江戸の辺えん(縁)、南千住。。
この、さびしい地に
いこ(憩)うたのは、
クリンたち・「令和都民」だけでは ありま
大正~昭和にかけて、
この、「奥浅草」に 出没していた、
作家の、ながいかふう(永井荷風)も
心底!
この地に いこ(憩)うていました。
浅草、
向島、
新吉原の花まち(街)を 練り歩き
、
娼婦・ダンサー・女給などを
その、ひあい(悲哀)も含めて、こよなく・あいした
永井荷風。
そんな彼が、「死んだらここに葬って
」
と
ねがったという・お寺が
あるので、
クリンたち、行ってみました。 (※親友チットが「永井荷風」好きなので
)
そのお寺とは、
じょうかんじ(浄閑寺)です。
「投げ込み寺」と 呼ばれた、
ここ「浄閑寺」は、
風俗がい(街)・吉原の うら手にあり、
昔から
吉原で死んだ娘たちの 亡がらを ひきとって来ました。
・・借金のかたに 売られてきて、
たくさんの男に 身を任せ、
身体をわるくして 死んで行った
吉原の娘たち。。
華やかなおいらん(花魁)なんて、ひとにぎり(一握り)
その他大ぜいの・・、
たいして・かせぎもなく 病死した女
には、
いたい(遺体)の引き取り手など、ありませんでした。。
そんな、あわれな・娼妓たち
の 行きつく先が
このお寺だったのです
「生まれては苦界 死しては浄閑寺」、、
(by花又花酔)
と
書かれた・台座の上に 立っていたのは
遊女のこつつぼ(骨壺)を おさめた、
「新吉原総霊塔」・・ 大きな「供養塔」の周りを ひとまわりすると
、
風通しのような穴が
いくつか あいていて・・
中をのぞくと、たくさんの白い「骨壺」が
見えました
(閲覧注意です 今さらですが💦 すいませんっ
)
また、塔のひさしには、、
ここをおとずれた人が
おいていった
と 思われる、
バレッタやピン止め、マニキュアが お供えしてありました
そして・・ その向かいには、「彼女らとともに葬られたい」
と ねがった、
作家・かふう(永井荷風)のふでづか(筆塚)
が
ありました。
「われは明治の兒(こ)なり」・・
それと・・
ここを おとずれたら、
ぜひ
立ちよって・いただきたいのですが・・
この奥に、
この吉原エリアのとなりにある、山谷の「労働者」たちの むえんばか(無縁墓)、「ひまわり地蔵尊」
が、あったんです!!
(※高度経済成長の日本を支えてくださった方々の、お墓です)
・・・
見ると、
だいぶ・干からびてしまっているのが
切なかったので、
クリンは、お水を かけておきました
(お酒もってくればよかったな・・)
・・・・・
しんみりしちゃったけど、
(来て良かったな)って思える、お寺でした
(春の奥浅草を歩く、次回は、吉原ゆかりのもう一人の文豪・「樋口一葉」の暮らした「竜泉」を歩きます)
大丈夫です🐻‼️クリンたちも林家三平ときいたら、必ず先代を思い浮かべますから💡💡💡💡っていうか、言われて(あ、そうか❗)ってかんじです⚠️
↑
「だってあんた、いっ平でしょ⁉️"と、本人見るたびに、思います。
笑点を見ていてもいまだに、いわかんです☁️
長谷川一夫さまは動いているお姿はよく知りませんが、THE美男子👑ですよね✨
クリンより🍀
1つ先の4/10のブログ~コメント欄閉じられているので、、。
長谷川一夫をイイ男だねえと火鉢に手をかざして言ってた祖母を思い出しました。ちなみに女性は山田五十鈴さんを誉めてました。
林家三平さんは好きでした。あっ、先代の です。
まあ、ポンスケさまも、じょうかんじにおいでに?✨✨
じょうかんじの近くに写真家のアラーキー(荒木 経惟)さんの実家があるときいて、なるほど❗それでアラーキーさんはああいう作風になったのか💡と思いました🐻
吉原神社、クリンたちも行きました⤴️←あの地図のふくせい、なんかすごい高いねだんで売ってましたよ👀
あとは、吉原弁財天に行って、、
吉原を一回りしました🌸ポンスケさまと同じように🍀🍀🍀
でも、クリンたちがうろうろする場所じゃないな・・とつくづくかんじました~
スッゴクじろじろ見られちゃったし、、💦
見返りやなぎのところまで来ると、外に出た気がして、ホッとしましたね💧
クリンより🌼
僕も7年ほど前に浄閑寺にお参りに行きました
病等で亡くなられた新吉原の遊女さんたちの歴史を見るとなんとも言えない気持ちになります。
その後、近くの吉原神社へ参拝した時に江戸期から昭和までの吉原の地図が神社の境内にあって、廓の中には様々な職業があると興味深く見た記憶があります。
今は風情が何もないような吉原ですが、見返り柳やそこからの曲がり道を上がっていくと昔登楼した人たちの思いが湧いてくるようでした
続きも楽しみにしてます!
じっさいに行ってみても、吉原にはくわしくはなれなかったですが、おろちさまのおっしゃるように、「土地の気持ち」は分かった気がします🍀🍀🍀
さびしくて、ちょっとさびれてて、でもやさしい空気にみちたまちだと思いました🐻✨💮🌸
でも、今もけんざいな吉原、こんな交通不便なところにあるというのがおどろきでしたよ👀
もより駅がとおいんです⚠️
お客さんたちは、タクシーで乗り付ける人が多いかんじでしたね💡🚖
クリンより🌼
あまり知らなかったけど、
花魁までは ひと握りだったんですね…
女の悲しい運命😔😢
クリン様の案内のお陰で、そこの土地の気持ちが伝わります…😔
こつつぼ、上のほうにあったのは日付がまあまああたらしくて、「新吉原」がなくなった後の人のホネもおさめているかんじでした💮
ホネがおさめられているスペースは地下深くほってあるようで、ちょっとのぞいただけでは下がどこまであるのかわからず、、
げんしゅくなキモチになったクリンです🐻⚠️
クリンより🍀(生きている時からほとんどの娘はシカバネだったと思う。。)
そういうの知りませんでした。
骨壺が見えるというのは、変わってる気がします。
なんだか遊女が働いてた時を、連想させます。
そうなんですよね‼️
ただいま、訂正いたしました‼️
ありがとうございます🍀🍀🍀✨✨✨
かふう、かわいそう・・⤵️
でも、ぞうしがやのおはかより、こっちのほうがステキな気がします✨
クリンより🐻(写真見たのですが、ものすごく「厳格」そうなお父さんですよね🗻)
仲の悪かった父の隣です。
浄閑寺に葬られたかったのに。
そうなんです⚠️吉原遊女のほか、遊女が生んだ子や、やり手ばばあなど、関係者も含めての数ですが、昭和33年の「売春禁止法」までの数百年の間に亡くなった人の数だそうです💔
すごいお寺でした、、⤵️
実は、永井かふうのおはかは、よそ(雑司が谷霊園)にちゃんとしたやつがある、と、後からわかりました⚠️
でも、本人がここに眠りたいって言ってるんだから、と、「筆塚」をたてたみたいですね💡しっぴつに使っていたペンなどがおさめられているのではないかと・・✒️
クリンより🐻✨
投げ込み寺という呼び名も悲しいですね💧
25000人ですか…すごい人数ですね⤵️
ちゃんと弔われてもらって本当によかったです。
永井荷風のお墓、筆の形ですか?色も形も素敵ですね✨
いつもありがとうございます🍀🍀🍀✨✨
「非業の死」って、こういうことなのかなって、思いました🐻⤵️
ただ、けいだい(境内)に「新比翼塚」という、明治時代に遊女と心中したお役人(内務省の官僚)をしのぶひ(石碑)がたてられていて、かなしいけど、そこはちょっとだけ心があたたかくなりました🌸💮
クリンより🌼
なんと‼️jikanさまが荒川区にお住まいでしたとは✨✨✨
荒川区は、川のせいもあるかもしれませんが、たいへんフンイキのある地いきだとかんじています💎
そのうなぎ屋さん、すごく有名なお店ですよね‼️クリンも名前だけは知っています🐻💡行ってみたいなあ、うっとり✨✨✨
(クリンたちの吉原ランチは「桜鍋の中江」です🐎 コロナ以前に行った時のですが、この後ご紹介する予定です✌️)
なみだばしも、行きましたよ✨✨✨
何も残ってなかったから、たいしたネタにもできずじまいでしたが、今月20日あたりに記事をアップするつもりでおります⤴️
(ゆかりのものは何もなかった、ということがネタになるかと存じまして👍)
クリンより🌼
かなしくさせちゃって、すみません🐻⤵️⤵️
このお寺、1855年のじしん(安政の大地震)のさいに、たくさんの遊女のいたいが運び込まれてから「投げ込み寺」って呼ばれるようになったらしいんですけど、昔は門前の穴にいたいが投げ込まれていたそうです⤵️
昭和の初めになって、ようやく塔をたてて、25000人の吉原の女の子たちをちゃんと弔うことになったとききました・・
アアーン🐻☔☔☔
クリンより🍀
うちのチット、15年前に一度おとずれたらしいのですが、その時もちがうお供え物がしてあり、また、お線香やお花もちゃんとあったそうです🌸💮🌼✨
オイランは「大名道具」って言われたほどはなやかな存在だったらしいですが、吉原の女の子たちは何千人もいたから、かなりひどい扱いの娘もいたと思います・・💔
落語や時代小説で楽しむのがベストですよ✨クリン、チットに連れて来られてかなしくなりました🐻⤵️
浅井まかて、直木しょうの作家さんなんですね💡
「中山義秀文学賞」「舟橋聖一文学賞」「司馬遼太郎賞」・・
力のある方かと存じます💮🌸
クリンも読んでみたいと思いました❗
教えてくれて、ありがとうございます🍀🍀🍀✨✨
クリンより🌼
おこしいただき、ありがとうございます🍀🍀🍀✨🐻✨✨✨
はなさま、以前、はうた(上方唄、京の四季)を取り上げていらっしゃいましたから、もしかしたらそういう日本の伝統芸能におくわしい方なのかな?と思っておりました🌸💮
日本ぶよう🌸💮✨✨✨ステキです💖💖💖
じっさいはひさんな事が多かった花まち、少しでも美しくはなやかな場所だったということにして、はたらいていた女の子たちへのはなむけにしてあげたい🍀って、クリン思いました✨✨
じゃないと、かなしすぎますものね💧💧💔
クリンより🌼🌼(彼女たち、きっと現世では幸せになっていると思いますよ🌸💮🌸💮🌸)
ただただ成仏を願うばかりです。
長年荒川区に住んでいたのですが、浄閑寺には行った事が有りません。でも鰻の尾花はもう一度行きたいと思っておりました。
クリン様にはちょっと危険な場所ですが、明治通りの先に泪橋が交差点として残っております。
「ジョ~!立つんだジョー!」 の丹下ボクシングジムの設定場所が有ります。
「明日は、どっちだ~♪」
物騒なタイトルとは違い、とても哀しく、そして寂しくも儚い場所だったとは!
今回、ちょっと泣きそうになりました。
お寺の方達は、どのような気持ちでこの女性達を供養されていたのでしょう。
私には、耐えられない!!
(T-T)
次回も、楽しみにしております!
(。・_・。)ノ
𠮷原に消えた沢山の憂いと悲しみと意地・・・。
落語には明るい吉原が出てくるのでほっとしたものです。
今読んでいるのが浅井まかて『眩』です。北斎の娘・栄が猪牙舟で、大川から山谷堀に進み、えもん坂をおりて吉原に入ったところです。勿論見学ですが。
江戸も戦前も吉原は外せない人情いっぱいの重たーい場所なんですね。塔の上に置かれたお供え・・・、きっと若い人達ですよね。胸が熱くなりました。
今もきちんと供養されており、やっと存在意義を感じているかもしれませんね。
遊びでなく真剣な気持ちでやりますから、という挨拶?のつもりで。
寺に眠る女性たち、約二万人、平均年齢21歳と聞き胸がつぶれそうでした。
生きる楽しさ知らず、早世した女性たちは魂が再生して、今度は少しでも楽しい人生を送ってくれたら良いなと思いました。
やっぱりやさしい、クリンのお友だち・タケホープさま🍀🍀🍀🍀🍀✨✨✨✨
タケホープさまもよくご存じであろう辺りを歴史さんぽしちゃっています🐻💮🌸
「半藤一利」さんも、永井かふうをよくおしらべだったこと、タケホープさま書いていらっしゃいましたよね✨
うちのチット、たいへんきょうみをもったみたいです✨✨✨
クリンより🌼
いえいえ‼️アッコさまのえんそうは、きく人たちに、なみだを流させますよ💧💧💧
音楽の力はすごいと思います🎵⤴️✨✨✨
『仁』✨✨✨クリンたちもみていましたし、大好きでした💖💖💖
大沢たかおと、あやせはるかの「最高傑作」かと存じます💮🌸🌼
ドキドキしながらみていました💖💖💖
ただ、あの二人がラストでくっつかなかったのが、ざんねんすぎて、、💔
原作を読んだら、二人は結ばれていて、とてもうれしかった💖んですけど、仁のイメージがちょっとちがうように思えました💡🐻
あの作品はマンガとドラマ、別々のものとして楽しむのが正かいかもしれません💡💡
クリンより🍀(乳ガンを「乳の岩」って言ってたのが忘れられません‼️)
大沢たかおさん主演の「仁」というドラマが
昔ありましたね。
「野風」という花魁を中谷美紀さんが演じていて
仲間の遊女たちの「梅毒」を治す為に
青カビでペニシリンを作る場面が思い出されて
女性たちの哀れな生涯を思い急に涙が出そうでした。
私の天然ぼけの演奏で涙とは大違いです(笑)