無知の涙

おじさんの独り言

2007年11月30日 | 

酒が大好きです。

究極の選択的な感じで、「辞めるとすれば煙草か酒か?」みたいなことを訊かれると、本気で4時間くらい悩むぐらいに、どちらも好きです。

どうしてもと言うなら、やはり人に迷惑を掛ける率の少ない酒を選ぶかなぁ、と昨今の周辺事情を考えるとそのような結論に至らざるを得ない感はあります。

と言っても、酒だって飲み方次第では多大な迷惑を掛けてしまう事もあるのは経験済みです。

そういった経験をする度に、孫悟空の如く自らを鍛え上げた結果、焼酎のロックを水のように飲んでしまう暴徒と化してしまったワケですが。

でも、やはり酒は楽しく、美味しいものです。

僕はツマラナければ飲まないし、楽しければ飲むという分かり易い性格です。

逆を言えば、楽しく飲める人としか相席しません。それくらいのワガママを言う権利は僕にもあるハズです。あるかな?

まぁ仕事上の接待的なことは除外しますが。。。

飲んだ酒がどう作用するかは-毒になるか薬になるか-飲む人の心意気しだいだと僕は思います。

春は夜桜、夏は星、秋は満月、冬は雪、それで十分に酒は美味い。それでも不味いっていうなら、それは自分自身の何かが病んでいる証だ。

という有名なセリフが指し示しているわけです。

僕も心からそう思います。

飲むとトコトンまで飲まないと気が済みませんが、やはり飲んだ時にも守るべき一線は必ずある。経験上・・・・。

詳細な文章は忘れてしまいましたが、村上春樹氏の小説「羊をめぐる冒険」の中で、主人公が一人で朝まで飲んだ帰りに、自分のマンションの廊下で背筋をシャンと伸ばし真っ直ぐ歩いて玄関まで辿り着く描写がありました。そのとき僕は世界一礼儀正しい酔っ払いになる。簡単なことだ、事実を事実として受け止めれば良いのである

んーそんな文章だった気がしますが、なんか違う気もします(-_-;)僕は何故かその文章が好きで、今でも酔っ払って歩いている時にふと思い出したりします。酔っ払った帰りに背筋を伸ばして、ヨロヨロしないで真っ直ぐに歩く。

ただそれだけの事なのですが、妙に清々しい気分になれたりします。

でも、本当に一度だけ、完膚無きまで潰されたことがありました。

爺ちゃんの葬式で東北に行った時のことです。

到着した時には既に飲み会が始まっていて、さっそく飲まさせられたのですが、

30分で潰れました。

もうみんな化け物なみ。

だってその人たちは、僕らが来る前日から飲み続けているんですよ?

にも関わらず30分で戦線離脱

僕もね、決して弱い方では無いと自覚しておりましたので、地獄のような酔いから覚めた時は、そりゃもう悔しかったです。

汚い話で申し訳ありませんが、吐いてしまいました。

僕の修行不足もありましたが、本当に東北の方はお強い

僕が途中で呆れ返るくらいでしたから。

だって、亡くなった当日に夜通し飲んでて、翌日に僕らが到着した時も飲んでて、僕が生死の境をさ迷っている時も飲んでて、告別式も飲んでて、葬式でも飲んでて、僕らが返る日も見送りで飲んでました。

僕が知る限りでは、その方々は4日間ものあいだ飲み続けていました

恐れ入りますが・・・。な気分です。

本当に強い。

と同時に本当に楽しそうに飲んでいらっしゃいました

でもそれは楽しくなる為に酒の力を借りるのではなく(故人を偲んでそういう部分が全くなかったわけでもないが)、基本的には楽しいから飲んでいるのだと僕は思いました。

故人の前でなんという醜態、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、

少なくとも僕が死んで、その葬式に集まって頂いた方には、どうか楽しく見送って欲しいと僕は思います。

集まって頂ければ、の話ですが。

 

 

 


分別~万引き篇~

2007年11月28日 | 思い出

前回に煙草の話を書きましたが、思えばいろいろ世間に迷惑をかけて生きてきたなぁ、と改めて反省。

今でも迷惑かけてますけど、まぁ生きることと言うのは、少なからず誰かに対して迷惑をかけてゆくものだ、と思う面もあります。

でもこんな僕でも絶対にやってはならない、とある時から決めていたことがありました。

万引きイジメです。

中学の時は万引きが横行してました。僕は直接したことありませんが、万引きしてきたものを貰ったりしてました。同罪です

こんなことをしていて良いのだろうか、と疑問には思っていました。

良いはずはありません。

そのとき僕のいたグループは全部で5人で、2人が万引きし、他の3人がそれにアヤかるような図式。

でもある日、みんなで相談しました。やはりこんなことをしていてはいけない、と思いましたので。

自分が泥棒の一味だなんて、やはりイヤなのです。それに、こんなことをしてたら大人になってから、何かあるたびに人様のモノを盗むようになるような気がしました。

とりあえず一人1発ずつ互いに殴り合い、もう万引きはしない、させない、と誓い合うことにしました。

そんなことをしても、それまでの罪を償うことはできないし、かと言って自白して謝罪する勇気もありません。でもなんか殴らないとスッキリしなかったので。と同時に殴られないと気が済みませんでした

青春の3ページってやつですね。

で、殴り合いました。もちろん本気です

僕が殴られる番になったのですが、

一人のヤツのパンチが僕の鼻に直撃

ちょっ!話しが違うYO!鼻はないだろ!KOさせる気か!

オマエどんだけオレにムカツイてんだよ

バランガ・バランガ呪文を唱え始めようと思ったら、手元が狂ってしまったと謝罪されたので、まぁ仕方なく良しとしました。

おかけで鼻の骨が折れましたよ。今でも折れたままです。骨がないもん。低い鼻がさらに低くなりしたよ(-_-;)

青い春のハズが、すっかり赤い鼻になってしまいました。サンタさんなら喜んでくれたかもしれません。

というわけで、鼻の骨を折ってまでして万引きをしないことを誓い合ったワケです。

鼻の骨もだと思い、アキラメました。

 

 

 

 


マイルドセブンイレブン

2007年11月27日 | 思い出

会社の上司から中国土産で煙草を1カートン頂きました

見てみたら「中南海」という煙草でした。

上司曰く「一番キツイやつ買って来たから

へぇ。と思い見てみると8㎎

キツクねーよ。

因みに僕がいつも吸ってる煙草はセブンスターです。ミシェランガイドもビックリ七つ星です。

14㎎

っていうか、そんなに落ちたの!?と今さらビックリ(-_-;)

僕が吸い始めたのは、早いのか遅いのか分かりませんが、中1の終わりの頃でしたね。ずっとセブンスターです。

ある時期に「ろくでなしBLUES」の前田太尊や原田成吉に憧れてラッキーストライクマルボロにした時期もありましたが、洋モクはどうも体に馴染まず、すぐにセブンスターに戻り、それからはずっと変えていません。

その当時は18㎎ありましたね。で、値段も220円くらいだったと思います。

今では300円ですからね。で14㎎

なんか納得いかないです。

でもイギリスとかだと一箱1000円くらいするとか。日本でもそうなったらどうしよう。たちまちオツムが大噴火しそうですが。

それにしても銭湯と煙草の値上がりはスゴイですよね。

14㎎というと、当時のマイルドセブンくらいですよね。

母がマイルドセブンで、よくお使いに行ってあげてたので覚えてます。

母がマイルドセブンでって変ですね。母がウルトラマンセブンで、みたいな違和感がありますね。母がマイルドセブンを吸ってて、ですね。

最初は自販機で買っていたのですが、途中からセブンイレブンが近くにできたので、そこで買ってみようと思いました。

で、セブンイレブンの店員さんに「マイルドセブン」くださいって言おうと思った瞬間に、

(あれ?でもセブンイレブンの店員さんに言っちゃったら、小学生だからきっと怒られるよ・・・

土壇場でアタフタしてしまい、口から出た言葉が

「マ、マイルドセブンイレブンください」

あっ!と思った時には既に遅し。店員さん爆笑。

でも間違えたおかげで別に怪しまれずに購入できましたけど。

あと昔の煙草って、1本いっぽん数字が振られていましたよね?その煙草1箱の中身は全て同じ数字で統一されているのです。

何ケタだったかなぁ。

4ケタだったかなぁ?

その数字を足した末尾が9だった場合は「カブ」と名付けられ、最初に取り出した1本を引っくり返して、一番最後にその引っくり返した煙草を吸う。それを吸いながら願い事を唱えると、その願いが叶う、みたいなオマジナイがありましたね。

懐かしい。いろいろ願掛けしましたよ。叶ったような、叶わなかったような。

僕が20歳過ぎたくらいに、この番号は無くなってしまいましたね。なんか寂しいです。

あと、ポカリスエットを飲むと肺にイイらしい、みたいなオカルト情報が流れて、みんな煙草吸うときにはポカリ。

ポカリの何がどう肺に良いのかサッパリ分かりませんでしたが、アレはアレで奇妙な光景でしたね。

公園とかでウンコ座りしながら煙草吸ってる連中の足元に置いてある飲み物が全部ポカリ何を目指しているのか意味不明。

年々煙草を吸う量が増え続けているような気がします。前は一日に1箱も吸わなかったんですけど、今では・・・

 

 


ジャン・クリストフ

2007年11月26日 | 小説

久しぶりの作品紹介です(ネタがない為)。

今回は「ジャンクリストフ」という本を紹介させて頂きます。

著者はロマン・ロラン(1866-1944)です。

この方は1915年にノーベル文学賞を受賞しております。

この作品は文庫本で全4冊という長編小説です。

カラマーゾフの兄弟を越える圧倒のページ数でしたが、非常に躍動感あふれる文体に魅せられ、けっこう夢中になって読破してしまいました。

「ジャンクリストフ」とは

天才的作曲家ジャン・クリストフが、芸術を通して様々な出会いや別れ、苦難を経験して、少しずつ成長してゆく様子を描いたヒューマニズム小説です。

物語の前半はクリストフの闘争が主に描かれています。クリストフに対して無理解な周囲の者たちとの闘い旧態依然としたパリ上流階級のお体裁な価値観への闘い、過去の偉大な作曲家への闘い、ドイツの堅苦しい社会への闘い。

クリストフの溢れ出る才能が、自由を求める心が、時には彼を獰猛な獣のように闘争へ駆り立てます。と言ってもあくまで精神的な話です。

この前半部分のクリストフの反骨精神というか、反逆精神は、若い読者なら大いに共感できると思います。僕も思わず本を握る手に力が入ったりしました。

そして唯一の友のや、愛すべき人たちとの出会いや別れなどを経験しながら、その魂は逞しく、揺るぎないものとして大成していきます。

ラストはクリストフの大いなる精神に導かれ、ダンテの神曲」天国篇に通じるような壮大さを感じました。

読み終えた時には深い感動によって、しばし呆然としてしまいました。

他人に流されずに、自分の真実を貫き通す。

何が善で、何が悪なのか、真実とは何か?それは容易に答えの出せるものではありません。一般論としてではなく、個人的なレベルでの答えは非常に難しいように思えます。

それはクリストフのように全人生を賭して、ようやく最後に辿り着くことのできるようなものである気がします。

もちろんその人が賭けた分に値するものしか支払われないのでしょうが。

 

 


京都、思い出しの旅

2007年11月25日 | 旅行・散歩

メッキリ寒くなってきましたね。ってか寒すぎ。

職場の建物の裏が落ち葉でスゴイ事になっていたので、それを皆で掃除することになりました。みんな竹ぼうきやら普通のほうきやらで掃くも、アスファルト面ではあまり通用しません。

軽井沢で山ごもりして飛天熊手流奥義を会得した僕から言わせれば笑止!!命いらぬのなら、かかって来い!!

アスファルト面では通用しませんした。

テレビで京都の紅葉が写っていました。やはり紅葉を見るには京が一番でおすなぁ

かくいう僕も一度だけ、この時期に京都へ行ったことがあります

なんか後輩がイキナリ「寺が見たい」と言い出して、それを聞いた僕は後輩の死期が近いかもしれぬと心配になって同行したのでありますが、後輩は今でも元気に生きてます。

-ここからは「古いぃアルバムの中ぁでぇ~ナントカぁ~思い出ぇがいーっぱい♪」的な感覚ですので、ちょっと細部に違いがあるかも知れませんが御容赦くださいませ-

確かちょうど今回の3連休だったと思います。勤労感謝の日とあわせた土、日の連休。あんまり金もなかったので、1泊2日にしました。

京都に同行することを承諾するうえで僕も条件を出しました。必ず寺田屋にも寄ること

その時はまだ京都の寺や、紅葉には特に興味はありませんでしたが、京都は動乱の明治維新の舞台であり、そのメインステージとも称される寺田屋は一度拝見しておきたいと思っていました。

で、新幹線で京都へ。

しぶしぶ付いてきたものの、やはり初めて降り立つ京都を思うと胸が高鳴りましたね

古来より幾度も歴史の節目となる舞台になり、夥しい量の血の雨がその地に染み込んでいる千年王城とも呼ばれる土地。百鬼夜行や魑魅魍魎などの物の怪なる話も多い。

何やら寒々しい思いさえしながら、初めての京都に到着。衝撃は降り立った瞬間から僕を襲いました。

 

普通にすごい近代的な感じでした。

血の雨も物の怪もスッ飛んでしまいましたよ。

ちょっと遅めに出てきてしまったので、到着した時には既に16:00をまわっていました。

いろいろと京都駅で情報を集めているうちに、ある事実に気付きました。

どこの寺も18:00くらいに閉鎖してしまうのです。

え?あと2時間?

もう何箇所も見ている時間はありませんので、京都駅から近い寺を探していると、

清水寺発見。

ここは行っておかないと。

で歩き始めたのですが、近いようで遠い。しかも近づくにつれてスゴイ人ごみ。

1時間くらいは歩いたでしょうか、ようやく清水寺に到着しました。

日が落ちてくるライトアップされて幻想的な感じになります

「清水の舞台から飛ぶ…」という諺(ことわざ)がありますが、、舞楽などを奉納する正真正銘の『舞台』なのです。両袖の翼廊は楽舎だそうです。舞台からの眺望は、実に絶景かな。

僕が紅葉の良さというモノを初めて知った場所でもあります。

いや、しかし人ヒトひと。人だらけ。願わくば平日の静かな時に来たいものだ、と思いました。

で、アッサリ一日目終了。

清水寺を見て、思っていた以上に寺鑑賞って良いかも、と思い始めていたので、もう少し早く来てれば良かったと後悔しきりでした。

さて、どこへ泊まろうか。

このシーズンに宿の予約もせずに行き当たりバッタリで京都まで来てしまった僕と後輩ですが、まさか路上で寝るわけにもいきませんから宿探しです。

ないですね。あるワケない。

歩き回って探し回って、電話BOXでタウンページを見ながら電話しまくりましたけど、本当に1つも空いてる部屋もないのです。

「ええー本当にないんですか?隠してるんじゃないですか?」と最後には被害妄想にかかって、こんな失礼なことを言う始末。隠す意味がない。

腹減った。

宿探しは後回しにして、とにかく何か食事をすることにしました。

京料理。懐石?鍋?せっかく京都に来たのだから、宿はなくても料理くらいは京都っぽいものを食したいのです。いろいろ探して歩きましたが、これまたどこも混雑。あまり高級そうな店にも入れませんし。

結局、焼肉食べ放題。

しかも入ったら誰も客いないのです。店もなんとなく暗い。恐るおそる店員のオバサンに声をかけると、一つの皿を指さしました。

そこにはカルビのような肉が盛られていました。

これだけ?

そう、それだけ。焼肉食べ放題・・・まぁ嘘ではないが・・・。

もうホントにカルビだけの食べ放題なのです。まぁカルビは美味しいからいいじゃないか!と言う人もいるでしょうが、現実は小説よりも奇なり。

最初は良いのですが、暗い部屋で1種類の肉だけをクチャクチャと食べ続けてると

俺達なんの肉くってるんだろう?

的なイリュージョンに陥ります。

なんか気持ち悪くなってきたので、腹八分目でギブアップ。普通ですけど。でもいつもは食べ放題というと九分目も十分目も限界を果てしなく超えて食べますから、かなり消極的な事態。

後輩に至ってはホトンド箸をつけていません。「いや、オレ腹いっぱいなんで・・・

うそつけ!

完全に栄養が偏ったところで再び京都の町を出発です。

しかし本当に空いてない。ロールプレイングゲームの大冒険じゃないんだから、宿くらいアッサリ見つかって欲しいものです。

もう恐らく京都市内の宿泊施設らしきところは、全て埋まっているようでした。仕方なくどこかの駅前にあったサウナに泊まることに。

フロに入りながら、「オレは京都にいるんだ!」と意識しないと京都にいることを忘れてしまうくらいに普通の日常。

朝目覚めたら、やっぱり忘れてて、隣で寝てたオジサンにビックリ。「え?ココはどこ?アナタ誰?」とアタフタ状態でした。

さぁ2日目です。昨夜の一連のグダグダ感を払拭したいところです。

京都駅でもらった京都市内の観光地図を見ながら、ある程度のコースを決めます。

コースを決めたは良いのですが、歩いては行っていられないし、電車も効率悪そう。よくパンフレットを見ているうちに、必ず観光スポットの交通機関のところにバスという文字が出てくるのを発見。

そうだ、バスだ!

うまいことバスを乗り継げるようになるか、ならないかで、京都の旅というものは全然違ってきます。

まずは念願の寺田屋

文久2年(1862)討幕急進派が寺田屋に集結し、決起を企てた「寺田屋騒動」はあまりに有名。また坂本龍馬の定宿であることでも有名ですね。おりょうさんとの恋が生まれた宿でもあります。「寺田屋」と書かれた提灯が昔ながらの雰囲気を残していました。屋内には龍馬の部屋もそのまま残っており、柱には当時に斬り合った時の刀傷も見られます。

現代でも坂本竜馬を慕って訪れる方も多いようで、メッセージを残すところに「オレも先生みたいに世の中を変えるでごわす」のような熱いメッセージが残っていました。

次に訪れたのは「哲学の道」

   

日本の有名な哲学者・西田幾太郎氏がこの道を散策しながら思索にふけったことからこの名がついたと言われているようです。当初は「思索の小径」と呼ばれていたらしいですが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになったらしく、「日本の道百選」にも選ばれている散歩道だそうです。

 

実際の哲学者が、その哲学の思索に耽った道。何やらそれだけで厳粛な感じがします。

と、そこへなんと数名の舞妓さんが歩いてきました!

もう生舞妓さんの美しいことったら。舞妓haaaan!と言いたくなるのも頷けます。それくらいテンション高くなります。もうホントに色っぽかったです。艶やかというか。

完全に哲学も思索もソッチのけで舞妓さんに「一緒に写真撮ってもらっていいですか?」と美人バスガイドに写真撮影を申し込むイキがった修学旅行生状態でした。

もうここから先は舞妓さんウキウキウォッチングの旅でいいと心に決めようと思っていたら、後輩がオミヤゲ屋さんで木刀を探し始めたので断念。

哲学の道を散策しながら、のんびりと歩いていると、けっこう小さな寺がチラホラあります。通りかかった寺は全て入ってみました。

なんというか、清水寺のような壮大な寺も良いのですが、人のいないヒッソリとした寺もまた何とも言えず良い感じなのです。

線香の匂いが仄かに香る境内で、玄米茶をすすりながら赤く染まった葉がヒラヒラと落葉する様子を眺めていると、なんとも言えない落ち着いた気分になります。

ああ、来て良かった、と心から思いました。

そういう小さい寺もよく見てみると、いろいろ重要な展覧物があったりします。

全部で五箇所くらいの小さな寺に行きましたが、一つの寺はスゴかったです。奥の方に小さな体育館のようなスペースがあって、そこに何十体という仏像が奉られていました。あれは圧巻でした。

僕ら以外に観覧客はいませんでしたので、場内はシーンとしていて耳が痛くなるほどの静寂に包まれていました。そして暗い。空気は冷たく、ちょっとカビ臭いような匂いが立ちこめている。そんな空間。そこに何十体もの仏像が聳え立っているのです。

時の行き止まり、という言葉を僕はそこで思いついたのを覚えています。そこにいると時間が止まっているような不思議な感覚になってしまうのです。絶対的なものに対する恐れ。

今でもあそこの空間を思い出すと、ちょっとヒヤっとした感じになります。

線香の香りと、玄米茶の美味しさの虜になっているうちに日も暮れ始め、旅は終わりを告げようとしていました。

もう1泊したいという気分でしたが、金銭的な面から断念せざるを得ませんでした。

駅に向かっている途中で、たこやき屋を発見しました。

そういえば昼は茶屋で団子食べて茶をススッてばっかでしたので、腹が減っていました。最後にタコヤキでも食べて行こうと後輩と寄ってみると、東京では考えられないくらいの破格の安さ!

正確な数値を覚えていないのが悔しいですが、10個で150円とか。もっと安かったような気がします。しかもこれまた美味しい。バッグに全部タコヤキを詰めて持って帰ろうかと思いましたが、「そんなに買ってどうするんですか?」という後輩の冷静なツッコミで断念。

こうして京都の旅は静かに幕を閉じました。