「神戸の外国人クラブの誕生と変遷」について1956年に神戸のOAGで行われた
Otto Refardt(オットー・レファート)の講演会要旨と2011年12/6~12/18
に兵庫県立美術館で行われた展示「神戸での日独交流150年」とその他の資料を
使用してまとめてみました。
1.クラブ・ユニオンの誕生
慶応3年12月7日(新暦換算1868年1月1日)に兵庫が開港して半年後にドイツ人を
中心にしたクラブ「クラブ ユニオン」が慶応4年5月29日(新暦換算1868年7月18日)
に21名のドイツ人、オランダ人、スイス人によって設立された。
初代会長はAugust Evers(アウグスト・エヴァース)が任命就任した。
アウグスト・エヴァースは在兵庫プロイセン・北ドイツ連邦の名誉領事
クラブ・ユニオンは居留地の東側にあったレクレーション・グランド(現東遊園地)
のクラブハウスを建設(下の写真)社交活動の拠点としました。
ボウリングなどの施設などを備えた立派なものであった。
2.インターナショナル・クラブの誕生
明治2年3月24日(新暦換算1869年5月5日)神戸外国人居留地に居留するアメリカ人
とイギリス人が中心となって設立された。
インターナショナル・クラブは居留地内の建物(はじめは31番地、次いで32番地、
79番地(オリエンタルホテルの地下))に本拠を置いて活動
このクラブは後述のように明治12年(1879)にコウベクラブと名前を変え
明治23年(1890)には加納町(現在の東遊園地の地)に新しいクラブハウスが
建てられます。
英文ですがKOBE CLUBの歴史について神戸外国倶楽部(英: Kobe Club)のサイトに
詳細に記載されていますのでリンクを貼らせていただきました。
http://www.kobeclub.org/modules/content/index.php?id=2
3.クラブ・ユニオン→クラブ・コンコルディアに名称変更
クラブ・ユニオンは1870年の不況の影響により会員数が激減しクラブハウスを
運営していくのに経済的に困難となった為クラブハウスと土地をインターナショナル・クラブ
に譲渡(金3,100両 金1両は5ドル)。インターナショナル・クラブが入っていた79番
の建物に移った(賃借料は月額150メキシコドル)。明治12年(1879)10月22日、
名前をClub Concordia(クラブ・コンコルディア)に変え新たに発足した。
会員数は38名 うち7名はオランダ人
上の写真は明治12年(1879)に拠点を79番に移動し名称をクラブ・コンコルディアと
変えた施設の建物外観 明治29年(1896)までこちらで活動
4.インターナショナル・クラブ→コウベ クラブに名称変更
2.で記述したInternational Club(インターナショナル・クラブ)は会員数も
クラブ ユニオンより多く上記のようにクラブ・ユニオンの施設を譲渡され、その名称も
Kobe Club(コウベ クラブ)に変更。
明治12年(1879)10月22日のことであった。
出典:神戸市立博物館 博物館だより No.100(2011 秋)
上の写真は明治26年(1893)に建設されたデラカンプ商会の倉庫(手前)と
その2~3年後に竣工したデラカンプ商会の建物(121番と122番)及び
小さく写っているのが当時のコウベ・クラブ(現在は神戸外国倶楽部)のクラブハウス。
クラブハウスはイギリス人建築家A.N.Hansell(ハンセル)=1857-1940が
設計した。1879年に神戸クラブとして竣工以降1950年まで続いた。
明治42年(1909)、法務局に「神戸外国倶楽部」の名称で登記がなされた。
大正12年(1923)に関東大震災が発生すると外国企業の多くが関西に本拠を移し、
神戸外国倶楽部の会員数は大幅に増加した。太平洋戦争が開戦するとクラブ施設は
日本海軍に接収され、空襲により焼失した。昭和25年(1950)に施設が再建されたが
東遊園地にアメリカ領事館が建てられることになり、トアロードのトアホテル跡地に移転。
新施設には神戸初のスカッシュコートが設置された。
神戸クラブの隣には神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ (KR&AC)が
ありました。1870-1943及び1953-1960
KR&ACは1962年からは磯上公園に拠点を移した。
当時のクラブハウスなどの施設を再現したものが今も東遊園地にあります。
下記ブログで記事を書いています。
神戸クラブと神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ
説明板の昔のコウベ・クラブの写真が掲載
上の写真はWikipediaより引用の写真で明治23年(1890)竣工の神戸クラブの建物
5.クラブ・コンコルディアが117番・126番に移動
明治30年(1897)にクラブ・コンコルディアは活動拠点を旧居留地の
117番・126番に移動します。大正7年(1918)まで続きます。
上の写真は旧居留地の地図を示したもの。
上の写真は明治35年(1902)12月10日 清水吉康の著 川上乾一が発行
田村豊盛堂が発行の当時の神戸の地図でクラブ・コンコルディアの位置を示しました。
上の写真は明治30年(1897)のクラブ・コンコルディアの建物外観
6.クラブ・コンコルディアが北野坂に移転
昭和2年(1927)、Clib Concordia(クラブ・コンコルディア)は北野坂に移転
上の写真は北野坂に移転したクラブ・コンコルディア 昭和4年(1929)に撮影
この建物はクラヤ三星堂に移管され、昭和55年(1980)まで管理されていました。
現在はその記念碑が現地に残されています。
下の4枚の写真:撮影は2017年4月4日
7.コウベ・クラブが神戸外国倶楽部として北野地区に移転
昭和30年(1955)、コウベ・クラブが神戸外国倶楽部としてトアロード北端の北野地区に移転
上の2枚の写真は2007年10月14日に撮影の神戸外国倶楽部
Otto Refardt(オットー・レファート)の講演会要旨と2011年12/6~12/18
に兵庫県立美術館で行われた展示「神戸での日独交流150年」とその他の資料を
使用してまとめてみました。
1.クラブ・ユニオンの誕生
慶応3年12月7日(新暦換算1868年1月1日)に兵庫が開港して半年後にドイツ人を
中心にしたクラブ「クラブ ユニオン」が慶応4年5月29日(新暦換算1868年7月18日)
に21名のドイツ人、オランダ人、スイス人によって設立された。
初代会長はAugust Evers(アウグスト・エヴァース)が任命就任した。
アウグスト・エヴァースは在兵庫プロイセン・北ドイツ連邦の名誉領事
クラブ・ユニオンは居留地の東側にあったレクレーション・グランド(現東遊園地)
のクラブハウスを建設(下の写真)社交活動の拠点としました。
ボウリングなどの施設などを備えた立派なものであった。
2.インターナショナル・クラブの誕生
明治2年3月24日(新暦換算1869年5月5日)神戸外国人居留地に居留するアメリカ人
とイギリス人が中心となって設立された。
インターナショナル・クラブは居留地内の建物(はじめは31番地、次いで32番地、
79番地(オリエンタルホテルの地下))に本拠を置いて活動
このクラブは後述のように明治12年(1879)にコウベクラブと名前を変え
明治23年(1890)には加納町(現在の東遊園地の地)に新しいクラブハウスが
建てられます。
英文ですがKOBE CLUBの歴史について神戸外国倶楽部(英: Kobe Club)のサイトに
詳細に記載されていますのでリンクを貼らせていただきました。
http://www.kobeclub.org/modules/content/index.php?id=2
3.クラブ・ユニオン→クラブ・コンコルディアに名称変更
クラブ・ユニオンは1870年の不況の影響により会員数が激減しクラブハウスを
運営していくのに経済的に困難となった為クラブハウスと土地をインターナショナル・クラブ
に譲渡(金3,100両 金1両は5ドル)。インターナショナル・クラブが入っていた79番
の建物に移った(賃借料は月額150メキシコドル)。明治12年(1879)10月22日、
名前をClub Concordia(クラブ・コンコルディア)に変え新たに発足した。
会員数は38名 うち7名はオランダ人
上の写真は明治12年(1879)に拠点を79番に移動し名称をクラブ・コンコルディアと
変えた施設の建物外観 明治29年(1896)までこちらで活動
4.インターナショナル・クラブ→コウベ クラブに名称変更
2.で記述したInternational Club(インターナショナル・クラブ)は会員数も
クラブ ユニオンより多く上記のようにクラブ・ユニオンの施設を譲渡され、その名称も
Kobe Club(コウベ クラブ)に変更。
明治12年(1879)10月22日のことであった。
出典:神戸市立博物館 博物館だより No.100(2011 秋)
上の写真は明治26年(1893)に建設されたデラカンプ商会の倉庫(手前)と
その2~3年後に竣工したデラカンプ商会の建物(121番と122番)及び
小さく写っているのが当時のコウベ・クラブ(現在は神戸外国倶楽部)のクラブハウス。
クラブハウスはイギリス人建築家A.N.Hansell(ハンセル)=1857-1940が
設計した。1879年に神戸クラブとして竣工以降1950年まで続いた。
明治42年(1909)、法務局に「神戸外国倶楽部」の名称で登記がなされた。
大正12年(1923)に関東大震災が発生すると外国企業の多くが関西に本拠を移し、
神戸外国倶楽部の会員数は大幅に増加した。太平洋戦争が開戦するとクラブ施設は
日本海軍に接収され、空襲により焼失した。昭和25年(1950)に施設が再建されたが
東遊園地にアメリカ領事館が建てられることになり、トアロードのトアホテル跡地に移転。
新施設には神戸初のスカッシュコートが設置された。
神戸クラブの隣には神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ (KR&AC)が
ありました。1870-1943及び1953-1960
KR&ACは1962年からは磯上公園に拠点を移した。
当時のクラブハウスなどの施設を再現したものが今も東遊園地にあります。
下記ブログで記事を書いています。
神戸クラブと神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ
説明板の昔のコウベ・クラブの写真が掲載
上の写真はWikipediaより引用の写真で明治23年(1890)竣工の神戸クラブの建物
5.クラブ・コンコルディアが117番・126番に移動
明治30年(1897)にクラブ・コンコルディアは活動拠点を旧居留地の
117番・126番に移動します。大正7年(1918)まで続きます。
上の写真は旧居留地の地図を示したもの。
上の写真は明治35年(1902)12月10日 清水吉康の著 川上乾一が発行
田村豊盛堂が発行の当時の神戸の地図でクラブ・コンコルディアの位置を示しました。
上の写真は明治30年(1897)のクラブ・コンコルディアの建物外観
6.クラブ・コンコルディアが北野坂に移転
昭和2年(1927)、Clib Concordia(クラブ・コンコルディア)は北野坂に移転
上の写真は北野坂に移転したクラブ・コンコルディア 昭和4年(1929)に撮影
この建物はクラヤ三星堂に移管され、昭和55年(1980)まで管理されていました。
現在はその記念碑が現地に残されています。
下の4枚の写真:撮影は2017年4月4日
7.コウベ・クラブが神戸外国倶楽部として北野地区に移転
昭和30年(1955)、コウベ・クラブが神戸外国倶楽部としてトアロード北端の北野地区に移転
上の2枚の写真は2007年10月14日に撮影の神戸外国倶楽部