立て札を要約引用
江戸時代から明治中期まで、北海道・日本海沿岸
瀬戸内海にかけて手広く廻船業を営んでいた重岡家
(新屋あたらしや)の明治期の当主重岡富次郎は
当時由宇最大の帆船「大招福丸」1300石積みなど
数隻の船主でした。
有家にお寺がないため当地に浄土真宗説教所を
開き仏法をひろめていました。
明治13年(1880)大島郡伊保田村にあった
深光寺の一部を当地へ移し本山の許可を得て
浄念坊を開き地域の聞法の場としました。
裏庭の大きな蘇鉄は日向(宮崎)から船で
もってきたものと伝えられています。
江戸時代から明治中期まで、北海道・日本海沿岸
瀬戸内海にかけて手広く廻船業を営んでいた重岡家
(新屋あたらしや)の明治期の当主重岡富次郎は
当時由宇最大の帆船「大招福丸」1300石積みなど
数隻の船主でした。
有家にお寺がないため当地に浄土真宗説教所を
開き仏法をひろめていました。
明治13年(1880)大島郡伊保田村にあった
深光寺の一部を当地へ移し本山の許可を得て
浄念坊を開き地域の聞法の場としました。
裏庭の大きな蘇鉄は日向(宮崎)から船で
もってきたものと伝えられています。