2023年4月19日、姫路市林田町を散策してきました。
本日はその第1回として、メインの林田陣屋跡(現聖ケ岡公園)を写真紹介します。
林田陣屋は元和3年(1617)尼崎城を拠点とした摂津1万石の大名の建部政長が播磨国揖東郡
25ケ村1万石で転封した。建部政長は永正年間(1504~1521)窪山城があった聖岡に藩主屋敷を設け林田陣屋(藩主屋敷の他に評定所、牢屋、藩蔵、家臣屋敷など)を
構築した。
上の写真は現地の説明板に表示されていた林田藩 陣屋の復元図(岡久雄氏が製作)
上の写真は推定復元図に関する説明板
上の写真は荻原一青が描いた「林田陣屋図」聖岡の全体が判る城郭図である。
出典:大国正美、辻川敦 編著 「荻原一青の城郭図と兵庫の名城」(2022)Page97
説明板の復元図は上記の城郭図の部分図と考えて良い。
建部政長が入封する前の聖岡は窪山、御殿山と呼ばれていました。
その周辺には構三木家、圓福寺、聖神社があった。
上の写真は林田藩陣屋の中心の藩主屋敷があったところで現在は梅林となっています。
少し小高い位置に展望の東屋や設置されています。
この東屋のあたりは前述の荻原一青の城郭図、陣屋中心部北東端の櫓に相当と推測した。
上の写真は林田陣屋跡 最西部から東側を撮ったものです。
現地説明板の他に忠魂碑が設置されています。
上の2枚の写真は平成24年(2012)11月に建立された「林田藩 陣屋跡 建部候」の石碑
上の写真は林田藩陣屋跡の現地説明板
上の写真は林田藩の支配領域(領地)陣屋のある位置だけは強調の為に色付け
上の写真は林田藩陣屋を建設した建部政長以降の10代260年間の当主の系図
上の写真は林田藩の歴代藩主に関する説明
上の写真は姫路市史第10巻の「播磨国揖東郡林田地図」における林田陣屋
上の写真は上述の姫路市史記載(部分)の原図(全体)
この「林田地図」(宝暦5年(1755)模写の図)の林田藩陣屋と上述の萩原一青の城郭図を
較べると枡形と四足門の位置が異なっています。
上の2枚の写真は建部神社。上述の荻原一青の城郭図では東側にあり一段低い
位置に建立。
建部政長の功績を後世に残す為に文化10年(1813)小祠が創建された。この小祠は稲荷神社を相殿とし、明治12年(1879)社号、建部神社と改称し社殿が再建された。
昭和61年(1986)火災により本殿、中殿、拝殿を全焼し現社殿は平成2年(1990)に再建されたものである。
上の写真は建部神社の入口 左手は林田中学校の敷地
上の2枚の写真は建部神社への上り階段の左右に残る林田陣屋の石垣の遺構
上の写真は聖ケ岡公園北側に残る堀の遺構
上の3枚の写真は林田陣屋関連の古い絵図と説明板 建部神社への入口付近に掲示
上の写真は陣屋付近の部分図(播州林田之図より)
第一家老の長野九之丞の屋敷も描かれています。
参照サイト&本
大国正美、辻川敦 編著 「荻原一青の城郭図と兵庫の名城」(2022)
最後に姫路駅北口 神姫バス4番乗り場から31系統で林田停留所に行くバス時刻表を添付して
筆を置きます。(バス代は700円)時刻表は2023年4月現在です。