ゆうの史跡・文化財めぐり(Page51)及び立て看板を要約引用
藤井氏は鎌倉御家人で安芸の国田万里(現竹原市)の地頭でした
大内氏の時代に6代の藤井美濃守正次の時康暦元年(1379)戦功
により由宇郷の領主となりました。
15代藤井壱岐守義正の代大内氏と毛利氏の戦いの時どちらにも
加勢せず弘冶元年(1555)帰農してこの地に館を構えました。
のち藤井氏の祖先は大いに栄えて由宇で酒屋(藤屋の屋号)を
営み由宇海岸に藤屋開作を築造しその功で町年寄を勤めました。
藤井氏井戸跡の碑は広島三国屋の藤井正端が文政4年(1821)
玉垣とともに建立したものである。
藤井氏は鎌倉御家人で安芸の国田万里(現竹原市)の地頭でした
大内氏の時代に6代の藤井美濃守正次の時康暦元年(1379)戦功
により由宇郷の領主となりました。
15代藤井壱岐守義正の代大内氏と毛利氏の戦いの時どちらにも
加勢せず弘冶元年(1555)帰農してこの地に館を構えました。
のち藤井氏の祖先は大いに栄えて由宇で酒屋(藤屋の屋号)を
営み由宇海岸に藤屋開作を築造しその功で町年寄を勤めました。
藤井氏井戸跡の碑は広島三国屋の藤井正端が文政4年(1821)
玉垣とともに建立したものである。