無知の涙

おじさんの独り言

リゾートバイト 後編

2007年11月15日 | アルバイト奮闘記

塚さんと二人で雪面に寝転び、かじかむ手で煙草を吸う。遥か山の上の方に見えるホテルの光を見つめながら思う、宿まで辿り着くのに一体何時間かかるのだろうかと

考えていても何も始まらないので、とにかく歩き始めなければ。僕と鬼塚さんはスキー板とストックを肩に担ぎ、山を登り始めようとしたその時、なにやらゲレンデの方から声が聞こえてくる。耳あてをハズシて声を聞いてみると、聞き覚えのある声だ。まさか、まさか。慌てて僕らはゲレンデへ引き返すと、なんと河原さん、山井さん、今井くん、そして去ったハズの地元の高校生たちがゲレンデを滑走してこちらへ向かってきている

なにしてんの!!

次々と僕と鬼塚さんの前に揃う仲間たち。

「なんで来るんですか!」僕は一番先に到着した山井さんに怒る。

「なんでやあらへん。水くさいこと言うな」と山井さんはニッコリ笑って言いました。

「そうそう」と今井くん。

「危険なのに・・・下手すれば死ぬかもしれないんですよ!」実際にしにかけた奴が言うのだから間違いはない。

「地元の山なら任せてよ。庭みてーなモンすから」と自信満々の高校生たち。「送別会という名目で飲みに来たら、こんなことになってるし。早く帰って飲みましょうよ」名目ってなんだよ。

こんなことしてもらっても嬉しくない。嬉しくないのに心のどこかで安心している自分がいた。僕はこの仲間たちのことを一生忘れないだろう、と深くふかく心の中で思った。

そうして総勢8名で山を登り始めましたが、昼間のスキーの疲れからか、みんな思うように進まない。その中には女の子もいた。言わんことではない。

でも最初に一人で遭難しかけ時とは全く違い、少しも不安ではない疲れはあったが、むしろ楽しかった。バカなことを言い合いながら、白い息を吐き出して笑い、笑い疲れて倒れて休む。その時の一部始終を女子高生が写真に収めていて、今でもアルバムに入っているが、我ながら実に楽しそうな顔をしている。

そして宿に着いた時には門限どころか12時を回ってしまっていた。冷え切った体を温める為に、速攻で皆で温泉へ。

それから僕の送別会が始まった。そこに思いがけずおかみさんと調理師のおっちゃんがやってきた。

好意でスキー用品やリフト券を貸してもらったのに、門限破りのご法度。うへぇ叱られる・・・でも全ての責任は僕一人にある。しかしもう辞めるのだ。辞めるから良いというわけではないが、覚悟はできていた。

すると、「お疲れさまだったわね」と笑顔でおかみさん。「ずっといて欲しいけど、あなたにはあなたの人生があるから仕方ないわね。またいつでも来てね。ほんとにご苦労さま」

「途中で逃げ出すかと思ってたがな。なかなか根性あんじゃねぇか」と厨房のおっちゃん。

まぁたかが一ヶ月くらいですけど。でも確かに心のどこかに達成感はある。

「さぁ、今晩は朝まで歌っていいから!でも、明日から修学旅行の団体が入ってるから、寝坊したら承知しないわよ!」

そして最後の宴会が始まる。これまでと同じように思いっきり騒ぎたいのだが、主役であるはずの僕がなんとなくノリきれていない。喉の奥に何かがつかえたような、苦しい感覚。此処に来た最初の頃は本当に寂しかった。みんなとここまで仲良くなれるなんて全然思っていなかった。四六時中地元の事を考えて、寂しくて気が変になりそうだった。そんなに自分が寂しがりやだったなんて知らなかった。その時は此処を出てゆく時に、まさか同じような寂しい思いをするなんて夢にも思っていなかった。

でも今は寂しい。みんなと離れたくない。ここにいたい。でももしここに残ったとしても、今みたいな時間がずっと続くわけではない。少しずつ何かが変わっていき、最終的には同じことになるんだ。そういう場所なんだ、ここは。でもそれでもいいんだ、それでも僕は。

そんな言葉がずっと喉の奥ににつまって、どうしようもなく苦しかった。一言発すれば、堰を切ったように全て吐き出して楽になるだろう。でもそれを口にだしてしまうと、もっと大事なものを失ってしまうのではないか、という恐怖。いや、疑問を挟む余地はない。ここで残る判断をした場合、僕は実際に大切なものを失う。

自分の本当に大切なもの、思いつくものはそれぞれ大事だったし、順位などつけられるはずがない。学校、両親、練習もままならずに僕を待っていてくれているバンドのメンバー、でもこの1か月間ここで苦楽を共にした人たちも大切なんだ、この1か月間の経験はとても素晴らしいものだった。ここで残る決心をしたとしても、それは決して間違いではないはずだ。誰が責められるというんだ。

迷い。

以前は迷いなんてなかった。進路なんて適当で良かったんだ。高校に行けたから行っただけで、どうでも良かった。大学、就職の進路もどうでも良かった。最後はなんとなく就職して、結婚もなんとなくして、なんとなく死んでゆくんだ。そう決まっているんだ。そこからはみ出しさえしなければ良いだけの人生。線路のようにただ続いてゆく。そこから見る風景なんて1つも僕の心を満たさなかったし、きっとこれからも満たさないのだろう。それはもう緩やかな死だとさえ思う。なぜみんなそう嬉々としてその線路を進んでゆけるのだろうか。そういう僕ももちろんその線路の上を進む、ただみんなが歩いているからという理由だけで。それが仕組みだというのなら、考えることは抵抗であり、そんなものは無駄なだけなんだ。

そうしてなんとなく日々を生きているだけの僕がバンドに出会って少し変わった。自分たちの力で想像力で先の事なんていくらでも変わる。意志のあるところに方法は生じる、そう教えられた。自分で選びとっていけば、見えてくる風景も変わる。

そう、僕は

 

そのとき聞きなれた音楽が流れ始めた。カラオケの画面の方をを見てみると、鬼塚さんがマイクを持っている。普段は絶対に歌わないのに・・・。

そして鬼塚さんが選曲したのは「風吹く丘」という曲でした。

その曲は僕の好きな曲でした。というより、この土地に来て好きになった曲でした。温泉に流れる有線で何度も耳にしているうちに、自然と好きになって仕事中にも度々口ずさんでいました。なんとなく歌詞がその時の僕の心境とシンクロしているように思えた。風呂に入りながらこの曲いいですよねと鬼塚さんに言った記憶がある。

『風吹く丘』

もう全てを捨てよう

幸せすぎた昨日荷物になるから

そう孤独になっても

手にしたかった自由 ポケットに詰め

履きなれた靴を脱ぎ

裸足で駆け上がろう

丘の上で見下ろす街は なんてちっぽけなんだろう

風吹く丘で髪をなびかせながら

僕は一人遠い空を睨むよ



さあ何処へ向かおうか

冷たい風に少し不安になるけど

そう遠回りしても

自分の足で今日を踏みしめていく

急行電車じゃほら 見えなかった景色たち

僕だけの町を今

見つけられるような気がする

風吹く丘で傷を洗い流そう

僕は一人遠い空を目指すよ

何を見つけ何を手に入れるのか

僕が負けない限り 君も負けないで


鬼塚さんが歌い終えると、それまで我慢していた涙が堰を切ったように流れだしました。僕は慌てて宴会場を抜け出して、風呂場へ急ぎました。やはり男が涙を流している姿なんて誰にも見られたくない。

僕は顔を洗って、湯船に浸かりながら考えました。

そうだ、帰らなくちゃ。寂しいという一時的な感情で、ここに留まるなんて絶対にダメだ。僕には地元で待ってくれている人達がいるんだ。地元へ帰ることは決してここで一緒に働いた人たちを選ばなかった、ということではない。この1か月間を否定するわけじゃないんだ。ここに来てみんなに会えたからこそ僕は胸を張って帰るんだ。

それがどんなに辛いことでも、どんなに寂しくても、乗り越えて進んで行けばきっといいことがある。

それが此処に来て僕が学んだことでした。

気分一新に宴会場へ戻ると、騒ぎはまだ続いていました。僕はもう悲しくはなかった。

最後に僕はマイクでみんなにお礼を言った。「本当にいろいろと有難うございました。明日、自分は東京に帰りますが・・・・みなさんにお願いがあります。明日は見送りはしないで欲しいです。僕も挨拶しに行きません。どんな顔してお別れしたらいいのか分かんないんです。だから、ここでお別れとさせてください。本当にお世話になりました。」

かなり生意気な発言でしたが、気心の知れた仲間同士。みんな僕の言いたいことを分かってくれいるようでした。

そうして宴会は夜更けまで続いた。

いつ寝たのか覚えていなく、気が付いたら朝になっていた。自分で寝たのか、誰かに寝かせてもらったのか、僕は宴会場のソファーに寝かせられていた。時間は7:00くらいで、他のみんなは既に働いているようであった。

起き上がってみると、二日酔いとスキーが原因であると思われる筋肉痛に襲われたが、不思議と気持ちは晴れやかだった。

僕は自分の部屋へ行き、荷物をもとめて10:00くらいに部屋を出る。みんなは厨房だろうか。僕はみんなが働いている姿を思い浮かべながら、おかみさんのいる事務室へ向かった。

「あら、もう行くの?」おかみさんは僕の顔を見ると驚いたように言いました。

昼くらいの電車に乗って、夕方には地元へ帰りたかった。そして、おかみさんから給料を手渡されました。本当は最初の一週間くらいで給料日があったのですが、使いたくなかったので最後にもらいたいと交渉していたのです。

後で見てみたら30万くらい入っていました。余裕で引越しできる額だ。

「本当にお世話になりました。また遊びにきます!必ず」そう僕はおかみさんに告げて、ホテルを発った。

少し歩いてホテルの方を振り返る。長いようで短い1か月間であった。ホテルの周りを雪かきしていた情景が、そのまま現実のように姿を現す。悪ふざけしながら雪をかけあってはしゃいでいたみんなの姿が、ダイヤモンドダストの舞う視界の中に確かにあった。

 

 

 

バスに乗って駅へ到着。駅から見渡す長野の景色があの1ヶ月前に不安と孤独を感じながら見た景色とは全然違っていた。少しは成長したということかな。いろいろあったもんなぁ、と感慨深くこの一月のことを思い出していると、後ろから名前を呼ばれました。

なんとバイトに来ていた女子高生。昨日のプチ遭難事件にもいた。

「なにしてんの?もしかして見送り?」と聞くと、

違うよ。学校早かったら、たまたまいただけ」と女子高生。

あ、そ。さいなら。さいなら。

電車が来るまで時間があったので、駅ビルのCDショップに入り、「風吹く丘」のCDを探しました。

シングルを発見しましたが、どうせならアルバムで買おうかな、と探していると、

「あ、この曲ってきのう歌ってたやつだよね。あたしにも買って」と何故か付いてくる女子高生。

もーうっせーなー。人が思い出に浸っているというのに。高校生はさっさと帰れ(お前も高校生だろ)。

結局その娘の分のCDも買わされ、もうトットと東京に帰りたい気分になったのでホームへ行きました。

1ヶ月ぶりの地元は、まるで3年間くらい離れていたくらいに懐かしい感じがしました。

帰ってきたんだなぁ、という実感とは正反対に、雪山での出来事や人々が急速に遠のいてゆくような感じがしました。

駅で電話をかけて、メンバーとも久しぶりに再会しました。が、山にいた1ヶ月間まるでドラムの練習しなかったので、バンドメンバーから非難GOGOでしたけど。

こうして僕の1ヶ月に及ぶリゾートホテルでのバイトが幕を閉じました。

いま思い出してもハッキリと様々なことを思い出すことが出来るくらいに、僕にとっては衝撃的な場所だったし、大切な思い出です。

先日ふとインターネットで検索してみたら、僕の働いていたホテルがありました。ロビーとかフロとかゲレンデとかの画像を見ていると、なんかいろいろ思い出してしまい、この話を書こうと思い至ったわけです。

あれからそのホテルには一度も行っていません。毎年、冬になると行ってみようと思うのですが、なかなかシーズン中は混雑して予約が取れなくて。でも今年こそは。