澄みわたる空の先に富士山がそびえています。
写真は、身延山山頂の奥の院から写した富士山です。
笠雲と呼ぶにはにはちょっと遠い白い雲が頂上の上に浮かんでいました。
昨日、今日と自宅のベランダからも富士山がくっきりと望めました。
特に夕景の中の富士山は、茜空を背景に白く浮き上がり、美しいシルエットと穏やかな表情で雄姿を見せてくれました。裾野に灯る近場の街の光も彩を添えていました。どこから眺めてもその美しさに変わる事の無い山ですが、夕映えの富士山は格段と神々しく見えました。
今日は朝から玄関脇の一部屋の整理に時間を使いました。
気が付いたら、朝から夕方5時位まで飲まず喰わずで夢中で片付けました。
狭い暮らしの中の、狭い部屋の一室ですが、ここを「一畳カフェ」「一畳ギャラリー」にしようかななど思い巡らしながら、不要になったものの始末や整理に時間を費やしました。
以前貰い受けた小さな桐ダンスが一棹あり、それを処分しようと考えましたが、それが無くなると本箱以外部屋はガランドウになってしまい、かえって使い勝手が悪くなります。。
しばらく桐ダンスを眺めていて、一棹を上下ばらして置いて見たらぴったりと納まりました。古いものなので、少し虫食いがあったり、木地の剥れなどもありましたが、色々と工夫をし、少し手を加えていい感じになりました。
上部の観音開きのタンスは、開き戸を取り去り、引き出しつきの棚として使おうとアイデアが浮かび、黙々とクラッシックな留め金具を丁寧に外しました。下部のタンスは、2段の引き出しを取り出しきちんと重ね、ガラスの蓋をしたらこれもいい感じになり、まるで“ショップディスプレイ”に使えるような雰囲気になりました。引き出しの入っていた下部のタンスの外枠は、これもほんとにいい感じの棚に生まれ変わりました。
去年暮れ頃に目白の「古道具坂田」に行った時、古い板を三枚渡しただけの三段の木の棚が店の中に置かれていました。田舎の農家の納屋の前にさりげなく置かれていたような作業棚のような変哲も無い棚でしたが、それが妙に印象に残りました。
この棚をボロと思うか、いいなあと思うか、わたしはどちらかと言うと後者です。ボロとアートの紙一重でかろうじてアートの矜持を保っているようなものがなぜか大好きです。それは言い換えれば年月をかけて使い込まれてきた証しでもあるからです。
そして今日の部屋作りも、古い古いしかしムードのある桐ダンスをゴミに出す一歩手前で使い道のイメージが湧いてきて滑り込みセーフと言ったところです。
うれしい一日でした。