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大正期の日本郵船神戸支店と旧居留地1番~6番

2017年04月27日 05時01分42秒 | 神戸情報
現在、神戸市立図書館で「絵はがきに見る明治・大正・昭和初期 むかしの神戸」和田克己編著
(1997)を借りています。

この中から大正期の日本郵船神戸支店を中心にした絵はがき(page26-27)と神戸旧居留地6番
にあった時代のオリエンタルホテルを中心とした絵はがき(Page28-29)を題材にして
大正期の海岸通りの風景を思い浮かべていきたいと思います。


上の写真は大正期の日本郵船神戸支店を中心にした絵はがきです。

日本郵船神戸支店はメリケン波止場の北側の米国総領事館跡に大正7年(1918)に竣工しています。
当時はドームのある建物であったことが判ります。現存する神戸郵船ビルは戦災で焼失した建物を
昭和28年(1953)に改修されたものでドームはなくなっています。
(下の写真 撮影:2017-3-19を参照)


神戸郵船ビルについてはブログ記事を書いていますのでリンクしておきます。
  神戸郵船ビル on 2010-1-15

  神戸郵船ビルの壁に残るアメリカ領事館の銘板

上の写真(絵はがき)で旧居留地1番の位置にCanadian Pacific stemship Companyの建物が見えます
この会社はカナダを横断する鉄道会社 Canadian Pacific Railway Upper Lake Serviceの船運搬部門の
会社で1887年に設立本社は Vancouverにあります。
和田克己さんが書かれているように神戸と外国を初めて結んだ船会社です。
田井玲子さんが書かれた名著「外国人居留地と神戸」(2013)には会社名はCanadian Pacific Oceean
Services LTD(Royal Mail  Steamship Line)となっています。

旧居留地2番の位置には有名なウォルシュ・ホール商会 後の香港上海銀行神戸支店の建物が見えます


競売当初、アメリカ系のウォルシュ・ホール商会が手に入れています。
ウォルシュ兄弟はコーベ・ペーパー・ミル(神戸製紙所)を設立。
(後に経営困難な際に岩崎弥太郎が手を差し伸べ、三菱製紙高砂工場となります)
明治15年(1882)頃から香港上海銀行神戸支店として使用
明治35年(1902)香港上海銀行神戸支店は英国人建築家ハンセルの設計によって建てかえられます。
煉瓦造り2階建てで地下もあり魅力的な建物で明治後期ではオリエンタルホテルと共に目立っていました。

旧居留地3番と4番の位置には三井物産株式会社神戸支店(のちに海岸ビル)の建物が見えます
三井物産株式会社神戸支店の建物は大正7年(1918)に竣工しています。


上の写真はオリエンタルホテル(旧居留地6番)を中心とした絵はがきです。

オリエンタルホテルは明治3年(1870)神戸旧居留地79番にオランダ人のG・ファン・デア・ブリス
(G. van der Vlies)が開業その後フランス人のLouis Begeux=ルイ・ビゴー(ベグー)が
明治21年頃(1888)京町筋80番に移転開業。
ビゴーが帰国後閉鎖を惜しんだアーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hasketh Groom)および
エドワード・ハズレット・ハンター(Edward Hazlett Hunter)らが明治26年(1893)に
株式会社「オリエンタルホテル」とし経営を続けた。
この年に居留地87番にA.N.ハンセルの設計で地上3階地下1階を建て本館と合わせて客室54を持つ
大ホテルとなった。明治40年(1907)に6番地に移転した。神戸港メリケン波止場近くの海岸通に
面するという立地を得て、風見鶏の館を手がけた建築家ゲオルグ・デ・ラランデとヤン・レッツェルが
共同設計した3代目となる建物は、当時日本最高のホテルの一つと称された。

商船三井ビル(大正11年(1923)竣工)が写っている事から大正時代後期のものであることが判ります。


上の写真は現在の国道2号線(旧海岸通)沿いの商船三井ビルと新海岸ビルを中心とした建物群です。
撮影:2017-3-19
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