無知の涙

おじさんの独り言

アルバイト「コンビニ奮闘記②」

2008年12月15日 | アルバイト奮闘記

周りの連中との確執はあったけど、
それとは別に仕事はオモシロかったですね。


裏で雑誌読んでる奴らに、
「裏にいていいから、お客さんが来たら接客して下さい」
と頼んで、ひたすら僕は品だししてましたね。

並び始めるとスッ飛んで接客に行きましたけど。
やっぱりお客さんを待たせるのが一番ダメ。


けっこう商品を並べるのが楽しくて、
夢中でやってたなぁ。


自分なりのコダワリと言うか、
センスと言うか、
やっぱり買うのはお客さんですからね。
お役さんに選んでもらいやすい形
いろいろと考えて、試行錯誤してました。


雑誌にしても、弁当にしても、パンにしても、
紙パックの飲料にしても、なんにしても。


あと、そこのコンビニは
唐揚げやら、なんとか串とか、
そういう惣菜を売ってました。


基本すべて冷凍のものを揚げるだけですが、
唐揚げだけは凝ってました。


弁当と一緒に生の鶏肉が入荷され、
専用の粉を水で溶かした衣を着けて揚げる。

ただこれだけですが、
なかなか難しい。


水の配分、とろみのつけ方、
揚げる温度、取り出すタイミング。

どれを間違っても、微妙な感じになってしまいます。


それまで出していたシロモノがあまりにヒドかったので、
かなり研究しましたね、マニュアルもなかったし。


幸い、お好み焼き屋でだいぶ料理を作ることに関しては、
厳しい指導を受けたので、感覚だけはなんとなく解りました。
揚げ物なんか作ったことなかったけど。

味見もしましたよ、かなり。

「んー、なんか唐揚げの売り上げが合わないな」
と店長は首をひねってましたが。


その甲斐あって、自分で言うのもアレですが、
朝のうちには完売するようになりまして。
いやいや、ありがたいコトでした。


駅に全く近くないコンビニで、
朝の客は工事現場の職人さんばかりでした。
やはり腹にたまるモノじゃないとダメだろうな、
と思っていたので、衣を多くつけるようにしたのです。
特殊な衣だったので、それ自体にしっかり味が付いてるのです。

あまり付け過ぎても朝から重いだろうし、
そこらへんの加減はだいぶ苦労しました。

あとは揚げる加減ですね。
揚げすぎても衣と肉がパサパサしてしまうし、
鶏肉がジューシーに食べられる時点
見極めるのにけっこう時間かかりました。


そんなこんなで3ヶ月ほど経ったくらいに、
嬉しい発見がありました。


店にあるパソコンで、店の売り上げというのがチェックできるのです。
日ごと、週ごと、月ごと、年ごと、と。


これが徐々にだけど、確実に上がってきてるのです。

そんなの僕の仕事っぷりと全然関係ないのでしょうが、
やっぱり嬉しかったですね。

仮に上がった売り上げの1%でも僕が貢献できていたのだとしたら、
それはその時の店長のおかげだったと思います。

適度に放任主義。

けっこう任せてくれていたので。
細かいことネチネチ言わないし、
そういう物の並べ方や、料理の作り方でも、
黙って見守ってくれていたように感じます。
興味がなかったダケかもしれませんが・・・。


っつーか、その放任主義が
働かないバイトを作る元凶だったとも思うし、
それそれで直すべき部分ですが。


そんなこんなで半年が過ぎようとしていた頃、
更なる変化がありました。


つづく


 


3ヶ月で20万円生活(つづき)

2008年01月07日 | アルバイト奮闘記

そんなワケで、3ヶ月で20万円生活が始まったワケですが(前回参照)、

僕は煙草も吸いますし、酒も飲むので、

やはり食事を節制するしかありませんでした。

一日1000円の生活費のうち

一日の食事に割り当てられるのが、だいたい200円

小学生のお小遣いくらいです。

最初はカップメンばかり食べてましたが、いくら何でも栄養が偏りすぎなので、

途中からキャベツにしました。

半玉くらいのキャベツを、塩つけてムシャムシャ食べるのです。

サイか。

キャベツをむさぼる自分の姿を鏡越しに見た瞬間に、すっげー野生児

こんな生活してるとマジで野生に目覚めるんじゃないかしらん?

恐怖を感じ始めたので、現代風にパンを食すことにしました。

パン一斤買ってきて、それを大事に食べるのです。

何もつけません。

欲しがりません、勝つまでは!の精神です。

でもね、そんなモッサモッサと生パンを一日中食べてりゃ

なんか疲れてきますよ。アゴとかすっごい使うし

それに生パンて飲み込めないんですよね。

そりゃサザエも「ンガググ」とか言うよ。

で、結局はジュースを購入して+120円

しかも練習する為に引きこもったハズなのに、何故か活字に目覚めてしまうという事態。

ずっと本を読んでました。

それまで小説とか一切読まなかったのですが、作詞の勉強になるかと思って読み始めたら、完全にハマりました。

しまいには本業そっちのけで、小説を書き出す始末

すごい内容でしたね。全く違う意味で。あれを誰かに見られたら僕は死にます

そんなワケで、別に練習してるワケでもないし、サクサク金も減ってくし

ホントにただの引きこもりと化しただけな感じ。

2ヶ月目にはいい加減パンにも飽きて、そろそろ働こうかと思いました。

でもこれでは本当にただの引きこってただけなので、最後にバンドメンバーで

合宿しよう

と提案しました。

ちょうど学生も春休みだったので、特に問題はありませんでした。

何か、何か一つでも、この引きこもり生活に意味を見出したかったのです。

合宿先は静岡に住んでるメンバーの家でした。仮にT君としましょう。

T君はもちろん一人暮らしです。

みんなでT君の家に楽器もって集まって、さぁ合宿の始まりです

みんな楽器を持って、僕はT君の枕をパスパス叩き始めました

意味ねぇッ!

妖怪 枕たたきか。

枕たたくなら別に静岡くんだりまで来る必要もないのです。まして合宿する必要もないのです

T君に聞いてみると、近くにスタジオも無いとのこと。

勢いで合宿などと言い、遠い方が合宿感が出ると思い静岡まで来ましたが、全くそこらへんは考えていませんでした。

これではイカンと思い、オリジナル曲のアレンジを考えることにしました。

1時間後くらいにみんなでUNOをやっていると、テレビの前に不思議なゲーム発見。

見たことのない機種です。

T君に訊いてみると、PCエンジンとのことでした。

名前は聞いたことありますが、実際に見るのは初めてでした。

電源を入れてみると、ときめきメモリアルというゲームが始まりました。

すっごいビックリしました。映像が綺麗で、しかもなんと!

出てくる女の子が喋ってるじゃありませんか!

当時はまだPSSSも出てなく、僕もゲームから離れていたこともあって、

スーファミ最強!と思っていましたが、まるで別次元

その場にいたメンバー全員がどよめきました。

スタンディングオベーションですよ。ブラボーッ!です。

5日間の滞在予定でしたが、ずっとときめきメモリアルをみんなでやってました。

詩織ちゃんという女の子と恋に落ちればクリアらしいのですが、

これが全く恋に落ちない。みんなで代わるがわるプレイしましたが、

結局5日間かけても誰一人好かれずに終了

練習もしない、恋もできない、という哀れな結末。

まぁ、いちばんの被害者はT君だったのでしょうが。

こいつら何しに来たんだ、と絶対に30回くらい思ったハズ

 

5日目に初めて見た富士山はとても綺麗でした。

 

 

 

 

 

 

 


来し方、行く末

2007年12月02日 | アルバイト奮闘記

暇なときは暇なのですが、忙しくなると悲惨な状況になる仕事をしています。

金曜日は泊まりで、昨日も23時まで仕事して、今日も朝から仕事です

でもまだ誰も来てないんですけど(-_-;)僕ひとりでやんの?

「土日でやるからな!」と息巻いていた例の所長が軽井沢行ってるし(-"-)

昨日の夜に「あ、アッシはもうよござんすね?明日は軽井沢なんで、お任せしますから」と時代劇に出てくる卑屈な百姓な感じの電話が掛かってきました。

前日にメールで下書きしておかないと、なかなか当日に仕込むのはツライです。あまり文章書くの早くないので。

かなり行き当たりバッタリな内容になりつつあります・・(+_+)・・お見苦しいトコは御容赦ください。

さて、年末ジャンボの季節ですね。

1等とかスゴイですよねぇ。

前は買っていましたけど、パチンコするようになってから買わなくなりました。

1/400の確率でもヒイヒイ言ってる僕が、あんな確率当たるわけないと悟りましたので。

でも、モチロン買えば確率は0ではありません。買わねば0ですけどね。

何年か前までは毎回買っていました。

そんな頃の話です。

そのとき前の職場に移ったばかりで、かなり強行に職場の近くに引っ越してしまったため、もう青ざめるほど金欠でした。

で、正月休みを返上してバイトしました。

某総合病院です。

正月のみの超短期バイトです。年末28日くらいから、5日までとか、それくらいだったと思います。夜間です。

1週間でも5万くらいにはなる計算でしたので、もうやるしかありませんでした。

正月はみんな休みたいですからね。夜間の受付とか人がいないので、その代用みたいな感じです。

とは言ってもモチロン急患とか来たら僕ではどうしようもありませんので、かなり少数ではありましたが、きちんとナースの方も医者の方もいましたが。

僕はカルテを出したり、受付したり、その程度の仕事です。

でもけっこうカルテ出したり、病院の受付をするのって大変でした。

短期も短期だったので、あまり仕事の内容とか覚えていませんが、大変だったなぁという印象だけ残っています。

みんなのゴルフやってました。

僕と同じバイトの男性が2人いて、一人は頑固オヤジで、一人は大学生の方でした。

どちらもけっこう経験が長いようで、いろいろ教えてくれたのですが、頑固オヤジは夜の仮眠時間になるとサッサと寝てしまいます。でも大学生の方は一緒に遊んでくれました

それでみんなのゴルフやっていたのです。大学生の持ち込みです。

けっこうオモシロかったです。

で、やはり深夜に急患が来ます

そうなると僕たちの出番で、初診でない場合はカルテを取りにいかなければなりません。

カルテはカルテ専用の部屋にあるのですが、けっこう遠いのです。

夜中の2時くらいの病院って、やっぱ不気味です。

たまに暗い廊下を歩いてて、便所に起きてきたオジイちゃんとかとバッタリ出くわすと、もうリアルあなたの知らない世界を堪能できました。

もちろん大晦日も病院でした。

病院で行く年 くる年を見てると、なかなかディープな心地になりましたね。来し方 行く末なんて考えたりしたり。

ナースの方に新年の挨拶しに行こうと思ったら、病室で息を引き取った方がでた!と大騒ぎ。

新年、明けましておめでたくありません。

なかなかディープな元旦を迎えて、家に帰って宝クジの結果を見たら、

なんと当ってる!

5万円!お年玉賞とかなんとか。

働かなくても良かったじゃんッ!

まぁ金だけは、あるに越したことありませんから、悔しがることもないのですが。

それに、その当りは正月にも休まず働いている僕を見た神様が、涙を流しながら授けてくれたものかもしれない、と都合の良いときだけ神様の存在を信じるヘタレパチンカーなのでした(そのときはパチンカーじゃありませんでしたが)。

 

 


リゾートバイト 後編

2007年11月15日 | アルバイト奮闘記

塚さんと二人で雪面に寝転び、かじかむ手で煙草を吸う。遥か山の上の方に見えるホテルの光を見つめながら思う、宿まで辿り着くのに一体何時間かかるのだろうかと

考えていても何も始まらないので、とにかく歩き始めなければ。僕と鬼塚さんはスキー板とストックを肩に担ぎ、山を登り始めようとしたその時、なにやらゲレンデの方から声が聞こえてくる。耳あてをハズシて声を聞いてみると、聞き覚えのある声だ。まさか、まさか。慌てて僕らはゲレンデへ引き返すと、なんと河原さん、山井さん、今井くん、そして去ったハズの地元の高校生たちがゲレンデを滑走してこちらへ向かってきている

なにしてんの!!

次々と僕と鬼塚さんの前に揃う仲間たち。

「なんで来るんですか!」僕は一番先に到着した山井さんに怒る。

「なんでやあらへん。水くさいこと言うな」と山井さんはニッコリ笑って言いました。

「そうそう」と今井くん。

「危険なのに・・・下手すれば死ぬかもしれないんですよ!」実際にしにかけた奴が言うのだから間違いはない。

「地元の山なら任せてよ。庭みてーなモンすから」と自信満々の高校生たち。「送別会という名目で飲みに来たら、こんなことになってるし。早く帰って飲みましょうよ」名目ってなんだよ。

こんなことしてもらっても嬉しくない。嬉しくないのに心のどこかで安心している自分がいた。僕はこの仲間たちのことを一生忘れないだろう、と深くふかく心の中で思った。

そうして総勢8名で山を登り始めましたが、昼間のスキーの疲れからか、みんな思うように進まない。その中には女の子もいた。言わんことではない。

でも最初に一人で遭難しかけ時とは全く違い、少しも不安ではない疲れはあったが、むしろ楽しかった。バカなことを言い合いながら、白い息を吐き出して笑い、笑い疲れて倒れて休む。その時の一部始終を女子高生が写真に収めていて、今でもアルバムに入っているが、我ながら実に楽しそうな顔をしている。

そして宿に着いた時には門限どころか12時を回ってしまっていた。冷え切った体を温める為に、速攻で皆で温泉へ。

それから僕の送別会が始まった。そこに思いがけずおかみさんと調理師のおっちゃんがやってきた。

好意でスキー用品やリフト券を貸してもらったのに、門限破りのご法度。うへぇ叱られる・・・でも全ての責任は僕一人にある。しかしもう辞めるのだ。辞めるから良いというわけではないが、覚悟はできていた。

すると、「お疲れさまだったわね」と笑顔でおかみさん。「ずっといて欲しいけど、あなたにはあなたの人生があるから仕方ないわね。またいつでも来てね。ほんとにご苦労さま」

「途中で逃げ出すかと思ってたがな。なかなか根性あんじゃねぇか」と厨房のおっちゃん。

まぁたかが一ヶ月くらいですけど。でも確かに心のどこかに達成感はある。

「さぁ、今晩は朝まで歌っていいから!でも、明日から修学旅行の団体が入ってるから、寝坊したら承知しないわよ!」

そして最後の宴会が始まる。これまでと同じように思いっきり騒ぎたいのだが、主役であるはずの僕がなんとなくノリきれていない。喉の奥に何かがつかえたような、苦しい感覚。此処に来た最初の頃は本当に寂しかった。みんなとここまで仲良くなれるなんて全然思っていなかった。四六時中地元の事を考えて、寂しくて気が変になりそうだった。そんなに自分が寂しがりやだったなんて知らなかった。その時は此処を出てゆく時に、まさか同じような寂しい思いをするなんて夢にも思っていなかった。

でも今は寂しい。みんなと離れたくない。ここにいたい。でももしここに残ったとしても、今みたいな時間がずっと続くわけではない。少しずつ何かが変わっていき、最終的には同じことになるんだ。そういう場所なんだ、ここは。でもそれでもいいんだ、それでも僕は。

そんな言葉がずっと喉の奥ににつまって、どうしようもなく苦しかった。一言発すれば、堰を切ったように全て吐き出して楽になるだろう。でもそれを口にだしてしまうと、もっと大事なものを失ってしまうのではないか、という恐怖。いや、疑問を挟む余地はない。ここで残る判断をした場合、僕は実際に大切なものを失う。

自分の本当に大切なもの、思いつくものはそれぞれ大事だったし、順位などつけられるはずがない。学校、両親、練習もままならずに僕を待っていてくれているバンドのメンバー、でもこの1か月間ここで苦楽を共にした人たちも大切なんだ、この1か月間の経験はとても素晴らしいものだった。ここで残る決心をしたとしても、それは決して間違いではないはずだ。誰が責められるというんだ。

迷い。

以前は迷いなんてなかった。進路なんて適当で良かったんだ。高校に行けたから行っただけで、どうでも良かった。大学、就職の進路もどうでも良かった。最後はなんとなく就職して、結婚もなんとなくして、なんとなく死んでゆくんだ。そう決まっているんだ。そこからはみ出しさえしなければ良いだけの人生。線路のようにただ続いてゆく。そこから見る風景なんて1つも僕の心を満たさなかったし、きっとこれからも満たさないのだろう。それはもう緩やかな死だとさえ思う。なぜみんなそう嬉々としてその線路を進んでゆけるのだろうか。そういう僕ももちろんその線路の上を進む、ただみんなが歩いているからという理由だけで。それが仕組みだというのなら、考えることは抵抗であり、そんなものは無駄なだけなんだ。

そうしてなんとなく日々を生きているだけの僕がバンドに出会って少し変わった。自分たちの力で想像力で先の事なんていくらでも変わる。意志のあるところに方法は生じる、そう教えられた。自分で選びとっていけば、見えてくる風景も変わる。

そう、僕は

 

そのとき聞きなれた音楽が流れ始めた。カラオケの画面の方をを見てみると、鬼塚さんがマイクを持っている。普段は絶対に歌わないのに・・・。

そして鬼塚さんが選曲したのは「風吹く丘」という曲でした。

その曲は僕の好きな曲でした。というより、この土地に来て好きになった曲でした。温泉に流れる有線で何度も耳にしているうちに、自然と好きになって仕事中にも度々口ずさんでいました。なんとなく歌詞がその時の僕の心境とシンクロしているように思えた。風呂に入りながらこの曲いいですよねと鬼塚さんに言った記憶がある。

『風吹く丘』

もう全てを捨てよう

幸せすぎた昨日荷物になるから

そう孤独になっても

手にしたかった自由 ポケットに詰め

履きなれた靴を脱ぎ

裸足で駆け上がろう

丘の上で見下ろす街は なんてちっぽけなんだろう

風吹く丘で髪をなびかせながら

僕は一人遠い空を睨むよ



さあ何処へ向かおうか

冷たい風に少し不安になるけど

そう遠回りしても

自分の足で今日を踏みしめていく

急行電車じゃほら 見えなかった景色たち

僕だけの町を今

見つけられるような気がする

風吹く丘で傷を洗い流そう

僕は一人遠い空を目指すよ

何を見つけ何を手に入れるのか

僕が負けない限り 君も負けないで


鬼塚さんが歌い終えると、それまで我慢していた涙が堰を切ったように流れだしました。僕は慌てて宴会場を抜け出して、風呂場へ急ぎました。やはり男が涙を流している姿なんて誰にも見られたくない。

僕は顔を洗って、湯船に浸かりながら考えました。

そうだ、帰らなくちゃ。寂しいという一時的な感情で、ここに留まるなんて絶対にダメだ。僕には地元で待ってくれている人達がいるんだ。地元へ帰ることは決してここで一緒に働いた人たちを選ばなかった、ということではない。この1か月間を否定するわけじゃないんだ。ここに来てみんなに会えたからこそ僕は胸を張って帰るんだ。

それがどんなに辛いことでも、どんなに寂しくても、乗り越えて進んで行けばきっといいことがある。

それが此処に来て僕が学んだことでした。

気分一新に宴会場へ戻ると、騒ぎはまだ続いていました。僕はもう悲しくはなかった。

最後に僕はマイクでみんなにお礼を言った。「本当にいろいろと有難うございました。明日、自分は東京に帰りますが・・・・みなさんにお願いがあります。明日は見送りはしないで欲しいです。僕も挨拶しに行きません。どんな顔してお別れしたらいいのか分かんないんです。だから、ここでお別れとさせてください。本当にお世話になりました。」

かなり生意気な発言でしたが、気心の知れた仲間同士。みんな僕の言いたいことを分かってくれいるようでした。

そうして宴会は夜更けまで続いた。

いつ寝たのか覚えていなく、気が付いたら朝になっていた。自分で寝たのか、誰かに寝かせてもらったのか、僕は宴会場のソファーに寝かせられていた。時間は7:00くらいで、他のみんなは既に働いているようであった。

起き上がってみると、二日酔いとスキーが原因であると思われる筋肉痛に襲われたが、不思議と気持ちは晴れやかだった。

僕は自分の部屋へ行き、荷物をもとめて10:00くらいに部屋を出る。みんなは厨房だろうか。僕はみんなが働いている姿を思い浮かべながら、おかみさんのいる事務室へ向かった。

「あら、もう行くの?」おかみさんは僕の顔を見ると驚いたように言いました。

昼くらいの電車に乗って、夕方には地元へ帰りたかった。そして、おかみさんから給料を手渡されました。本当は最初の一週間くらいで給料日があったのですが、使いたくなかったので最後にもらいたいと交渉していたのです。

後で見てみたら30万くらい入っていました。余裕で引越しできる額だ。

「本当にお世話になりました。また遊びにきます!必ず」そう僕はおかみさんに告げて、ホテルを発った。

少し歩いてホテルの方を振り返る。長いようで短い1か月間であった。ホテルの周りを雪かきしていた情景が、そのまま現実のように姿を現す。悪ふざけしながら雪をかけあってはしゃいでいたみんなの姿が、ダイヤモンドダストの舞う視界の中に確かにあった。

 

 

 

バスに乗って駅へ到着。駅から見渡す長野の景色があの1ヶ月前に不安と孤独を感じながら見た景色とは全然違っていた。少しは成長したということかな。いろいろあったもんなぁ、と感慨深くこの一月のことを思い出していると、後ろから名前を呼ばれました。

なんとバイトに来ていた女子高生。昨日のプチ遭難事件にもいた。

「なにしてんの?もしかして見送り?」と聞くと、

違うよ。学校早かったら、たまたまいただけ」と女子高生。

あ、そ。さいなら。さいなら。

電車が来るまで時間があったので、駅ビルのCDショップに入り、「風吹く丘」のCDを探しました。

シングルを発見しましたが、どうせならアルバムで買おうかな、と探していると、

「あ、この曲ってきのう歌ってたやつだよね。あたしにも買って」と何故か付いてくる女子高生。

もーうっせーなー。人が思い出に浸っているというのに。高校生はさっさと帰れ(お前も高校生だろ)。

結局その娘の分のCDも買わされ、もうトットと東京に帰りたい気分になったのでホームへ行きました。

1ヶ月ぶりの地元は、まるで3年間くらい離れていたくらいに懐かしい感じがしました。

帰ってきたんだなぁ、という実感とは正反対に、雪山での出来事や人々が急速に遠のいてゆくような感じがしました。

駅で電話をかけて、メンバーとも久しぶりに再会しました。が、山にいた1ヶ月間まるでドラムの練習しなかったので、バンドメンバーから非難GOGOでしたけど。

こうして僕の1ヶ月に及ぶリゾートホテルでのバイトが幕を閉じました。

いま思い出してもハッキリと様々なことを思い出すことが出来るくらいに、僕にとっては衝撃的な場所だったし、大切な思い出です。

先日ふとインターネットで検索してみたら、僕の働いていたホテルがありました。ロビーとかフロとかゲレンデとかの画像を見ていると、なんかいろいろ思い出してしまい、この話を書こうと思い至ったわけです。

あれからそのホテルには一度も行っていません。毎年、冬になると行ってみようと思うのですが、なかなかシーズン中は混雑して予約が取れなくて。でも今年こそは。

 

 


リゾートバイト 中編

2007年11月12日 | アルバイト奮闘記

途中から、道なんかありませんでした。歩くとスネの上くらいまでズッポリと足が雪に埋まる。一歩いっぽ進んでゆくだけで精一杯。みるみる体力が減ってゆくのが分かる。それに加えて、長靴でもなんでもないので、靴の中に入った雪の冷たさがどんどん体温を奪っていく。

おかしい・・。絶対にホテルへ近づいているはずなのに。なにしろ視界に入る景色は真っ白な山と、そびえ立つ木々だけ。目印にも何にもない。山を突っ切る作戦はモチロン中断。なんとか行きに来た道に出ないと・・・少なくとも自分のいる位置が分かるような見晴らしの良い場所にでないと・・・。

焦る気持ちとは裏腹に体は冷え切り、体力も底をついてしまう。そうして山に突入して1時間経過したときには、僕は雪の中に倒れてしまいました。

絶対絶命。

少しでも体力を回復させて歩かないと・・・。と思うのですが、雪の上に寝そべっているのだから冷たい感覚に襲われるはずなのに、不思議と体の感覚はなく、どんどん眠くなってゆく。「パトラッシュ、なんだか眠いや」の場面が脳裏をよぎる。さきほどまで冷え切って痛かった足も何故か温かくなってゆく。気持ち良い。

焼酎だけは死んでも離すものか!と思って、本当に死ぬやつ。しかも齢18にして。

こんなとこで死ぬのかよ、と僕は思いました。死を感じたときに、中学の時に自殺してしまった、とある女性に呼ばれたような気がしました。

薄れゆく意識。そのとき僕の耳に、微かに音楽が聞こえてきました僕は目を開きました。この音楽はスキー場で流れている音楽だ!

必死に音のする方に向かって進んでゆきました。でも音は反響してしまうので、なかなか正確な位置を判断できませんでしたが、徐々に音のする方に近づいてゆくことができ、ようやく・・・

あった!!!

僕の働いているホテルが見えたのです。

僕にはまだ帰れるところがあるんだ・・・こんなに嬉しいことはない・・・分かってくれるよね? 君にはいつでも逢いにいけるから・・・

ガンダムの最終回のような感動で無事に帰還することが出来ました。焼酎もGETです。

みなさんも雪山に入るときには、くれぐれもお気をつけ下さい。死に近い場所です。

 

そうして時は流れていき、クリスマスくらいを境に宿泊客が多くなり始める。客が入り始めれば当然仕事も忙しくなる。全ての客室が満室になる頃にはほとんど寝る時間もなかった。

そんな頃、仕事を分担すべく担当決めが行われました。僕はルームの担当になりました。

ルーム係とは客室の世話一般をする仕事です。布団を敷いたり、畳んだり、お茶菓子をセットしたり。

しかし困ったことに鬼塚さんとペアを組むことになってしまった。でもハッキリ言って、仕事が忙しすぎてそんなこと気にしている余裕すらなかった。

朝4:00起床。昨夜の宴会の片付け、食器洗い。朝食の支度。朝食の片付け、食器洗い。それがようやく9:00頃に終わり、ようやく朝食です。

10;00にはルームの仕事が始まります。全ての部屋のシーツを剥いで、布団を畳んで、お茶菓子をセットし直して。50部屋くらいありましたから、最後のほうは布団を持ち上げるのもやっとなくらいに疲れる。

それが昼くらいまでかかり、昼食です。

お客さんの昼食はバイキング方式なので、それほど手間がかかりません。

そして休憩。15:00くらいまで休めます。みんな夜はヘトヘトになりながら宴会していたからほとんど寝てないので、この昼休憩でタップリ寝ます。ほとんど昼飯なんか食べずに寝てました。

そして15:00から夕食の支度が始まり、その片付けをして、20:00くらいに布団を敷きにいきます。

22:00くらいから、お客さんの宴会の料理の手伝いや、酒を運んだりなんだり、朝食の仕込みの手伝いをしたりと24:00くらいまで続いて、ようやく終了です

夜御飯を食べて、フロに入って、酒盛りして、だいたい2:00くらいに寝るような感じです。

もう本当に忙しかった。明らかに人手不足。150人くらいのお客さん相手に、こっちは6人ですから。と言っても他に食事を作っている専門の調理師さんが2人いましたが、それでも無理ですよ。

そんな極悪な生活が1週間くらい続きました。

休みも全くない。僕は買出しに行って死にかけた時から一日も休んでいませんでした。

そんな中で唯一の救いが、それまで僕に敵意のようなものを抱いていた鬼塚さんの態度が変わったことです。一緒に仕事をしていくうちに、鬼塚さんの言動が変わってゆき、ついにはそれまでの事が嘘かのように、僕に親切にしてくれ、いろいろな面倒を見てくれるようになりました。

それまで決して参加しなかった、仕事が終わってからの宴会にも参加してくれるようになりました。鬼塚さんと仕事をするのは、とても楽しかったです。すごく真面目な人なので、厳しい面はありましたが、やったことに対してきちんと言葉で褒めてくれました

ある日の酒盛りのとき、皆でリゾートバイトしに来た理由を話し合ったときがありました。山井さんは競馬で借金を抱えてしまって、借金取りから逃れるため河原さんは大学を卒業してからの進路を考えるため今井くんは高校を中退してしまって家にいられないため僕は音楽をするため

そのとき何故か鬼塚さんだけは理由を明かさなかった

ぜんぜん違う理由を持つ人々が「一時的に」という前提のもとで一つ屋根の下で暮らし、同じ釜の飯を食べ、一緒に仕事をしている。これが社会か・・・、と人生経験の浅い僕は驚きました。

こうして僕らの結束は日ごとに強いものになり、仕事が辛くても、なんとか楽しく乗り越えて行きました

乗り越えていけたもうひとつの理由として、正月早々に大学生たち地元の高校生たちがヘルプで入ってきました。大学生7名に高校生3人くらい。

一気に8人も増援がきてくれると、それまでの苦労が嘘かのように楽になった。

最初は古参側のこちらのグループが猿の縄張り争いのごとく警戒していたけど、大学生のグループは女性も多かったので、打ち解けるのにそれほど時間はかからなかった。非常に分かりやすい。

5人でやっていた宴会も、いきなり15人くらいになったので、大変な盛り上がりでした。まして遊び盛りの大学生が多数入ってきたわけだし。

お客さんたちの宴会が終わった後であれば、少しの時間ならカラオケをさせてもらえました。もうカラオケしながらみんなで窓から順番に下の雪に中に謎のダイブ。まぁ一階だったのですが。冷たくて気持ち良かったなぁ。

連日、そんな大騒ぎをしていたら、ついにお客さんからクレーム発生。お客さんより騒ぐ従業員たち・・・。当然おかみさんに怒られました。責任者の牛島さんもかなり怒られたようで、牛島さんから宴会禁止令発令!!やめませんでしたけど。

年食ったいま思うと、よく毎晩とくに意味もなくあれだけ大騒ぎできたなぁとシミジミ思う。これが若さか・・・。

 

そうして正月が明けるとお客の数もぐんと減り、更に仕事が楽になった。ついに夜も普通にたっぷり寝られるようになったので、昼休みの時間は鬼塚さんの自家用車で買出ししながら外で遊ぶようになりました

鬼塚さんと二人だったり、ルームメイトと一緒だったり。地元の高校生たちが混じったり。みんなで卓球したり、バッティングセンター行ったりしました。卓球なんかしたことありませんでしたが、鬼塚さんが教えてくれた。

そんなある日、鬼塚さんがドライブに誘ってくれました

ドライブしながら鬼塚さんといろんな話しをしました。鬼塚さんは僕に一枚の写真を見せました。そこには一人の女性が写っていました。

「妹なんだ」と鬼塚さんは言いました。「両親いないから、俺は大学に行けなかったけど妹は行かせてやりたいんだ。それが俺の山に来た理由だ

僕は改めて鬼塚さんという人の優しさと強さを感じました。こういう強い人になりたいと僕は思いました。

「いつ帰るんだ?」と鬼塚さんは僕に問いかけました。

その言葉を聞いて、そういえば俺は帰らなければならないんだ、ということを思い出しました。日々の楽しさにすっかり流されてしまって、本来の目的も求めるものも失念しかけていました。

その時は正月が明けるくらいだったので、7日か8日とかそれくらいだったと思います。

「あと、一週間くらい、です」と僕は答えた。

鬼塚さんは「早いな・・」とだけ言って、また別の話しをし始めました。

あと7日か・・・と僕は思った。あと7日、悔いのないように過ごそうと固く心に誓いました。

それから数日もすると、大学生も高校生も学校が始まったので元の生活へかえっていき、職場はまた元のメンバーだけとなった。

時間が止まって欲しいと願えば願うほど、感じる時間は早くなってゆくもの。楽しい時間はアッと言う間に過ぎ去ってゆき、ついに最終日になってしまいました。

最終日は鬼塚さんの提案で、みんなでスキーをするコトになりました。仕事も暇だったので、おかみさんも快くOKしてくれました。フリーのリフト券とスキー用具一式も貸してもらえました。

僕は初のスキー体験でした。全ての用具を装着したは良いけど、どうして良いかサッパリです。

おぼつかない足取りでゲレンデに立ちましたが、もうヨロヨロ。驚くことに僕以外の仲間たちはスイスイ滑っています。

杖をついたおじいさん状態で完全にその場で身動きが取れなくなっていると、颯爽と滑りながら鬼塚さんがやってきました。

俺が教えてやるから、大丈夫」と鬼塚さんは笑顔で僕に言った。

地元の小学生のスキー授業と混じりながら、初心者コースで鬼塚さんにスキーを教えてもらう。何十回転んだか、さすがに覚えていない。

ただ明日には僕は東京に帰り、もう鬼塚さんやみんなとも会えなくなるんだ、と思うと胸が締め付けられるように苦しくなるので、そのことを考えたくないから無心でスキーの練習をしていた。

適度に休憩をしながら、ひたすら練習。ついにナイターの時間になってしまい、最後の最後でようやく初心者コースを下まで降りれるくらいの技術を身につけたような気がしました。

じゃあ実際のコースを滑ってみようということなったのだが、実際にコースを上からみると、とんでもない。横から見ているのと、実際に滑ろうと思って見る角度では、ゲレンデの傾斜に大きな違いがある。

ましてそれまで僕が小学生たちと練習していた初心者コースは、ほとんど平面みたいなものだったわけで。こんなのどうやって滑ればいいんだ・・・。僕は恐怖で動けなくなってしまいました。

「無理そうならヤメよう」と鬼塚さんは言いました。

いや!!ダメだ!鬼塚さんも滑りたかったハズなのに、僕なんかの為に一日付き添ってくれたのです。滑れるようになったのを見てもらいたい!

「滑ります」と僕は言って、滑り出しました。

でもそれはとても滑っているとは言い難く、ストックを深々と雪に突き刺しては、ひたすらノロノロと。少しでもスピードが出そうになると転倒。

なんとかゲレンデの中腹部に差し掛かりましたが、なんともうタイムオーバー間近。あと少しでリフトも止まう時間

でも僕は絶対に滑りきると決意したので、ヤメる気は全くありませんでした。

でもそれは僕自身のワガママです。今まで辛抱強く付き添ってくれましたが、これ以上鬼塚さんを巻き込むワケにはいきません

「僕は下まで降りて、すぐに戻りますから、鬼塚さんは先に帰ってて下さい」そう僕は鬼塚さんに言いました。

ここまで来たら最後まで見届けてやるよ」鬼塚さんはゴーグルを上げて僕に言いました。

少しの問答がありましたが、全く鬼塚さんが引く様子を見せないので、鬼塚さんの気持ちに甘えることにしました。

やがてリフトも止まってしまい、あと少しで滑りきるところまで行った時に、スノーモービルに乗った救助隊の人がやってきました。

「リフトも止まって危ないので、後ろに乗ってください。上まで乗せていきますから」と救助の方は言いましたが、もちろん僕は乗りませんでした。鬼塚さんだけでも乗って下さい、と言おうとすると

あー下まで行けば車あるから」と鬼塚さん。

「そうですか。遅くなると吹雪いてきますから、早めに移動してください」と救助の方は言って去っていきました。

そしてようやくゴール。僕は疲れ果てて、その場に寝転びました。綺麗な星空でした。本当に吹雪くのだろうか。

吹雪く・・・。僕のチンケな意地の為に鬼塚さんまで巻き込んでしまった。滑りきった満足感は瞬間的に消え去り、後悔と不安だけが残りました。それでなくても僕は一度遭難しかけているののだ。力ずくでも鬼塚さんをスノーモービルに乗せるべきだった。

そんな僕の思いとは裏腹に鬼塚さんは笑顔でした。「一日でここまで滑れればたいしたもんだ。よくやったな」

僕はその言葉を聞いて涙が溢れそうになりました。「みんな心配してるでしょうから、連絡してきます」僕は震える声でそう言うと、近くにあった公衆電話に行きました。

電話に出たのは河原さんでした。僕は事情を話し、すぐに帰るから心配しないで欲しいと伝えました。

しばらく休憩して、山を登ろうとしたとき、僕と鬼塚さんに思いもかけないことが起こりました。

つづく