2019年8月20日(火)21:00、NHKのEテレで放送の趣味どきっ! 魔界めぐり 第3回
「百鬼夜行 都人への復讐」を視聴しました。
2019年8月20日(火)21:00、NHKのEテレで放送の趣味どきっ! 魔界めぐり 第3回
「百鬼夜行 都人への復讐」を視聴しました。
本ブログは神戸情報と岩国情報をメインテーマとしています。
神戸と岩国の両方に所縁の企業としてかって嶋谷汽船が存在していました。
(昭和54年(1979)商船三井と解散合意。明治10年(1877)嶋谷徳右衛門が由宇町に
嶋屋として創業以来100年余の歴史に幕をおろしました)
須磨寺に嶋谷家の墓があること、嶋谷徹著の「嶋谷海運業史」を現在図書館から借りて
いることから表題のテーマで記事を書くことにしました。
尚、嶋谷汽船について今までに下記のブログを作成しています。
嶋谷汽船本社跡---岩国市由宇町(2018-9-21改訂版)
主題に入る前に由宇時代の嶋谷汽船について簡単に記載しておきます。
由宇時代の嶋谷汽船
由宇船主の中で頭角を現した嶋谷徳右衛門(嶋谷汽船創始者)は
若くして船主兼米問屋の中尾家に奉公して廻船業務と米の売買を習得
その才知と能力はすばらしく、その為主家に認められ明治10年(1877)
徳右衛門40歳の時に中尾本家の持船2隻・昌栄丸(900石)と昌宝丸
(700石)を譲り受け更に生家の父親所有船若宮丸を継承して
所有船3隻の船主となって独立した。
上の写真は嶋谷汽船の創始者の嶋谷徳右衛門 出典:嶋谷海運業史
当初は自らも船に乗り込んで九州産筑後米や肥後米を買い入れ、 神戸に運んで 「兵庫米商会所」 に
持ち込み米の売買取引に参加して、 格別な手腕を発揮したと伝えられている。
因みに神戸市史の中の記述によれば、 明治10年に創設された 「兵庫米商会所」 で嶋谷徳右衛門名義
の扱いは、 同11年に670万石、 翌12年には760万石の取引高と記録されている。
しかし明治22年 6 月28日享年52歳にして逝去となり嗣子嶋谷徳三郎が
弱冠22歳で二代目として家業を継承し家督を相続した。
徳三郎は慶応 3 年 (1867) 11月 7 日の生まれで若年より
父に鍛えられ20歳前、既に米穀の取り引きや米相場船舶の配船業務などに
精通する優秀な人であった。
上の写真は嶋谷徳三郎
明治22年(1889)嶋谷徳三郎は和船の昌栄丸(900石)を改良し速度と積載量を改善。
由宇の和船を 使った海運業者(北前船廻船業者)が鉄道の開通や電信電話
の発達で廃業に追い込まれる状況下でも嶋谷汽船(当時は嶋屋)
明治29年(1896)イギリス製の浦門丸(528t)を購入し踏みとどまった。
その後明治34年(1901)から40年(1907)にかけて大和型帆船や木造汽船
を処分し堅実第一主義の経営に徹底したと言われている。
日露戦争後の明治43年(1910) 5 月に至り 2 隻の海外船を買船 翌44年
更に 2 隻計 4 隻の千トン級鋼製汽船を購入して従来の九州航路と
北前船航路の運航を継続し充実した海運業を謳歌した。
大正元年(1912)の保有船は大成丸など5隻4350tonであった。
大正3年(1915)7月28日勃発した第一次世界大戦の影響で海運界は
未曾有の好況を迎え大正6年(1918)嶋谷汽船株式会社と改組した。
大正11年(1922)伏木に出張所を開設。
大正12年(1923)には営業の拠点を神戸明石町に移転した。
須磨での本家の住まいは離宮道沿いであった。
神戸時代の嶋谷汽船
(嶋谷徳三郎の時代)
大正13年(1924)北海道、朝鮮及び大連航路開設(命令航路)
大正15年(1926)仁川と大連に出張所を開設 所有船舶16隻 2万8千ton
昭和3年(1928)徳三郎が死去(享年61歳)長男の嶋谷武次(37歳)が家督継承
(嶋谷武次の時代)
上の写真は嶋谷武次(1891-1942)
昭和3年(1928)三井造船所で新鋭船「太平丸」建造(三井物産のNY航路に就航)
昭和6年(1931)新潟県命令航路 新潟~元山、清津を受命
三井造船所で新鋭船「昌平丸」建造 (三井物産のNY航路に就航)
関連サイト:http://actros.sakura.ne.jp/file3.html
昭和9年(1934)優秀船舶建造助成金を受けて「海平丸」建造
昭和10年(1935)日本海汽船設立(北日本汽船50%、嶋谷汽船50%出資)
新潟~雄基、清津の命令航路に同社を指定
昭和14年(1939)北海道~大連~青島航路を開設
昭和15年(1940)武次療養のため弟の勇に社長職を譲り会長職に就任
昭和16年(1941)嶋谷勇社長が応召、満州に出征
太平洋戦争開戦(1941)直前の保有船は22隻 65,632ton
昭和17年(1942)嶋谷武次会長が死去
昭和18年(1943)政府勧奨により三井船舶との合併
昭和20年(1945)終戦時嶋谷汽船関係の残存船は多聞丸1隻のみ
戦時中海軍に船は徴用されほとんどの船は沈没した。
昭和21年(1946)東洋製紙系「松山工業社」で製紙業経営開始。
昭和34年(1959)まで続くが売却
昭和23年(1948)嶋谷武次の長男の嶋谷文雄が若手海運人の集い「船友会」に入会
(第二次嶋谷汽船の時代)
昭和26年(1951)第二次嶋谷汽船発足(神戸市中央区播磨町45 大興ビル内)
社長は嶋谷文雄 専務が嶋谷勇 常務が伊丹浩で他は女子社員1名の体制でスタート
乗組員は全員旧嶋谷汽船の人々が馳せ参じてくれた。
三井船舶より「多聞山丸(旧常盤丸)1,197ton」を購入
昭和27年(1952)三井船舶に全船舶運航委託 三井船舶より「夕張丸」を購入
昭和31年(1956)戦後新造船第1号「朝海丸」尾道造船で建造
昭和34年(1959)戦後新造船第2号「海平丸Ⅱ」尾道造船で建造
昭和35年(1960)戦後新造船第3号「鮮海丸Ⅱ」尾道造船で建造
昭和39年(1964)海運集約化により商船三井グループ入り
戦前はオーナー経営に徹していたが、自社独自での運用はリスクやコストが大きく
三井船舶への用船主体の方針を貫いた。
昭和43年(1968)嶋谷文雄社長が労務交渉団体「一洋会」会長に就任
昭和47年(1972)丸一日間の大ストライキが発生、嶋谷文雄社長が食道がん発病
この頃、合理化のため所有船の転籍、売却を開始
昭和48年(1973)嶋谷文雄社長が死去
昭和53年(1978)嶋谷汽船が自主廃業
読売新聞 昭和53年5月2日付 8面に次のように報道されています。
「近海海運の老舗、島谷(本社・神戸市生田区海岸通3、岩松次彦社長)がこのほど全日本
海運組合神戸支部等に自主廃業を通知、職員の退職金や持ち船処分などの残務整理を始めた。
同社は昭和46年から経営が悪化。帝国興信所神戸支店などの調べでは、47年3月期から52年
3月までの累積赤字は約3億円、52年3月期の長期借入金などの負債総額は6憶7千万円余りで、
売上も年々減少していた。」
参照資料:
参考サイト:
https://www.zensenkyo.com/_bk/kaiho/94kaiho/nihonshousen/nihonshousen48.htm
以上、嶋谷汽船の略年表を記載してきました。最後に嶋谷家の須磨寺の墓所の写真を
添付して筆を置きます。 撮影:2019-7-7
FMわいわいで放送された長田今昔ものがたり第118話で井上勇氏が表題の正覚院閼伽棚
について話をされました。そこで2019年7月8日に正覚院に行き写真を撮ってきましたので
紹介します。
まず、閼伽棚についてWikipediaより解説を引用します。
閼伽(あか)は、仏教において仏前などに供養される水のことで六種供養のひとつ。
サンスクリット語のargha(アルガ)の音写で、功徳水(くどくすい)と訳される。
閼伽井から汲まれた水に香を入れることがあり、閼伽香水とも呼ばれることもある。
閼伽を汲むための井戸を「閼伽井」、その上屋を「閼伽井屋」、「閼伽井堂」と称される。
また、閼伽を入れる瓶(びん)を水瓶(すいびょう=軍持)と称し、閼伽を入れる器を
「閼伽器」、閼伽を供える棚を「閼伽棚」と称される。
上の写真は須磨寺塔頭正覚院の堂の北側に設置されている閼伽棚 撮影:2019-7-8
上の写真は現地の説明板。
読み辛いので転記(一部改変)しておきます。
「閼伽棚は佛様に供える水また花などを置く棚です。「方丈記」「日野山の閑居」に
南、竹の簀子(すのこ)を敷き、その西に閼伽棚(あかだな)を作り、北に寄せて
障子を隔てて阿弥陀の絵像を安置(あんぢ)し、そばに普賢を画き、前に法華経を置けり
とあります。閼伽棚は南都元興寺の国宝を一まわり小さくして井上建築株式会社により
昭和57年(1982)1月の初大師に建立されました。須磨寺塔頭正覚院」
国宝の元興寺閼伽棚についてはまだ写真を撮ったことがないので写真付きで紹介されている
サイトにリンクさせていただきました。
https://yaplog.jp/b-jbj/archive/948
元興寺極楽坊本堂として国宝指定 |
鎌倉前期の建物で1955年2月2日に国宝指定
対象は本堂建物で閼伽棚もその要素の中に入っています。
元興寺関係の写真
上の写真はならまち「元興寺 塔跡」の境内に咲くチューリップ(撮影:2018-4-8)
上の9枚の写真は2019年2月3日、節分会の元興寺です。
元興寺について書いた小生のブログ
2019年8月18日、MBS毎日放送 コトノハ図鑑「茶」を視聴しました。
この中で茶の読み方としては「ちゃ」と「て」があると京都先端科学大学で言語学の
研究をしている丸田博之教授が解説されました。
記憶に留めるためにメモとして残しておきます。
番組では建仁寺の茶碑、栄西禅師が中国の宋から茶を持ち帰りその茶の種を譲り受けた
高山寺の明恵は、宇治で茶の栽培を行った。これが「宇治茶」のはじまりとなった。
福寿園宇治工房で、日本茶の代表的な製品である煎茶と抹茶作りを体験されていました。
上の写真は煎茶の製造を体験した出演者
上の写真はクイズで答えは「二番煎じ」そのほかにお茶に関連する言葉を解説されていました。
以下の記述は2014年12月17日の建仁寺訪問した時の茶碑と平成の茶苑に関するものです。
建仁寺の茶碑
上の写真は建仁寺の茶碑 撮影:2014-12-17
上の写真は茶碑と建仁寺開山の栄西禅師の茶思の説明板 撮影:2014-12-17
平成の茶苑
上の写真は平成の茶苑 撮影:2014-12-17
上の写真は平成の茶苑の現地説明板
ご開山 茶祖栄西禅師 は宋の国(中国)から我国にお茶の種子を持ち帰られました。
「茶碑」後方の茶園は、「茶」將来八〇〇年(平成三年)を記念して植樹栽培した
平成の覆い下茶園です。
毎年五月十日頃、初摘みした茶葉を石臼で挽いた抹茶を御開山毎歳忌(六月五日)に
お供えし、ご遺徳茶恩に感謝の誠を捧げます。
建仁寺の写真
撮影:2014-12-17
関連ブログ:
建仁寺 訪問記 on 2014-12-17 その1 俵屋宗達の作品「風神雷神図」
建仁寺 訪問記 on 2014-12-17 その2 海北友松作の方丈の襖絵
安国寺恵瓊の首塚 in 建仁寺方丈庭 on 2014-12-17
最後に「宇治茶の歴史」と「茶の芽摘み」を添付して筆を置きます。
出典:京都府茶協同組合、京都府茶生産協議会、(社)京都府茶業会議所変「宇治茶大好き」
2019年8月16日(金)、吉野家須磨パティオ店で話題の「特選 すきやき重」を
いただきましたので写真紹介します。
吉野家へは種々の店舗に入り、主に牛丼や鰻重、すきやき膳、麦とろ膳、朝の定食などを
いただくことが数多くありますがブログ記事にしたのは今回、初めてです。
吉野家 須磨パティオ店の基本情報
住所:神戸市須磨区中落合2丁目2−1須磨パティオ専門店 TEL:078-792-5087
営業時間:8:00~22:00 定休日:なし(無休)
公式サイト:https://www.yoshinoya.com/
吉野家の「特選 すきやき重」は創業120周年を記念して8月14日から全国販売された
戦略メニューです。北米産の高級サーロイン120gを牛丼に使うタレで煮て、ご飯と一緒に
スキヤキたれと生卵を絡めて食べます。限定50万食で販売期間は約1か月だそうです。
国会議事堂や羽田空港の店舗では和牛を使った「牛重」が1,240円~1,500円で販売されて
いるが他の店でも高級な牛肉を食べたいとの声に応えた商品化でもある。
価格設定は860円(税込)
上の写真のように出てきます。
生卵を黄身と白身に分ける道具がついてきます。
当日は上の写真のように黄身だけを肉の上に載せていただきました。
食後の感想、個人的にはあまり感動しなかった。すきやき膳のほうが好みである。
上の写真はメニュー表
2019-8-14の日経新聞では2016年度を100とした2018年度末の客数(100)と客単価(102.4)
をマクドナルド、すき家、松屋と比較して分析した結果、吉野家の客単価の伸びが鈍いと
結論づけしています。店舗数はMacが2899店、すき屋が1,931店、松屋1,169店に対して
吉野家は1,211店
報道ニュースへのリンク:
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48496380T10C19A8HE6A00/
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3750365.html
神戸市兵庫区役所の新庁舎が完成し2019年8月13日より新庁舎で業務が開始されています。
新庁舎の完成記念式典は2019年7月28日(日)に挙行されました。
2019年8月14日に新庁舎の様子を見に行ってきましたので写真紹介します。
兵庫区の基本情報
区役所住所:神戸市兵庫区荒田町1-21-1 区役所TEL:078-511-2111
人口:107,440人 面積:14.56k㎡ 兵庫区の誕生:昭和20年(1945)
令和元年(2019)7月1日現在の人口は107,533人 世帯数59,935
人口密度:7,379人/㎢
旧区:昭和6年に湊東区、湊区、湊西区 昭和8年湊西区を兵庫区に改名
昭和20年に湊東区の一部と湊区、旧兵庫区が合併して兵庫区となる
上の写真は西面と南面 撮影:2019-8-14
上の写真は東面と南面 撮影:2019-8-14
上の写真は西面と北面 撮影:2019-8-14
上の写真は各フロアの概要 出典:神戸市広報誌 KOBE 2019年8月号 兵庫区からのお知らせ
上の2枚の写真はフロア案内詳細 出典:兵庫区役所リーフレット
上の写真は兵庫区役所より西側の景観 撮影:2019-8-14
上の写真は最終的な完成の姿 出典:兵庫区ファン Vol.2
上の写真は最終完成の姿 現地パネル 撮影:2019-6-7
西側に消防署の庁舎(4階建)が建設される予定です。完成・運用開始は2021年春の予定。
消防署の新設工事に備て8月5日より荒田公園内の仮庁舎で業務が行われています。
上の写真は消防署庁舎も含めた最終完成フロアプラン 出典:兵庫区ファン Vol.2
上の写真は工事関連のパネル 撮影:2019-6-7
上の3枚の写真は工事中で完成まじかの兵庫区役所 撮影:2019-6-7
関連サイトリンク集:
Kiss Press https://kisspress.jp/articles/23367/
神戸市 http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2019/06/20190627240101.html
こべるん「変化していく神戸」https://koberun.net/blog-entry-category/兵庫区役所建て替え
神戸新聞NEXT https://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/201907/0012558117.shtml
神戸経済ニュース https://news.kobekeizai.jp/blog-entry-4042.html
2018年9月25日神戸市北区役所及びベルストがオープン(小生のブログ)
小生のブログ 神戸市各区の区の花とユルキャラ及び各区の概要
神戸市兵庫区の区役所の移転工事が完成し2019年8月13日から新築庁舎での業務が
開始されています。
上記移転工事に伴い、湊川公園の新庁舎の位置にあった楠公像は新たな地点に移転される
予定です。楠公像の移転先について調べてみました。
上の写真が湊川公園内の新しい楠公像の設置場所です。
出典:兵庫区役所周辺地域活性化アクションプラン
尚、楠公像は現在修理中のため、実際にお目見えするのは2020年3月下旬の予定。
2019年7月に仮置き場から修理に出されました。
大楠公像の設置場所の変化を記載しておきます。
昭和10年(1935) 神戸新聞社から寄贈 公園南側(新開地側)に設置
昭和46年(1971) 湊川公園駐車場建設により公園北側に移設
平成29年(2017) 新兵庫区庁舎建築により公園内に仮移設
上の写真仮置き中の楠公像 撮影:2019-6-9
上の写真移設以前の大楠公像 出典:パネル展示より
尚、仮置き場で仮置きされた時に説明パネルも展示されていました。
その内容について下記のブログで記載しています。
湊川公園の楠木正成像(大楠公像)の仮移設と説明板 on 2018-3-21&2018-5-15
今回の移設で取り壊した台座から、像を造る際の寄付金の芳名録が見つかっています。
神戸新聞NEXT(2017/9/7 19:10)でこの関連の記事が掲載されています。
https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201709/0010533068.shtml
上の写真は寄付者芳名録 出典:兵庫区ファンVol.2 Page7
最後に神戸市営地下鉄の湊川駅からエレベーターで出たところ(マクドナルド付近)
に掲示されている湊川公園の説明を添付して筆を置きます。
2019年8月14日(水)に東遊園地にある神戸花時計の写真を撮ってきましたので紹介
します。神戸市の花時計に関するサイトによれば2019年8月8日より神戸新開地の
寄席劇場の喜楽館に植え替えられています。(9月中旬まで)
神戸花時計の基本情報
住所:神戸市中央区加納町6丁目-4(東遊園地) TEL:078-322-5420(建設局公園部管理課)
公式サイト:http://www.city.kobe.lg.jp/culture/leisure/mark/hanadokei/index.html
設置時期:昭和32年(1957)4月6日
更新時期:平成21年(2009)2月
旧地から移動期間:平成30年(2018)11月29日~平成31年(2019)3月28日
上の4枚の写真は当日撮った神戸花時計の近景から遠景
上の写真は今回展示の説明板
2019年の神戸花時計
第1回 タイトル:「からふるハート」“花時計植替え500回記念図案募集”入選作品
作者:神戸市須磨区 下西 心優 さん(南落合小学校4年)
展示期間:2019年3月28日~2019年5月8日
ブログ記事:再始動後の神戸花時計 in 東遊園地 on 2019-4-8
第2回 タイトル:「第49回 神戸まつり」
メインテーマ:緑と海そして愛
サブタイトル:ビバ!神戸この街が好き!
開催日程:5月18日(土) 各区のまつり
5月19日(日) メインフェスティバル
展示期間:2019年5月9日~2019年5月29日
ブログ記事:再始動後の神戸花時計(令和初の植え替え) in 東遊園地 on 2019-5-15
第3回 タイトル:「神戸から大空へ飛び出そう」
“花時計植替え 500 回記念図案募集”入賞作品
2019年8月10日(土)、ときわそば 学園都市店でランチをいただきました。
写真紹介します。 ときわそばの本店は星陵台にあります。
ときわそば 学園都市店の基本情報
住所:神戸市西区学園西町1丁目4キャンパススクエアSC内 TEL:078-792-0201
料理ジャンル:蕎麦
営業時間:平日AM11:00~PM10:00 定休日:第3水曜日(正月元日休)
公式HP:http://www.tokiwasoba.com/shop.html
最寄り駅は神戸市営地下鉄 学園都市駅です。
上の写真は当日、奥様が注文したミニ木の葉丼と麺 930円(税込)
上の写真は私がいただいた「ざるそば」 600円(税込)