ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

卵と玉子焼き

2012年02月21日 | おいしいもの

 
 

今日からプチ断食を始めようと思っていたところに友人から電話。
「卵、要る? たくさんいただいたので持って行くね」
私も「ありがとう、うれしいわ」と応じました。

話し合った結果、友人が玉子焼きを作って来てくれることになりました。

大皿のプレートを用意し、玉子焼きも盛ろうとしていたのに、別のお皿に盛りつけてしまい、ちょっと見た目の豪華さに欠けます。
私が用意したのは、熱々だいこんのユズみそ添え、薄切り豚肉のカツ、あとはゆで野菜などの付け合わせと大根サラダ。ほかには、昨日作った蕗味噌をご飯に添えてが、大まかなランチメニューです。
チーズや甘酢漬け、田舎の干し柿、キウイフルーツなども並びました。

友人は、玉子焼きの他にセロリのきんぴらも作って来てくれました。
最近、あまり写真に執心がないせいか、テーブルの上の写真は撮らずに。
しかし、はしを付けた途中でやはり写真を撮ろうとカメラを向けました。
何だか、食べ散らかしたあとの写真はみっともないわねと言いながら、正直言うと、それぞれのおかずの美味しさに満足し、自画自賛。見かけより中身ね、と、写真を撮りたくなったのです。

かくして、プチ断食は今夜から???

*  *  *  *  *

気儘に暮らしている私。
台所に立ってみると、ラップがない、ソースがない、他にも補充しなければいけないものがあったかしら……。
ラップの代用は、アルミホイル、お皿、ジップロック、ビニール袋など数々あるでしょ!と、ソースがなければ、ケチャップとパスタソースを混ぜ合わせたオリジナルソースを作りましょう!など、もうひとりの私でしっかり世話焼きさんがぼんやりうっかりの本来の私に言い聞かせ、耳元で囁く昨今。

先日の新聞では、まだまだ飽食ニッポンの中にありながら、餓死したという家族3人が報じられていました。
本当に痛ましい事故。お気の毒で言葉もありません。

「私たち、食べ過ぎているよね」と友人と私。
わざわざお使いに行かなくても、なんだかだとテーブルが整うことのありがたさ。
冷凍などでストックしている食品もまだまだ減らしてスリムにし、循環させなければなりません。

私の友人へのおみやげは、蕗味噌とサツマイモ。
“~減ってうれしい~花いちもんめ~”と、そんな心境。
今日も冷蔵庫の断捨離が進みました。ありがとうございます!!!!!


心打つ深いことば

2012年02月21日 | 社会

今朝の新聞では、「光市母子殺害事件」の最高裁判決が報じられていました。
その中での被害者遺族の本村洋さんの深い言葉は、強いメッセージ性を持って心に迫ってきました。
「死刑判決に勝者はなく、犯罪が起こった時点で、皆、敗者です。自分の人生を断たれてしまうような被害者がいなくなることを切に願います。」

事件には、必ず被害者と加害者が存在し、その両者が傷つき、ときには命を落とします。
先日お会いした保護司の中澤さんの言葉がよみがえります。
「犯罪が起きると、被害者の家族や親族はもちろんですが、その苦しみは加害者の家族や親族も同じです」。

記事によると、事件から13年間、犯行の残忍さから死刑という極刑を求め、裁判を通して自らの考えと向き合った本村さんと、13年を経て改心の兆しが見られ、その生い立ちを鑑みたとき、死刑判決のほかに救いの手はないのかと当時未成年だった被告に向ける人々の目。
だれもが人を裁けない、罪を憎んで人を憎まずの教えの中でなお、罪をみつめ、人を裁き、結審していかなければならない裁判制度。
「犯罪が起こった時点で、皆、敗者」というその言葉の深さの前に、ハラハラと涙を流すしかない他者である私たち。しかし、他者でありながらまた当事者になりうる可能性をはらんでいる私たちの人生を考えるとき、こういう記事を前に、自分自身を深く見つめ直す度量を持ちたいものだと思います。

言葉というのはすごい力を持っているものだとしみじみと思います。
言葉をないがしろにせず、軽はずみに言葉を発することなく、友人たちとの会話のときにも、丁寧に丁寧に言葉を紡ぎ出して行きたいものです。