにある料理旅館「川長」の店頭に面白い展示があったので写真紹介します。

上の写真は川長旅館の外観 赤い色の船と蛸料理の看板が目立ちます。

上の写真は旅館川長の4代目がこの文章を書かれています。
北前船の辰悦丸(嘉兵衛が初めて船持ちになった船)について簡単に記述しておきます。

辰悦丸 
寛政8年(1796)に完成した高田屋嘉兵衛初の持ち船。嘉兵衛28才であった。1,500石積(約230t)で当事の最大級の船で酒田で建造されました。
建造費は1,500~2,000両と言われ、現在の1億数千万円に匹敵する。
費用は嘉兵衛が 紀州熊野沖で大規模な鰹漁などで儲けた約600両と残りは北風惣右衛門貞幹から
借金して調達しました。
その頃、必ずこの都志大橋を往来していたと思われます。

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令和5年(2023)、蝉の初鳴きと梅雨  

2023年07月20日 18時13分39秒 | 神戸情報
中国、近畿、東海が7月20日(木)頃、梅雨明けしたと 2023年7月20日(木)に
気象庁より発表されました。 平年より1日遅い梅雨明けとなったようです。
2023年の梅雨入りは平年より8日早い5月29日(関西)でしたので、梅雨の期間は
例年よりも長くなりました。

そこで、例年書いている令和5年(2023)の蝉の初鳴きと梅雨について整理しておきます。

2023年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月14日 梅雨入りは5月29日 梅雨明け 7月20日
 
2013年から2022年までの神戸におけるデータは下記のとおりです。

セミの初鳴き 7月10日 梅雨入りは6月14日 梅雨明け 6月28日
セミの初鳴き 7月10日 梅雨入りは6月12日 梅雨明け 7月17日
セミの初鳴き 7月9日 梅雨入りは6月10日 梅雨明け 7月31日
セミの初鳴き 7月13日 梅雨入りは6月25日 梅雨明け 7月24日
2018年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月13日 梅雨入りは6月6日 梅雨明け 7月9日
セミの初鳴き 7月13日 梅雨入りは6月7日 梅雨明け 7月19日
2016年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月11日 梅雨入りは6月4日 梅雨明け 7月18日
2015年の蝉の初鳴きと梅雨
セミの初鳴き 7月14日  梅雨入り 6月3日 梅雨明け 7月20日
2014年の梅雨と蝉の初鳴き
セミの初鳴き 7月15日   梅雨入り 6月4日 梅雨明け 7月21日
2013年の梅雨明け宣言とセミの初鳴き
 セミの初鳴き 7月16日   梅雨入り 5月28日 梅雨明け 7月8日

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回転寿司 力丸 神戸垂水店でのランチ on 2023-7-6

2023年07月20日 17時18分00秒 | 神戸情報
2023年7月6日(木)、回転寿司 力丸 神戸垂水店で頂いたランチを写真紹介します。


回転寿司 力丸 神戸垂水店の基本情報

住所:神戸市垂水区名谷町2569-6 TEL:078-752-7767
営業時間:11:00~21:30
本部:株式会社関西フーズ  開店:2018年7月20日


公式サイト:回転寿司【力丸】の株式会社関西フーズ (kansaifoods.co.jp) 

所在地のGoo地図を添付しておきます。 

上の写真は私が注文した日替り鮮魚のおすすめランチ1,089円(税込)

上の写真は奥様が注文したお手頃握りと茶碗蒸しのセット1,089円(税込)

上の写真はランチのメニュー表

上の写真は店頭の暖簾

過去の訪問記


  この訪問記にさらに以前のブログ記事も掲載しています。 


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洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その9 住吉神社

2023年07月20日 04時38分03秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第9回で6月15日に訪問した「住吉神社」について書いていきます。


洲本市五色町都志の散策シリーズ過去の記事
 







住吉神社の基本情報
住所:洲本市五色町都志288 TEL:0799-33-1100
御祭神:住吉大神(住吉3祭神)
    底筒男命(そこつつのをのみこと)
    中筒男命(なかつつのをのみこと)
    表筒男命(うはつつのをのみこと)
創建時期:不詳 住吉大社から勧請

所在地のGoo地図を添付しておきます。





上の2枚の写真は拝殿と本殿

住吉神社の御祭神は住吉大神で航海安全、農耕神でX年に住吉大社より勧請した。
本殿は大永5年(1525)2月に建てられた都志八幡神社の古い本殿を明治33年(1900)3月に移し
改築されました。
昭和25年(1950)3月、屋根が破損のため銅板葺きの屋根に改修された。
さらに昭和61年(1986)老朽化した拝殿を改修すとともに一部を修理し現在に
至っています。 平成11年? 五色町文化財審議会会長 北山学 

境内に住吉神社記録碑なるものが建立されていた。(下の2枚の写真)
上述の文はこの碑の内容を要約したものです。




住吉神社は都志川河口の洲となった部分に建っています。
高田屋嘉兵衛の生家から徒歩で約5分くらいのところにありました。
高田屋嘉兵衛は幼名を菊弥(きくや)といった。土地の方言で菊弥(きっちゃ)と呼ばれていた。
嘉兵衛は弟達を連れ、色々な形の木切れを舟に見立てて遊んだり、潮の干満を
調べたりを都志川の
堤で行っていたとのこと。この遊びが海で仕事をする嘉兵衛の原点となります。
その場所は住吉神社の境内であったのだろうか・・・


摂社と移設された氏神など

特に表示はされていなかったが漁業の神様「恵比須神社」であろうか?


上の2枚の写真は境内の小祠


玉垣
上の写真は拝殿・本殿の周囲の玉垣

住吉神社付近から都志港遠望
ここからの夕焼けの景色は素晴らしく、名所となっているそうです。

語り草
嘉兵衛の里めぐりウォーキングコースのリーフレットより引用紹介します。
翁がロシアから無事に帰国した文化10(1823)年の10月、山高印の船旗をひるがえした
18隻の手船が、都志沖に勢揃いしました。若く夢多い少年時代の嘉兵衛の心には
このことあるを予期していたのでしょうか。『大きなったらこの沖に千石船を並べて見せる』と

上の写真は都志川に架かる都橋の中央部の高田屋の千石船を描いたもの
高田屋の山高印が帆に描かれています。
都橋は都志大橋(最も海に近い橋)より1つ上流側に架かる橋です。



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洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その8 高田屋嘉兵衛邸宅跡

2023年07月19日 05時37分33秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第8回で6月14日に訪問した「高田屋嘉兵衛邸宅跡」について書いていきます。


洲本市五色町都志の散策シリーズ過去の記事
 






五色バスセンターの向かい(北側)にある小さな園地が、高田屋嘉兵衛邸宅跡です。

上の写真は高田屋嘉兵衛生誕地の碑 
嘉兵衛が生誕した頃の家は小さく、後に文化年間(1804~1816)に大規模な邸宅が建てられました。
この文化年間の嘉兵衛に関する主な出来事をピックアップしておきます。
文化元年(1804) 36才 箱館港の改築、造船場の建設
文化2年(1805) 37才 箱館の開墾(大坂、淡路より農民数十戸を移住)
            江戸、大坂に出店
文化7年(1810) 42才 場所請合制を復活させようとする幕府からエトロフ島場所請合を命じられる
文化8年(1811) 43才 ロシア軍艦ディアナ号艦長ゴローニンら8人クナシリ島で捕らえられる。        
文化9年(1812) 44才 幕府によりロシア軍艦ディアナ号艦長ゴローニンが捕えられた報復として、
     高田屋嘉兵衛は観世丸でエトロフ島から箱館に向かう途中国後島のケラムイ沖で
     8月13日(or14日)、リコルドにより捕えられた(ゴローニン事件)。   
文化10年(1813)45才 帰国後の嘉兵衛は松前奉行を説き伏せ、ロシア側に侵略の意図が無い
     ことを納得させ、人質解放に尽力した。
     日ロ双方に対し、献身的に折衝し、両国から賞賛された。
     9月26日、リコルドは函館でゴローニンらの引き渡しを受ける
     9月29日、リコルド、ゴローニンらを乗せたディアナ号は箱館を出航(ゴローニン事件の解決)
文化11年(1814)46才 嘉兵衛、許されて再び幕府の蝦夷地定雇船頭となる
        ゴローニン事件解決の功を賞せられ、幕府より金十両を下賜

新邸は主屋だけで9間半に5間(約157㎡)。これ以外に7棟あり、周りに高い塀をめぐらした
屋敷の総面積は543坪(約1,892㎡)に及んでいたと言われています。
上の写真は高田屋嘉兵衛生誕地の碑が建つ商業施設の駐車場から旧邸跡及び顕彰碑への案内板


上の2枚の写真は高田屋嘉兵衛邸宅跡に建てられた休み処と復元された塀及び現地説明板
上の写真は高田屋嘉兵衛屋敷跡の平面図
出典:五色町教育委員会編「高田屋嘉兵衛」(1960)Page10 著作権消滅 

上の写真は平成7年(1995)までに撮影された高田屋嘉兵衛屋敷跡の一部(厩など)
平成7年(1995)の阪神淡路大震災で倒壊し解体されました。
出典:嘉兵衛の里めぐりウォーキングコースのリーフレット 

次に高田屋嘉兵衛の顕彰碑について写真紹介していきます。

上の2枚の写真は高田屋嘉兵衛の顕彰碑の遠・近景です。
正式名は「高田屋嘉兵衛翁記念碑」 碑には「贈正五位高田君 碑」と書かれています。
高田屋嘉兵衛の功績が後に認められ明治44年(1911)正五位が追贈されました。
これより都志の有志が中心となり全国中等学校からの寄付金等、各方面の協力を得て
大正4年(1915)11月、この地に記念碑が建立されました。(高さ6.3m、幅3.0m)
碑石は香川県庵治産の花崗岩で当時の金額で6千5百余円を要した。

上の写真は高田屋嘉兵衛翁記念碑の現地説明板
 高田屋嘉兵衛の生まれから死亡までの経歴と主な業績が記されています。
明治44年(1911)8月、政府は高田屋嘉兵衛の生前の功績に対し、正五位を追贈した。


上の写真は高田屋嘉兵衛記念館
高田屋顕彰館・歴史文化資料館(菜の花ホール)が平成7年(1995)に開館してからは
記念館の資料や嘉兵衛の遺品などは高田屋顕彰館・歴史文化資料館に統合され、閉館となりました。

最後に記念館近くに鎮座する高田屋嘉兵衛像の写真を添付して筆を置きます


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たつの市 素麺神社(大神神社) 訪問記 on 2023-4-19

2023年07月18日 05時38分47秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年4月19日、たつの市神岡町の「揖保乃糸資料館 そうめんの里」 の近くにある
素麺神社(大神神社)を訪問しましたので写真紹介します。
正式名は大神(おおみわ)神社です。

危険な暑さが続く今日この頃、素麺がピッタリの季節です。
そこでそうめん神社を取り上げました。

素麺神社(大神神社)の基本情報
住所:たつの市神岡町大住寺794−5  TEL:不明
御祭神:大物主大神 (おおものぬしのおおかみ)
    大己貴神 (おおなむちのかみ)
    少名彦名神 (すくなひこなのかみ)
創建:明治2年(1869)大神神社より分祀

所在地のGoo地図を添付しておきます。

拝殿(本殿)




正面鳥居からの遠景





手水舎


由緒
「伝説では、大和三輪において紀元前91年(崇神天皇7年)、大物主命の五世の孫である
大田田根子命が大神神社の大神主に任ぜられ、その十五世の孫である従五位上
大神主大神朝臣狭井久佐(大神朝臣三枝)の次男穀主(たねぬし)が飢饉と疫病に苦しむ
民の救済を祈願したところ、神の啓示を賜り三輪の地で小麦をつくり、素麺を初めて作ったという。」
この縁で、大神神社祭神は「素麺作りの守護神とされる」このような歴史から、明治2年(1869)、
龍野に「大神神社」の神様「大物主命」を勧請し、素麺神社が創設された。
通称、「そうめん神社」として崇拝されています。

明治32年に本殿ほか2棟を兵庫県手延素麵協同組合が建立。当時の例祭ではそうめんの
掛け巻き競技、そうめん箱作り競技、そうめんの把競技等が行われ、ここで優勝することが
最高の名誉とされていました。 現在の社殿は、永年にわたる風雨によって石垣、玉垣などの
老朽化が進んだため、 平成大改修事業が企図され、組合員や業界崇拝者の総意を結集して、平成16年4月に完成。

田中好子さんの玉垣
平成16年(2004)の大改修で女優の田中好子さんが100万円を寄付をされています。
元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんはテレビCM「そうめんやっぱり揖保乃糸」に
亡くなった2011年まで約20年、起用されました。

平成16年(2004)の大改修寄付者

上の写真は平成16年(2004)の大改修の寄付者芳名が書かれた石碑

古い時代の神社石造物など


上の2枚の写真は狛犬

上の写真は拝殿入口の石灯籠群
上の写真は案内石碑

境内の桜と藤棚







奉納イラストなど



上の3枚の写真は兵庫県立龍野北高等学校 総合デザイン科の奉納品


平成大改修記念で兵庫県手延素麺協同組合からの奉納額


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