ゆうの史跡・文化財めぐり(Page16)及び立て看板を要約引用
江戸時代の岩国藩内の主要道路は山陽道(西国街道)の他に
石州街道、竪ガ浜街道、小瀬・上関往還の4本があった。
小瀬・上関往還は山陽道の小瀬の渡し場を起点に和木、今津
海土路(みどろ)、藤生(ふじゅう)、通津、長野、由宇
日積(ひづみ)、大畠、遠崎、柳井、伊保庄を経て上関に至る
60Kmの公道であった。
由宇村での小瀬・上関往還の経路は通津から長野の辻堂峠を越え
生屋(しょうや)へ出て由宇川沿いに由西を経て長田尻から
由宇峠を越え日積大原に至るもので写真の由宇峠付近は雑草で
夏場には歩きにくいと思われる。
現在は農道として利用されていますが明治30年頃由宇川沿いの
県道(437号線)が整備されるまでは由宇と伊陸(いかち)
日積を結ぶ交通のメーンルートでした。
江戸時代の岩国藩内の主要道路は山陽道(西国街道)の他に
石州街道、竪ガ浜街道、小瀬・上関往還の4本があった。
小瀬・上関往還は山陽道の小瀬の渡し場を起点に和木、今津
海土路(みどろ)、藤生(ふじゅう)、通津、長野、由宇
日積(ひづみ)、大畠、遠崎、柳井、伊保庄を経て上関に至る
60Kmの公道であった。
由宇村での小瀬・上関往還の経路は通津から長野の辻堂峠を越え
生屋(しょうや)へ出て由宇川沿いに由西を経て長田尻から
由宇峠を越え日積大原に至るもので写真の由宇峠付近は雑草で
夏場には歩きにくいと思われる。
現在は農道として利用されていますが明治30年頃由宇川沿いの
県道(437号線)が整備されるまでは由宇と伊陸(いかち)
日積を結ぶ交通のメーンルートでした。