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無知の涙

おじさんの独り言

地獄少女 三鼎??

2012年02月08日 | 漫画やアニメ

2月の7日でTOKYOMXで再放送されていた地獄少女二籠が最終回を迎えた。

話数をカウントせず、TV欄すら見てない僕にとってはかなり急な最終回だった。1話完結でなく話が続いていたので、そろそろ終わりかなという感じはあったけど。

相変わらず後味の悪い終わり方。無印の最終回は良い意味で後味の悪い(?)終わり方だったけど、今回はちょっと納得の行かない終わり方。

地獄少女の行動があまりに突拍子がない。

でもこれだけ終わらない。このままシリーズ3である三鼎に突入するのだ。新しい地獄少女と共に、閻魔あいの補完もしてゆくだろう。

と、楽しみにして自宅に帰り、予約録画を再生。

 

ついに始まる最終章。地獄少女 三鼎・・・・

 

 

 

って、ななな、なんだコイツ!!これが新しい地獄少女か。

いや、どう見てもコレ、キティさんだろ。地獄キティ。キティ地獄。

でもなんか違くない?キティさんのようで、キティでない。キティって口あったけ?完全に笑ってるけど。

 

なに?昨日で終わりなの?うそでしょ。

 

 

 

 

 

 


ザンボット3

2012年01月26日 | 漫画やアニメ

先日会員になったレンタルソフト屋にザンボット3が置いてあったので、思わず最終巻だけ借りてしまいました。

なぜ最終巻なのかと言うと、最終回の衝撃を未だに覚えてるから。

リアルタイムで観てたのは、小学校に上がる前だと記憶してる。生まれて初めて観たロボットアニメで、ザンボット3のフォルムのカッコ良さ、それに加えて合体やら必殺技のカッコ良さに、もう幼いながらにトキめいてました。

 

ザンボット3は3人の子供が操縦しているのだが、

 

最終回でこの3人の子供のうちの2人(左右)が、なんと敵に特攻して死んでしまう。しかも1人はヒロインですよ?

当時の僕は子供ながらにこのヒロインに対して淡い恋心のようなものを抱いていたので、まぁその衝撃のデカイことったら。それで未だに覚えてるというワケです。


このヒロインが死んじゃった、という以外は、ほとんどストーリー的には何も覚えておらず、それから16年を経てスパロボに出会い、ようやくザンボット3という作品のストーリーを少し理解した次第であります。

そうして今、最終回を見直したわけですが、よくまぁ登場人物が死ぬ。「皆殺しの富野」の異名を持つ監督の作品なのだから、それほど驚く事でもないのだろうけど。ほんとポスポス人が死んでゆく。同級生が敵に爆弾にされ、主人公の目の前で爆死してしまう「人間爆弾」のエピソードも、このザンボット3です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


地獄少女

2012年01月06日 | 漫画やアニメ

現在、東京MXで地獄少女が再放送されているので、途中から録画してました。正月休みに一気に観ましたが、なかなか良い。

午前0時だけアクセスできる地獄通信に恨んでいる人間の名前を入力すると、地獄少女が現れて藁人形を手渡す。この藁人形の首にかかった赤い糸を解けば契約が成立し、恨みの対象者を地獄少女が地獄に送ってくれる。但し、契約者も地獄に堕ちることになる。死んだ後の話ですが。


そんなストーリーなので、主に恨まれる側と恨む側の人間関係を主軸に物語が展開してゆく。その様子も実際にあってもおかしくはない程度にはリアルなので、視聴者はたいてい恨む側に感情移入してゆく事になる。

その一方で地獄少女こと閻魔あいの謎を追求してゆくストーリーも展開されてゆく。

暗い。観終わった後の後味の悪さがスゴイ。基本的に「恨んだ相手を地獄に送っても、それは根本的な解決にはなってない」という、アンチメッセージで物語が締めくくられるので、だいたい憂鬱な形でプツリと物語が切れる。似たような悪人成敗モノである仕事人のような爽快感は全くない。

ただただ虚しいばかり。

最後は契約者の名前が書かれた蝋燭が、かつて恨みを晴らしたのであろう夥しい数のローソクの中に追加される描写で終わるのだが、そこでエンディングの歌が流れ始める。この曲の破壊力が、これまたスゴイ。「かりぬい」というタイトルなのだが、このエンディングでなかったら、最後まで観なかったと思う。

曲を聴いただけで、胸が締め付けられるように苦しくなるなんて、いったい何年ぶりだろうか。メロディの切なさもあるが、閻魔あい役の、あの声。

スタジオであのメロディに、あの声が乗った瞬間、きっと収録に立ち会った人達は興奮に震えたでしょう。陳腐な表現ですが、10年に一度とか、それくらいのレベル。

興味ない方も、この曲だけは是非ユーチューブで聴いて頂きたい。できればエンディングそのものを聴いて欲しいですが。映像的に。

絵がとても綺麗。絵というか、色使いが秀逸。いちいち感心してしまう。けっこう昔の作品なのにスゴイと思います。

 

褒めてばかりでもアレなので、気になるところ。、お仕置き場面がちょっと子供じみていて、どうもシックリ来ない。もう少しリアルにというか、怖い感じの方が良いと思うのだが。ハッキリ言って、お仕置き場面だけコメディのように見えてしまう。閻魔あいのキメ台詞ともいえる「闇に惑いし哀れな影よ、人を傷つけ貶めて、罪に溺れし業の魂・・・イッペン死ンデミル?」の為にも場を盛り上げないといけないのだろうけど、なんかシラケてしまう。

無印は最終回を迎え、現在は続編である「二籠」に突入してます。エンディングも変わってしまって残念ですが、「三鼎」までブッ通しで平日放送するようなので、最後まで観てみようと思います。 


映画「けいおん」エヴァ序超え?

2011年12月06日 | 漫画やアニメ

アニメ映画「けいおん」が初動動員数でエヴァ序を上回る好成績を挙げたとか。

けいおんとは、軽音楽部に所属する女子高生たちを描くストーリーで社会現象となった作品。


2年くらい前に街中の女子高生が楽器を持っているという光景に出くわし、バンドブーム再来なのか!?と目頭が熱くなったものですが、その立役者がこのアニメ。

ナナとかいうアニメも人気でたし、女性には音楽モノが受けるのだろうか。

だが、そこまで人気でた割りにテレビでいっぺんも見たことないと思ったら、どうやら深夜に放送されていたとのこと。東京マグニチュードと言い、放送時間を見直した方が良いのではないだろうか。

どうせならエヴァ超えして貰って大いに盛り上がって欲しいと思います。少しは明るい話題がないと。

僕は12月10日公開の仮面ライダーの映画を観にいきます!

 

 


伝説の巨神イデオン

2011年11月07日 | 漫画やアニメ

図面屋Oさんから奨められて、イデオンの劇場版2作を観てみました。

ほとんど観た事なかったけど、有名な作品なので、なんとなく知ってます。

スパロボFとαにも出てきたし(確か)。でも非常に使いづらい機体だったので、ほとんど使わなかったけど。


そんなわけで、主人公がモノっそいアフロヘアーであるという事と、最後はみんな死ぬ結末である、というその2点は知ってる。

 

子供心にこの頭はないだろ・・・と思い、視聴する気にならなかったのを覚えてます。




実際に劇場版の2本を観た感想。うーんと唸ってしまうのが本音。


本編が何話なのか知らないけど、2本にまとめるのは無理があったのではないかと。単なるブツ切り総集編で、この2本から物語を読み取るのは大変難しい。よって、この2本を観ただけでイデオンを判断するのはフェアじゃないような気がする。作品として、とても詰まらないと思ったから。

なので感想というより、考察としたい。

 

まずこの物語は、主人公側(赤アフロ)の人種(以下、便宜的に地球人とする)とバッフクランと呼ばれる異星人の抗争を描いたものである。但し、地球人側はバッフ・クランに追われている主人公たちを厄介者と考え、進んで協力する気はない。よって主人公側はイデオンと、イデオンと共に発掘されたソロシップと呼ばれる戦艦のみでバッフ・クランと抗争している。

何故抗争をしているのかと言うと、地球人が移民した星で発掘したイデオンをバッフクランが奪おうとしているから。

何故バッフクランはイデオンを欲しがっているのか。第6文明人が残したものという以外は謎に包まれたイデオンであるが、バッフクランは【イデ】は無限エネルギーとし、その奪取を目論んでいる。

イデオン又はイデの力とは何か。イデオンは基本的に制御不能である。何故ならシステムを誰も理解できないからだ。なぜ動くのか、なぜ動かないのか、それすらも分からない。基本動作くらいは可能かと思ったが、敵に襲撃されているにも関わらずイデオンが動かない場面があった。

作中で分かる限りは、赤子などの純粋な心に呼応する。

イデは善き力で、人々を導こうとしている。

最後は登場人物に関しては敵、味方全てイデオンと敵の兵器の爆発で死ぬ。そしてその魂が何処かの星へ向かっている描写で終わる。魂となった人々は互いに理解をし合って、生前のような憎しみはない。エンディングの海の描写は彼らの魂が生み還った事を示唆しているのかもしれない。

ざっと観て思った事を羅列してみましたが、やはりよく分からない。

この終わり方がイデの導こうとした形なのか。いや、イデの意思で爆発したわけではないし、死がイデの導こうとした形なら、そもそも子供の生存本能に呼応しないような。

無限エネルギーのような物があるとすれば、それは神のような領域で、その無限エネルギーであるイデは戦意のない弱者の生存本能によって動かされる。いわば正当防衛的な戦い強いられていただけで、何かを何処かへ導こうという意思ではない。

ただ、争いをする2つの人種の母性に彗星が落ちてきて壊滅してしまう場面があったが、あれはイデの意思なのか。そうだとすると、イデは争いを起こす人種に死を与えているわけで、それは主人公たちも同じである。もちろん子供だって。まだ確固たる自我を持たぬ故に純粋であるというだけで、育って行けば同じようになる。

それにも関わらずイデが赤子を率先して守ろうとするのも疑問を感じる。根本的な解決策ではない。すると、イデは神のようなものではなく、ただ第6文明人が残した兵器であると言える。

その兵器は無限のエネルギーを持ち、それが時に意思のようなものを働かせる。それは第6文明人の箱舟であり、本来は第6文明人を異星人から守り、別の地に運ぶ為に作られたのではないだろうか。第6文明人は強い宗教的もので意思統一されていた民族で、高度な精神を備えていた。赤子と同調するのは、その為ではないか。

そして最後の場面。イデの爆発と共に人々は死に、肉体という境界を失った人々は互いを理解し、そして再び最初の生命となる。

結局は人々は肉体、すなわち生においては理解し合えぬものであり、争いを繰り返し、いつかは絶滅する。そしてまた最初に戻る、というメッセージなのだろうか。

 

難解な作品とは聞いていたけど、もう1回くらい観ないとダメですな。観る気しないけど。