無知の涙

おじさんの独り言

東北のいま 終

2011年07月28日 | 2011年7月 東北

今回友達から東北行きの誘いを受けた時、やはりちょっと迷いがありました。ボランティアもせずに、ただ物見遊山で今の東北へ行くというのは、ちょっと抵抗がある。


実際に4月~5月の時点で、観光というか、見ておきたいという気持ちで被災地を訪れて、現地の方がだいぶ迷惑しているというニュースもあった。

もちろんこちらには物見遊山の気持ちなんて無いけど、この場合は嫌な気持ちを受けるのは東北の方なので、やはり東北の方の気持ちで考えれば東京ナンバーでブラブラしてる奴らなど、立派に物見遊山の観光客にしか見えないだろうし、いろいろ失ってしまった現地の人からすれば、ただただ腹立たしい気持ちであろう。


でも気仙沼港だけは、どうしても今のうちに見ておきたかった。あの濁流に飲まれる気仙沼港をテレビで見た時のショックが未だ完全に抜けきっていない。

親戚の状態も確認しておきたかったし。


見る前と、実際に見た後で何か変わったか?と問われれば、何も変わってないと答えるしかない。ただただ津波の猛威に恐怖するしかなく、そして変わらず僕は無力だった。

 

そんな時、人は誰かのせいにしたくなる。政治が悪い、あれが悪い、かにが悪い、と。

まぁ実際に政治は悪いんですけど。東京にいると呆れてるだけで済むが、被災地の人にとっては呆れてばかりもいられない。

頭おかしいとしか思えないような奴を復興相として被災地に行かせたり、管もとい民主政権は、わざと日本を滅ぼそうとしてるのかと思ってしまう。だが、恐ろしいことに、それは事実なのだ。

北朝鮮の拉致容疑者集団に献金していた事実を知ったとき、それは確信に変わった。

ここまで非難されても動じない管に、小沢が「すごい神経だ。まともな神経ならとうに辞めている」と皮肉を言っていたが、まともとか、まともじゃないとか関係ない。

管は日本国民が苦しんでいても、何も感じてないのだ。彼は単なる「あっち」の犬であり、ただの無意思な操り人形にしか過ぎないのだ。だから日本人がどうとか関係ない。これだけ言われても平気な顔していられるのは、これが理由なのだ。

そうでなければ今のこの状況は理解できない。管は野党だけでなく、味方からも反旗を翻され、何をするにしても不利。ハッキリ言って誰も得しない状態である。日本のことを考えているのであれば、普通はここで「俺が辞めて解決するなら辞めるわ」と投げやりにしても、そういう判断になるハズなのだ。味方から裏切られれば腹も立つだろう。その例が自民の阿部や福田である。良い例として挙げるのはどうかと思うが、あっちの方がまとまな人間の取る行動としては、よほど理解できる。それで管は少しでも解放されるハズなのだ。このシガラミから。

そんな逆風などヌカに釘で、まさにコビリついたヌカのように首相のイスにしがみつく理由として、黒幕の存在がある。管という入れ物を使って、裏で誰かがやりたい放題やっているのだ。確実に怪しい人物はいる。管のすぐそばに。

こんな連中に被災者の目線で考えろよ!なんて、どだい無理むり。


これまでのアホみたいな外交や、意味不明な金の使い方も、そのフィルターを通してみると、なんの違和感もなく納得できる。なるほどね、そういうことなのね、と。

やれやれ。とてもじゃないけど、この政権ではスムーズな復興はおろか、景気回復など全く期待できない。日本では仕分けで仕事減らされて、バカみたいな安い値段で仕事を取り合ってるのに、そのぶん「あっち」に流されてるんじゃ、そりゃ失業率も増加の一途を辿るわ。

このままでは世界中の人々が集めてくれた義捐金も「あっち」にだいぶ流れてるんじゃないのか?もう義捐金は直接、渡すしかない。


とまぁ、結局は政治批判で終始してしまうのですが、今回東北を見て僕の中で一つだけ決めた事があります。それはまだ言えませんが。そうなって欲しいような、欲しくないような。

 

 


東北のいま~福島~

2011年07月25日 | 2011年7月 東北

最終日は福島で1泊。

だいぶ運転したので、腕は疲れるし、眠くなるしで、疲れてしまいました。

お世話になったのは、二本松市にある櫟平ホテル。

車を駐車場に入れていると、目の前に1台のワゴン車が止まった。中からサッカーのユニフォームを着た小学生が降りてきた。ワゴン車の中には数名の小学生が同乗していて、さきほど降りた彼は車中にいる友達たちに手をふり、ホテルの中に入っていった。


あれ?どっかのマンションと間違えたかな?と思ったが、間違いなく予約したホテルである。


すぐにそんな事も忘れ、受付をすまして部屋へ案内してもらう。その部屋が最上階のすごい豪華な部屋でビックリしてしまった。

男2人でこんな豪華な部屋に泊まってどうすんだ。

 

最上階なので、眺めもバッチリ。

 

食事するラウンジも、なんか場違いだと感じるほどの雰囲気。食事も絶品でした。

 

露天風呂もあります。

飲み足りない気がしたので、ホテル内にある居酒屋へ行って軽く飲むことに。店主といろいろ話をしてみました。

 そこで初めて知ったのですが、このホテルには福島第一原発20キロ圏内の方が150人避難しているとのこと。

ここに来たときホテルに入って行った小学生は、避難者の家族だったのだ。

「ただ」と店主は言った。「このホテルに泊められるのも、今月一杯なんですよ。来月になったら出て行かなければならない。でも金がない。金がないから働かないとならないけど、家がない。みなさんこれからどうしようか真剣に困っています。原発難民というやつです」

原発難民・・・。

僕は礼を言って店を出た。

さっきまで大勢の人で賑わっていたロビーには、もう誰もいなかった。あの楽しそうだった家族も実は避難者だったのだろうか。僕は照明が落ちた休憩所のソファーに腰を掛けた。どれだけ考えても、どれだけ同情したとしても、僕は明日になれば何食わぬ顔で東京に帰ってゆく。そして明後日になれば何食わぬ顔で東京での日常を送り始めるのだ。

非常灯の寂しい灯りを辿るように、僕は部屋まで帰った。

 

 


東北のいま~石巻市~

2011年07月22日 | 2011年7月 東北

次は石巻市を目指します。

市内に入ると、商店街のほとんどはシャッターを降ろし、或いは木の板で入口を塞ぎ、人影もほとんどありませんでした。

これだけでも津波の被害の大きさが伺えます。

 

市内を進むにつれ、パトカーや警察官の姿を多く見かけるようになりました。そして突然、交差点のど真ん中に現れる警察官。

何事かと思ったら、信号が機能していない為、警察官が手信号で車を誘導しているのでした。

教習所で習った限りで、手信号を体験するのは初めてでしたので、ちょっと緊張しながら進んで行きます。

船が陸に打ち上げれていたり、外灯が根こそぎ倒されていたり、橋がボロボロになっていたり、なんど見ても津波の威力に恐ろしさを感じます。

 

そんな中に一際目を引く建物がありました。近づいてみると石ノ森漫画館でした。石ノ森氏は本当に東北を愛していたのだと感じました。

 

本当であれば夏休み前の子供たちで賑わっていたであろう、この施設。

 

残念なことに、津波の被害を受け、休館していました。

 

入口を閉ざす為に設置された木パネルには、訪れた人々のメッセージが書くスペースがないほど書き込まれていました。仮面ライダー1号役の藤岡さんのメッセージもありました。

世界中から頑張れと言われている東北。何を一体どこまで頑張れば良いのだろうか。それでもやはり「頑張ってください」としか言えないのだなぁ、と今回つくづく感じました。

 

 


東北のいま~陸前高田~

2011年07月20日 | 2011年7月 東北

一路、陸前高田市へ。

 

 

 

 

 

陸前高田市は太平洋に面しており、美しいリアス式海岸が見られる。ただ、311の際にはそのリアス式海岸が波の力を強める形になってしまい、大津波が襲った。市中心部は市庁舎もろとも壊滅し、市の全世帯中の7割以上が被害を受けたという。

 

震災当時。

 

運転をしながら、311のあの悪夢が甦る。どうしてこんな事になってしまったのか。一体何が悪いのか。誰が悪いのか。何のせいでもない。運が悪かったのだろうか。なぜ東北だったのだろうか。海洋プレートの上に浮かぶ島。どこで巨大地震が起こっても不思議ではない。自然にとってはほんの少しの違いが、時に何万という人間の命を無慈悲に奪ってゆく。

自然から生まれ、生かされて、長い時間を掛けて造りあげたものを、全部その自然に奪われるように壊されて、消されてしまった。自意識を持つ人間が生涯考えるであろう、自分は何の為に生きているのか?という問いかけを嘲笑うかのように。何の為でもないし、何の意味もないよと。白けてしまうほどの現実。

 

辿り着いた僕の眼前に広がっていたのは、そんな光景でした。

本当に5階建てくらいの建物も波に飲まれている。

 

 車を停めて、呆然と歩く。

本当にかつて此処に人々が暮らしていたのだろうか、と思ってしまうほど、何もかも壊されていました。

この破壊され、うず高く詰まれた残骸こそ、人が暮らしていた何よりの証である。

 

足元に木の棒が打ちつけられていました。赤い印がある。ここに遺体が埋まっていたのだろうか。

突然に波に襲われ命を奪われる恐怖というものは、一体どういうものなのだろう。どれほど苦しいのだろうか。そして子供を失った親、親を失った子供の無念さは。今朝まで笑顔で生きていた人が、なんの前触れもなく永久に消えてしまう。とても多い数の人間が色々な理由で日々亡くなってゆくが、これはどういうのだろう。

寿命を嘆くこともできず、他者を憎むこともできず、決意された死を痛ましく思うこともできない、身近な人の死。天を呪っても仕方がない。本当に全知全能の主というものがいるとするなら呪って怨んでも良いのだろうが、残念ながら所詮我々は生きる条件が整ったが為に誕生した生き物にしか過ぎない。そんなものに祈ったり呪ったりしたところで何の解決にもならない。

だから生き残った人たちは、懸命に瓦礫を集め、運び、かつての日常を力強く取り戻そうとしているのだ。

そんな事を考えながら、地面に打ち込まれた木の棒を眺める。ふとその先を見ると、ポツンと向日葵が咲いていました。

 

「条件はみんな同じなんだ。故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いものもいる。タフなのもいりゃ弱いのもいる、金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね、人並み外れた強さを持ったやつなんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何かを持ってるやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないやつは永遠に何ももてないんじゃないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。だから早くそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ? 強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。」

 村上春樹 風の歌を聴け より抜粋。

 

 

 


東北のいま

2011年07月19日 | 2011年7月 東北

3連休を利用して、東北へ行って来ました。

東京~宮城県大崎市~陸前高田~気仙沼~石巻~福島~東京というルート。

走行距離は1200kmちょい。かなり久々の長距離運転だったので、けっこう疲れました。前回の長距離運転は7年前で、この時も祖父の3回忌で東北へ行ったのですが、ヴィッツで行ったのでスゲー大変でした。

なんせ馬力が少ないのでエアコンをかけると、加速がだいぶキツいのです。高速で追い抜きをかけるのだが、ぜんぜん加速してくれずに、けっきょく追い越せずにスッと元の位置に戻るという恥ずかしい行為を繰り返しましたよ。

もう途中でエアコン切って、汗だくで運転してました。

そんな苦い思い出の長距離運転ですが、今回はカローラのなんとかという車種。車の名前って覚えられない。そんなに大きい車ではないけど、ヴィッツよりかは馬力があって楽でした。

個人的には2回ほどヒヤッとする場面がありましたが、なんとか無事故で帰ってこれました。高速運転中のタバコは危ない。

 

初日は宮城県の大崎市にある鳴子温泉街の旅館で1泊。

 この旅館はいわゆる湯治宿で、黒湯と呼ばれるラジウム温泉が名物。

「黒湯(くろゆ)」は暗緑に濁った鳴子温泉郷唯一の鉄天然ラジウム泉。日本屈指の名湯と呼ぶ人もあり、濃厚なお湯で湯上り後も温熱感が去りません、とのこと。

 女将らしき方からそれとなく言われてましたが、ガッツリ温まったらエライことになりました。エアコンなんてありませんので、夜中の2時くらいまで体が熱かった。これはかなり効き目があるのではないでしょうか。


その7年前に訪れた時も湯治宿を利用したのですが、そこは混浴風呂があって驚きました。さすがに入りませんでしたけど。


しばし周囲を散策。

 

リアルぼくのなつやすみ。東北は本当に美しい。4月くらいの薄っすらと山に雪が残っている風景も好きですが、夏も木々が本当に青々としていて素晴らしい眺めでした。


311当時はここもかなり揺れたのでしょうけど、震災の影響はほとんど見受けられませんでした。地盤や建物がしっかりしてるんだなぁ。