クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

隅田川と東京大空襲(春の奥浅草を歩く・20)

2021-04-30 | クリン江戸散歩

 スカイツリーの「絶景スポット」

ことといばし(言問橋)の 

たもとには、

「東京大空襲・戦災犠牲者追悼碑」

が 

あります。

 すみだ(隅田)川には、昔から 

たくさんの行きだおれ

どこかからの水死者が 

流れついた

と いいますが

 

この100年の間に、

2度 

おびただしい数の 遺体が、集まってしまった日

が 

あるそうです。

 それは、1923・9・1(関東大震災)

1945・3・10(東京大空襲)

 

 

太平洋戦争・まっき(末期)、

B29は 日本中を 焼きましたが

その中で 一番・ひどかったのが 

3月10日の「東京大空襲」です。

 

 

 一晩で、10万人を 焼き殺した

しょういだん(焼夷弾)の 

雨・雨・雨・・・・・・

 火の海と化した・下町の人々は、

水を求めて、

川に さっとう(殺到)・・

 

このはし(言問橋)の上も、人でいっぱいに なりました。

 そこにまた焼夷弾」が ふってくるから、、

 

・・・・・

 

助かろうと

冷たい川に飛び込んだ人々

は 

水死、または 凍死しました。。

 

 

いたい(遺体)が

かたづけられた後も、

はし(橋)の上には たくさんの「金属」が 落ちていた

と 

聞きます。


 亡くなった方が 持っていた、

がま口財布の口金や、

ベルトのバックルが、

身体が焼かれた・その場所に、

バラバラ・・と

のこっていたと いうのです。。

 

 ことといばし(言問橋)の歴史には、

そんな「悲劇」も あったりします・・

 

 

 

(・・かなしい話が、つづきすぎました 今回で終わりにしますね 次回は、川べりのお寺に行きます

 

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隅田公園の桜・19

2021-04-29 | クリン江戸散歩

 

すみだがわ(隅田川)の ほとりに やって来ました。

 

この 桜並木は

「墨堤の桜」と呼ばれ、8代将軍・よしむね(徳川吉宗)が

植えた時代から

人気

なのですが・・

(五分咲きくらいじゃ、人は来ないのかな・・?)

っていうくらい、

花見客は、いつも・いません。

 

・・まあ、

吉宗のころの桜とは ちがう今のソメイヨシノ・・

(ちょっと木がショボい

というのも あるのですが、

 プラス・「場所的なもの」も、原因していて、

花見客は

「浅草寺」近くの「吾妻橋」近辺

にのみ、おしかけるので

クリンが 今いる、

「桜橋」~「言問橋」の間なんて、

地元の人に、たまにすれちがう・程度の

しずけさです。

 

(うちの近所の川沿いの方が よっぽど・花見客います

 

 さて、ことといばし(言問橋)は

平安きぞく(貴族)・ありわらのなりひら(在原業平)

の歌、

「 名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと 」

に 

ちなんでいますが🐦、

ここらへん、

本当に、

都鳥?っぽい・鳥が いるので、

フンイキ・ありあり

 

(※鳥にはくわしくないのですが、おそらくあれは、「都鳥」=ユリカモメです

 

川岸に、1時間くらいいると・・

 

下町の子どもたちや

おさんぽ中の恋人たち

何もしていない・おじさん

など

さまざまな人生に ふれる・しゅんかんがあり

 運がよければ 時おり

刑事ものや、

サスペンスドラマ(隅田川殺人事件、みたいな

の 

さつえい(撮影)に そうぐう(遭遇)できたりして

 

色々ないみで

ドラマティカルな リバーサイド

それが、すみだがわ

です。

 

 おさんぽには、ぜっこうの川岸ですよ

 

 

 

(・・とはいえ、この隅田川 昔から悲劇が絶えない場所なんですよね

次回は、「東京大空襲」の日に、隅田川で亡くなられた方の「慰霊碑」のところに、行きますギャオオ・・

 

 

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妙亀塚公園と謡曲「隅田川」(春の奥浅草を歩く・18)

2021-04-27 | クリン江戸散歩

 春の「奥浅草散歩」

場所がら、

さびしいところばっかり

ですが、、

今回、「哀愁」がテーマなんだ 

と 

ハッキリした・ところで、

 

さびしさを 

きわめるため

すみだ(隅田)川の 近くにある、

みょうきづかこうえん(妙亀塚公園)に、寄っていきました。

 

 小さなこうえん(公園)ですが、

「謡曲・隅田川」の、伝説の地

として、

みやび(雅)をあいする・方々が、ここに、足をはこびます。

 

 <ちょっとあらすじ「隅田川」>

 

昔むかし、

京の都に、梅若丸という 男の子がいました

父はなく、

母と幸せに くらしていましたが、

ある日、人買いに さらわれます

 大切なわが子が こつぜん(忽然)と消え

都中を探し歩く、母・・

 

「幼い子が、人買いに連れられて 東国へ下るのを見た

ときき、

自分も、東国へ 向かいます。

 たった一人で、いく(幾)日も、いく日も、、

 

あるときは 山の中、

あるときは 広野を行き、

お金は使いきって、

野宿の果てに きものは ボロボロ、、

 

でも

つかれた体に ムチ打ち

道行く人に 歌やおどりを見せながら

なんとか「路銭」を かせぎ、旅をつづける

母。

 

人々は、彼女を「もの狂い」と、きい(奇異)の目で 見るのでした。

 

 そんな母が、ここ むさし(武蔵)の国の、

すみだ川のほとりに 

やってきて、

いとしい・梅若丸を 見つけることは できたのか!?

 

 実は、ここからが、「謡曲・隅田川」の話の

スタートです。

 

 

二人が、どうなったのか

 

とてもかなしい・お話なので、クリン、言いたくありません。。

 

 ただ、、ここは、みょうきづか(妙亀塚)。

 

「隅田川」の母が 

かみ(髪)をおろして尼となり、住んだ

と される、

ところです。

 

おさっし下さい。。

 

 作者の「かんぜもとまさ(観世元雅)」は、

けっさく「弱法師」(よろぼし)を書いた人

でもあり、

うちのチットは

「お父さんの世阿弥よりも、この人の作品が好き

と 言ってます。

 

 ちなみに、カブキ(歌舞伎)でも

「隅田川」は えんじられており、

3月「大歌舞伎」では、

坂東玉三郎が、母の役で おどりました

 

 今回の「謡曲・隅田川」は、都から おちてきた、

きじん(貴人)のお話

でしたが・・

 すみだ川には、時代を問わず

かなしい物語が つきものです

 

(どうしてそうなるのか

は、

 一度、東京に おこしいただき、

すみだがわ(隅田川)を ごらんくだされば

なんとなく わかります。。

 

 

(次回は、「隅田公園の桜」を ご紹介いたします

 

 

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山谷の令和(春の奥浅草を歩く・16)

2021-04-24 | クリン江戸散歩

 なみだばし(泪橋)~東浅草二丁目にかけては、

「関東最大のドヤ街」

として 知られる、

さんや(山谷)エリアが 広がります。

 たくさんの・ろうどうしゃ(日雇い労働者のみなさま)がくらす

このまちは、

吉原に りんせつ(隣接)

日光・奥州への「街道筋」

として、昔から、はたご(旅籠)があり

 今も、「簡易宿泊所」とか、

格安の、小さなホテルが 

たくさん 立ちならびます。

(※相場は、テレビ付き・個室で、2500円前後

 

 中には、「1500円」なんていう、格安の宿?も あります

 

 ちょっと前には、昔とちがって、

こぎれいな「外国人バックパッカー」向けの宿

もでき、

「山谷も変わった」なんて、きいていましたが・・

 コロナのえいきょうで、外国人は来てないし、

以前よりも

住民たちの生活状況は、ひどくなっているんじゃないかな

って

気がします・・

 また、グループホームみたいな

たてものが 

たくさんあるのを 見ると、

(この街も、高齢化しているんだな。。)

って

気づきます。

 とくに、とくよう老人ホームの 下あたり・・

「玉姫稲荷神社」から すみだ川に

近づくにつれては、

ずいぶん、つらそうな・おじさんたちを 

見かけました。

 高度成長のころは「労働運動の根拠地」であった、

と いいますが、

今は、そんな時代でもなく、

 こうえん(公園)でくらす・人や、自転車でぐるぐるしてる人

たくさんいて、

 彼らを、近辺のNPOや、教会ボランティアが

支えているようすでした。

 

・・・・・

ひとまわりしただけで、

かなしい気もちに なっちゃった

クリンです🐻

 

 

(・・街歩きに入れていいコースでは、ありませんでした。。が乗り掛かった舟次回は、この山谷の歴史を、ひもときます

 

 

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カフェ・バッハ(春の奥浅草を歩く・15)

2021-04-22 | クリン江戸散歩

 なみだばし(東京都台東区の泪橋交差点)から 

まっすぐ・3分くらい

歩くと・・

ちょう(超)有名な、コーヒー店 が あります

 カフェ・バッハです 

 

 ・・以前、「東京レトロ喫茶めぐり」を やってた時、

「パート・2の第1弾として 

取材していた、

とっておきの シニセカフェ・・

 その時の写真が ありますので、

ここで、

ご紹介させて いただきます

(・・・コロナ終わるの、いつか・わからないから、もういいかげん、ためておけない

 

<バッハ・ブレンド、と、シュヴァルツベルダーキルシュトルテ

 

 

だれが、呼んだか・・

「東京コーヒー四天王」の一角に 数えられる

という、

こちらの コーヒー

 

店名を冠した「カフェ・バッハ」は とにかく飲みやすく

丸みのある

やさしい・味わいで

 でもって、2Fで作っているという

ケーキが・・

コーヒー以上に(?)、美・味・し・い

 

 ついつい、通りかかった・店員さんを つかまえて、

「おいしいですね~

と、

げきしょう(激賞)した、クリンたちでした🐻

 

 カフェのオーナー(田口護さんご夫妻)は、

もともと・山谷(の労働者)に 

関心をよせている、

いしき(意識)の高い・方で

 お店にも、『週刊金曜日』とか、

それっぽい(雑誌)が おいてありました

 コーヒーのあと、通りを一本へだてた、

いわゆる・山谷のど真ん中(東浅草2丁目)を

クリンたち、歩くのですが・・

 

そこは、

ものすごく

世のきびしさを かんじる・エリア・・

 

そんなまちに あって、

ここだけ クラシック音楽が流れる

明るく 

キレイで

美味しく 

高級な 空間であることに・・

「砂漠のオアシス」を かんじてしまうのは、

クリンだけでは ないでしょう!!

 

 

 

(※コロナ禍で、老舗もけっこう閉店しちゃったけど、カフェ・バッハは 生きのこっているようです

コロナ終わったら、あらためて行きたいな 「東京レトロ喫茶めぐり・2」のために・・

 

 

 

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宮部みゆき『火車』と、宇都宮健児(春の奥浅草を歩く・14)

2021-04-21 | クリン江戸散歩

 名作『明日のジョー』で その名を知られる

なみだばし(泪橋)

ですが

もうひとつ、

 宮部みゆきのミステリー小説『火車(かしゃ)』

にも、

泪橋が、チラッと 出てきます。



 「ローン地獄に苦しむ女が、

取り立て屋からのがれるために、別の女を殺して成り代わろうとする

という・・

借金苦がテーマ

の小説で、

借金を背負った・山谷の労働者とともに、

この、なみだばし(泪橋)が

出てきます。



 
この小説って、宇都宮健児がモデルになった、弁護士が 出てくるんだよ

と、

やぶからぼうに

しん(親)友・チットが 

言いました

 (うつのみやけんじ、、?)

って、、

 毎回、「東京都知事選」に出てくる、あのおじいちゃん



 都知事せんにおいて、野党が共担ぎする・社会運動家の

うつのみやけんじさん

 

今なお、てってい的に

弱者によりそいつづける「弁護士会のえらい人

だってことは、

クリンも「選挙公報」とか・読んで、知っているのですが、、

 

この小説『火車』に、

「日本でいち早く、多重債務問題の解決に着手した、現役バリバリ時代の宇都宮弁護士

が 描かれている

というのです。


 1960年代からの「住宅ローン地獄」や、1980年代からの「クレジットローン地獄」
・・


それは、

「社会構造上の落とし穴が生み出した地獄であり、公害みたいなものだ

と、

うつのみや弁護士は、

『火車』の主人公である・刑事に 言います。

 主人公の刑事は、人を殺した・自己破産女

を 追いかけるうち

(なんで、こんな普通の人間が、コースアウトしてしまったんだろう

ふしぎに思い

「専門家」である・べんごし(宇都宮弁護士)に

会って 話をきく・・

 

その時

当時の「消費者信用の産業構造」のおそろしさを、うつのみやさんから、教えられる・・

 

そんな、流れです

 「宇都宮弁護士」によれば・・

 多重債務者たちを、ひとまとめにして『人間的に欠陥があるからそうなるのだ』と断罪するのは易しいことです。

だがそれは、自動車事故に遭ったドライバーを、前後の事情も何も一切斟酌せずに、『おまえたちの腕が悪いからそうなるのだ。そういう人間は免許なんかとらないほうがよかったんだ』と切って捨てるのと同じこと。」

 


とう(登)場シーンは

長く・ないけど、

この小説に いみ(意味)を 与えている、

「重要なキーマン」


(・・宇都宮さんて、こういう人だったのか


クリンは

今さらながら、

都民として「重要なこと」を 知りえた・思いがしました

 

 

(※宮部みゆき作品の中では「快作」の部類かと、存じます 都民のみなさま、ぜひどうぞ

次回は、山谷のカフェで、コーヒータイムです🐻

 

 

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泪橋と、あしたのジョー(春の奥浅草を歩く・13)

2021-04-19 | クリン江戸散歩

さて、山谷・・

 

「いろは会商店街」を 

抜けたところに

なみだばし(泪橋)交差点 が あります。

なみだばし、、

それは、

矢吹丈が ボクシングをならった、「丹下拳闘クラブ」が あった場所、、

 

 すなわち『あしたのジョー』のファンにとっての、

聖地です

 クリンたち、『あしたのジョー』世代では

ないのですが・・

10年くらい前に 再放送を たまたま見て

ドはまり したので、

(・・いったい、どれほど・ハングリーで、泥くさい街なのだろう

と、

今回、おとずれるのを 

たのしみに していました

 

が・・!!

「泪橋」という・はしはなく

思川も 埋め立てられちゃって 

イメージとは ぜんぜん・ちがう場所だったので、

かたすかし

 

(※思川は、暗渠になっていました

 

 

 丹下のおっちゃんは、言いました。

 

「この橋はな、人呼んで、なみだ橋という。

・・・人生にやぶれ、生活に疲れ果てて、このドヤ街に流れてきた人間達が、涙で渡る悲しい橋だからよ。

三年ほど前のわしもそうだった。おめえもその一人だったはずだ・・・

だが、今度はわしとおまえとで、このなみだ橋を逆に渡り、あしたの栄光をめざして第一歩を踏み出したいと思う。

わかるか、わしの言うてる意味が・・・? 」


 なみだばし(泪橋)の本当の由来は、そうじゃなくて

江戸時代

この先にある「小塚原刑場」に 連れていかれた

ざいにん(罪人)たちが、

(今生の別れかもしれない・・)

ナミダして わたったから

 

って、

ことらしいのですが・・


 クリンたち、丹下のおっちゃんのことが 好きなので

そういう、江戸時代のじじょう(事情)は

ムシします

 

 

 

(次回は、この「泪橋」も出てくる、宮部みゆきの小説『火車』を、取り上げます ブックレビューです

 

 

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いろは会商店街(春の奥浅草を歩く・12)

2021-04-18 | クリン江戸散歩

 日本づつみ(東京都台東区日本堤)の 馬肉レストランの わきに、

あしたのジョーの「泪橋」に 

通じる

があり、

 それが、商店がい(街)になっている、というので 

通ってみました。

・・ここ、山谷の「いろは会商店街」は、

大正時代から 

戦後しばらくまで、

吉原(遊郭)にくる人

労どう(働)者の みなさまで にぎわった・通り・・

 

昔は、100けん(軒)以上の お店が立ちならび

2017年までは、アーケードもあった

と 

いいますが・・


今は、青空の下、ほとんどのお店が シャッターを おろし、

 メンズウエアのお店と、酒場

2~3けん(軒)・開いている他は、

かんさんとしています。。

(『孤独のグルメ』の第1回に登場したという大衆食堂「きぬ川」も、閉店してしまっていました ああ、行きたかった~~~)

 

 

今は、コロナだし、

「人がいない」のは 当たり前だけど、、

 

 

この商店がい(街)、大丈夫なのかな

 

 

(しんぱいになりつつも・・抜けました。次回、あしたのジョーの舞台・泪橋に、行きます

 

 

 

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桜鍋の中江(春の奥浅草を歩く・11)

2021-04-16 | クリン江戸散歩

「東京の花街・吉原」さんぽ(散歩)中の、ランチ

と 

いえば・・ 

「これを食べなきゃっていうのが あります

 

 かつて「吉原堤」と呼ばれていた・この通りに面して

二けん(軒)、

並んでたつは、

年季の入った、立派なシニセ(老舗)・・

 さくらなべ(桜鍋)の中江 と、

 天ぷらのいせや(土手の伊勢屋)です

どちらも、

古くから 吉原大門の前で 

えいぎょう(営業)しており

「東京大空襲」でも

やけのこった、という「奇跡のお店」・・

 

 クリンたち、コロナ前ですが、

「中江」に おじゃましたことがあるので、

その時の お食事を、

今日は ご紹介します

 

 (※メニューは今も、変わっていないようです


<中江御膳・2970円 : 桜鍋(ロース、サク)、馬刺し、ご飯・味噌汁サービス一品(ウーロン茶、アイスなど。)>

「桜鍋」とは、馬肉のおなべ のことで、

吉原のお客さんは

この店で、馬肉を食べて せい(精)力をつけてたらしい

 色は上品、味も、とてもお上品です

 (ムダに、ちからがついちゃう

さて この中江・・ 

 

 

「別館」として、

旧吉原ゆうかく(遊郭)内

で、

かつての料亭「金村」を買い取って、ちょっと・ごうか(豪華)な飲食を

ていきょう(提供) しています

 

ので

「遊郭料亭」のフンイキを 味わいたい方には、

そちらを オススメいたします

 

(と、思ったら料亭は「会員制」でした すみません 行きたい方は、議員さんに立候補かなんかして、行ってください

 

 一般向けには、「日本堤」の本店と、

お店の並びに「馬肉」そのものを売るお店が 

あります

「馬刺し」とか、お土産に いいかもですよ

 

 

 

(※次回は、「いろは会商店街」を 歩いて、いよいよ・山谷エリアにまいります 商店街は、シャッター街ですっ

 

 

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吉原弁財天と映画「吉原炎上」(春の奥浅草を歩く・10)

2021-04-15 | クリン江戸散歩

 かつての「公認遊郭街・吉原の エリア内に、

吉原弁財天が あります

 

ここには、

明治時代の大門に たてられていた

門柱があり、

ジャーナリスト・ふくちおうち(福地桜痴)の詩

が きざまれています。


 右:「春夢正濃満街桜雲(しゅんむまさにこまやかなり・まんがいのおううん)」

 左:「秋信先通両行灯影(しゅうしんまさにつうず・りょうこうのとうけい)」

 

(すいません てきとうに読みました・・あってるかな

 

 吉原弁財天は、大正時代のじしん(関東大震災)で

死んじゃった、吉原の女の子・490人を まつった

お社です。


 つきやまの上に立つあでやかな

かんのんさまが 印しょう的

 

(・・というか、ずっと野外にあるためか?光のかげんで、陰惨なかんじもします。。

 

(※ご本尊の弁天様は、端っこの

目立たないところにいるため、

観音様と間違える人、多そう・・

 

 日本一の風俗がい(街)であった・この、よしわら(吉原)・・

 お店(遊郭)は、女の子たちが 

足抜けできないように

げん(厳)重なガードを

たてものと まち全体に ほどこしていました


 それが、仇となりひとたび・大火が起きれば

毎回、多くの女の子たちが 焼け死ぬ・・

 

そういう・ひげき(悲劇)が つづきました

 

 火に包まれる吉原・・というと、

クリン、ぜったい・思い出しちゃうのが

映画「吉原炎上」です。

 監督:ごしゃひでお(五社英雄) 主演:名取裕子

 

それは、

「明治・吉原物語の決定版

とも・いえる

映ぞう(像)作品で、

 色とりどりの女ゆう(優)たちが、赤いお布団の上で

かれい(華麗)に 共えんしています

 この作品、、「遊郭の再現性」が ものすごく

たてものから・何から 

みんな・セットらしいのですが

吉原のすみずみまで 見物した気分に なれてしまう

 

とにかく

美しく、

音楽もすばらしい・けっさく(傑作)です

 

 クリンたち・・ 初めて見たのは子どものころで、

その時は、何の話か よくわかりませんでしたが・・

その後、

再放送で 何回か みるうちに、

(ああ、そういう事なのか)と、わかってきました。

 

 明治の吉原そのひあい(悲哀)遊女のランク(階級)

店のランク、

客すじ(筋)

かへい(貨幣)価値

人々のくらし

「花魁道中」ぜげん(女衒)救世軍・・


 そういうものを、この作品で

全部、おぼえました

 

 子どものころ、住んでいた町の駅前にあった「角海老宝石」

「角海老ナントカ」

「角海老ボクシングジム」など

カドエビグループの 由来を知ったのも・・

 

 この映画で、いろいろと学んだからです

 

 

(しろうとがてらに、吉原散歩に来ちゃったのも、あの映画に影響されてたからなんですよね

次回は、「吉原ランチ」です

 

 

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吉原の今(春の奥浅草を歩く・9)

2021-04-13 | クリン江戸散歩

 クリンたち🐻が今、「江戸散歩」している・よしわら(吉原)とは、

江戸時代、

浅草のうら(裏)手に いてん(移転)してきた、

「公認の遊郭街」でした。

 

 もともと・この辺は、泥湿地でしたが(=芦原)、

大かた「ピンク街は人目につかない場所がいい

と いうことで、

日本橋から うつってきたのです

 度重なる・火事や、しんさい(震災)戦災

社会の変化により

当時の えいが(栄華)をのこすものは 

ほとんど・なく、

 そもそも、町名にも「吉原」という名は

のこってなくて、

「千束4丁目」とかって 書いてあります


 吉原大門の前にあった、という、シンボルツリーの

見返り柳も、

 6代目は、かなり・ちんまりしています

 (帰り客が、後ろ髪をひかれてふりかえった

場所に植えられた、柳ですが・・)


 あとは・・こういうまち(街)なので、「遊郭」に代わるお店が 

いっぱい・あったり

 せんもんの お医者さんが たくさんあったり

 まち(街)の区画だけは、変わっていなかったり

するくらいです。

 

 それでも どうしても

江戸時代から戦前まであった、という「新吉原」の 名残りを求めたい

のぞまれる方は・・

 

区画内に、

昔からのお社を集めた、という

「吉原神社」が ありますので、

 行ってみると「来た感」出るかも

しれません

(ただ・・ ここの神さまって「商売繁盛」にはご利益あるかもですが、

女子の切なる・ねがい

とかは

きいて来なかったような 気がします

 

(・・いろいろ、モヤモヤしちゃうな、このまち。。

しかも、クリンたちみたいなのが 歩いていると

ジロジロ見られるし

あたりまえか・・)

 

あっ、

でも

ちょっと・おもしろい・お店が あるんです

「お歯黒どぶ」と呼ばれた・堀が めぐっていたであろう

あたりに

 「遊郭専門書籍」を、集めた、「カストリ書房」

という 本屋さんがあり、

ここが、

なかなか・いさい(異彩)を放つ品ぞろえ

を しているのです

 

 

(歴史的なこと・その他に興味のある方は 行ってみてください

 

・・・

 

それくらいかな。

 

 (つ、つまり・・ 当時をしのぶ・ものは、ピンポイントでしかない

それが、

令和の今の、吉原だったんです

 

 

(でも 区画内に、関東大震災で焼死した遊女たちを祀った吉原弁財天」というのがあるので、次回はそこにおまいりしますね こっちのほうが歴史をかんじられました~

 

 

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『たけくらべ』が生まれた町(春の奥浅草を歩く・8)

2021-04-11 | クリン江戸散歩

 投げ込み寺の「浄閑寺」から あさくさ(浅草)方面にかけての

左手一たい(帯)は、

よしわら(吉原)です

 が通りを まっすぐ歩いて行くと・・

もう一人の

有名作家・ゆかりの町名が 出てきます

 「りゅうせん(竜泉)」です。

ここは、明治時代、

ひぐちいちよう(樋口一葉)が 

住んでいた町・・

 ご存じ 五千円札の人「樋口一葉」は、若い身空で

ビンボー(貧乏)一家を 支え

辛さん(酸)を なめつくして・死んだ

女流作家ですが、

 彼女の一家が、お店(荒物駄菓子屋)を 営んでいたのが、

この辺りでした

 吉原の女の子や 客を相手に、細い商売をし

けんこう(健康)を そこなっていった

一葉・・

 

彼女の人生の中で もっとも・つらかったのが

おそらく、

この「竜泉時代」じゃないか

と 思いますが・・

 この時代にこそ 代表作である『たけくらべ』が、

生まれているのです

 


『たけくらべ』

は、

遊女になる・さだめの少女

お寺の少年

はつこい(初恋)を描いた、小説・・

 

一葉が、

吉原の女の子たちと 交流する中で

つむぎ出した

リアルに 淡い・物語 なのですが、

 それは・・ ひとおりの水仙のような清らかさを たたえた、

「格調ある筆致」だと、

当時、

(夏目漱石や森鴎外などから)ぜっさん(絶賛)されたらしい

 

この近くには、

「酉の市」で有名な、おおとり(鷲)神社 もあって、

そこにも、

いちよう(樋口一葉)関連のものを 見ることができます

 

 12月に、くまで(熊手)を買いに来たら、

ついでに、

チラッと 見てってください

 いちようのたっぴつ(達筆)ぶり

は、

目をみはるものが ありますので

「・・でも、こんな字、読めないし、

読めても 文語体は、内容が分からない

おっしゃる方は、

 すぐそばの、

「樋口一葉記念館」に おこしください

 

ここ

ろうどく(朗読)や、「くずし字解読講座」を 

やっていて、

だれにでも 一葉が 読めるよう、

教えてくれるんです

 

 

(※こちらの記念館、一葉忌にはイベントとかやってて、なかなか良い施設ですよ 次回、クリンたち🐻、吉原の街を、ぐるっと歩いてみます ドキドキ・・

 

 

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三遊亭歌笑(春の奥浅草を歩く・7)

2021-04-10 | クリン江戸散歩
(ビボウロクです。
 
 
じょうかんじ(三ノ輪・浄閑寺)の けい(境)内にて・・
 
 「武者小路実篤の書」が きざまれた、ひ(碑)を 見つけました


「古よりの言の葉に、山紫水明の地、必ず偉人を生じるとかや。アアされどわれ未だ偉人の部類に属することかなわず。若き落語家歌笑をはぐくみし故郷は南奥多摩絶景の地なり」

 このつづきが 気になった・うちのチット(落語好き)
は、
 
 奥多摩生まれとは、親しみわくね どんな咄家さんだったんだろう
 
と 言って、
 
 後日、その はなし家さん(三遊亭歌笑)の落語が のっている、
 
『歌笑純情詩集』を 借りてきました。
 


以下、まくらの続き・・(わが生い立ちの記)

「われ、たらちねの胎内を出でしころは、長谷川一夫遠く及ばざる眉目秀麗な男子なりしかど、世の移り変わりとともにわが容貌も一変し、いまや、往年の銀幕、フランケンシュタイン第二世の、怪顔を思わするごとく豹変せり。・・」

 「 この顔で 面白いわ」(チット)


「ああ、されど、われは幼きころより頭脳明晰なれば、五つ六つのころは、音楽家たらんと志し、、
われは天稟の才あるにまかせて、あらゆる書籍を乱読し、、」
 
 
 ふ~ん


「そのころより、われは、、まろやかなる、乙女の胸、深紅の口もとから、洩れにし、言の葉を聞くたびに、あたかもマイナス百ボルトの電流にかかりしごとく、われは猛烈なる性欲の攻撃を受け、これを肉体によりて解決せんと欲し、三十路の春、メンデルの法則にしたがいて廓の門をくぐりぬ。

赤き褥しとねにうち伏して、大理石のごとき、乙女の肌にひしと抱かれ、おお、われ生涯最高の一夜を過ごせしその明くる日、、

われはこの世にペニシリンなきことを嘆きいたりき」

 
「あらら、、(淋病にかかっちゃったみたいです)」


 吉原の、うらのお寺に眠る・笑いに ふさわしい・・


 この、さんゆうていかしょう(三遊亭歌笑)さん
は、
 
終戦から5年間、人気ぜっちょう(絶頂)だったのに、占領軍のジープにひかれて 亡くなりました

あの 
林家三平も、あこがれた人
 
だったそうですが、、

 ご本人も自虐する「珍顔」のせいで、
幼いころから そがい(疎外)され、
 
売れてからも、耐えることが 多かったらしい、、

なのに
 
めげずに、こぐんふんとう(孤軍奮闘)し
 
敗戦に うちひしがれていた・日本人に 笑いをていきょう(提供)しつづけ
 
そういう・人だったそうです
 
 
まったく、知りませんでしたが・・
 
 こういう・未知とのそうぐう(遭遇)があるから、
 
お出かけって、やめられないんですよね
 
 
 
 
(※ビボウロクなので、コメントらんはお休みします 今度こそ、吉原に10か月住んだ、樋口一葉の旧居跡に まいりますね
 
 
 
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投げ込み寺の浄閑寺(春の奥浅草を歩く・6)

2021-04-08 | クリン江戸散歩

 江戸の辺えん(縁)、南千住。。

この、さびしい地に

いこ(憩)うたのは

クリンたち・「令和都民」だけでは ありません。


大正~昭和にかけて、

この、「奥浅草」に 出没していた

 作家の、ながいかふう(永井荷風)も

心底

この地に いこ(憩)うていました。



浅草

向島

新吉原の花まち(街)を 練り歩き

娼婦・ダンサー・女給などを

その、ひあい(悲哀)も含めて、こよなく・あいした

永井荷風。


 そんな彼が、「死んだらここに葬って

ねがったという・お寺が 

あるので、

クリンたち、行ってみました。 (※親友チットが「永井荷風」好きなので


 そのお寺とは、

じょうかんじ(浄閑寺)です。


 「投げ込み寺」と 呼ばれた、

ここ「浄閑寺」は、

風俗がい(街)・吉原の うら手にあり、

昔から

吉原で死んだ娘たちの 亡がらを ひきとって来ました。


 ・・借金のかたに 売られてきて、

たくさんの男に 身を任せ、

身体をわるくして 死んで行った

吉原の娘たち。。


華やかなおいらん(花魁)なんて、ひとにぎり(一握り)

その他大ぜいの・・、

たいして・かせぎもなく 病死した女たち

には、

いたい(遺体)の引き取り手など、ありませんでした。。


 そんな、あわれな・娼妓たちの 行きつく先が

このお寺だったのです

 「生まれては苦界 死しては浄閑寺」、、

(by花又花酔)

と 

書かれた・台座の上に 立っていたのは

 遊女のこつつぼ(骨壺)を おさめた、

「新吉原総霊塔」・・

 大きな「供養塔」の周りを ひとまわりすると

風通しのような穴が 

いくつか あいていて・・

 中をのぞくと、たくさんの白い「骨壺」が

見えました

(閲覧注意です 今さらですが💦 すいませんっ


 また、塔のひさしには、、

ここをおとずれた人が

おいていった

と 思われる、

バレッタやピン止め、マニキュアが お供えしてありました


 そして・・ その向かいには、「彼女らとともに葬られたい」

と ねがった、

 作家・かふう(永井荷風)のふでづか(筆塚)

ありました。


われは明治の兒(こ)なり」・・



それと・・

ここを おとずれたら、

ぜひ 

立ちよって・いただきたいのですが・・

この奥に、

この吉原エリアのとなりにある、山谷の「労働者」たちの むえんばか(無縁墓)、「ひまわり地蔵尊」

が、あったんです!!

(※高度経済成長の日本を支えてくださった方々の、お墓です


・・・

見ると、

だいぶ・干からびてしまっているのが 

切なかったので、

 クリンは、お水を かけておきました

 (お酒もってくればよかったな・・)


・・・・・

しんみりしちゃったけど、

(来て良かったな)って思える、お寺でした


(春の奥浅草を歩く、次回は、吉原ゆかりのもう一人の文豪・「樋口一葉」の暮らした「竜泉」を歩きます

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荒川区・三ノ輪周辺(春の奥浅草を歩く・5)

2021-04-07 | クリン江戸散歩

(ガタンゴトン~・・・

 

しょっぱなから、

江戸時代の処刑場、という

「超ディープスポット」に 連れて来られちゃって、

やや・引けごしな クリンでしたが・・

 

この日のさんさく(散策)は、そんなものでは すみませんでした

 

ここから、

「真の奥浅草エリア」である、吉原と山谷が 待ちかまえていたのです。

 延命寺・わきの道を、線路に沿って、

西にすすむ。

 (ほんと・人が少ないなあ。。このまち・・

大丈夫なのかな

とはいえ、、

なんか、なつかしいような ふぜい(風情)です・・


 クリンたちが・子どものころ(昭和のおわりころ)、

「常磐線沿い」って、

こんな、下町だらけでした。



 

・・・

東京で、ここまでなフンイキって、もはやないかも。(貴重

 

この辺、地面を掘れば、人骨ゴロゴロ

だそうですが・・

フシギと、

なにか あたたかいような

やわらかい 空気かん(感)に、みちています

 

 時を止めた・荒川区のろじ(路地)にいこ(憩)う、

クリンでした

 

(次回、「春の奥浅草を歩く・6」は、吉原遊女の投げ込み寺・浄閑寺に まいります前半のイチオシ場所です

 

 
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