昨日もエッチさんと飲み。先週の金曜日に飲んだばかりで。
本来であればまずHさんの奥様が許してくれないところだが、昨日は福島原発の仕事をしていて久しぶりに東京へ帰ってきたI課長のお誘いなのだ。
新宿西口で飲みましょうよと僕が提案し、実際に新宿西口で飲むことになった。このシーズンは高層ビル街がクリスマスのイルミネーションで彩られていて、ただ歩いているだけでも楽しい。
それを期待して行ったのだが、震災の影響なのか、あまりイルミネーションは飾られてなく、なんとなく寂しい感じでした。
目的地はNSビルだったので、途中で都庁の議事堂内を突っ切れば、目の前にNSビル到着する。
その際に僕は勘違いして「国会議事堂」と言ってしまった。当然Hさんから「国会議事堂じゃねぇよ!」とツッこまれた。
そういやそうだな。なんで僕はこの建物を国会議事堂だと認識しているのだろう。さっき調べたら国会議事堂ではなく、都議会議事堂であった。
そう、23歳くらいの頃に僕はこの都議会議事堂で野宿しようとして、警備員に追い出された事があるのだ。それでなんか議事堂というのを覚えていたのだと思う。
何故そんな議事堂なんかで野宿しようかと思ったのかについて説明するには、少し長い話になります。
当時僕は22歳で、2つ年下のA君と音楽的な活動をしていた。音楽的な活動という曖昧な表現をする理由としては、僕自身あまり音楽活動を熱心にヤル気がなかったからだ。
A君もあまり積極的に行動を起こす方ではなかったし、専門であるギターもそれほど上手いとは言えなかった。だが作曲に関しては恐ろしい才能を持っていた。あの久石譲に声を掛けられるほどだ。
A君との最初の出会いは僕が組んでいたバンドの最後のライブだった。僕はそのとき20歳で、バンドとしてはもう1年も前に解散していたが、なんとなく踏ん切りを付ける為に、最初からずっと一緒にやってきたボーカルを誘い、ギターとベースはメンバー募集で探す事にした。
結局ギターしか見つからず、ベースはボーカルが兼務することになった。コピーに選んだのは外国のパンクバンド。何回かスタジオで合わせてライブに臨んだ。
結果は非常に良かった。ライブハウスのスタッフからも「3人とは思えないほど音が厚い」、「また出てくれよ」などなど暖かい言葉を頂いた。まぁ、所詮コピーですから、と態度は冷めてはいたけど、内心では嬉しかった。
これで最後なんです、と説明したら、非常に残念がってくれた。
そうしてライブは終わり、来てくれた人たちに挨拶していると、僕の前にA君が現れた。
つづく