〜かたることばが歌になる風になる〜

作曲家林光さんの作品を中心に歌ってきた「女声合唱団風」 団員の気ままな日記

この数ヶ月

2019年10月18日 | 生きる
8月末から実家の家に妹が住みだしている。
妹は別居という選択をした。
離婚をする人たちの言葉に「同じ空気を吸いたくない」と言うのを聞いたことがある。
妹の言葉「愛想が尽きるとはこのこと」と言う。
子供を育て受験させ、家のこと、親戚づきあい、町内会のことなど
ほとんど妹がやってきたと言っても過言ではない。
夫を「仕事人間」だと勘違いしていたようだ。
私が間に入っての話し合いで、この選択について了解を得ることはできた。
あまりにすんなりだったので正直拍子抜けした。
 
妹の家は20年ほど前に建て替えて、色々な快適な仕様が備わっているようで
最近の台風などによる停電にも対応できるようなエコな光熱設備も設置したばかり。
かたや実家は古く、昨年の関西の大型台風前の点検でわかっていた雨漏りの修理はできてはいたが
絨毯もめくって人が住める状態ではなかった応接間は簡単なリフォームをした。
母が介護施設に入って、今後誰も住まないと考えていたので片付け中の荒れた家。
ガスも止めているし給湯式のお風呂も使えないので、少しだけ工事をしなければならない。
 
 
ケーブルテレビとネットの工事が立て込んで契約も11月になる。
そんなこんなの不自由な2ヶ月ほどの生活だが、お互いおかずの持ち寄りやらで食事したり
お風呂に入りにきたり、テレビもネットも我が家にきて妹はやっているが
女二人の生活はとても快適で楽しい。
 
そんな急な変化の中、9月に駆り出された音楽ボランティアや、10月に入ってからは
「コーラス花座」の練習日は1ヵ月お休みして、毎年恒例の隣町の合唱祭のための伴奏で練習に参加。
今回初めて譜めくりが要るので妹にも手伝ってもらっている。
先輩のこちらの活動は今年で終わりにするそうで、私も20年近い合唱団とのお付き合いが
今年で終了。
地元の中学の保護者の方のコーラスからママさんコーラスへと変わり、メンバーもほとんどが入れ替わったと思う。
メンバーのお世話係の方にはほんとに良くして頂いて、感謝の思いと思い出も尽きない。

この活動の合間に、「花座」が練習場にお借りしているシティハイツの方々に聴いて頂くプチコンサートが
今週水曜日の「三水会」の食事会で開かれ、ほそみっちゃんと私、この集会所で大正琴を教えていらっしゃる
お琴の先生との演奏を聴いて頂いた。
「そんなお婆さんならわるくない」より
♬ にちようたんびに孫がくる メザシみたいに並んでくる 
 走ってさわいで泣いては食べて 孫の名前はこんがらがって
 けっこう用は足りるもの さびしいけれどあたたかい
 冬の陽だまりのような そんな暮らしができるなら
 お婆さんになるのもわるくない♬

「くちなし」より
♬荒れていた庭の片隅に 亡き父が植えたくちなし
 年ごとにかおり高く 花は増え 今年も十九の実がついた....
 ただそれだけのことなのに ふるえるふるえる私の心......
 .... とある日の父の言葉 父の祈り
 くちなしの実のように待ちこがれつつ ひたすらにこがれ生きよと父は言う
 今もどこかで父は言う♬

私が小学校6年生で彼女が5年生の時出会った、幼馴染でピアノの同門の後輩が先日亡くなった。
昨年春から入院治療中で、まだ動ける今年5月に彼女の誘いでランチをしたのが最後となった。
私自身はお声が掛かればいろいろなイベントに参加させて頂いているが、日常は無常に過ぎていく。
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空港の思い出

2019年08月14日 | 旅行
7月から長崎諫早に単身赴任している長男の所に、10日からお嫁さんと孫二人と
飛行機で行ってきた。私はマンションから歩いて5分ほどのところにある
地元のホテルに素泊まりで2泊して12日に帰阪した。
家族は16日に帰宅予定しているが、台風の影響で飛行機が飛ぶか心配している。

出発の日、国内線だから1時間ぐらい前に空港でお嫁さんたちと待ち合わせの予定で
リムジンバスを降りて出発カウンター前に来て驚いた。
ニュースの映像でしか見たことがなかったごったがえの空港の
出発カウンター前に100人以上の列。
13時50分発の飛行機で列に並んだのは12時50分ぐらい。
少しずつ列は動くが、徐々に「大丈夫なんかな」と心配になる。

そうしていると空港スタッフの女性が、「13時30分までにご出発のお客様はおられますかぁ」
そうして「13時50分までにご出発のお客様、、、」の声でほっとして列から出ると、
同じ便に乗る数組が優先的にチェックインの手続きができ、予定通り乗り込むことができた。

昔、三男が小学校5年生ぐらいの(今は30代後半)夏の観光シーズンに、
単身赴任している主人の熊本へ大阪空港から行った時のこと。
私はそれまでにもあまり混まない時期に何度か行っていて、
空港へは遅くとも30分前ぐらいには行きチェックインして、
保安検査してゲートに向かうことができていたので、
この時も息子とそのような段取りの時間でリムジンバスに乗り込んだ。
しかしこの時は高速が渋滞して、いつもなら15分ぐらいで到着するところを
50分ほどかかってしまった。
後から考えると予想できたことだったのに慣れていて油断していた。
後ろの男性が、自分の飛行機はもう間に合わないと苦笑して話していた。
こんなことになるとは思わず私たち二人はしかもバスの後方に座っていて、
到着したのは離陸時間の10分ぐらい前だったと記憶している。
間に合わないからとお願いしながら先に降ろさせてもらい、
航空会社のカウンターに行くと出発ゲートへ直接行くよう言われ、
2階に上がると保安検査の入り口は長蛇の列。
一番前の方に事情を言うと快く通してくれて、保安検査が済むと息子に「走るよ!!」と
荷物を抱えて走りに走ってゲートに着いたら受付が空いていて
何とか乗り込むことができたと言う、間一髪の忘れられない出来事が思い出される。
普段の時期ならその時間はすでに閉鎖されているが、
観光シーズンだから待ってくれたのだろうと主人は言っていた。
今では息子と共有するひあ汗ものの思い出話。

もう一つ。主人が3月に赴任してすぐの4月ごろ、私が初めて飛行機で熊本に行く予定の日、
朝起きると、回避されるとみていた私鉄電車のストライキが決行されてて、慌ててJRに乗り、
リムジンバス乗り場に行くと動いていなくて、タクシーで空港まで行ったこともあった。
色々な思い出がある空港という場所に来ると、それでも私はいつもワクワクする。

今回の飛行機での長崎行き。お嫁さんは飛行機は苦手という。
孫二人(高1と中1)は初めての飛行機で特に下の男の子は緊張している様子だった。
小さな赤ちゃんや男の子の兄弟などを連れた帰省客らしい客席は賑やかだった。
1時間15分のフライト。
日本の航空会社は本当に正確で、出発の時数分遅れたようだったが、
きちっと長崎空港に予定時刻に到着した。
長崎空港では長男が迎えに来ていて、空港を出て連絡橋を渡る。

空港から30分ぐらいで着いたマンションの駐車場から建物までは緩やかな坂道で、
高台に建つ二階建ての1階の部屋まで数段の階段を上ると(結構きつい)、築半年ぐらいで
新築の匂いがする1LDKの部屋に到着。西向きだが近くに小学校が見える静かな立地で、
下校時間かな?5時ごろ「夕焼け小焼け」のメロディーが聞こえていた。

リビングには自分で買い求めたというおしゃれな照明器具がついていて、
我が家より余程きれいで快適な空間だ。
トイレのドアは押すとドアが真ん中に縦に開く。
ドラマによく出てくる隠し部屋のドアみたいに回転式?面白い。

手前に息子の簡易ベッドはあるが、家族はこの床に寝袋で?寝るらしい(笑)
夕方6時開店の、麺類好きの息子が見つけたという近くのお店で夕食をする。

諫早に着いた翌日は、長崎市内の松山町というところのパーキングに駐車して(終日600円)
路面電車一日乗車券(500円)で数か所観光をした。
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コーラス花座コンサート曲練習中

2019年07月28日 | 合唱

5月初めに花座の指揮者隆先生の体調不良で肝を潰したが、奇跡的に復活されこれまで2度の練習でご指導頂いた。

当初今年11月末ぐらいにコンサートの予定で段取りを進めていたが一旦中断。うまくいけば来年中には開くことができるのではと期待感を持っている。

コンサートのワンステージの曲として、和合亮一氏の詩に千原英喜氏が作曲された、女声合唱とピアノのための「レクイエム第2番『レクイエム・光のなかの貨物列車よ』より」を歌う。この作品は1995年1月17日の「阪神淡路大震災」と2011年3月11日に起こった「東日本大震災」の鎮魂と祈りのために作曲された作品。

千原氏は、悲しみをいっぱいに湛え、怒りに震え、なぜ、と問いかけながら、被災地の時は止まったままなのだ。そして震災復興への道のりは遠く厳しいという思いと、いつ終わるとも知れない<貨物の運搬・列車の無限運動>に、「人間存在への普遍的問いかけ」をも表現してほしいというようなメッセージが、出版に当たって2015年12月付けで書かれていた。

Requiem(レクイエム)とは、ラテン語の「安息を」という意味で、死者の安息を願うための、カトリック教会のミサ(キリストの「最後の晩餐」から始まった祭儀のこと)での聖歌のことを言う。全文の内容は「主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ」という祈り。

「コーラス花座」では、指揮者の意向で、氏の提案する2パターンの演奏順以外の、任意曲のピックアップと自由な並べ替えでの演奏スタイルで歌う。

1 Requiem aeternam(レクイエム エテルナム)
主よ、我々に永遠の安息を与えたまえ

2 Kyrie(キリエ)<憐み深い神への賛歌>
主よ、憐みたまえ
キリストよ、憐みたまえ

3 Lacrimosa(ラクリモーサ)涙の日
涙の日、その日は
罪ある者が裁きを受ける日です
灰の中からよみがえる日です
神よ、この者を許したまえ
慈悲深き主イエスよ
彼らに安息を与えたまえ 
アーメン

4 Intermezzo-Vocalise<1>(インテルメッツォ-ヴォカリーゼ)
間奏曲 母音だけでの歌唱

5 光のなかの貨物列車よ<1>
あなたは 夜の底を 通り過ぎる 貨物列車です
無人の駅を 通過して ずっと 北へと向かって
夜から夜を 移動し続ける
荷物を運ぶ 潔く
駅から駅へ ずっと走っていく
したたかで あきらめない
長さと強さがある

何を運んでいますか
あなたは
いつも
新しい荷物を
運んでいます

6 Agnus Dei(アニュス デイ)アニュスは羊 デイは神
この世の罪を取り除く神の子羊よ
彼らに安息を与えたまえ
彼らに永久の安息を与えたまえ
★曲集全体に重いテーマを扱っているシリアスなムードが漂う中、「Agnus Dei」はゴスペル風で乗って歌えるので好きな曲。

7 Lux aeterna(ルクス エテルナ・死者が永遠の光に照らされることを神に祈る聖歌)
★「ルクス」は照度の単位で、ラテン語では光の意味となる。
主よ、彼らに永遠の光を照らしたまえ 聖者とともに永遠に
あなたは慈悲深くあられるのですから
永遠の安息を彼らに与え、たえざる光で照らしたまえ

8 光のなかの貨物列車よ<5>
この夜
あなたは誰に 伝えたいですか
「ありがとう」を
笛を鳴らして 最終の貨物列車が
過ぎていきます
夜から夜へ
運んでいってほしいのです
「ありがとう」を
そうして
夜が明けるまで
親しい
ふるさとの父と母が 目覚めるまで
貨物列車は 続いていく
北へ 北へ

★阪神淡路大震災の時、大阪湾を挟んで対岸に位置する神戸の地に起きた、想像を絶する大きな地震のテレビニュースをリアルタイムで、私は茫然と見ていた。
直線距離にしたら100キロぐらい離れているのだろうか。我が家でも一日中細かな余震が続き、恐怖と不気味さで縮こまっていたように思う。1年ほど経って訪れた神戸の復興の速さを実感した。
東日本大震災の時は、堺市の知人のところで船酔いのようなゆっくりした揺れを感じ、その後の地獄のような状況の映像は忘れらない

★歌詞にある、貨物列車が運んでいるのは<人・命>なのだと思う。
今回歌わない<2>の曲の歌詞に
「人はなぜ生まれてくるのか
人はなぜ人を愛するのか
人はなぜ死にに行くのか
おまえはなぜそれらの全てを
連れて行くのか
なぜ沈黙して通り過ぎるのか
貨物列車よ」とある。
「人間存在の普遍的問いかけ」
永遠のテーマを問いかけている。 
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ちょこっとボランティア

2019年07月19日 | ボランティア
同級生に頼まれて9月に音楽ボランティアで訪問する、特別養護老人ホーム「アリス千里」という施設の、当日使わせてもらうホール見学と、ピアノの音確認をしてきた。

こじんまりではあるが舞台があって、照明設備や空調も良く、椅子も45席ほど並べられるフロア、防音された空間で何よりまだまだ新しい「グランドピアノ」
カフェコンサートした場所とは随分環境が違うが、イベントが入らない限り普段ここをほとんど使っていないと言う。もったいないねと友人と話したぐらい羨ましい特養のホール。
施設入居費用はかなりリーズナブルでスタッフさんも明るく親切だそう。人気の施設なので待機者は800人以上。彼女はこちらに何度かボランティアで訪れているそうだ。

この地域に住んでいる彼女のお母さんは、体調を崩されて最近この地域の別の特養に入居されたばかり。ここも彼女がこれまで音楽ボランティアで何度も訪れた施設。
いつか「アリス千里」に入れたら良いと願っているようだ。
ホールのピアノの音を確認したあと、そこからタクシーで数分の所にある、彼女のお母さんの施設のカフェタイムの時間を訪ねた。

私の昭和4年生まれの母とほぼ同じ歳のお母さんは、55歳ぐらいの時、趣味でカメラを始められて、数年後大阪のとあるギャラリーで写真展を開かれたことがあった。
重いカメラ機材を持って撮影に行くと言う話を聞いて感心したこと、人形浄瑠璃の本番舞台や、人形使いの方達の表情などの写真が何点も展示されていたのを見て、何がお母さんをそう言う方向へと行かせたのかと思ったものだが、理由はお訊きしたことはなかった。

高校時代はもちろん、彼女が最近も「アッコがね」とよく話してくれていたのだろう。数十年ぶりにお会いしたにも関わらず、ついこの間までお会いしていたようにお母さんと会話ができたことが驚きだった。
白髪になられた車椅子のお母さんの表情は以前と殆ど変わらなかった。
しかし片目はほとんど見えていない、左耳の方しか聞こえないなど老いは顕著だけれど、しっかりした口調で、私を覚えて下さっていたことが嬉しく会話が弾んだ。

カステラとお茶の時間は終わりかけていたが、「乙女の祈り」と「ノクターン20番 遺作」を弾かせて頂いた。
アップライトピアノのに向かっている私には見えなかったけど、「施設のスタッフさんがみんな聴きにきてズラッと並んでおられた。私一人でボランティアやってるのと全然違ったよ」と後で彼女は言っていた。
助っ人がいない時は、彼女は「流しのヴァイオリン🎻弾き」のように一人で演奏するらしい。
副科で同じ先生に教えて頂いたヴァイオリンを、今でもこんな風に活用している彼女に感心する。
この後9月に「アリス千里」で演奏する、マイフェアレディ ーの『踊り明かしたい』」と『エーデルワイス』  日本の叙情歌『浜辺の歌』を私のピアノ伴奏でヴァイオリン演奏した。

お母さんがお元気な頃、大好きな千住真理子さんのヴァイオリンコンサートに行かれて、どう言う経緯なのかはわからないが、お母さんは千住さんの計らいで「ハイヤー」で帰宅したことがあったというエピソードを聞いた。
かたや彼女は昔「作曲家協会」なる所に関係していた頃の、高田三郎氏、中田喜直氏、もちろん林光さん、武満徹氏、芥川也寸志氏、黛敏郎氏、山本良純氏など、錚々たる面々が集まる場所に出入りし、交流していた話を時折聞くが、彼女の性格は、物怖じせず行動的なこのお母さんの遺伝子によるものだとこの時ようやく確信した。
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きっとの奇跡

2019年07月16日 | 奇跡
主人が病気になった時「女声合唱団風」の先輩がくれた日めくり。
心に留まる言葉がいっぱいある。

コーラス「花座」は今年11月ごろにコンサートの予定で、昨年初めぐらいから本格的に練習に入っていた。
ほそみっちゃんのご主人も声楽家で高校の音楽の先生。
長年常勤で勤めておられたので、これまでのコンサートの年は、月一ぐらいで日曜日などにご指導頂いてきたが、今年4月からは非常勤になられ、ようやく花座の火曜日の練習日に月一か二度ほどご指導頂けることになって喜んでいた。

ところが5月の一週目の練習日にご指導頂いた翌日、隆先生はご自宅での朝食の時、突然の連続の嘔吐で緊急入院となられた。
検査結果で、脳の前頭葉に出血が見られるがはっきりした原因は不明。
ただ意識は普通にあって、ほそみっちゃんやご家族と面していて、ご自分が誰と話しているかなどはわかっているようだとのこと。頭を激しくぶつけたことはないか?とお医者さんに聞かれても、ご本人はやはり普段と様子が違い、アクが無いというのか、返答もフワフワしていて、同じ答えを繰り返したり、これまでの記憶も無いよう。
脳のリハビリでの質問の中に「今何処にいますか?」の問いに「北海道」⁉️
昨年ご夫婦で北海道旅行しているので、印象に残っているのかなとほそみっちゃんは言う。
突然の「くも膜下出血」「脳溢血」と言った類の病状ではなさそうだったが、ほそみっちゃんは内心絶望的な思いでいたと思う。
その後の細かい病状は、花座の練習日に彼女から聞くだけなので想像するしか無かった。

隆先生がそんなことになったと聞かされたその直後私は夢を見た。
内容は覚えていないが、元気に回復されたという一場面だった。
自分の希望的観測が夢になったのかも知れない。みんなも「きっとの奇跡」を思っていたと思う。

隆先生が入院されて10日後にはclaVoppのカフェコンサートが予定されていて、西宮のスタジオでのリハーサル日、ほそみっちゃんは普段通り気丈だった。
私たち音楽専門家は、すべての人がそうだとは言わないが、少々の突然の困難や苦難にもメゲない「ど根性」があると自負している。
恩師の恐ろしくて凍りつくような雰囲気の中での、精神的に絶壁に立たされるようなレッスンや、試験や演奏の本番のプレッシャーに耐えてきた「筋金入り」の人間が多いから。

毎週火曜日練習後は数人でいつもお茶をしている。さすがにしばらくほそみっちゃんは参加しなかったが、日を追うごとに隆先生の回復状況が良くなってきている話で、またお茶に参加できて、信じられないことに、みんなの「きっとの奇跡」通り6月12日退院された。

原因がわからないのでいつ何時またということは否めないが、体力回復の為に少しずつ散歩などして、元の隆先生に戻ってきておられ、7月16日の今日、私と伴奏の敬子さんとほそみっちゃんだけが知っていたが、練習場に隆先生が現れるというサプライズ。当然みんなの歓声と拍手で迎えられた。

敬子さんと良い笑顔のツーショット。

人間の生命力や、色々な場面での命拾い。「きっとの奇跡」はあるのだろうと私は信じている。

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